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Act5.「残酷な再会」

 ひやりと冷たい洞窟内を進む一行。洞窟に入ってから、数時間が経過していた。入り組んだ道はどこから来たのか、どこへ行けるのか分からなくさせる。


 洞窟の中は事前に得ていた情報通り、狂獣の巣窟だった。隠れ潜む所の多い洞窟内で、隙を突かれた戦士が一人、既に命を落としている。気を抜けば次の瞬間には食らい付かれているかもしれない。少しも気の抜けない状況に、ギルバートは久しぶりに逃げ出したい気持ちを思い出していた。


 ギルバートは死にたくはないが、戦いが嫌いではない。自らの内側から湧き上がる魔力を、派手に火や風の魔法として放つ……その瞬間が好きだった。自分が負ける事のない戦いで魔法をぶっ放し、格好を付けていられればそれで良かったというのに――人生はままならないものである。


(ったく……やっぱ、もっと早くに逃げ出しておけばよかったぜ)

 今となってはもう、仲間を見捨てて行くことなどできはしない。

 師団長が彼に学んで来いと言った“覚悟”が、ギルバートをここから逃がさなかった。


「ちょっと……早すぎるわよ」

 レイラの遠慮がちな声が洞窟に響く。先頭のルークが、一人でどんどん先へ行ってしまうのだ。レイラのこの声掛けももう数度目である。その度にルークは一旦速度を落とすものの、すぐにまた距離が離されていく。ルークも無意識なのだろう。彼の背中から滲み出る焦燥を感じ取り、ギルバートはどうしたものかと溜息を吐いた。


 一人の青年の安否を案じ、冷静さを欠いている男。二人で旅を始めた頃のルークからは想像も出来なかった。ノアがいない今、彼は取り繕うこともしない。


「おいルーク、焦ってもなんも――あ?」


 ピタリ、とルークの足が止まった。前に敵でも見つけたのだろう。ギルバート達は警戒を強め、彼の傍に寄る。……しかし、何か様子が変だ。ルークには一向に剣を構える気配がない。ギルバートは硬直したその肩越しに、彼の視線を縫い付けているものを見て――心底ほっとした。レイラも泣きそうな声を上げる。


「ノア、無事だったのね!」

「ヒヤヒヤしたぜ! ったくよお」

 見慣れた背中、丸い頭。話に聞いていた鎧は身に着けておらず、いつも装備の下に着ていた質素な服装だった。鎧の重さに耐えられず途中で脱いだのか、警備兵の見間違いだったのか。


「お前、ここでその格好はマズいだろ。ちょっと待ってろよ、なにか防具になりそうなものは……」

「……ノア?」

 反応を示さないノアに、もう一度レイラが声をかける。ようやく振り返ったノアは――知らない顔をしていた。

 いつもの柔らかな雰囲気はなく、その目は冷え切っている。ギルバートは、ノアが怒っているのだと思った。あんな別れ方をしたのだから、恨まれていても仕方がない。だがノアが洞窟の中まで来てしまった以上、団を追い出すも何もあったものではなかった。危険な場所で一人で行動させる訳にはいかない。


「おいノア、話を聞けよ」

「……我に話しかけているのか? お前達は何者だ」

「はあ? 何言ってんだ。ふざけてないで、」


「ギルバート」

 ルークの鋭い声に、ギルバートは踏み出しかけた足を止める。ノアの無事に誰よりも安堵している筈のルークは、まるでノアの屍を見つけたとでもいうように、絶望の色を浮かべていた。レイラはまさか、と目を見開く。


「ノア……もしかして、邪気に乗っ取られて、」

「乗っ取ったなど人聞きの悪い。この器は、正しき持ち主の元へ戻って来ただけなのだから」


 ノアは、底知れぬ笑みを浮かべる。暗く深い瞳の奥には、どこまでも深淵が広がっていた。

 その背後から、獣が姿を現す。黒い体毛を逆立たせた、大人の男程もある大きな狼の狂獣だ。続々と姿を現したそれは、ノアの合図と共に、ルーク達に飛びかかっていった。




 *




「――ギル!」

 洞窟内に響く激しい剣戟の音。レイラの叫び声で、ギルバートは意識を取り戻した。目の前には燃えるような赤い髪を靡かせ、魔力で精製した投げナイフを狂獣に向かって放つレイラ。狂獣の群れの向こうには、見慣れた筈の見知らぬ青年。ギルバートはその姿を見て、先程の再会が悪夢ではなかったことを知る。


 自分達の前に立ちはだかり、狂獣と共に襲い掛かってきたノア。それはもう非力なノアではなく、邪気の力を得た狂人だった。


「いってぇ……」

 後頭部がズキズキと痛む。ギルバートはノアに蹴り飛ばされ、岩に頭を打って気絶していたのだ。彼が気を失っていたのは僅かな時間だったが、その間にも仲間達の体には傷が増えている。戦士の二人とレイラはギルバートを背に庇い戦っており、治癒士の男はギルバートの傷を癒していた。ルークは――ノアと戦っている。ギルバートはその光景を、とても見ていられなかった。


 ノアは洞窟内の遺留物を拾ったのか、その体には大き過ぎる剣を振るっている。しかし重さを感じさせない軽快な動きで、激しい攻撃をルークに仕掛けていた。対するルークは……本気を出せていない。彼の剣は往なすばかりで、ノアに届きそうになる度、不自然に止まっている。

 邪気に寄生された人間が元に戻らないことは周知の事実だが、それでもルークはノアと戦うことが出来ないのだ。


 レイラもまた、諦められていない様子である。狂獣を相手にしながらも、ノアに「正気に戻ってよ!」と声を掛け続けていた。


(……なら、俺が戦うしかないな)

 ギルバートは治癒士の男に「もう大丈夫だ」と手を止めさせ、立ち上がる。洞窟内にはおびただしい邪気が充満しており、身が竦んだ。これまで遠かった邪神の存在を身近に感じる。


 震える膝を拳で一発殴りつけ、ギルバートはルークの元へ駆け出した。そして、ルークに切りかかろうと跳躍したノアに向けて火の魔法を放つ。ノアの体が、炎の球体に包まれた。


「ノア!」

 ルークが飛び込もうとするのを、ギルバートは全力で抑えつける。


「離せ、ノアが!」

「しっかりしろよ! あれはもうノアじゃない! 分かってるだろ!?」

 二人の前で燃える炎。その後ろから、火傷一つ負っていないノアが姿を現す。


「……マジかよ。今の攻撃を避けたってのか? 空中で? ……やっぱもう、化け物ってことか」

「人間にしては中々の魔法だな。面白い」

 ノアは興味深げに炎を眺めた後、それを剣で一文字に薙ぎ払う。不思議な力を纏った剣は一陣の風を巻き起こし、炎をかき消してしまった。ギルバートは目を瞠る。


「おいおい……魔法まで使えるのかよ」

 

 その時、狂獣達の咆哮が耳を劈いた。仲間を呼んでいるのだ。岩の影より次から次へと湧き出る狂獣の猛攻にレイラが膝を付く。


「レイラ!」「レイラちゃん!」

 ルークとギルバートの声が重なった。

 鋭い牙を剥き出しにした獣がレイラに迫っている。ルークならば急げば間に合うだろう。


「ルーク! お前はレイラちゃんのところへ行け!」

「……くそ!」

 彼らしからぬ悪態をつき、ルークがレイラの方へと向かう。それを阻止しようとするノアの一閃を、ギルバートの剣が受け止めた。


 骨の髄まで響く重い一撃。鈍く光る刀身の向こうで自分を見ている黒い瞳。その奥にノアがいないとしても……ギルバートは思い出さずにはいられなかった。



『ギルは、お兄ちゃんみたいだよね』


 あれは、三人で旅をするようになって暫く経った頃。

 術の使い過ぎで動けなくなったノアが、ギルバートに背負われながら、唐突にそんなことを言った。


 ギルバートはそんなことを言われるのは初めてで、嬉しいような、照れくさいような、くすぐったかったのを覚えている。


『なんだよ。前に聞いた、カッコよくて優しくて頭の良いお前の兄貴みたいってか?』

『いや、全然違うけど』

『おい』

 背中でくすくす笑うノア。安心しきって体重を預けてくるノアが、ギルバートには不思議でならなかった。

 嫌なことがあれば酒に酔い潰れ、気に入った女を見つければ尻を追いかけ、喧嘩を売られれば脊髄反射で買うギルバート。当の本人でさえ信用ならない男に、ノアは簡単に身を預ける。時に自分の命を懸けて、守ろうとする。その理由が分からなかった。


 分からなかったが、ノアの信頼を裏切らない自分でいたいと思うようになった。


『ところで、俺が兄ならルークはなんなんだ?』

『え? 帝国の剣聖、女神様に選ばれし勇者様だよ』

『ハッ! おい聞いたかよ勇者様。残念だったなあ』

 複雑そうな顔で振り返ったルーク。笑うギルバート。首を傾げるノア。



 ――あの日々は、もう二度と戻らない。



 押し合う剣と剣。ギルバートは剣に魔力を込め、全力で払った。ノアの小さな体は吹っ飛び岩壁に打ち付けられる。地面を蹴り、一気に距離を詰めるギルバート。


「やめろ! やめてくれ!」

 ルークの悲痛な叫びが響いた。


「ノア……今、楽にしてやるからな」

 ノアは苦しそうに背中を丸めている。今がチャンスだ。

 ギルバートは体中の魔力を剣に集約し振りかぶる。それは、彼が扱うことの出来る最大の攻撃魔法だ。


 渦巻く魔力が剣を黒く染め上げる。周囲の空気が軋み、地面が僅かに沈み込む。

 ギルバートは、覚悟を決めた。


 瞬間――ノアが顔を上げる。そのあまりに静かな瞳を見て、ギルバートは気付いてしまった。

 ノアは動けずにいるのではない。敢えて動かずにいるのだ。自らの意思でギルバートの攻撃を受けようとしている。


 しかしもう、魔法の発動を止めることは出来なかった。


「うおおおおおお!」

 ギルバートの意思に反し、魔剣が凄まじい音を立て、岩壁を切り裂き砕く。魔力が黒い稲妻となり、周囲に散った。粉塵が舞う。


「ハァ、ハッ……ノア……」

 ギルバートは喪失感に立ち尽くす。逃げ出したかったが、目を逸らす訳にはいかなかった。だが視界が開けた時、そこにノアはいない。慌てて探すと、離れた場所に、ルークの腕に抱かれているノアを見つけた。


 ルークは全身に狂獣の血を浴びている。レイラ達の方を見れば、バラバラになった死骸が散乱していた。我武者羅に狂獣を蹴散らし、ノアの元に駆け付けたのだろう。


 ギルバートはノアを殺していないという事実に、膝から崩れ落ちそうになった。どうしてノアを信じてやれなかったのか。ノアはいつだって自分を、仲間達を信じてくれていたというのに。


(ハ、足の震えが止まらねえ……いや、これは)


 洞窟が、震えている。

 

 揺れている!


 それは立っていることもままならない大きな地震だった。魔剣が砕いた岩の隙間から緑色の光が漏れ出し、激しく点滅している。まるで洞窟そのものが怒っているようだ。


 天井が、壁が、崩れる。大きな岩が落盤し、ノアとルークを隠してしまう。


「ノア! ルーク!」

「ギル、そこも危ないわ!」

 ギルバートはノア達の元へ行こうとしたが、道は落石に閉ざされてしまった。何度も二人の名を呼ぶが返事はない。


(クソッ! 無事でいろよ、二人とも!)

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