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Act7.「邪神の御子」

 ノアは、どこまでも広がる空間を漂っていた。

 何も無いようで、全てが詰まった、黒い(そら)


 誰を知ることも、誰に知られることも無く、悠久の時を彷徨い続け――やがて一つの惑星に降り立つ。


 そこに根を張り、神となり、女神の怒りに触れ、地下に封じられた。

 

 ――邪神。ノアはその大いなる生命体と、一つに溶け合っていた。


 再び静寂に閉ざされた世界は、三十年前、遥か故郷(うちゅう)からの呼びかけにより開かれる。


 邪神は支配者に返り咲くことを願ったが、肉体は既に滅びており、洞窟を離れることはできなかった。そこで自らの思念体“邪気”を放ち、人や獣に寄生することで体を得た。

 しかし、脆弱な生物の体はすぐに駄目になってしまう。真の力を発揮できなければ、女神に打ち勝つことなど夢のまた夢だ。


 そこで邪神は、自らの依り代となるに相応しい丈夫な器を作り出すことを試みた。狂人同士の交配を繰り返し、邪気に適応した肉体を作り出そうとしたのだ。

 だが、その試みは容易ではなかった。邪気の影響を受けた子供は殆どが生まれず、生まれても正常な形を保ってはいなかった。


 それでも何度も繰り返す内、遂に完全な御子が誕生する。

 それがノアだった。


 強靭な体に、邪神と同じ力を秘めた子供。邪神の思念を受け入れられる、意思の薄い子供。それは理想的な器だった。


 子の母親は、狂人となり自我を失っているにも関わらず、赤子を抱いて洞窟から逃亡した。母体に宿る本能的な“愛”は、邪神が理解できないものの一つである。


 母親は自らの命が長くないことを悟り、赤子を旅人に託した。旅人は憐れな女の願いを汲み取り、その子を遠い村へと連れていった。


 こうして姿を消した御子。

 邪神は、ずっとその子供を探していた。


 依り代になり得る御子はその後も生まれたが、一番形の整った成功作を忘れることはなかった。地上の支配者として立つなら、あの器の他は無いと。


 邪神と御子は繋がっている。だが、見つけることは困難だった。その子供が、周囲の人々により邪神が持ち得ない“人間の感情”を植え付けられていたからだ。


 それでも、どこかで生きていることは感じていた。いずれ戻って来ると確信していた。邪神が御子を求めるように、御子も邪神を求める。その乾いた器を満たすことが出来るものは、一つしかないのだから。


 だからその子が邪神の思念を拒絶したこと、人間を守る為に自ら命を絶ち、大切な器を壊そうとしたことは、邪神にとって全くの想定外だった。


 驚愕。

 嚇怒。

 震えるその思念体を御子は――ノアは、“ざまあみろ!”と罵る。こんな風に誰かを嘲るのは初めてで……最後だ。




 ――ノア。




 誰かが自分を呼んでいる。




 ――ノア。




 それが、彼だったらいいな、と思った。


 夜が似合う静かな人。冷たく見えるのに、本当は全然そんなことはなくて。

 近くに立つと、お日様の香りがした。青空色の瞳と目が合うと、何かが奪われるような、満たされるような、とてもおかしな気持ちになった。


(もう一度、あの笑顔が見たいな。最後くらい、本当の名前で呼んで貰えばよかった。ルークさん、わたし、本当はずっと……)



「ノア……ノア!」


 頬の上で、熱い何かが弾ける。

 ノアが目を開けると、そこには笑顔が見たいと願ったばかりのルークの泣き顔があった。ルークは彼女が息を吹き返したのを見て、その体を掻き抱く。


「ノア……良かった」

 首を撫でる、ふやけた囁き。

 ノアは混乱する。


(なんで? わたしは死んだんじゃ……)

 ノアはそっとルークを押し戻し、自分の胸に触れた。不思議と傷は塞がっている。

 自分の人並外れた回復力を理解しているノアは、それが間に合わないよう、確実に心臓を貫いた筈だった。なのに、何故今もまだ鼓動が鳴っているのか。


 戸惑うノアは、体の中を巡る温かい力を感じた。馴染みのあるそれはルークの魔力によく似ている。


 瞬間、ノアは察した。

 ノア自身の邪気が、ルークに寄生し彼の生命力を吸収したことを。ルークの命を削り、蘇ってしまったのだ。


「僕、ルークさんの力を奪って……」

 ノアは愕然とする。どのくらい奪ってしまったのか分からない。今すぐに返さなければならないと思うが、その方法が分からない。

 ルークは全てを理解している顔で、ノアを落ち着かせるように優しく言った。


「奪ったんじゃない。私がお前にくれてやったんだ」

「なんで? どうしてそんなこと……僕なんかのために」

「なんか、じゃない。お前だからだ」

「え?」


 ルークは再びノアを抱きしめた。その体は小刻みに震えている。

 ノアは自分より二回りも大きな男が、突然弱々しい少年のように思えて、堪らない気持ちになった。とても世界の救世主には思えない。ここに居るのはただの……。


 ノアが恐る恐るその背に手を回すと、ルークの体がビクリと跳ねた。


 確かめ合う視線。


 止まる呼吸。


 瞬きを合図に、二人は互いに溺れた。


(……やりにくいな)

 ルークは、見開かれたままの丸い瞳に眩暈を覚える。彼女らしいといえば彼女らしいが、こういう時は目を閉じて欲しい。促すように、ルークは目を閉じる。

 それから少しだけ彼女の柔らかな唇を食んだ後、名残惜しくも離れた。焦点が定まった先には、ポケッと呆けているノア。ルークは想像していた反応と違い、若干苛つく。


「なんだその顔は」

「え? だって」

「お前を好いている男から口付けされたんだぞ。分かっているのか?」

「え?」

 ノアは戸惑い、気まずそうに「ごめんなさい」と俯いた。ルークは胸を貫く痛みに息を呑み……肩を落とす。


「困らせてすまなかったな。……分かっている。お前は私を男だと意識したこともないんだろう。このことは忘れてくれ」

 ルークはノアが自分を慕っていることは知っていた。それが恋慕ではなく、深い思慕であるということも。だからこそ潔く引く必要があった。彼女が気遣いで、この想いを受け入れてしまわないように。


 悲しみを悟られないよう、ルークはノアに背を向けた。

 その背にノアが手を伸ばす。

 小さな振動が甲冑越しに伝わり、ルークは今すぐもう一度抱きしめたい衝動に駆られた。


「謝らないでください。嫌じゃなかったです」

「なっ、」

「でも……ごめんなさい。僕、本当は、女なんです」


 ルークが振り返ると、そこには申し訳なさそうに自分を見上げるノア。許しを請う円らな瞳に、ルークは込み上げるものを理性で抑えつける。そして、ギクリと顔を強張らせた。ノアは彼の視線の先、破れた衣服から曝け出された自分の肌に気付き、さっと手で覆う。


「あの。騙すつもりはなかったんですけど……いや、あったんですけど。悪意はなくて。怒ってますよね?」

「いや……知っていた。お前が女だということは」

 へえっ、と素っ頓狂な声を上げるノア。


「うそ、いつから? レイラが言ったんですか?」

「そうじゃない。前に手当てをした時に見て……すまない」

「えっ。じゃあギルも気付いて、」

「あいつは気付いていない。鈍いからな」

「ああ……」


 暫しの沈黙。ノアは、こんな緊迫した状況下で何の話をしているのだろう、とおかしくなった。泣きたくなった。ルークはマントを脱ぎ、大事そうに彼女を包む。


「お前が男でも女でも、私はもうお前を手放す気はない」

「それは、僕のことを好きだからですか?」

「……お前は、言葉の意味を分かっているのか?」

 あまりに恥じらいのないノアに、ルークは心配になる。子供じみたところがあるのは分かっていたが、ここまで色恋沙汰に疎いとは思わなかったのだ。……人のことは言えないが。


「分かってますよ。……分ってます。子供じゃないので」

 ノアは彼の想いを噛みしめる。目を逸らしていたが、ずっと前から理解していた。ルークが男だということも、自分が女だということも、意識しないことなど無かった。


 ノアの耳が赤く染まっていることに、ルークは気付かない。

 

「……ノア。私はお前を守りたい。知っていることを話してくれないか」

「知ったら、守りたくなくなるかもしれませんよ」

「それは無いから安心しろ」


 全てを受け止める気でいる彼に、ノアも覚悟を決め、知ってしまった自身の秘密を打ち明けた。


 自らが、邪神の器として生まれてきたこと。

 三十年前に目覚めた邪神は、多くの生物の生命力を吸い力を高めており、ノアの体を手に入れた後、再び地上の支配者に君臨するつもりだということ。

 自我を取り戻したノアに邪神は怒り、今この瞬間も呼び戻そうとしていること。


「僕は人間じゃない……邪神の子だったんです。僕の存在は、きっとまたルークさん達を危険な目に遭わせてしまう。僕は、生まれて来てはいけない存在だったんです」

 生まれて来てはいけない、という卑屈な言葉は、それを否定して欲しい気持ちの表れだった。


 黙って聞いているルークの顔を、ノアはまともに見ることが出来ない。

 彼の仲間をはじめ、多くの人間の命を奪った邪神。その邪神の分身を目の前にして、彼はどういう気持ちなのだろう?



 ルークは大きく息を吐く。



「私は、愚かだな」

 彼のその言葉に、ノアは“やっぱり”と目を伏せた。彼はこんな自分を助けたことを後悔しているのだろう。好意さえ、きっと嫌悪に……。


「私は勇者失格だ。お前が世界にとって危険な存在でも――他の何より、お前を守りたい」

「ルークさん……」


 彼の顔は、どこか晴れ晴れとしていた。

「女神は勇者の選定を間違えたらしいな」と笑うルーク。久しぶりの彼の笑顔は眩し過ぎて、ノアは目を細める。……本当に眩しい、目を開けていられない程だ。ルークの腰の剣が神々しい光を放っている。


「何だこれは」

 ルークは驚き、刀身を抜いた。

 その光は、女神の聖なる加護の光。ルークの体にかつてない力が漲った。


 伝説によると、聖剣は真の正義に呼応し、本来の力を発揮するという。揺るぎない正義を見つけたルークに、剣は目覚めたのだ。


(……そうか。正義とはこういうものだったのだな)


「ルークさん、それなんですか? 熱くないんですか?」

 さっぱり事情の分かっていないノアの頭に、ルークはポンと手を乗せた。



「ノア。お前を脅かす邪神を、滅ぼしに行こう」




 *




 襲い来る狂獣を、ルークの聖剣が薙ぎ払う。光の剣を振るうその姿は、まるで神話の勇者そのものだ。ノアはぼーっと見惚れた。

 その時、再び地響きが起きる。ノアは地面の割れ目に足を取られそうになった。そんな彼女のマントの襟を、誰かが摘まみ上げる。


「あっぶねーな」

 ぶっきらぼうな低い声。

 銀髪の大男と、その後ろの美女を見て、ノアの胸に喜びが込み上げる。


「ギル! レイラ! 無事だったんだね」

「ノア……正気を取り戻したのね! 奇跡だわ!」

「ルークも無事みたいだな。ってか何で剣が光ってるんだ?」


 ギルバート、レイラ、その他数人の味方。

 ノアは乗っ取られている間の記憶を辿り、自身が誰も手に掛けていない事を確かめ安堵した。


「それにしても、お前は相変わらず軽いな~。もっと筋肉付けろよ。ひ弱過ぎじゃないか?」

 ギルバートが地面にノアを下ろし、マントの中に手を突っ込んで二の腕を掴む。肩を撫で、胸を――慌ててやって来たルークがその手を止めた。鬼気迫る彼の顔と軋む腕に、ギルバートは「誤解すんな、俺にそのケはない」と焦る。


「……私にもない」

「いや、アリアリだろ」


「もう! お喋りしてる暇なんてないでしょう! 油断禁物よ」

 レイラは呆れたように一喝すると、皆に背を向けた。その目にじわりと滲んでいたものをノアは見逃さない。ずずっと鼻を啜るレイラに「ただいま」と言った。


 ――地響きが酷くなる。それは、裏切り者の御子に対する怒りの咆哮だ。


 ノアは、もうその力には呑まれないことを強く誓う。入り込む隙なんて与えてやらない。仲間達と共にいる限り、自分は負けない。


「みんな、聞いて。この先に邪神の思念体の塊がいる。あと、狂人の集団も」

「ああ? 何でそんなことが分かるんだよ?」

 ギルバートが怪訝な顔をする。ノアは説明が面倒になり無視した。全てが無事に終わった時、何か美味しいものでも食べながら話せばいい。ルークはノアの言葉に「分かった」と頷く。


「行くぞ。ノア、お前は私の前には出るなよ」

「じゃあ隣に。守られてばかりは嫌です」

「……私のために死ぬことは、絶対に許さないからな」

「はい。僕、ルークさんのために生きますね」


 ノアは、それが彼を守ることになるのだろうと思った。

 まるで情熱的な愛の告白じみたそれに、ルークは固まり、レイラがつまらなそうに冷やかす。


「ノア、それは一体どういう……」

「あ! ルークさん」

「な、なんだ!?」

「僕、やっと見つけました。この戦いが終わったら、したいこと」


 ルークは何かに期待しながら、ノアの言葉の続きを待つ。

 ギルバートもレイラも、初めて聞くノアの願望に興味を持った。


 ノアは大切な仲間達に囲まれ、次から次に湧き出てくる沢山の望みを胸に抱く。生きる意味がこんなにあるのだから、死んでいる暇なんてない。



「帰り道で、教えてあげますね」

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