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Act2.「追放劇のあとで」

 ノアが店を出て、その気配が充分に遠ざかったことを確認すると、ギルバートとレイラは“ひと仕事終えた”と顔を見合わせた。


 一日中剣を振るい続けても平然としているルークは、ぐったり椅子に腰を下ろし……頭を抱える。レイラは彼に歩み寄り肩に手を置こうとしたが、心中を察して思い留まった。

 ギルバートは「やれやれ」と肩を竦める。


 ――ルークは本来、優秀な男である。幼馴染のギルバートは、仲間の中で誰よりもそれをよく知っていた。

 帝国騎士団の一員で、団長である父親の元で幼い頃より厳しい鍛錬を受けて育った彼。“正義は強き者の義務である”を信条に、国の為、民の為に剣を振るう剣聖。だが、どこか人間味が無い。彼の正義に彼自身の感情は含まれていないのだ。


 皇帝や父親の意思、女神の教えをそのまま反映した彼は、正義の為にはどこまでも合理的で冷徹である。恐らく一人の肉親と百人の名も知らぬ民の命を天秤にかけた時、彼は何の迷いもなく百人を取るだろう。そんな機械的な男だ。


 女神のお告げにより勇者となり、聖剣を授けられ、皇帝に邪神を滅ぼすよう命じられたルーク。帝国魔法師団に属するギルバートもまた師団長の命を受け、ルークの旅に同行することとなった。


 ギルバートの魔法の才は確かなものであるが、飽き性の彼は真面目に技巧を磨くことをせず燻っていた。おまけに普段は気が大きいものの、いざという時には臆病さが出る。魔法の研究で成果を残すこともなく、戦場では逃げ出す彼を、師団は持て余していた。


『剣聖と共に旅に出て、覚悟を学んでくるがよい』という師団長の言葉に、ギルバートは体よく自分を追い出したいだけだろう、このクソジジイ! と不貞腐れた。


 命がけの危険な旅などご免だが、埃臭い魔塔で頭でっかちな上司に小言を言われる日々にも辟易としていたギルバートは、旅の途中で隙を見て逃げ出してやろうと思った。ルークや共に国を出た仲間達は困るだろうが、知ったことではない。寧ろ困ればいいと思っていた。いつも澄まし顔のルークが、ギルバートは気に入らなかったのだ。


 だがその機会は中々訪れなかった。共に窮地を潜り抜ければ抜けるほど、ギルバートは裏切る勇気を持てなくなる。そして仲間達は次々に命を落とし、遂にルークとの二人旅となってしまった。


 ルークは遊びを知らない真面目一辺倒な、教本のような男。融通が利かない頑固者で、真逆のギルバートとは度々衝突した。ギルバートはその度に荷物をまとめるところまでいくものの、一人で生き一人で死ぬ覚悟をしているその男を、本当に一人にすることが出来なかった。


 今晩こそ逃げてやろう、次の町で逃げてやろう……そう思い続けながら旅をしていたある日、仲間に加わったのがノアである。ギルバートは自分より弱い庇護対象が出来たことで、ますます逃げ出し辛くなってしまった。


 欲の一つも知らないような無垢さ。素直だが表情に乏しく、掴みどころのない儚げな青年、ノア。

 彼の存在が、徐々にルークを変えていった。冴えない童顔男に、どんな美女の誘惑にも動じないルークがポンコツになるのは愉快だった。それを隠せている気の本人と、彼を真面目な男という色眼鏡で見て全く気付いていないノアが、ギルバートは楽しくて仕方が無かった。

 

 ――ルークにとって、ノアは特別な存在である。だから彼は最終決戦を前に、ノアを団から追い出したのだ。ノアを守るために。


 事前に相談されていたギルバートとレイラも、ルークに賛同した。ノアは自分の治癒力を過信していつも怪我ばかりしている。何より生への執着が薄い。洞窟に待ち受けているだろうこれまでにない厳しい戦いで、ノアを守り切れる自信は無かった。それに、ノアが傷付くことでルークに気を散らされては敵わない。


 そうして先程の追放劇が仕組まれた。

 ルークはノアを傷付ける罪さえ誰にも譲りたくないのか、一人でやると言って聞かなかった。だが実際にノアの悲しい顔を前にすると、彼は何も言えなくなってしまった。

 ギルバートは予想通りの展開に呆れながら、憎まれ役を買って出た。気に食わないところはあるが大切な仲間であるルークと……弟のように思っていたノアのために。



「……レイラ、ノアにこれを渡してくれないか」

 ルークがおもむろに、麻袋をレイラに突き出す。


「何よ? お金?」

「帰るにも金が必要だろう」

「あら、随分とお優しいこと」

 レイラは面白く無さそうにそれを手に取る。指が触れ合った時、彼女は絡め取ってやろうかと思ったが、今夜はそんな気にはなれなかった。


(あの子に、どこに帰る場所があるって言うんだか)

 レイラは目を伏せる。家族を殺され天涯孤独となったノアに帰る場所は無い。心の置き場はここにしかなかったのだ。


(ノアは……初めから誰にも愛されず、誰も信用出来ず、一人きりだったアタシとは違う)


 暴力を振るう親の元から逃げ、スラム街で泥水を啜り生きてきたレイラ。彼女は生きる為にはどんな手段も厭わなかった。最初に盗んだのは小さなパンひとつ。それがいつからか財布や宝石類に変わり、器量を活かして男の懐に忍び込むことを覚えた後は、引き出した情報を売り物にした。


 西を目指す挑戦者達に洞窟や邪神の情報を売り、高値の付きそうな武具を盗む日々を送っていた彼女。ルークの聖剣を狙ったレイラは、自分に全く靡かない彼に躍起になって付き纏うようになった。


 レイラが正式に彼らの仲間となったのは、ノアがきっかけである。ノアが狂獣の毒で伏した際、ルークは初めて慌てた様子でレイラに助けを求めて来たのだ。彼は、手当ての最中でノアの性別に気付いてしまったのである。


 ノア自身の意思を尊重するためか、単に向き合い方が分からないからか、ルークは気付いていないフリをした。レイラとしてもそちらの方が都合がよく、ノアには黙っていた。


 以降、恐らくはルークの何らかの気遣いで、レイラは団に迎えられた。ルークに自身の性別が知られているとは思ってもいないノアと、察しの悪いギルバートには、レイラの持つ情報量と交渉力、荒んだ日々の中で習得した武術が認められたということになっている。


 レイラは最初、ノアが大嫌いだった。レイラが振りかざす女の武器の意味も分かっていないような、寒気がするほど純粋なノア。穢れを知らない彼女を、レイラは憎くさえ思った。ノアを認めることは、これまでの自分を否定することになる気がしたのだ。


 しかし、素直さには勝てない。

 嫌味を言っても普通に話しかけてくるノア。どんなに冷たくしても、怪我を治してくれるノア。レイラは、いつからかノアの存在を心地よく思うようになっていた。家族の温もりなど知らないが、妹がいればこんな感じなのか……と。


 だから、ルークの考えに賛同したのだ。ノアを守る。ノアの代わりに、ルークを守る。それが仲間の温もりを教えてくれた彼らに、自分が唯一出来る恩返しだと思った。


「本当にアタシが渡していいのね?」

「ああ、頼む……」

 暗い影を纏うルークの背中を、ギルバートが乱暴にバシバシ叩く。


「おう、忘れろよ! あんな童顔男のどこが良いんだ。やっぱり女だぜ! 女!」

 胸の前でボインと山を作る彼に、ルークの冷たい視線が突き刺さった。レイラは「サイテー」と蔑む。


「ノア……」

「お、おい! ルーク!」

 酒に弱いルークが、自分の水入りのジョッキと間違えてギルバートのジョッキを呷った。そして、すぐさま赤い顔でテーブルに突っ伏す。


 その情けない様子にレイラは「百年の恋も醒めるわよ」と悲し気に微笑んだ。




 *




 ギルバートは酔って眠ってしまったルークを抱え、早々に宿に戻っていった。部屋の空きが無く、レイラとノアは彼らとは別の宿である。この組み合わせにしたのはルークとレイラのノアに対する気遣いだが、例えノアが男であっても同じになったに違いない。一番問題が起こらない組み合わせだ。


 レイラは沈んだ心を癒すため、暫く一人で酒を飲み、日付が変わってから店を出た。

 酔いを醒ましながら歩く夜の町。家々の窓は眠りについており、酒場の騒々しさが嘘みたいに静かだ。ガス灯に虫がぶつかる音が響く。


(ノア……大丈夫かしら?)

 仲間から酷い仕打ちを受けて酒場を出て行ったノア。相変わらず表情は薄いものの、相当傷付いていたに違いない。だがまあ、ああ見えて強かな彼女ならしっかり宿には戻っているだろう。


 宿に近付く度、レイラの歩みは遅くなる。立ち止まり、方向を変え、無理矢理にでも距離を稼いだ。

 ノアをもう一度傷付けなければならない。そしてそれが彼女との最後の別れになるかもしれない。そう思うと、心が鉛のようだった。


 しかしいくら遠回りをしても宿は逃げてくれない。


 レイラは覚悟を決め、ノアの部屋の前に立つ。感情を押し殺し、わざと雑にノックした。


「ノア、アタシよ。……返事しなさいよ」

 返事はない。が、起きているだろう。ノアは夜遅くまで薬の調合書を読むのが日課だ。こんな状況であれ彼女がそれを欠かすとは思えない。攻撃に回れない非力な彼女は、治癒士として仲間を援護する役割を熱心に務めていた。努力家の彼女の薬や治癒術に救われたことは一度や二度ではない。足手纏いだなんて、本当は誰も思っていないのだ。


「ははーん、さてはヘソを曲げてるのね? いいわよ別に。アンタのシケた顔なんて見たくもないし。もうこれでお別れって訳ね? ふうん、分かったわよ!」


 ……やはり、返事はない。それどころか物音ひとつ、気配さえない。レイラは嫌な予感がした。


「ちょっと……ノア? ノア!」

 声を荒げるレイラに、迷惑そうな声が掛けられる。宿の女主人だ。


「そこの子なら、戻って来てすぐに出て行ったよ。今夜の宿代は返さないって言ったんだけどねえ」

「出て行った? どこに? あの子、大したお金も持ってないのに……」

「何やら思い詰めた顔で、農具でも何でもいいから武器になるものを売ってくれって言ってねえ。しょうがないから、うちの人が昔使ってたヤツをくれてやったよ」

「は……?」

 レイラの顔が青褪める。


 こんな深夜に思い詰めた顔で、武具を求めたというノア。行先なんて一つに決まっている。こうならないよう、彼女から装備を剥ぎ取っておいたというのに!

 レイラは、まさかノアがここまで考えなしの無鉄砲だとは思っていなかった。


「男ってのは、どうして危ないことをしたがるのかねえ。うちの人も洞窟に入って、それっきりさ。英雄なんて夢を見るから……馬鹿な男だよ。あんた達も精々気を付けることだね」

 女主人はレイラが手にした巾着袋をいやらしく見つめ「あんたも何か買うかい? まけとくよ」と言うが、その声はレイラには届かない。


 レイラは弾かれたように宿を飛び出した。



(ノア、ああ、なんて馬鹿な子なの!)

 夜の町を駆けるレイラ。しかし涼やかな夜気に頭が冷えると――足を止めた。


(……どこに行くつもりよ。ルーク達の宿? ノアのことを報せる為に? ……駄目よ。黙っておくべきだわ)


 この事をルークに伝えれば、彼は夜中にも関わらず、酒にやられたままの状態でも追いかけていってしまうだろう。助けられる保証のない一人のために、大きな使命を背負う彼を危険に曝すことは出来ない。


 自分が黙ってさえいれば、ルークはノアが安全な場所にいると思ったまま、心置きなく戦えるのだ。きっと邪神を滅ぼし、多くの人を救うことができる。ノアもそれを望む筈だ。


(ノア……)


 レイラの脳裏に、他愛もない一時が蘇る。あれは旅の途中……夜の森。ルークとギルが狩りに出ている間、ノアと二人で火の番をしていた時のことだ。木から肩に落ちてきた大きな蜘蛛に、悲鳴を上げたレイラ。ノアは顔色一つ変えずにそれを払った。


 蜘蛛だけでなく、蝙蝠であっても、盗賊であっても、狂獣であっても、ノアが恐怖を浮かべるところをレイラは見たことが無かった。ノアは恐怖にも痛みにも鈍いのだ。(おまけに自分に向けられる感情にも)


『ノア。アンタ弱いくせに、全然怖がらないわよね。可愛げ無いわよ』

『レイラは強いのに、結構怖がりだよね。可愛いと思うよ』

『そう言うところ、ほんっとーに嫌いだわ』

『僕は嫌いじゃない』

『女に口説かれても迷惑よ』

『ちょっと、あんまり大きな声で言わないでってば……』



『――ねえ。ノアの怖いものって、何?』

『え? なんで?』

『弱味を握ってやろうかと思って』

『僕の弱味なんて握ってどうするの? まあいいけど。う~ん……怖いものか……なんだろう』

『一つくらいあるでしょう』

『あ、皆が傷つくのは嫌』

『……それ、一番怪我の多いアンタが言うの?』

『僕はいいんだよ。丈夫だし。何かあっても……ルークさんやギルなら洞窟に辿り着いて、邪神を滅ぼしてくれるって信じてるから』


 それを聞いた時、レイラは悲しくなった。死の覚悟と、生きようとする意志の薄さを感じたからだ。


 ……彼女の復讐とは、明るい未来に踏み出すためのものではないのか。


 レイラは何か言ってやろうと思ったが、上手い言葉が見つからず『アタシの名前が無いわね』と意地悪く笑うのが精一杯だった。


 家族の復讐のため、仲間を守るため、自身を顧みないノア。そんな彼女をレイラは愚かだと思った。人は生まれてから死ぬまで一人。誰もが孤独で、誰もが自分本位である。だから他人に消耗される人生は負けだ。そう思うのに、レイラはノアに心揺さぶられた。誰かのために生きることのできるノアがとても眩しかった。


 ルークもまた、ノアに似ているところがある。自身よりも大衆に重きを置く、帝国の正義の剣。……だから彼は、彼女に惹かれたのだろうか? 自分は彼に惹かれたのだろうか? 




「アタシは、もっと賢く生きてやるんだから」

 ノアのことを胸に秘めたまま、金も名誉もルークも、全てを手に入れてみせる。

 レイラは手にしていた巾着を懐にしまい、考え得る最大の悪女の笑みをつくった。


 仲間の為に命を懸けている現状が既に、彼女の嫌う愚かな道だという自覚もなく。

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