第3話 百地と鎌足
━━━━窓の外では絶えず稲光が轟いていた。
薄暗い座敷の中、鎌足は幻斎の目を真っ直ぐに見つめながら、下された京都行きの命令の意味と、その重さを噛み締めていた。
「百地翁様。このような厳粛な会合の場に、戦闘の先駆けや要人の暗殺を得意とする、この私が呼び出された理由のおおよそは分かりました。宜しければ、二つ三つ聞きたい事がございます」
「ん? 何かな。構わぬ、言うてみよ」
「百地翁様が今しがた語ってくれた鬼の話に関して、私も一つ思い出したことが。⋯⋯七十年前に百地翁様は徳川の葵の御紋を掲げ、伊賀忍軍を束ねて京都の戦場へと旅立ったことがある⋯⋯、そう、かつて仲間から聞いた記憶があります。その際に戦った相手とは、もしかして⋯⋯?」
「ふふふ、懐かしい話よ。百と数十年に一度は必ず現れる羅生門。その鬼門が開く度に鬼どもと激しく戦ってきた日本じゃが、七十年前も想像を絶する死闘でな。御主の想像の通りじゃ。京都で戦った相手は、⋯⋯紅鬼よ」
「⋯⋯っ、やはり!」
「あの時は東海道の防衛線を破られ、この江戸城下にまで紅鬼の軍が攻め込んできての。江戸城も紅蓮の炎に包まれたのじゃ。じゃがの、伊賀の皆が一丸となって儂と共に戦ってくれ、何十人もの伊賀の同胞の犠牲の下に、何とか紅鬼を撃退する事が出来たのじゃ」
「伊賀組にとってそれ程までに激しい戦いだったのですか。江戸にそんな危機があったとは⋯⋯」
「伊賀だけではない、江戸と京都で何百人もの尊い命が紅鬼によって奪われた。あの血なまぐさい戦いの実情を知る人間は、七十年も経った今となってはほとんど居らぬ。苦しみや悲しみも刻が経てば記憶が薄まり、傷が癒えていくのと同じように、その戦いを記録した書物すらもまた、平和な刻の流れと共に忘れられ捨てられ、いつしかそのほとんどが行き方しれずとなってしもうた」
「⋯⋯七十年、か。永いですね」
「しかも我らは、忍。陰の世界に生きてこその草の者。陽のあたる歴史の表舞台に立つことは無い故に、真っ先に人々の記憶から忘れ去られるのは当然。いわば忍の宿命じゃ」
「折角、伊賀の皆が命を賭けて戦い、守り抜いたのに⋯⋯、悲しい話ですね」
「その死闘を物語るように、儂と共に戦った同志、六つの和歌に擬えられし、日本の当時の最強の剣士の集まり━━『六歌戦』とて、あの京都と江戸での死闘を生き残れた者は、儂ともう一人の僅か二人のみじゃった」
「⋯⋯共に戦った? 伊賀の忍以外と、ですか? その『六歌戦』とは何者なんですか?」
「『六歌戦』⋯⋯、帝や京都の人々に選ばれし、名誉職じゃ。その強さと誉に、京都の町中では和歌として人々に詠まれ讃えられる程でな。そのためいつしか『六歌戦』と呼ばれるようになった、その時々の傑出した六人の剣客たちの事じゃ。死ぬるか老いるか、誰かが志半ばで欠けたら、また別の強き者が和歌として詠まれ、代わりを継ぎ、何時の時代でも、この『六歌戦』が中心となって京都を鬼の手から守護し、今日まで日本の平和を紡いできたのじゃ」
「⋯⋯和歌、ですか。私は風流めいたことは全くもって分からないし興味も無いからなあ。和歌って、五七五、のやつですよね。少しだけなら知ってますよ。岩が上から落ちてきたのに、静かすぎて全然気が付かなくて、蝉が下敷きになっちゃったとか? 水の音がしたと思って覗いてみたら、蛙に古い毛が生えていたとか?」
「⋯⋯、⋯⋯鎌足よ、それは俳諧じゃ。しかも詠んでいる情景や解釈が全然違うぞな。和歌は五七五七七⋯⋯、まあよいわい。そなたに嗜みが無いのは儂も皆もよく分かっておる」
「あ、あれ? 違いましたか、は、はは⋯⋯」
鎌足の余りもの的外れな言葉に、周りに居並ぶ仲間たちからもどっと笑みが溢れ、幻斎はやれやれと溜め息をついた。
当の鎌足はというと、何が間違っていたのかもよく分からないまま、愛嬌のある照れ笑いで誤魔化している。
⋯⋯緊迫していた場の空気が少し和んだ。
この天然とも思える無垢な純粋さも、鎌足が持っている魅力の一つだった。
「⋯⋯あ、でも百地翁様? 京都に行ったら、もしかしたら今の『六歌戦』たちにも、会えるかもしれませんね。その強さや素晴らしさが一体どれ程のものなのか、機会があれば是非に会ってみたいです」
「ふむ、儂はあの戦いの後、多くの被害を被った伊賀組の立て直しに注力するため、自ら『六歌戦』の役目からは退いた。今日の『六歌戦』は、誰一人として儂は見知ってはおらぬが、きっとこの今も京都の何処かで、鬼の魔の手から帝と人々の平和を守っているに違いない。もし会えたならば、きっとそなたの力となってくれるであろうな」
「⋯⋯あの、その鬼のことですが、私は今まで一度も鬼を見た事がありません。もし宜しければ、鬼や羅生門について百地翁様が知っている事を、もっと教えて頂けませんか?」
「まず鬼には大別して二つの種がある。それは蒼の鬼と紅の鬼。その見た目は昔話や伝承で聞くような、まさに鬼と分かる、異形の悍ましい姿をしておる。蒼鬼と紅鬼、どちらにしても百と数十年に一度必ず開く羅生門を通って現れ出る、日本に災厄をもたらす、恐るべき人外の魔物たちの軍勢じゃ」
「蒼鬼と紅鬼⋯⋯」
「うむ。八四五年に終結したと伝わる一度目の開門から数え、此度の羅生門開門は恐らく七度目。儂が目にした六度目の羅生門から現れたのは、紅の鬼の軍。だがその前の五度目、応仁の動乱時に現れたのは、蒼の鬼の軍らしい。この五度目以前は、全て儂が幼き頃に父や祖父から伝え聞いた話によるものじゃが、⋯⋯四度目の南北朝時代に現れたのは紅鬼、⋯⋯三度目の源平合戦の時は蒼鬼、⋯⋯そして二度目の九九五年、当時の『六歌戦』渡辺綱たちが撃退したのは、紅鬼だったそうじゃ」
「ふーん、その口伝が正しいとするならば、蒼鬼と紅鬼は一緒には現れないんですね、何故でしょう?」
「さあのう、理由までは定かではない。此度京都に現れている鬼が、交互の順番通りに蒼鬼であるのかどうかは、この親書には書かれてはいないがな」
「蒼鬼と紅鬼が交互か。前が紅鬼だったなら、此度の京都は蒼鬼かなあ」
「それと儂が不可解に思っておるのは、その“間隔”じゃ。過去に準えるならば、新たな羅生門開門までは、百数十年は沈黙の期間がある所を、何故に此度だけは、前回から数えて七十年程という極端に短い間隔で開いたのか」
「確かに。他の間隔は百五十年前後は空いていそうなのに、此度だけは極端に間が短いような気がしますね」
幻斎は、少し間をおいて軽く咳払いをした。
(⋯⋯あ、これは”心して聞かないといけない“やつだ)
これは幻斎が重要な話をする前に必ず見せる、癖だった。
「そしてあと一つ、儂の前回の戦いの経験上、そなたに絶対に伝えなければならぬ、恐ろしき鬼の秘密がある。心して聞くがよい」
(⋯⋯ほら、やっぱりね。でもこういう時の百地翁様の言葉って、必ず任務の生死を分けるような大事な話なんだ)
鎌足は、気を引き締め、座を正し、膝上の両の拳を堅く握りしめた。
「恐ろしき鬼の秘密⋯⋯? それは?」
「先程、鬼は悍ましい異形の姿をしておると言うたが、力が強い鬼は人間と同じ姿をしている者もいる、ということじゃ」
「どういうことですか!? 人間と同じ姿? 鬼の異形の姿ではなくて?」
「下級の鬼どもは、先程申した通りいかにも鬼と分かる醜悪な姿じゃが、妖力を高めた支配階級の鬼どもはまるで違った。かつて儂が出会った手強い何人かの紅鬼は、まさに人間と同じ姿をし、そして恐るべき地獄の刀剣や妖術を操っておった⋯⋯、その最上位に君臨する鬼たちの呼び名は⋯⋯『修羅』」
「『修羅』? ⋯⋯っ、そもそも何故、鬼が人間と同じ姿になれるのですか?」
「その理由⋯⋯、それこそが実に一番に恐ろしい。『修羅』をはじめ鬼どもが使う『葬魂の術』じゃ」
「葬魂の術?」
「魂を地獄に送る術。双つの魂⋯⋯双魂とも書く。簡単に言うならば、殺した人間の相手の体を乗っ取り、我が物としてしまう亡骸移しの術、とでも言えるかの。殺した人間の魂を奪い取り、鬼の体内に取込む事で、その人間の顔も、声も、記憶も、極めてきた剣技すらも、全てを模倣してしまうのじゃ」
「⋯⋯っ! そのような恐ろしき術が!?」
「産みの親が見ても、旧知の者が見ても、鬼かどうかは判別がつかぬだろうよ。しかも乗り移る相手の魂や力の大きさによっては、己の妖力を倍にでも増すことができるという、厄介な代物。鬼が誰に化けているのか分からず、情報が漏れたり、信じていた者に背後から斬りかかられたり⋯⋯、儂も昔の戦いでは随分と苦しめられたものじゃ」
「⋯⋯っ、見破る方法は無いのですか?」
「⋯⋯うーむ、難しいのう。ただ、鬼の力を維持するためには、魂を入れ替えてから一日おきに、一時だけは、元の鬼の姿に戻る事が必要だとは聞いた事がある。もしかしたら元々の鬼の魂との共存を図らねば、本来は無い他の者の力を自身の中に保ち続けていくのは、鬼でも難しいのかもしれん。⋯⋯残念じゃが『葬魂の術』に関して儂の知る事はここまでじゃ」
「そんな手強い鬼どもに、何か弱点はあるのですか?」
「この世の武器では首を完全に刎ねるか、または心の臓を貫くか潰すしか、鬼どもを殺すことはできぬ。なまじっかの刀傷などでは奴等は到底死なぬのじゃ」
「⋯⋯⋯⋯」
鎌足は無言で頭を下げた。
そんな鎌足を見た幻斎は、まるで孫を見守る祖父のように、優しく鎌足に微笑みかけた。
「どうした? 鎌足よ、俯き黙りこくってしまって。ほっほっほ。まさか臆したのかのう? 早くも任務に嫌気が差したかな?」
鎌足はゆっくりと頭を上げる。
その顔に在ったのは、意外にも軽やかな微笑みだった。
「⋯⋯ははは、いえいえ。違います。百地翁様がそれ程までの過酷な戦いを、かつて京都や江戸で繰り広げらていたとは。日本が誇る『六歌戦』の中に選ばれたり、そんな強い紅鬼どもを撃退して生き残るほどに、昔の百地翁様はお強かったのですね。お酒好きで、いつも将棋ばかり打って暇を持て余している、今の姿からは想像ができない。⋯⋯そう思ったら可笑しくなっちゃって」
鎌足に一切の負の感情、恐れや迷いは見られなかった。
(七十年前、鬼の侵略を命を賭して止めた、百地翁様と伊賀の忍たち。⋯⋯その鉄の意志を私が受け継ぐんだ)
鎌足の微笑んだ顔や瞳には、そんな秘めた固い決意も確かに映っていた。
「ほっほっほ。図らずも、年寄りの自慢になってしもうたかな」
鎌足に釣られ、幻斎も優しい笑みを返した。
「⋯⋯あ、いえ、そのような意味では」
「鎌足よ。決して油断はするな。七十年前の『六歌戦』はの、六人の剣士それぞれが本当に強かった。それこそ鬼などより、よほど恐ろしい凄みを持つ者もおった。儂などが残りの人生の全てを修練に捧げたとしても、到底に敵わぬくらいの強者もおった。だが」
「⋯⋯だが?」
「⋯⋯鬼に屈して、落命した」
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯再び近くで稲光が轟く。
その眩い一瞬の閃光に、鎌足が照らされる。
その姿はまさに、“忍”だった。
太腿を下半分ほど露わにした、動きやすい忍装束を纏い、左腰に忍刀と脇差を差している。
両手の甲には薄手の小さな手甲を装備し、忍装束の隙間から覗く肌の上には、忍特有の鎖帷子を着込んでいる事が覗えた。
腰の後ろから左右に広がる、文庫結びにした腰紐の大きめの帯。
そしてその腰の帯あたりから左右の脚回りに下げた雅な巻き布が、座敷に吹き込んでくる風によって蝶の羽の様にふわりとひらめき、洒落た女子らしさも垣間見えていた。
戦いに生きる忍らしさと、年頃の女子らしさ。
二つが混在している鎌足だったが、中でも特に目を引いたのは、右腰の鎌袋に差している分銅付きの鎖鎌。
女性向けの小振りの鎌から伸びた細めの鎖は、鎌足の腰周りと左の太腿にぐるりと纏わりついていた。
この装束と装備の数々が、鎌足が市井に暮らす同じ年頃の女子たちとは住む世界が違うことを、如実に表していた。
幻斎がしみじみと語る。
「僅かな刻しか生きれぬこの人の世では、幾ら強くとも賢くともまた美しくとも、死ねば皆同じ。只の亡骸じゃ。魂の拠り所において、つまりはどう生きたかではない、どう死ぬかなのじゃ。鬼に殺された者はきっと、その魂は天上界には行けぬだろう。死して尚、鬼の邪念に魂を縛られて、終わりの見えぬ痛みと苦しみの中を、未来永劫に彷徨うことになると思ったほうがよい」
「はい」
「ならば最後に今一度改めて問おう。そなた、死ぬる覚悟はあるか。この命令を遂げられず、鬼に斃されし時、無間の地獄に堕ちる覚悟はあるか」
「⋯⋯⋯」
鎌足は何も答えない。
鎌足だけではない。
先程から座敷内もずっと沈黙に包まれている。
幻斎の語る鬼の恐ろしい話の数々に、屈強な忍たちのほとんどが尻込みし、心此処にあらずの状態だった。
「⋯⋯どうじゃ?」
⋯⋯しかし鎌足の心は、しっかりと此処に在った。
怖気づいて答えなかったわけではない。
湧き上がる使命感に心が震え、言葉が詰まっていたからだ。
「⋯⋯御心配無く、百地翁様。如何なる任務においても、元より死は覚悟の上。私を拾ってくれた大恩ある、伊賀御庭番衆のために鍛えた忍の業。この身体だけでは無く、魂までをも捧げて鬼どもと戦うことができるのなら、この御庭番衆小頭の鎌足。本望にございます」
「⋯⋯ふむ、⋯⋯ほっほっほ」
「四年前、記憶を無くし、この伊賀屋敷の前で倒れていた私を、一人前の忍に育てあげてくれたばかりか、女子でありながら、そして伊賀に縁の無い余所者でありながら、小頭の地位にまで取り立てて頂けた。その大恩に報いる時は今⋯⋯! どんなに恐ろしき悪鬼邪鬼や修羅に襲われ戦おうとも、決して退く事はありませぬ!」
「⋯⋯よくぞ申した」
「それにこの鎌足、護衛も偵察も暗殺も、百地翁様の命令を今までに仕損じたことは、一度としてありませぬ。だからどうか御心静かに吉報をお待ちください」
最後に鎌足は幻斎に深々と頭を下げた。
そんな鎌足に、幻斎があたたかな眼差しと優しい笑顔を送る。
「ほほほ、感情的なのがたまにきずじゃが、小頭になったは紛れもなくそなたの実力じゃ。ここに居る皆がそう思うておる。これだけは言えるぞ、鎌足。そなたの剣と鎖鎌を前にして、敵う者は日の本広しといえどもそうはおるまい。我ら伊賀忍軍の中でもそなたと対等に渡り合えるのは、御頭の半蔵殿くらいしか思いつかぬ。⋯⋯ほっほっほ、勿論、この儂も、もはやそなたには到底に敵わぬわい」
「⋯⋯!? そ、それはまた過言すぎるお言葉。私はまだまだ修業中の身ですから。それに短気だし。⋯⋯はは」
幻斎の優しい笑顔に、鎌足は頭を掻きながら苦笑いで応えた。
「いや、四年前に初めてそなたの戦う姿を見た時から、限りなく深く、そして恐ろしいまでの武芸の才能を、儂は見抜いておったぞ」
幻斎は目を瞑り、四年前の春、鎌足が伊賀屋敷の前で生き倒れていた時の事を思い出していた。
「⋯⋯四年前の春、⋯⋯そう、あれは確か、晴れ渡った満月の夜の事であったな。それはもう、人の血眼のように真っ赤な満月の夜。そしてあの日も今宵と同じ様に、何時しか空は荒れ、時折雷鳴が轟いておったか⋯⋯」━━━━。
数年前に作成した完成済の物語ですが、空いた時間を見つけて改めて執筆、小説化して投稿してみることにしました。一見わりと固めの文学的作品に見えますが、本編内容は異世界和風バトルを基調としたライトノベルになります。本編開始は10話から。9話までは世界観を伝える目的の序章が続きますが、4話以降も引き継ぎ御一読頂けたら嬉しいです。投稿や執筆の励みになるので、ぜひブックマークや評価、感想等よろしくお願いします!
★1月10日投稿初日は序章のうち5話を連続投稿予定です




