第7話 紅の邪鬼
━━━━地獄に連なり重なる八大地獄の六番目。
焦熱地獄。
(熱い⋯⋯、誰か⋯⋯、水を⋯⋯、水をくれ)
吹き荒ぶ地獄の炎から逃れるため、荒れ果てた紅の大地を亡者たちは彷徨っていた。
歩き果てた末に亡者たちが辿り着いた場所は、地獄とはまるで似つかわしくない、透き通るように澄んだ水面の美しい池だった。
(水だ⋯⋯、水があったぞ⋯⋯)
堪えられない喉の渇き、そして身を焦がされた耐えられない痛みから、亡者たちは水を欲して、目の前の美しい池へ次々に飛び込んでいく。
しかし亡者たちは気づいていかなかった。
亡者の誰しもを虜にする、この美しい池の真の正体。
その想像を絶する恐ろしさを⋯⋯。
⋯⋯『分茶梨迦』
美しく澄んだこの池は、地獄ではそう呼ばれていた。
池のほとりには、洒落た洋装を着こなした男が一人佇んでいた。
歳はまだ若く、二十歳程だろうか。
肩までの長さの綺麗な髪を下ろし、爽やかな好青年といった印象だが、優しそうな顔つきの反面、池を見つめる目だけはこの上なく冷たく、そして異様にぎらついていた。
そしてその目は何故か、薄っすらと血のような紅色に染まり、瞳の色も銀色だった。
その男は池に飛び込み水の中で藻掻く亡者たちを眺めながら、まるで面白い見世物を見ているように、にやにやと乾いた薄笑いを浮かべている。
後ろ姿だけならば、普通の人間に見える男。
だが、池の水面に映る男の顔は、明らかに人間では無かった。
⋯⋯その額には、二本の角があった。
《ははは、いつ見ても飽きないね、面白いなあ、手も足もあんなに激しくばたつかせちゃって、⋯⋯ははは、またぶつかった、⋯⋯あ、あっちも、⋯⋯こっちも。だめだなあ、掴み合ったら二人とも沈んじゃうよ?》
この“灼熱”の地獄とは真逆の、”冷徹“な笑みを浮かべながら、まずは銀の瞳で心ゆくまで愉しんだ男は、次に手にしていた花弁を、何枚も池に投げ入れた。
地獄の灼熱の風に吹かれ、ひらひらと宙を舞い、池の中央に落ちていく花弁。
すると、水に浮かんだその無数の花弁に、不思議な事が起こり出す。
刻を早送りするように、またたく間に花弁は巨大な白い蓮の花へと成長していったのだ。
そしてその成長した美しい白蓮に、水中で藻掻きあっていた無数の亡者たちが、我先にと群がっていった。
(溺れてしまう前に、何か掴まるものを⋯⋯)
(火傷が染みる⋯⋯、この大きな花に掴まれば⋯⋯)
苦しみや痛みから救いを求め、浮かんだ白蓮の全てに、亡者たちがすがりついていく。
大勢の亡者たちに掴まれ囲まれ、無数に浮かんでいた白蓮の花はあっという間に亡者たちで覆われ尽くし、その水面には亡者たちの姿しか見えなくなっていた。
《皆、掴まったかな? よし、さてと⋯⋯》
それを見定めた男は、何か合図をするように指を鳴らした。
すると目の前で世にも恐ろしい怪異が起きた。
水面に浮かぶ白蓮の花から炎が噴き出したのだ。
そして白蓮から姿を変えた“紅蓮”に群がる亡者たちを、業火に包んでいった。
その炎の勢いの凄まじさたるや、亡者が今までに逃れてきた獄炎の比では無い。
池の広さいっぱいに何十人という亡者がひしめきあう水中では、もはや自由に動く事はままならず、泣こうが叫ぼうが一度その身に絡みついた炎の渦からは、誰一人として決して逃れることが出来ない。
焼け死ぬか、それとも、溺れ死ぬか。
⋯⋯一人また一人と身を焼かれ池の底に沈んでいく。
すぐにまた浮かんできては身を焼かれる⋯⋯。
⋯⋯身を焼かれては沈み、沈んでは浮かぶ。
そしてまた身を焼かれて沈む⋯⋯。
⋯⋯この終わりの無い壮絶な反復が、永遠とも言える長さで続いていた。
衆合地獄の“刀葉林”で与えられる無限の苦しみ同様に、この受刑場”分茶梨迦“もまた、無限の苦しみを亡者に繰り返し施し続ける、まさに血の紅に染まった“地獄絵図”そのものだった。
《あっはははは、⋯⋯燃えろ、燃えろ、もっと燃えろ》
情け容赦無く蓮の花弁を池に投げ入れたこの男。
その名を、
⋯⋯“紅蓮鬼”と言う。
焦熱地獄の分茶梨迦を預かる処刑人として、この池で殺戮と拷問を永く繰り返してきた、残虐無比な紅の鬼である。
《あ、珍しい、焼き尽くされずに残るなんて》
池に浮かんできた亡者たちの焦げた肉の断片を掴み上げて、紅蓮鬼は嬉しそうに呟いた。
《火の蓮⋯⋯火蓮に亡者の肉を挟んだ特別の料理、きっと喜んでくれるだろうな。あの総大将は、珍しい死人料理には目がないからな。⋯⋯詔の手土産もできたし、では、そろそろ紅鬼洞に出向くとしますか》━━━━。
━━━━蒼の鬼の本拠『蒼鬼城』と同層の界の東。
蒼鬼城の地から、人間界の距離にして千里(※約4000km)ほど離れた場所の地の底。
止め処なく白煙が噴き出し続け、永遠に溶岩が流れる紅の火の山を臨む地に、紅の無数の鬼岩で建造された、紅鬼の巣窟があった。
それは一面が紅い鉱石のような輝きを放つ大洞窟。
地獄でも希少な紅の宝石が採れるその内部は、紅鬼軍の本拠━━『紅鬼洞』と呼ばれる地下砦が、地下一面に渡って広がっていた。
この地下洞窟は紅の火の山や血の池地獄にも繋がり、灼熱の溶岩や人間の血など、常に紅の悍ましい液体が流れ、深紅の狂わしさが随所に満ち溢れていた。
この紅鬼洞の最深部、血の池地獄から地下水脈を経て繋がる広間に、紅鬼洞の主専用の血の池が湧いていた。
適温に熱され、池に毒々しく流れこむどろりとした生温かい血。
湯気が充満する中、血の露天風呂とも言えるその池に、紅鬼が一鬼、その身を浸していた。
美しい紅の長髪に、逞しい体つき。
自尊心と自信に溢れた、紅の目と銀色の瞳。
そして額には鬼の証である、二本の角。
その紅鬼は胸の下まで血に浸かり、池の端に両肘を着きながら、恍惚の表情を浮かべていた。
紅鬼洞の警備の任務を負っているのだろう。
この入浴する紅鬼の背後には、禍々しい容貌の数十鬼の紅鬼たちが隊列を成していた。
その隊列が唐突に、統率の取れた動きで一斉に左右に分かれて道を空ける。
そしてその道から一人の男がゆっくりと歩み出た。
その男もまた人間と変わらぬ姿だが、額にはやはり二本の角があった。
そして目も同様に、白目の部分が薄っすらと紅に染まり、瞳は銀色をしていた。
内裏の官吏が着る束帯のような儀式的な衣装を纏い、白銀の冠を被っているその男は、一見して知的で落ち着いた雰囲気を漂わせている。
しかしその反面、その銀色に輝く瞳の奥には、得体の知れない危険な深い闇を感じさせた。
⋯⋯妖気に満ちた細目の不気味な紅鬼だった。
どちらの紅鬼も、角や目を除けば人間に見える。
しかしその角や目が如実に表すとおり、この紅鬼たちもまた、蒼鬼の蒼極鬼や蒼妖鬼と同様に、遥か昔の日本侵攻の際に『葬魂の術』で人間の身体を手に入れた、『修羅』と呼ばれる上級の紅鬼だった。
《⋯⋯紅皇鬼様、血加減は如何でしょうか》
《ああ、今日の血はかなり濃いな。人間界で数え切れない程の悪行を尽くしてきた極悪な亡者どもが多いと見える。はっはっは、堪らない心地良さだ。やはり人間の血の味を肌から味わうのは格別だ。身体の全ての血が若返っていくのを感じるぜ。閻魔宮への出仕の前は、この血浴に限る》
⋯⋯”紅皇鬼“
そう呼ばれた血浴中の紅鬼は、血の湯から雫が滴る腕を上げ、肌質を確かめるように、腕に浮かぶ血管をまじまじと見つめた。
血管までもが人間とまるで変わらない。
だがその生きているという証⋯⋯熱く脈打つ血液は、今は元の人間のものではない。
葬魂の術により、この紅皇鬼のものなのだ。
《紅皇鬼様、その血浴の上機嫌にも勝る、歓喜に身悶えする素晴らしい吉報が、今しがた舞い込みましたぞ》
《何だ、この血の快楽に勝るものが有ると言うのか、紅呪鬼よ》
《⋯⋯はい、比べ物にならない程に》
⋯⋯“紅呪鬼”
そう呼ばれた紅鬼が、薄ら笑みを浮かべる。
そして微笑みによる口角の上がりで、更に細くなった目から覗かせる、その銀色の瞳を妖しく光らせた。
その銀色は、異常なまでに濃かった。
《⋯⋯その閻魔宮からの火急の知らせ。閻魔王様から、日本侵略、及び蒼鬼との日本争奪戦、この二つを正式に許可する詔、発布されましてに御座います》
《⋯⋯ッ! な、に⋯⋯!? それは本当か!》
《しかも閻魔宮への門は一時封鎖。この詔を聞いた蒼鬼どもが異論を挟む余地は、既に無し》
どうせ大した知らせではないだろうと高を括り、血の湯船で悠然と構えていた紅皇鬼の表情が一変する。
《な、ならば、七十年前に封印された、我が紅鬼の羅生門の本道はどうなっている? 封印は今どうなっている? 薄まっているのか!?》
《三百数十年は完全に解けないはずの封印、それも今しがた私の配下の紅滅鬼らを送り確認させました所⋯⋯、薄まるどころか既に消滅!》
《⋯⋯な、何っ!?》
《七十年前に日本を攻める前と全く同じ状況に。これならば日本京都へと繋がる羅生門本道は勿論、また七十年前の侵攻と同じように、羅生門本道から江戸へ抜ける道━━羅生門“邪道”の開門も可能⋯⋯⋯⋯》⋯⋯⋯⋯
⋯⋯紅呪鬼が口にした二つの羅生門。
本道と邪道。
人間たちが一概に『羅生門』と呼ぶ、鬼が現れる門には、厳密には本道と邪道という二つの門があった。
一度目の日本侵攻時から開門していた、主となる通り道である門を、鬼たちは『羅生門本道』と呼ぶ。
蒼鬼ならば蒼鬼城、紅鬼ならば紅鬼洞。
本道はそれぞれの本拠の近隣地から開門し、日本京都の秘密の地に直結していた。
京都のどの場所に直結しているかは、双方の鬼の最重要機密とされ、それを知るのは蒼鬼にしても紅鬼にしても、上級の鬼『修羅』のごく一部だけだった。
この本道は封印や破壊を受けて一度閉じられると、三百年から三百五十年は再び開くことがなく、それ故に日本侵略の際には攻撃防衛両面に重要で、鬼にとって”城の本丸“、”扇の要“、“将棋の王将”的な場所だった。
対して『羅生門邪道』とは、本道から枝分かれする、数鬼程度が通ることのできる小さな横道のことである。
京都御所近郊であれば何処にでも開門できるものの、一往復で消滅してしまう点から、主に獄卒や羅刹らの斥候用の臨時の門として用いられることが多かった。
邪道を京都以外の地に開門させるためには、目的地に羅刹以上の妖力の鬼を送り込み、人間界と地獄界の双方から妖力を送り、道を開く必要がある。
紅鬼たちは前回七十年前の侵略では、この『羅生門邪道』を江戸に大量に開門し、本道を通って京都から攻め込む紅鬼本隊と、邪道を通って攻め込む紅鬼別動隊、この二手から江戸城に総攻撃をかけていたのである。
本道と邪道の存在も、鬼の格付けや葬魂の術と同様に、鬼“のみ”ぞ知る、地獄の常識だった。
⋯⋯⋯⋯《⋯⋯それ即ち、江戸への再攻撃も可能!》
七十年前の江戸への侵略失敗を思い出したのか。
邪道の開門を語る言葉の最中から、紅呪鬼の声に凄みと憎しみが増していた。
《⋯⋯ふ、ふふ、ふははは、ふはははははははは! 詔の後に本当に封印が解けているのか! そうか、そうか! 封印が解けて再び日本侵攻が可能になるまで、少なくとも後二百数十年は待たなくてはならぬと思っていたが、その必要は無いという事だな!》
興奮した紅皇鬼は、思わず血の湯船から立ち上がっていた。
紅皇鬼の周りに控える紅鬼たちも、仕える紅鬼鬼に似たのか、血気盛んな紅鬼が多いのだろう。
各々が手にした刀や槍などの武器を高らかと掲げ、詔と羅生門の封印解除、そして蒼鬼との全面対決に、早くも歓喜と興奮の雄叫びをあげている。
《しかもだ、今まで思ったとおりに手を出せなかった、憎い蒼鬼との全面対決も容認ってか? 面白い、面白れえじゃねえか! この機に乗じて、紅鬼が総大将、この紅皇鬼が、⋯⋯人間界も地獄界も獲る!!》
《⋯⋯この紅鬼軍参謀、紅呪鬼も、この命と呪法の全てを捧げ、人間どもと蒼鬼どもを必ずや抹殺致します》
憎い永年の宿敵、蒼鬼に対して向けられているのか、それとも侵攻の野望の矛先、日本に対して向けられているのか。
紅呪鬼の細めた濃銀の瞳の輝きは、極上の獲物を狙う獣のように鋭く煌めいていた━━━━。
━━━━それから暫くの後、紅皇鬼は紅鬼洞内部で最も豪華絢爛な広間の中、紅呪鬼と再び向き合っていた。
豪華な装飾が施された壁や柱や天井の至る所に、貴重な宝玉と亡者の髑髏が埋め込まれ、壁には亡者の血で書かれた八大地獄の血墨画が描かれている。
建造主の美と狂気の二面性を感じさせる部屋だった。
紅皇鬼は、紅と金を基調とした、きらびやかな刺繍が施された羽織と袴へと着替え、人間の骨で組まれた椅子に腰を掛けて、足を組みながら仰け反っていた。
その紅皇鬼の目の前では、両腕を目の前に組み、袖に両手を入れながら、紅呪鬼が静かに佇んでいた。
紅皇鬼はすこぶる上機嫌だった。
対して、紅呪鬼はいたって冷静だった。
《⋯⋯はっはっはっは、今回は自分たちの番だと余裕綽々だっただろうな。蒼鬼どもにとっては青天の霹靂。悔しがる顔が目に浮かぶ》
《真に。その時の顔、傍で見たかったですな》
《⋯⋯しかし、あれだけ『天地逆転』に異を唱えていた閻魔王様が、何故今になって突然そのような詔を発したのだ? しかも蒼鬼の奴等にも一切の通告無しで、お互い好きに戦え、とはな。紅呪鬼、御前はどう見た?》
《封鎖された閻魔宮の様子を直に見てからではないと確かなことは言えませんが⋯⋯、恐らくは、地獄を支配する閻魔王の後継者を、今、一番に強い者から選ぶ、ということではないでしょうか。紅皇鬼様か、蒼極鬼。日本制覇の勝負に勝った方、すなわち日本の王になった方に譲る。⋯⋯今の段階では私の深読みかもしれませんが、そのような解釈をしても強ち間違いは無いのでは?》
《閻魔王様の後継者⋯⋯、そして日本の王か⋯⋯、はっはっはっは、良い響きだ》
《念願成就の第一歩でごさいますな》
《ああ、前回の羅生門からまだ七十年程しか経っていないにも関わらず、また大々的に日本侵攻ができるわけだ。しかもご丁寧に閻魔王様の詔付き、そして閻魔宮も封鎖。蒼鬼どもの不満も通らねえし、戦い放題、遠慮無し、好き勝手に動いても誰も文句は言わねえってか! 笑いが止まらねえな、こいつは最高だ! 面白くなってきたぜ、はっはっはっは!!》
⋯⋯その時、紅皇鬼の高笑いを遮るように、唐突に広間の扉が音を立てて開いた。
《⋯⋯紅皇鬼様、ちょっとお待ちを》
其処に立っていたのは、今しがた紅鬼洞に到着したばかりの、あの分茶梨迦の番人━━紅蓮鬼だった。
《遅かったな、どうした、紅蓮鬼? 御前も聞いたか、朗報を》
《紅皇鬼様? そう手放しで喜んでばかりはいられませんよ。僕たち紅鬼だけでなく蒼鬼、どちらにも出された詔なんでしょ?》
《そうだ、それがどうした?》
《なら、早く何か手を打たなきゃ。蒼鬼は元々蒼鬼たちの番だから、きっと念入りに侵略準備を開始してますよ? 奴等に出し抜かれちゃったら一巻の終わり。蒼鬼にもし先に人間界を奪われたら、地上にもこの地獄にも僕たち紅鬼の居場所は無くなってしまいますよ》
《紅皇鬼様。確かに紅蓮鬼の申す通り。喜ぶのは構いませんが、気をお引き締めください。それに注視すべきは蒼鬼だけに非ず。私が気になるのは、人間界の動き。第一の目標、京都制圧にしても、何時の時代でも人間どもは帝の命や京都の町を守ろうと死に物狂い。日本の例の“協力者”の話によれば、此度の蒼鬼の侵攻開始を受けて、京都を守護する力も七十年前以上に厳重とのこと》
《京都の動きか、⋯⋯それに江戸も、だな》
《更にその“協力者”から、今後の蒼鬼たちの本格侵攻に備え、江戸から京都へ再び援軍も派遣されると先程連絡がありました。あと一歩の所で江戸の剣士に煮え湯を飲まされた、七十年前の江戸侵攻。その失敗の二の舞は避けるため、その江戸の援軍は要注意。特に念入りに戦力を調べ、何か策を講じたほうが良いかもしれませんな》
《あと、いつもあれこれと手こずらされる日本京都の守護者、『六歌戦』って奴等も気をつけないと。⋯⋯あ、そうそう、その江戸の剣士、思い出しましたよ。⋯⋯百地、何とかって言う名でしたよね? 彼奴、無茶苦茶に強かったからなあ、人間のくせにさ》
紅蓮鬼は顎に手を当て、七十年前を思い出すような仕草と共に、うんうんと首を縦に振った。
そして何かをふと閃いたのか、にっこりと微笑んだ。
《⋯⋯ははは、大丈夫、大丈夫、あれから七十年も刻が過ぎてるや。寿命が有る所が人間のどうしようもできない最大の弱点、欠点だよね。うん、人間界で七十年経ってるなら、今は百地はもう死んじゃってるかもな。ははは、今はこの地獄の何処かで悶え苦しんでたりして?》
《閻魔帳にはまだ百地の名は無かったはずだ。その名を閻魔王様に読み上げた記憶は無い。だが紅蓮鬼よ、『六歌戦』の事は案ずるに及ばずだ。⋯⋯そうか、お前にはまだ言ってなかったか》
《え、何です? 紅皇鬼様?》
《七十年前、いや、そのずっと遥か前からか⋯⋯、どの時代においても『六歌戦』の動向や戦力に関しては、俺たち紅鬼の軍はある程度は把握出来ている。そして奴等六人の結束を乱す術も持ってはいるのだ》
《動向や戦力を把握しながら、六人の結束を乱す?》
《⋯⋯ああ、その証拠に彼奴等『六歌戦』は、過去の戦いに於いて己の命を犠牲にして日本を一時的に守れはしても、一度たりとて我々を殲滅はできてはいない》
《紅皇鬼様? それって紅呪鬼様がさっき言っていた日本の”協力者“ってのと関係があるんですか? ⋯⋯ん? でも羅生門の封印が今しがた解けたばかりなのに、どうして日本に”協力者“がいるんです? ⋯⋯んー、ずるいなあ、内緒にしないで本当の事を教えてくださいよ、何か凄く楽しそうじゃないですか》
《ふふふ、紅呪鬼よ、後で教えてやれ。我慢しろ、って言っても、駄々をこね続けるんだろう?》
《”協力者“の件、最高機密だぞ、紅蓮鬼》
《やったあ、楽しみだなあ、誰だろう?》
《⋯⋯で、紅皇鬼様、その江戸からの援軍の件、どう対処なさいますか》
《そうだな、⋯⋯此度の江戸からの援軍の中には、今の『六歌戦』に名を連ねる者は居るのか?》
《いえ、その“協力者”からは、そのような報告は受けておりません。その者が知る限り、江戸徳川配下には我々の侵略の妨げになるような強者は居ないだろう、とは聞いております》
《そうか、今回の江戸の剣士は雑魚か、⋯⋯だが、江戸からわざわざ派遣された雑魚どもの味、どれ程のものか、念のため測っておくに越したことはないな。⋯⋯紅影鬼! ⋯⋯居るんだろ、出てこい》
《⋯⋯はっ、大きな声は出さずとも先程からお傍に》
突然怪異が起きた。
椅子に座る紅皇鬼の背後の影が縦に長く伸び出す。
そして影が、紅皇鬼の身の丈の三倍程までの長さまでになった時、その影の中から第二の怪異が起こった。
影の中からは、人のように見える別の“影”が抜け出し、その”影“は全身真っ黒な人形の”何か“に変わり、紅皇鬼の前に跪いていた。
その”影の影“の色は段々と黒から灰へ、灰から白へ。
そして最後には、大きな金属製の輪が付いた錫杖を持った、奇怪な雲水姿の男の形へと変わっていた。
頭に被った托鉢笠、その縁の下から垣間見えるのは、紅みがかった目に銀色の鋭い瞳。
⋯⋯この男もまた紅鬼だった。
《相変わらず身を隠すが上手いな、流石だ》
《相変わらず見抜くのもお上手で、流石ですな》
《紅影鬼よ、今の俺の話、聞いていたな、江戸から京都に派遣された奴等が邪魔だ。⋯⋯封印の解けた羅生門を早速通って京都へと向かい、奴等江戸の援軍を皆殺しにしてこい。御前の影法師の術を存分に披露して、江戸の人間の生き血を心ゆくまで吸ってくるがいい》
《して、その者ども、皆殺しの後は?》
《集団よりも単独行動を好む御前だ、羅生門を通ってくる蒼鬼の奴等の殲滅か、京都御所の公家のお偉いさんにでも軽く挨拶してきたらどうだ。いちいち紅鬼洞に報告に戻らなくてもいいように、繋ぎとなる羅刹を一鬼、背後に付ける。好きなだけ暴れてこい。いいか、七十年前の復讐に、紅鬼の恐さをたっぷりと思い知らせてやれ》
《⋯⋯畏まりましてに御座います》
頭を下げた紅影鬼は、先程現れた時とは逆の過程を辿るように再び白から灰、灰から黒い影に変わっていく。
そして再び紅皇鬼の影に吸い込まれるように、その身体は紅皇鬼の足元の下、地の底へと沈み消えていった。
《⋯⋯ふふふ、はっはっはっはっはっはっはははは!》
高笑いする紅皇鬼の頭に浮かぶのは、日本を征服して勝ち鬨を挙げる自身の姿。
そして天地の王として閻魔王の椅子に座る自身の姿。
《こんな愉快かつ痛快な事は数十年ぶりだ。見ていろ、憎たらしい蒼鬼ども。日本の愚民ども。そして『六歌戦』の奴等もだ! 我等が紅き戦慄、その身でとくと味わい、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、悶え死ぬがいい! ふふふ、ふはははははははははは!!》
紅皇鬼は椅子から立ち上がり、大広間に隣接した扉を抜けた先の階段を、紅呪鬼と紅蓮鬼と共に上り出した。
その階段は紅鬼洞を突き抜け、紅の火の山の鬼岩を削って造られた、麓を見渡せる展望台へと続いていた。
⋯⋯閻魔王の詔発布による、羅生門の封印消滅と、蒼鬼との日本争奪戦開始。
この吉報を聞きつけた紅鬼たちも、この時、続々とこの紅鬼洞に集結していた。
その数は数百にまでも膨れ上がり、洞窟内部の通路を埋め尽くし、既に紅鬼洞の外にまで溢れかえっていた。
紅皇鬼が紅呪鬼と紅蓮鬼を引き連れて岩壁の展望台から姿を見せると、駆けつけた紅鬼たちからは大歓声が巻き起こる。
一面見渡す限り広がる紅の火の山。
その稜線に沿って蜃気楼のように浮かぶのは、紅鬼が管轄する八大地獄各所の縮小された情景。
血の池、針の山、火雲霧、地獄釜、分茶梨迦⋯⋯。
奇怪な紅い瘴気に包まれた地獄の支配地を一望しながら、紅皇鬼は数多集まった眼下の紅鬼たちに向け、握り拳を作りながら力強く檄を飛ばした。
《聞け! 過去の三度の屈辱を晴らす時は今! 猛り狂う地獄の紅者ども、開戦の宴の準備だ! 我が紅鬼軍、七十年前の再現、日本への侵攻を開始する! まずは羅生門本道を抜けた先、帝のいる京都! 京都制圧の後は七十年前の無念を晴らすため、江戸に向け羅生門邪道を再び開門させる! 江戸を再び火の海にするのだ!》
時空を越え、地獄全土の紅鬼に呼びかけるような力強い鼓舞の声に、集結した紅鬼たちも力強く呼応した。
人外の歓喜の雄叫びと、迸る戦意の証明である武器と武器のぶつかり合う音が、紅鬼洞内外に鳴り響いた。
《日本の先に待つは『天地逆転』! 我ら紅鬼の理想の地に蒼鬼は一鬼たりとて要らねえ! 遠慮は無用だ! 閻魔王様からの詔の意思に従い、戦い、勝利し、この地獄から蒼鬼どもを必ず根絶やしにしろ!! いいな!!》
紅鬼洞の天が震え、地が揺れる。
今の紅鬼たちの声は、先の蒼鬼たちに届いたか。
先の蒼鬼たちの声は、今の紅鬼たちに届いたか。
━━━蒼の悪鬼と紅の邪鬼。
『人間界と地獄界を繋ぐ門、開かれし時、蒼の悪鬼、紅の邪鬼ども、地獄の底より目覚めたり━━』
日本の口伝にも語られる地獄の二大勢力が、それぞれに日本の覇権を狙い、京都への侵攻を開始した。
七十年の刻を超え、再び巡り来る運命の攻防。
日本を舞台にした、人間、蒼鬼、紅鬼の三つ巴の死闘の幕が、再び切って落とされたのである━━━━。
数年前に作成した完成済の物語ですが、空いた時間を見つけて改めて執筆、小説化して投稿してみることにしました。一見わりと固めの文学的作品に見えますが、本編内容は異世界和風バトルを基調としたライトノベルになります。本編開始は10話から。9話までは世界観を伝える目的の序章が続きますが、2話以降も引き継ぎ御一読頂けたら嬉しいです。投稿や執筆の励みになるので、ぜひブックマークや評価、感想等よろしくお願いします!
★1月12日は序章9話までを投稿予定です。1月14日からはいよいよ本編に入ります!!
★6話と7話は途中で細かい鬼側視点での設定が出てきましたが、軽く流してもらって大丈夫です。今後の内容が分からなくなったりなどの支障はありません。




