第13話 そしてそれから。
「ふーん、それで?クラリスの希望通り、海は見えたのか?」
俺がお土産に買ってきたラヴィ山の形のチョコレートを頬張りながら、叔父貴が聞いてきた。今日は珍しくコーヒーを飲んでいる。
「ああ。見えた」
「そうか。良かったな」
「うん。」
陽が上ると、広がる大地が見えた。大きな蛇のように横たわる川や、キラキラ光る湖。森。低い山。そしてその向こうに、紺色に見える海。ゆっくりと光に照らし出されていく。
「見て!シリル!海よ!海が見えるわ!」
笑うクラリス。
「叔父貴、俺、叔父貴の息子になることにするよ。」
「へえ。急にどうした?シリル?」
「いいじゃねえか。なってやるって言ってんだ。」
「そうか。で?」
いたずらっ子のように俺を見てにやりと笑う叔父貴。
「俺、子弟枠でアカデミアの医学部に行くから、書類作ってくれよ」
「お前…そこは、お願いします、だろう?しかも、凄い自信だな?試験もあるぞ?」
ニヤニヤ顔が気に入らないが…頭を下げる。
「義父上、子弟枠の推薦状を書いていただけませんか?試験は何とかします。」
そう言いながら、深々と頭を下げる。
「なんだ?クラリスにプロポーズでもしたのかい?」
自分で耳まで熱を持っているのがわかるが、反撃する。
「し…してねえよ。仕事もない身分もない三男坊に、プロポーズする権利なんかねえだろう?それに俺はまだ14だし…。」
「ふふん。」
そんなふうには見えないが、甘いものに目がない叔父貴が、2個目のチョコレートを口に入れる。
「で、急ぐことにしたのかい?」
ちょっとむかつく。
本当のことだけど、ムカッとする。ムカッとしたついでに日ごろ言おうと思っていたことを口にする。
「叔父貴もさあ、もういい加減ゼリーさんにプロポーズしろよ!村の人たちみんな言ってるぞ?うちの先生は甲斐性無しだって!」
ぐふっ、と叔父貴が飲みかけたコーヒーにむせる。
「なあ…あれは…あの時の事故は叔父貴がその場にいても助けられなかっただろうって、父上が言っていた。叔父貴だって何でもできるわけじゃねえだろう?なんかあったら今度は俺も手伝ってやるから。な?」
「…うむ…」
急に真顔になった叔父貴が、もじもじと手を合わせる。
「僕は…ゼリーさんの…10歳も上だぞ。しかも、もう42歳だ」
「俺なんか、クラリスの2こも下だぞ?あいつが20歳の時、俺はまだ18歳なんだ。俺が20歳の時、もう22歳になっちゃうだろう?」
「……そうだな。一人前の医者になるのに、どんなに急いでも6年はかかる。クラリスはすっかり可愛らしくなったからな…。」
「……叔父貴もな、死ぬ前にプロポーズしろよ?いい年なんだから。」
「……」
クラリスは下山して叔父貴の療養所に帰るとすぐぐらいに、実家の馬車が迎えに来た。(子爵家から、療養所に過大な寄付金があったと後で聞いた。)
「じゃあ、またね!」
そう言って笑いながら手を振って…クラリスは実家に帰って行った。
またねって、いつだよ?
*****
「おい。お前がもし、もしもだぞ?6年たっても嫁の貰い手が無かったら、俺が貰ってやる」
ラヴィ山の山頂から遠くの海を眺めていると、隣に座っていたシリルが突然言うので驚く。
…6年かあ…凄く先の未来のような、すぐそこ、のような。
実際に、実家にいた16年と、シリルに会ってからの一年と…時間の感覚も違っていた気がする。
…6年かあ…6年後、私は何をしているのかなあ。
そんな先のことを考えられるなんてすごいわね、私!
シリルを見ると、耳が真っ赤だ。
晴れ渡った青空のような綺麗な瞳。
登ってきたお日様のように輝く金色の髪。
6年たったら…シリルもきっとすごくいい男になってるんだろうな。シリルの父上もお会いしたけど、背が高くて美男子だったもの。きっとモテモテになって、私のことなんか忘れちゃうんじゃない?
私は忘れないけどね。
この景色と一緒に、私と同じ背丈のシリルが隣にいてくれたこと。
山に登って海を見たいと言った私を、笑わなかった男の子のこと。
*****
「先生。求人票を見て応募しました。看護学校を卒業してから王都の病院で4年間修業してきました。これが経歴書です。」
封筒に入れられた経歴書を受け取りながら、さっきのおばあちゃんのカルテを書き込む。薬は…後で様子見がてら届けるか…。看護師の面接の予定があったのをすっかり忘れていた。
「ふーん。こんな田舎だけど、いいの?大きな病院みたいな給金も払えないよ?」
「はい。かまいません」
今のところ何から何まで自分一人でこなしているので、手いっぱいだ。
求人は出したが…そんな都会帰りの人が、こんな山奥でやっていけるのかな?
義父と義母は俺がこの診療所に戻ると同時に、王都の屋敷に帰り、下町の診療所の手伝いを始めた。義弟たちがまだ小さいので…義父が驚くほど過保護だ。義母も笑っていた。
カルテを書き終えて、封筒を開けて、経歴書を見る。
17歳から看護学校。19歳から22歳まで王都の王立病院勤務?エリートじゃないか?
【クラリス・シメオン】
え?
「え?…あ?…クラリス?」
眼鏡がずり落ちるほど驚いて顔を上げる。
「はいシリル。6年たったので嫁に貰われに来ましたけど?」
にこにこして問診用の椅子に座るクラリス…もうすっかり大人の女の人になっている。茶色の髪は短いままだが、つやつやになっているし、薄っすら化粧しているのか、唇も健康的でふっくらしている。変わらないのは…綺麗なグリーンの瞳。
「だ、だって…お前、返事しなかったじゃないか、あの時!」
「だって、あの時に6年後、とか急に言われても、見当がつかなかったんですもの」
たいして困ってもいない顔で、クラリスが首をかしげる。
「そ…それに…俺に恋人や奥さんがいるかもとか、思わなかったのか?」
「あら、だって、ゼリーさんとずっと文通してましたもの。」
そう言ってにっこり笑ったクラリスは、持ってきたカバンからさっさと白いエプロンを取り出して掛けると、
「はーい。次の方、どうぞ」
と、待合の患者さんに声をかけた。
本編 完、です。番外編に続きます。




