第14話 出逢い
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
━━━━御所の中は鎌足が想像していた以上に、優雅と格式を感じることのできる素晴らしいものだった。
檜皮葺きの屋根、白木の柱や梁、天井の張りの無い屋根、唐戸の扉⋯⋯、悠久の歴史が押し寄せてくる厳かな寝殿造りが、時の流れまでも巻き戻す。
鎌足は今、古の都である平安京と、その中に佇んでいる自分の姿に、自然と思いを馳せていた。
内裏の周囲外側に当たる部分は、壁の無い開放的な場所も多く、廊下から見える広大な庭園には、中島が浮かぶような大きな池が幾つも見える。
案内役が言うには、寝殿と呼ばれる主屋となる建物を中心として、東西南北に対屋と呼ばれる住居部分が多数存在しているらしい。
そして諸々の儀式に用いられる小神殿や控の間、用途に合わせた小部屋も無数に存在し、主屋や対屋も含めてそれらは全て、鎌足が今歩いている板敷きの渡殿と呼ばれている廊下で繋がれているとのことだった。
鎌足は案内役の男に気さくに話しかけながら、何度も廊下の角を曲がり、何個も池を眺め、何回も唐戸や障子を開き、何室もの部屋を通り過ぎた。
情景に感動して盛り上がる積極的な鎌足と対照的に、案内役の男は鎌足の質問の全てに淡々と言葉を返した。
「⋯⋯外から目に入る主屋や祭祀の場は寝殿造りですが、他は今はあまり江戸城と変わらないと思いますよ。屋根裏や障子がある部屋も多数ありますので」
「そうなのですね」
「正門の位置が時によって変わるのと同じで、今の帝の御意向が反映された造りになっているのです」
「へぇ⋯⋯、で、案内役さん、どれくらい歩きました? もう少しで帝の間ですか?」
「⋯⋯どれくらい? もう少しで帝の間? 何を言っているのですか? まだ裏門の管轄。“玄関”ですよ」
「⋯⋯は?」
⋯⋯そこから鎌足を待っていたのは、鎌足が何より不得意とする礼儀作法の嵐だった。
帝に謁見する申の刻(※16時)までには、俗に言う“古くからの仕来り“、即ち儀礼が多々あった。
宮中行事を取り仕切る下級官吏たちに簡単な挨拶をするためだけに、内裏を東へ向かい、挨拶が終わったと思えば次は西へ。
西へ向かって挨拶を終えれば、また東へ。
そして挨拶を終えれば、また来た廊下を戻るように今度は北へ。
一つ一つに掛かる移動の時間の長さと気遣いの連続に、鎌足はうんざりしながら、心の中でずっと文句を言い続けていた。
(謁見の刻限から一刻半(※3時間)は早く来い、って文には書いてあったのは、こういうことか⋯⋯。堅苦しいのは本当に慣れてないんだけどな。はぁ⋯⋯)
平次直伝の作り笑顔で本心を誤魔化し、何人もの下級官吏の部屋への挨拶を乗り越えながら、鎌足は御所内を徐々に奥へ奥へと案内されていった。
(部屋数も多いな。廊下は広いし更に入り組んでいる。これは内裏を目的の場所に向かうだけでも大変だな)
裏門からはどれくらい進んだだろうか。
とある太柱の前で、鎌足はふと立ち止まった。
⋯⋯その太柱は“異様”だった。
熊手のようなものに抉られた、五つの深く長い傷があったのだ。
(これはまさか爪の痕? 明らかに人外の力で付けられたような⋯⋯)
周りをよく見ると、異様なものは太柱だけではない。
周辺の壁や天井、そして鎌足の足元の床一面至る所に、刀でできたような傷痕や、矢が刺さったような小さな穴、不可解な赤黒い染みなどが見てとれた。
(天井にまで染みが? ⋯⋯これ、鬼の仕業か?)
口止めされているのか、それとも話を切り出し難いのか、案内役はそれらの痕跡には一切触れずに、黙って鎌足を先導していく。
(今居るこの場所は、広い内裏の中央部あたりだろうか? こんな中央部まで鬼の侵入を許した事が、つい最近にあったということか?)
鎌足の脳裏に、江戸で見た蒼鬼の残像が過る。
鬼との来たるべき二度目の遭遇を予感して、鎌足の顔は自然と引き締まった。
しかしこの御所中央部では、鬼の痕跡以上に鎌足を不快で不穏な気持ちにさせていたものがあった。
(まず鬼が出た、か。⋯⋯で、次は蛇の方か)
鎌足が背後に鋭い視線を送る。
視線の先は、廊下の曲がり角。
その角には、鎌足を密かに覗いていた人影があった。
謎の人影は、鎌足からの刺すような視線を受けて、慌てて身を翻し、その場から逃げ去っていく。
鎌足を不快にさせていたもの。
それは、廊下ですれ違った直後の者からだったり、格子の僅かに開いた隙間だったり、今のように背後の角に佇んでいたりと、内裏中央部の人間たちから尽く受ける、怪訝さに満ちた絡みつくような視線だった。
(⋯⋯っ、鬱陶しいな。この視線は位の高い公家たちからか? 胡散臭い江戸者とは決して相容れない、といった感じだな。口に出さなくても、その視線が言葉を語ってるよ。私への猜疑心や警戒心に満ち溢れている)
一六一五年に江戸の徳川幕府により制定された法律、禁中並公家諸法度により、朝廷や公家の自由は幕府の監視下で制限を受ける事になった。
制定から百年以上が経った今においても、公家たちの江戸幕府への反発は、薄まるどころか日に日に強まっている。
そんな噂の真実を鎌足は肌で感じていた。
百年の憎しみが、見えない怨嗟の刃となって今、鎌足一人に向けられている、そんな気がしてならなかった。
(⋯⋯揃いも揃って、嫌な眼だ)
此処に至るまでの不満の鬱積と、暗殺も選択肢に含めた上で朝廷側を探るという極秘任務の意識から、忍としての性が鎌足の中に沸々と湧き上がって、目が自然と細く鋭くなっていく。
(いっそ全員、殺⋯⋯)
そして思わず物騒な言葉を口にしそうになって、鎌足は慌ててぶんぶんと首を横に振った。
(落ち着け、落ち着け。京都で短気は駄目だ。⋯⋯この性格、ちょっと治さなきゃな。それに流石にもう着くだろう、⋯⋯帝の元に)
相当に時間はかかってしまったが、間違いなく内裏の最深部には近づいている。
鎌足は確信していた。
それは廊下をすれ違う者たちが、下級の官吏の衣装ではなく、公家独特の狩衣を纏う者たちへと変わっていることからも明らかだった。
「⋯⋯鎌足様、此方で暫しの間、お待ちを。すぐに戻って参ります」
鎌足に関する何らかの報告の義務が有るのだろうか、鎌足を広い部屋に通した後、案内役は一人で廊下の先へと歩いていった。
(やれやれ、案内は裏門からだし、儀式は堅苦しいし、公家からは好奇と敵対の視線、か⋯⋯、あーあ、疲れたなあ)
鎌足が大きく背伸びする。
鎌足が通されたこの部屋もまた寝殿造りの影響を受けていて、障子など遮るものは一切無く、心地良い程に辺り一面が見渡せた。
(あ、此処からも庭が見える。これまた広そうだなあ。この内裏には一体幾つの庭があるんだ? ⋯⋯そうだ、⋯⋯ちょっと外の空気でも吸ってくるか)
鎌足が気分転換に廊下へと出て、庭園へと降りることのできる、小さな踏み台を降り始めた時だった。
⋯⋯鎌足の足元に、鞠が転がってきた。
おそらく誰かが蹴鞠か鞠遊びをしていて、勢い余って明後日の方向に蹴飛ばしてしまったに違いなかった。
何気なく鞠を拾った鎌足の傍へ、遠くから一人の男の子が歩み寄ってきた。
そして何かを言いたそうに、もじもじとしている。
歳はまだ七歳から八歳前後くらいだろうか。
きちんとした身なりや、この歳で蹴鞠を嗜んでいる所を見ると、由緒ある公家の子息なのかもしれない、と鎌足は思った。
「⋯⋯あ、あの、⋯⋯鞠」
そこから男の子の言葉が続かない。
見慣れない訪問者に対して、明らかに話かけるのを躊躇しているようだった。
子供と触れ合うのにあまり慣れていなかった鎌足は、一瞬の間を置いてから、男の子の気持ちをようやく察し取った。
「⋯⋯あ、ああ、ごめん、ごめん、この鞠だよね」
鎌足から男の子に話かけると、その男の子は嬉しそうににっこりと微笑んだ。
その時、男の子を追いかけてきたのだろうか、一人の少女が小走りで駆け寄ってくる。
そして男の子に優しく声をかけた。
「さくちゃん、こんな所に居たの? なかなか戻ってこないから、心配になって⋯⋯」
「お姉ちゃん、この人にね、鞠を拾ってもらったんだ」
「まあ、そうなの?」
少女は鎌足に向けて優しく微笑みかけた。
少女はきっと鎌足と同じくらいの歳だろう。
そのおしとやかな佇まいをはじめ、着物の華やかさや桜の花の形をした雅な髪留めの飾りからも、男の子と同様に少女の気品が伝わってくる。
あどけなさが残るふんわりとした優しい笑顔と、背中までかかる長い黒髪。
この少女は鎌足が今まで見てきた女性たちの中でも、飛び抜けた可愛さと美しさと、そして艶やかさを誇っていた。
(⋯⋯わあ、綺麗な人だな)
少女の可憐な花のような美しさに、同じ女性ながら鎌足は心の中で赤面した。
そしてその照れ隠しのために、手にした鞠を自分の足の上で、ぽんぽんと蹴り出していた。
左足、右足、両の太腿に両の踵、頭まで、体中の至る場所を使って鞠を弾ませる鎌足に、男の子と少女はきらきらした瞳で「わあっ」と歓声とあげて、拍手を送る。
「凄い、凄い!」
「鞠が全然落ちないね! 凄い!」
「⋯⋯っと!」
鞠を一度も下に落とすことなく、鎌足は後ろ手で羽織をなびかせる。
そして大胆にも腰回りの着物の端をめくると、飛び出た鎖の分銅を引いて、腹にぐるぐる巻きしていた鎖をするりと外した。
更に両の掌で鎖を半分程の長さにして握ると、それをくるくると回し、まるで宙を舞う鞠と縄跳びをしているような余興を見せ始めた。
「へへへ、鞠の鎖跳びだよ、⋯⋯それっ」
最後に鎌足は、鎖の先端の分銅で鞠を弾き上げた。
鞠は天高く舞い上がり、笑顔で宙を見上げていた男の子の広げた掌の上に、まるで天の神様からの贈り物のように、ゆっくりとふわりと落ちていった。
鞠を受け取った男の子の笑顔が、更にきらきらと明るく輝く。
そしてその男の子の笑顔に応えるように、鎌足もお揃いの無邪気な笑顔を返した。
「にひひ、鞠、返すね」
鎌足は曲芸に嗜みがあった。
元々手も足も器用なほうではあったが、忍の任務の中には他藩の動向を探るために、見世物小屋の旅芸人に扮することもある。
そのため曲芸的な足技は、忍の種々の訓練の一環としても学んだことがあったのだ。
鎌足の曲芸が終わっても、男の子と少女は鎌足にずっと羨望の眼差しを向けている。
(ふふ、きっと仲が良い姉弟なんだろうな)
鎌足がそう思った時だった。
席を外していた案内役が、いつの間にか戻ってきていた。
そして内裏を案内していた時に見せていた落ち着いた表情が明らかに一変し、慌てふためきながら鎌足の元に駆け寄ってきた。
「⋯⋯っ、か、鎌足様! 先般から何かじゃらじゃらと腹のあたりから音が聞こえて、何だろうとは気にはしておりましたが、まさか鎖や分銅を隠し持っておられたとは!? ⋯⋯こ、このような厳粛な内裏でそのような危険な武器を、堂々とひけらかしてもらっては困ります! お着物を早く整えてください! ⋯⋯あ、あと、この方々との会話は絶対に控えてください! さあさあ! さあさあ! 早く此方へ!」
案内役は早口で小言をまくし立てながら、ぐいぐいと鎌足の背中を押して、この男の子と少女から急いで遠ざけようとする。
(しまった、見られた。流石に鎖はやりすぎたか)
鎌足と案内役が揉み合うように御所へと戻っていく姿が余程可笑しかったのか、男の子と少女はずっとくすくすと笑い続けている。
(わわ、そうだった。帝に会いに来たんだ。確かにこんな道草をしている場合じゃないな。調子に乗って鬼切丸まで出さなくて良かった)
案内役に背中を押され続ける鎌足は、心の中で反省しながら、男の子と少女に苦笑いで別れを告げた。
「じゃ、じゃあ、またね⋯⋯」
廊下の曲がり角に押し込まれる直前まで、鎌足は男の子と少女に向けて笑顔で手を振り続け、またそんな鎌足に対して、男の子も少女も同じように笑顔で手を振り、鎌足の後ろ姿を最後まで見守ってくれていた。
そして角を曲がり終え、既に二人の方からは見えなくなった鎌足に向けて、男の子は最後に大きな声で感謝の言葉を投げかけてくれた。
「お姉ちゃーん、ありがとう! またね!」
その声は遠ざかっていく鎌足の耳にも、しっかりと届いていた。
(最高の褒め言葉だぁ)
⋯⋯男装をしているのにも関わらず、『お姉ちゃん』と言ってもらえた。
今の鎌足は、その事が何よりもたまらなく嬉しかった━━━━。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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★10〜13話に関して、当初投稿時とタイトルを変更しました。本文の内容は当初の投稿時と一緒です。
★次回第15話「紫宸殿 謁見」は1月20日公開予定です。




