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Act4.「マラカ洞窟」

 洞窟付近は、常に異常を察知できるように警備兵が巡回している。二人の警備兵は、薄暗い夜明けにぬっと現れたボロボロの鎧姿を見て「うおっ」と声を上げた。亡霊を見たと思ったのだ。

 数々の挑戦者達が犠牲になったこの場所では、そういうモノがいくら出てもおかしくはない。しかしどうやら、その小柄な男はまだ生きているらしかった。ただの亡霊予備軍だ。


「おいお前、一人か? なんだ、まだガキじゃないか。ここは遊びに来るところじゃないぞ」

「いえ、僕は子供ではありません。れっきとした挑戦者ですよ」

「ハア? マジか? ……まあガキが一人でここまで来れるワケ無いか。ってか、そんなボロい装備で行く気かよ? 全く……これ以上死体を増やさないでくれよな。最近じゃここまで死臭が漂ってる気がするぜ」


「善処します」

 ノアは眉一つ動かさず、二人の間をすり抜けて洞窟に向かっていった。やけに肝の据わった子供だな、と兵士達は顔を見合わせる。……ああ、大人なのだったか。


 近くの町にかの有名な勇者一行がやって来たことは、兵士達の耳にも入っていた。女神に選ばれた勇者なら、きっと邪神を滅ぼし人類を恐怖から救ってくれるだろう。だからお前みたいな奴は家で大人しく待っていればいい……と声をかけるべきだったのだろうが、颯爽と歩いていくその後ろ姿に、二人は何も言えなかった。




 *




 ノアは遂にマラカ洞窟の前に立つ。苔生した岩壁に縦に入った亀裂が入口だ。人一人を簡単に飲み込む巨大な亀裂の向こうには、すぐに湿った壁が見える。洞窟は前ではなく下に続いているのだ。


 過去の挑戦者達が残したのだろう無数の縄梯子が、あちこちにかかっている。その中から一番丈夫そうなものを選び、ノアは慎重に下りていった。這い上がる冷気に引きずり込まれるように、深く、深く、地下へと潜る。


 洞窟の内部は、数少ない生還者から得た情報通りだった。湿った岩肌が黄緑色の光を放っており、灯りが要らない。……不思議な光だ。ドクン、ドクンと脈打つ光は、ここが化物の体内であるかのように思わせる。


 足場に辿り着き、梯子を下りて歩いて行くと、強い異臭に襲われた。鼻にも目にもツンとくるその臭いもまた想定内。ノアは地面に転がる憐れな挑戦者達を悼みながら、警戒し、避けて歩く。邪神がその骸に潜んでいないとも限らないからだ。


 邪神の邪気は、細い光の線のような姿形をしている。単体では弱く不安定な存在であるため、他生物の耳や口から侵入し、脳を乗っ取り体を奪う、寄生虫の如き存在だ。寄生された宿主は本来の肉体以上の力を発揮し、人間を襲うようになる。


 一度体を奪われた宿主は、その時点で脳も肉体も作り替えられ、生命力を使い尽くされるまで解放されない。つまり一度寄生されたら最後、二度と元に戻ることはない。

 邪気を滅するには宿主の命を奪い、邪気が次なる宿主を探して外に出た瞬間、本体を切り刻むしかなかった。


 挑戦者達は寄生対策として、耳や口を兜等の防具で覆うようにしている。これまでノアが使っていた防具は、ルークが用意した一流の職人による良質なものだった。しかし今身に着けているのは、宿の女主人からなけなしの金で買った錆びついた兜と鎧だけ。


 隙間だらけのそれに不安を覚えながら、刃こぼれした剣を手に、ノアは歩みを進めた。



(……おかしい。やけに静かだ)

 洞窟内には数多くの狂獣が潜んでおり、次々に侵入者に襲い掛かってくると聞いていた。だが物音も気配も何もない。異様な静寂に満ちている。


 もしかすると情報が古く、既に殆どの狂獣は討伐されてしまったのではないか?

 あまりに何も起きない状況に、僅かに油断が生じた時――その声は、聞こえてきた。



 “待っていたぞ”



 地を震わせるような低い声。兜越しに聞こえるにしては近く、はっきりし過ぎている。

 それは、ノアの内側から響いていた。


 “我はずっと待っていた。お前が来るのを待ちわびていた”


「うっ……」

 ノアは酷い頭痛に、立っていられなくなる。

 感じたことの無い痛み。腕や足を折られるより、腹を食い破られるよりずっと痛い。頭蓋骨に釘を刺されトンカチで何度も打ち付けられているみたいだ。激しい痛みに意識が遠のく。


(この声は、一体……)

 正体不明の謎の声。それなのに――どこか、懐かしい。


 “そうだ、何も恐れることはない。ここはお前の故郷なのだから”


(わたし、の……?)


 “よくぞ戻った――我が子よ”


 声に呼応し、岩肌が強く光り輝いた。緑色の光がノアの視界を奪い、脳内を埋め尽くす。抵抗を忘れた瞬間、ノアの痛みは痛みではなくなった。それは不思議な快感、一種の幸福感へと変わる。


 その声を、その光を……力を、もっと近くで感じたい。


 もっと強く、感じたい。


 ノアは兜を取り外し鎧を脱ぎ捨てた。



 ――深い緑色の沼。沈みゆく意識。

 ぎりぎり手の届かない場所で、兄、両親、村の友人、旅の仲間、短い人生で出会った人々の顔が、次々に浮かんでは消えていく。その中で中々消えていかない人がいた。いつまでも残像を残しているのは、眩しい金色の髪。


(ルークさん……わたし、あなたの役に立ちたかったな。わたしは、)


 思考が、想いが途切れる。しかし喪失感はない。それどころか失っていたものが戻ってきたような、自分が完全なものとなる充足感に満たされた。もう力不足の自分をもどかしく思う事も、孤独を感じることもない。


(ああ、きっと復讐なんて口実だったんだ)


 あの晩、村を滅ぼした邪神の力。ノアはそれが忘れられなかった。ずっと気付かないふりをしていたが、それに魅入られていた。復讐は嘘ではないがそれだけではない。ノアは……


(わたしはずっと、ここに来たかった。ここはずっとわたしを――呼んでいたんだね)


 “ただいま”と


 ノアは幸せな闇に、落ちていく。




 *




 朝に町を出たルーク達は、すっかり太陽の位置が高くなった頃、マラカ洞窟前に到着した。彼らの後ろには皇帝に遣わされた腕利きの戦士が三人、治癒士が一人。

 治癒士が中年の男であることに、ギルバートはずっと不服そうだ。治癒士が美女であるというのはノアに辛くあたる為のデマカセだったが、事実であればいいなと期待はしていたのだ。


「おお! アンタ様がかの有名な勇者様ですね!」

 洞窟警備兵の興奮した大声に、ルークは顔を顰めた。それを見たレイラは、二日酔いかしら? と心配になる。


「俺、ファンなんだ! いやあ、感激感激」

「それは良かった。……通してくれるか?」

「ええ、ええ! 勿論でございますよ」

 二人の警備兵はさっと道を空けた。その顔は勇者一行の登場に高揚し、明るい未来への希望に満ちている……が、ルーク達が通り過ぎようとした時、僅かに曇った。

 レイラが目敏く「何かしら?」と尋ねる。匂い立つような美女に声をかけられ、警備兵はポーッとなりながら答えた。


「あ、ああ。実は今朝、無謀な挑戦者が入って行ってな。……もし洞窟内で会うことがあったら、助けてやってくれないか?」

「どんな奴なんだ?」

 ギルバートが問う。レイラは嫌な予感がして、警備兵が答える前に二人を先へ促そうとしたが、間に合わない。


「黒髪の、まるでガキみたいな顔の細っこい男だ。拾い物みたいなボロボロの鎧で、重そうにフラフラ歩いてやがった」

 兵士の言葉にルークの顔色が変わる。ルークはレイラの肩を掴み、噛みつく勢いで問い質した。


「どういうことだ! ノアは宿に残っていると言っていただろう! お前はそれを確認してから出て来たんじゃなかったのか!」

 ルーク達が町を発つ時点で宿にいたのなら、ノアが早朝に洞窟に来ることなどあり得ない。レイラが痛みに顔を歪めるのを見て、ギルバートが慌てて止めに入った。


「落ち着けよ! ノアな訳ないだろ? アイツが鎧なんて持ってたか?」

 ギルバートの言葉に、ルークはいくらか冷静さを取り戻す。だがまだ疑いを捨てきれないようで、何か言いたげな顔のままレイラから手を離した。


「レイラちゃん、大丈夫か?」

 ギルバートに念入りに肩を擦られ、レイラは「触らないでよ!」とその手を乱暴に払う。その時、彼女の懐から巾着袋が落ちた。


 ガシャンと金の鳴る音。レイラの顔がサッと青くなる。

 ルークは醜悪なものでも見るような目でレイラを見た。ノアに渡すよう託したそれが、ここにあるということ。早朝に洞窟を訪れたというノアらしき人物。その二つからは、レイラが金の為に嘘を吐いたとしか思えない。


 事情が分からず戸惑う兵士達。ギルバートは頭を抱えた。最後の決戦に向かう今、仲間割れをしている暇などないというのに……相変わらずノアの存在がかき回してくれるな、と思った。


(ノア、生きていてくれよ)


 ギルバートは生まれて初めて、真面目に女神に祈りを捧げた。

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