第9話 葬魂の術
━━━━「⋯⋯絶対に逃さないよ」
最後の一人となった敵━━甲賀忍と対峙しながら、鎌足は左逆手に鎌を持ち直し、右手の鎖をじゃらりと地に下ろした。
恐らくこの果死合が、京都への旅立ち前の江戸での最後の戦いになるだろう。
今までの数々の任務や戦闘の時とは違って、熱い感覚が胸に込み上げてくる。
これが万感の思い、とでも言うのだろうか。
「さっきも言ったけど、その十字手裏剣の形からして、御前等は甲賀者だな。伊賀の屋敷を探った目的は何だ? 言え。返答次第では命だけは助けてやる。両腕と両足だけで我慢してやる」
「⋯⋯⋯⋯」
(⋯⋯返事無しか、いいよ、御前の実力はだいたい推測がつくから。⋯⋯捕らえて拷問にかけ、伊賀を探りに来た目的を絶対に吐かせてやる)
鎌足は最後の一人に圧力を強める。
言葉では投降を促しながら、ゆっくりと間合いを縮めていった。
(自分が“餌”になってみるとするか)
甲賀忍の最後の一人は、忍刀を構えたまま何も言葉を発しない。
鎌足は刀の届く間合いを探りながら、尚もじわりじわりと歩みを進めた。
(間合いはあと一跳びくらいか、⋯⋯釣るのを止めるか、それとも餌に食いつくか)
甲賀忍の忍刀の切っ先が鎌足に届く、互いの攻撃領域に一歩足を踏み入れた瞬間だった。
甲賀忍が先手を取った。
構えていた刃を振り上げ、鎌足に飛びかかった。
「喋らないか。忍らしく最後まで戦う、って事だね」
鎌足は相変わらず冷静だった。
最後まで焦りや迷いも無く、視線をゆっくりと下から上へと移しながら、襲いかかる眼前の甲賀忍の残影を瞳に映した。
そして鎌足は垂れていた鎖を手元に引き寄せると、まるで鞭をしならせるように、鎖で地を力強く打った。
地を打ち、跳ねた鎖が、頭上高くに舞い上がる。
そしてこの伊賀と甲賀の追撃戦が始まってから何度目かの稲光の瞬間、一段と美しく強く、まるで龍のように空を美しく舞う鎖は、その雷の光を纏った。
それは鎖に雷が落ちたのか。
それとも空気中の雷の成分を吸い取ったのか。
術の創始者と鎌足しか知らない、『六ノ鎖刃 鎌鼬』と並ぶ極意中の極意だった。
その閃光の激しい眩さに、対峙する甲賀忍の視界は完全に真っ白となった。
命も誇りも全てを賭けて振り上げた渾身の忍刀も、その刀筋を崩した。
片手で目を覆いながら、半ば無防備に鎌足へと向かって降下していく。
その甲賀忍の頭の真上へ、鎌足は雷光を帯びた鎖を撓らせ、振り下ろした。
まるで岩石が砕けるような、鈍く重い音が響く。
一瞬にしてこの勝負の生き死には決した。
最後まで立ち向かった甲賀忍の脳天は、鎌足の鎖の先端の分銅によって叩き割られ、舞い上がる血飛沫と共に、鎌足の真横へと力無く落下していった。
落下の激しい衝突音の後は、まるで何事も無かったように、雨音だけの刻が流れた。
甲賀忍も地に横たわったまま、ぴくりとも動かない。
「伊賀流鎖鎌 弐ノ鎖刃、雷走り⋯⋯」
鎌足が手の甲に、俗に言う剣道の小手を薄く小さくしたような手甲を付けていた理由が、まさにこの奥義『雷走り』の技にあった。
この鉄を含む手甲は、この技における避雷。
自身の身体に雷流が伝わるのを防ぐ役目も果たしていたのだ。
そしてこの『雷走り』の様に、自然や天候を武器にした奥義はまだ他にも幾つか有り、其処にもこの伊賀の特殊な手甲を装着する理由が隠されていた。
ある意味で超人的とも言える、伊賀の鎖の秘技の数々。
四十八の鎖鎌術を極めた鎌足に、そもそも一端の忍者の無策の真っ向勝負では敵うはずが無かったのである。
(ふぅ、手甲付けといて良かったな、⋯⋯でも、はぁ、やれやれ、目的は分からずじまいか)
全ては終わった。
鎌足が踵を返し、伊賀屋敷へと戻ろうとした。
⋯⋯その時である。
脳天を割られた甲賀忍が、むくりと起き上がった。
「⋯⋯!? ⋯⋯ッ、ま、まさか!?」
自分の目を疑う信じられない事態に直面し、鎌足が初めて動揺を露わにする。
思わず身体が動いて、後方へ飛び退いていた。
「そんな馬鹿な!? 確かに脳を、急所を、叩き割ったはず! 確実に手応えはあった!」
甲賀忍は血だらけの割れた額のまま、ゆっくりと立ち上がった。
そしてぼんやりと虚ろな目で鎌足の方へ向き直ると、にたりと不気味な笑みを浮かべた。
(此奴は、⋯⋯ッ、人間じゃない!?)
鎌足が恐ろしい疑念を抱くと同時だった。
その疑念を確信に変える新たな動揺が鎌足を襲った。
甲賀忍の不気味に笑う顔。
その顔の脳天、鎖分銅で付いた傷から大きなひびが生じ始め、顔中に網目状に広がっていった。
そしてそのひびが唐突に粉々に砕け散る。
(⋯⋯なッ!? こ、これは)
そして甲賀忍の顔の下から現れたのは、新たな顔。
ぎらぎらした目
裂けた巨大な口
口から覗く鋭い牙
そして、蒼い顔のその額には。
⋯⋯二本の角があった。
それは昔話や伝承で見聞きする“鬼”そのものだった。
「⋯⋯ッ、まさか!? 此奴、鬼だったのか!?」
人との戦いには慣れている鎌足でも、人外との戦いは初めてだった。
「おおおおおおぉぉぉ⋯⋯ォォォオオオ大オオ⋯⋯!!》
野獣のような唸り声を上げながら、傍に落ちていた忍刀を拾い、蒼鬼は鎌足に向かって獣のように駆けた。
鎌足は勝負は決したと思い込み、戦闘体制を解いて完全に無防備だった。
未だかつて体験したことのない大きな動揺。
そして初めて身をもって味わう、凄まじいまでの蒼鬼の迫力と狂気。
想定外かつ人外の奇襲を受ける鎌足の初動は遅れた。
必殺の鎖鎌を手許に手繰り寄せる暇も無かった。
左手に鎌、右手に鎖。
両手が塞がれたまま、危険な至近距離までこの蒼鬼の接近を許してしまっていた。
(⋯⋯ッ!? し、しまった!)
もう後は避けるか、左手の鎌か、腰に帯びている忍刀や脇差で受け止めるしかない。
避けるには既に危険な間合い。
左手に持つ鎌は鎌足の体躯に合わて小振りのため、刀を受け止めるのには元々適していない。
鎌を腰袋に仕舞う暇も無い。
鎌足は左右に持つ鎖も鎌も咄嗟に手放して、左腰の忍刀を抜いて受け止める選択肢を選んだ。
どちらも無銘とはいえ、これまでに幾多の任務や危難を鎌足と共に乗り越えてきた、忍刀と脇差。
それに頼るしか術はなかった。
激しくぶつかり合う刃と刃。
だが助走をつけた一撃であった上に、人外の鬼の怪力と鎌足の咄嗟でしかない返しの力、そして女子の細腕。
刀に込められた力の差は歴然だった。
「⋯⋯くっ、くそっ」
鎌足は、不利な鍔迫り合いの力勝負へと持ち込まれてしまっていた。
鎌足は更に咄嗟に左逆手で脇差も抜き、忍刀と交差させるようにして、押し込められる忍刀の支えとした。
しかし、それでも鎌足の二刀は堪えきれずにどんどん押し込まれてしまう。
《枯レ草ヤァ、伊賀者ドモガ、夢ノォ跡ォォォォ!!》
「⋯⋯ぐッ! お、おされ、⋯⋯あッ、⋯⋯くっ!?」
支えの脇差は撥ね退けられて宙を舞い、同時に鎌足は右肩を袈裟懸けに斬られてしまっていた。
だがそれでも鎌足の身のこなしの素早さが幸いする。
斬られると同時に真後ろに飛び跳ねた鎌足は、深手を免れる事が出来ていた。
一旦十分な間合いを取り、左手で傷口を触り、その程度を確認する。
(鎖帷子のお陰だな、何とか忍装束の下、薄皮あたりで済んだ、これくらいの傷や出血ならば動きには大事ない、が⋯⋯)
《ヨクカワシタナァ!! 御前、化ケ物、俺、人間ッ!!》
鎌足の取った間合いを諸共せず、蒼鬼は直ぐにまた鎌足の目の前へと迫る。
蒼鬼が追撃の刃を振り上げた。
「くそッ!! 逆だ! バケモノはお前だろッ!!」
鎌足の手に今は得意の鎖鎌は無い。
しかし先程の不意の防御とは違って、今の間合いであれば攻撃を繰り出す余裕は十分ある。
鎌足は今度は正面から受け止めずに、蒼鬼に向かって駆けるように飛び込んだ。
狙いは、敵の急所や致命傷となりそうな首や頭や腹。
鎌足はすれ違いざまに、忍刀で狙いの箇所を次々と斬りつけていった。
そして蒼鬼の真横を側転で何回転かしながら、跳ねるようにして飛び退き、再び十分な間合いまで逃れ、忍刀を防御の型に身構えた。
「⋯⋯ッ! この連撃ならばどうだ!!」
鎌足は剣の腕も自信があった。
使う流派は、将軍家の御留流である柳生新陰を、忍の剣技と融合させた『伊賀新陰流』。
その剣技のいろはから極意までを、伊賀新陰流の開祖で剣の師匠でもある、御頭の半蔵から学んでいた。
まだ免許皆伝とはいかないまでも、半蔵には十分認められる程の腕前ではある。
日本で音に聞こえる高名な武芸者と遜色の無い実力を誇っている、そう言っても強ち過言では無かった。
もし相手が人間だったならば、力が分散してしまうこの避けながらの連撃でも、きっと一つ二つは勝負を決する致命傷を相手に与えていただろう。
だが相手は人間では無く、蒼鬼。
眼前の蒼鬼は致命傷どころか受けた傷全てが些細な掠り傷とばかりに、一向に怯んでいなかった。
そして忍刀を上段に構え、全ての力を乗せた、とどめの凶刃を繰り出した。
それは捨て身の体当たりとも見える渾身の突撃。
(⋯⋯ッ!?、まるで効いていない!?)
驚愕の現実に、鎌足の頬を焦りと困惑の汗が伝う。
鎖鎌が無く、忍刀でも不利な鎌足にはもはや打つ手が無かった。
真正面から迫る蒼鬼の渾身の一撃を、何らかの手立てで受けざるを得なくなっていた。
(⋯⋯くッ、くそっ! どう避ける!? いや受けるか!?、それとも斬り⋯⋯はっ)
鎌足が身を屈め忍刀を構えた時、ふと腰の後ろ辺りにいつもは感じない“何か”ごつごつした感触が伝わってくるのを感じた。
そしてその不思議な違和感によって、鎌足はある一つの事に気付いた。
「はっ、あ⋯⋯」
気付いたというより、思い出したというべきか。
普段は何も下げていない腰。
忍装束を留める腰紐に、一本の刀を差している事に。
(⋯⋯ッ! 鬼切丸ッ!)
後は考えるより先に身体が動いた。
鎌足はその握り慣れない半刃の刀⋯⋯かつて鬼を滅し封じたという鬼切丸の細い柄を力強く握りしめていた。
そして振り下ろされる蒼鬼の狂気の刃と交差するように、腰紐から鬼切丸の刀身を瞬時に抜いていた。
「⋯⋯うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!」
鎌足の気迫の咆哮と共に、鬼切丸の半刃の刀身が、雨夜の闇に煌めく。
その時、人と鬼の影、刀と刀が交差する影を、この夜一番の稲光⋯⋯轟音と閃光が包みこんだ。
照らされ映る二つの影。
敵の蒼鬼の刀は、鎌足を外し、そして鎌足の鬼切丸の刃は、鬼の心の臓から右脇腹を袈裟懸けに斬っていた。
鎌足は斬撃の交錯には勝った。
しかし蒼鬼へ与えた袈裟斬りの傷は、横に逃れながら与えた先程の傷とさほど変わらないようにも見えた。
(⋯⋯っ! これしきの傷では蒼鬼にとってはまだ致命傷にはなっていないか!? 百地翁様の話の通り、首と胴を斬り離すか、心の臓を貫くしかないのか!?)
鎌足が正眼の構えを取る。
そして再び鬼切丸を蒼鬼へとかざしながら、次の攻守に備えて斜め上段に構え直した時だった。
鬼の胸や胴、袈裟斬りに沿った傷の周りに、黒い痣のようなものが滲み、それが傷の周囲にじわじわと侵食し始めた。
そしてその黒い痣は、何かを境に一気に広がったかと思うと、傷口からは大量の鮮血が迸った。
《グアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ!!》
蒼鬼の絶叫が耳をつんざく。
予想外の光景に戸惑う鎌足の全身に、蒼鬼の血が降り注ぐ。
蒼鬼は断末魔の叫び声を残し、その身体は蒼い霧のような瘴気に包まれながら、みるみるうちに肉は溶けて骨へと変わっていく。
夜風が砂を舞い上げるように消え去っていく蒼い霧。
そして後は、所々に肉片が付着し白骨化した甲賀忍の骸だけが、この地に虚しく転がっていた。
「⋯⋯この血、蒼鬼じゃない? 人の血の味がする」
血の味を確かめながら、安堵した鎌足の意識は、ぼんやり遠くへと薄らいでいった⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯どれだけ刻が経っただろうか。
鎌足は正気を取り戻した。
まだ心臓が熱く脈打っている。
息を荒げ、今だに鬼切丸を構え続けていた。
まだ戦いの余韻が抜けていないものの、蒼鬼との死闘に勝利できたこと、そして蒼鬼が消滅して危難が去ったことは実感できた。
(まさかこの江戸にも蒼鬼が現れるなんて⋯⋯。甲賀忍たちの中に何故一匹だけ蒼鬼が紛れ込んでいたんだ? そして今目の前で起こった恐ろしい変化が、百地翁様の仰っていた、鬼が使うという「葬魂の術」なのか?)
同時に様々な疑念も湧き上がってくる。
鎌足は手にしたままの鬼切丸をじっと見つめた。
「でも蒼鬼を斃せた。⋯⋯これが鬼切丸の力か? ⋯⋯数多の鬼の血を吸ってきた妖刀の力なのか?」
⋯⋯この世の刀では、鬼を倒すためには鬼の首を斬るか、心の臓を完全に破壊するしかない。
幻斎はそう言っていた。
だからこそ京都の人々は今、鬼に苦戦し続けているのだろう。
鬼切丸の刃から、七十年前に斃された鬼たちの慟哭の声が聞こえたような気がした。
⋯⋯気付けば、あれだけ降りしきっていた雨は何時の間にか止み、今は晴れた夜空が広がっている。
忍装束に残る鮮やかな紅の返り血を、蒼く輝く月が照らす。
鬼切丸を握る鎌足の足元を、ふと荒涼とした一陣の風が吹き抜けていった。
風を受けて、改めて肌に伝わってくる。
雨と血の生々しいひんやりとした感触。
立ちつくす鎌足の左脚裏の太腿には、伊賀の仲間入りを果たしたあの四年前の死闘と同じ、“鴉の紋章”が紅い返り血によって妖しく浮かび上がっていた。
そして旅立ち前夜の月の蒼い光の下で、より一層謎めいた不思議な煌めきを放っていた━━━━。
━━━━『羅生門怪鬼譚』序 鐘 百鬼夜行開門編
完
第一鐘 京都六歌死闘編へ続く━━━━。
そして物語の舞台は羅生門を抜けた先、日本、京都へ━━━━。
今回で序章は終わり、いよいよ次回からは物語の本編に入ります。物語の主役である綾麿も登場し、京都を舞台にした人間と鬼との戦いが本格的に幕を開けます。引き継ぎ御一読頂けると幸いです。あと執筆の励みになるので、評価、感想、ブックマーク等もお待ちしています!




