第9話 誘導。
「クラリス、少し離れるね」
一曲一緒に踊って、シリルがわざとらしく家族に挨拶に行って、少し離れた。
ジュースの入ったグラスを手に、こげ茶の髪の男に近づく。
「おや、見かけないお嬢さんだね?今日の舞踏会でデビューなのかな?」
「…ええ。そうなんです。セザール様、ですわよね?」
にっこり笑うと、私の頭の上からつま先まで眺めた男が、私のサファイアのネックレスに目を止めた。
「ここは少し暑いね。バルコニーに出て風を浴びようか?」
その男は笑ってそう言うと、私の肩に手を回した。
バルコニーはまだ早い時間だったからか、二組のご夫婦らしい方々がグラスを片手に涼んでいるだけだった。後姿だけなので、顔は見えない。中庭には篝火がたかれているが、外はもう暗い。バルコニーは会場のホールの灯りがカーテン越しに漏れて、私の肩を抱いた男の表情ぐらいは読み取れそうだ。
セザール様が途中で給仕からグラスを取って、二人で乾杯をした。
「私、ずっとセザール様が好きだったんですの。」
「おや。こんな可愛らしいお嬢さんにそんなことを言っていただけるなんて、光栄だなあ。」
にっこりと笑ったその男のかたえくぼを懐かしく眺める。
「でも、セザール様は婚約者がいらっしゃるんですのよね?」
「え?ああ…今日連れているのは遠縁の娘だよ。頼まれてね」
真っ赤なドレスの女を連れていたのを見た。赤毛の…よく知っている女だ。ロザリーさん。
先生の言っていたことが、急に真実味を増す。
グラスの飲み物はシャンパン?ほんの少し、口をつける。
「僕の婚約者は体が弱くてね…大事にしてきたんだけど…行方不明になってね。どうも自殺してしまったらしくて…。」
「まあ、そうなんですの?」
「ああ…僕にだけ遺書を残していたんだ。せめてどこでどうやって亡くなったのか…探してやりたくてね…。海を見たいと書いてあったから、海沿いを探したんだけどね…。」
「…まあ。大変でしたのね?」
男が急に顔を曇らせて、自分の婚約者のことについて語りだすのに付き合う。
「もう一年になる。婚約者の家からはもう十分だから諦めてくれとか言われるしね。慰謝料を払うから、新しい人生を始めてくれってね。そう言うことじゃないんだが…。」
話だけ聞いていると…信じてしまいそうになりますわ…。
「まあ…そんなにセザール様に想われて…不謹慎かもしれませんが…その婚約者の女性が羨ましいですわ。」
のぞき込むように首をかしげて、男の目を見つめる。
「…僕に新しい人生を見せてくれるのは、君かもしれない…。名前を伺ってもいいかな?レディ?」
今の今までしんみりしていた、気がしたが…もうこの男は私の金色の髪をもてあそんでいる。顔も異様に近いですわ。
…それでも、私のこと、わからないんですのね?
「そんな…まだ知り合ったばかりですのに?」
そう言いながら、顔を背けた私の視界に、赤いドレスの女が仁王立ちで立っているのが映る。酔っているんだろうか…。顔が怖い。
「まあ、あんた!どこに行っているのかと思えばまた女口説いてんの?今度こそ入った慰謝料で私と結婚するって言ったじゃないの!」
…今度こそ?
「ナ、な、何を言っているんだ、君は。タダの平民のくせに貴族の俺と結婚できると思っているのか?お前なんか遊びに決まってるだろう?今回だって、どうしても舞踏会に行ってみたいって言うから連れてきてやったんだ!」
「はああ?」
二人の言い合いが始まったので、避けようとしたが、男にぎっちりと肩をつかまれている。つかまれた肩が痛い。
「俺はな、こういうおとなしくて従順そうなご令嬢が好きなんだ。」
「へえ…また騙せるからでしょう?また婚約破棄して慰謝料を貰うつもり?前の子だってまだ行方が分からないってのに!」
まだ女が話している途中で、男がかぶせるように話しかけてくる。
「いや、この女の言うことは聞かなくていいよ?頭がおかしいんだ。ね?俺はもてるからさ、時々、こういう過激な女がいるんだよね。少し優しくしたら結婚できると思い込んでいるみたいな、な?」
「……」
女を小ばかにしたような言い方が、よほど癪に障ったんだろう…酔ってもいるし…。女が、顔を真っ赤にして怒り出した。
「なんですって?私、あの子の失踪で取り調べまで受けたのよ?看護師協会の登録がないって!あんたが黙ってろって言うから黙ってたのに。そう?じゃあ、洗いざらい話してくるわよ?いいの?」
「はあ?」
女に脅されて、男の声が低くなった。
男は私の肩を突き飛ばすように放した。
バルコニーにいた二人が駆け寄って支えてくれた。侍女服のゼリーさんを隠すように、先生とゼリーさんがそこにいるのは知っていた。
「何が行方不明よ?あの子、あんな状態で生きてるわけないでしょう?一年も引き伸ばして捜す振りとかしちゃって…よくやるわ。あんただって、あの薬が話に聞いていたより良く効いたって喜んでたでしょう?」
「ロザリー!ドレスだって買ってやっただろう!」
「はん。今度こそ結婚するって言うから…あんな何か月も看護師のふりしたのよ!」
女を黙らせようとしたが、あきらめてなだめることにしたらしい男が、猫なで声に変わった。
「ロザリー、わかった。僕が悪かった。結婚しよう。な。」
「セザール…」
「帰って、今後の話をしよう。な?俺にはお前しかいないよ」
二人が、二人の世界に入って…興奮したロザリーさんをセザール様がなだめるのを眺める。あまりに慌てていて…ここにギャラリーがいるのを失念しているんだろう。確かに慌てる内容の話だわ。ロザリーさんの手を取って、指にキスをしてなだめているようだ。
先生に…事情を聴いていなかったら…私、気絶していたかもしれないわね。
私を支えてくれていた先生が、シリルを呼ぶ。
「シリル!」
公爵家の当主と私の兄と衛兵を従えたシリルが、バルコニーの入り口のカーテンの陰に立っていた。カーテンが急に全開にされて、会場の明かりが眩しい。
「余罪がありそうな会話でしたね。それと、話からするとシメオン子爵家の慰謝料はいらないみたいですね、この人。」
しれっと、シリルが言って、衛兵に二人の拘束を命じている。
「名を教えてほしいとおっしゃっていましたね?クラリスですわ。」
衛兵に抑え込まれた二人に向かって自分の名を名乗る。
「セザール様、私、本当にあなたのことをお慕いしておりましたのよ?」
金髪のカツラを取って、私の婚約者だった人に最後の挨拶をする。
「さようなら。」
目を見開いて驚きながら縄を打たれる二人。ロザリーさんはあまり騒ぐので、さるぐつわをされて引っ立てられていった。
「クラリス?」
もう一方のご夫婦が私に歩み寄ってくる。
「お父様、お母様…」
「こんなことになるまで、気づいてあげられなくて申し訳なかった。」
そう言いながら抱きしめてくる二人。三人でわんわん泣いた。
私たちが泣き止むまで、先生とゼリーさんは待っていてくれた。




