第1話 羅生門 開門
この物語の舞台━━日本国には、古の平安京の時代より伝わる、一つの禁忌が在った。
『人間界と地獄界を繋ぐ門、開かれし時、蒼の悪鬼、紅の邪鬼、地獄の底より目覚めたり━━』
百数十年に一度必ず開くと伝えられる魔界の扉、人間の生と死を司る地獄の門。
かつて鬼を祓うために造られた、平安京の羅城門に準えて付けられた、その恐るべき門の名は━━。
━━『羅生門』。
日本を手中に収めるべく、京の都に突如として現れる地獄の鬼たちは、何度となく日本を混乱と混沌に陥れた。
だが地獄の鬼と相対する日本には、脈々と受け継がれる六つの希望の光があった。
それは鬼を滅するために選ばれし、六人の剣士たち。
彼等は何れも、その時々の帝に命を賭して仕え、鬼たちの侵略の魔の手を最前線で防いできた。
その強さと勇気は、何時の時代に於いても人々の希望と尊敬を集め、その誉の象徴として、常に六つの短歌として詠まれる程に褒め讃えられた。
よって、六人に付いた呼び名は━━『六歌戦』。
何百年にも渡るこの『六歌戦』たちの活躍により、何時の時代に於いても、日本の安寧は守られていたのである━━。
前回の羅生門の開門、厄災の記録は明暦三年。
西暦一六五七年。
あれから約七十年の時を経て、新たな羅生門を巡る怪鬼譚が今、幕を開けようとしていた━━━━。
━━━━激しく息を切らしながら少女は逃げていた。
背後から迫る“異形の者”の影に怯えていた。
逃げても逃げても、その”異形の者“は追いかけてくる。
少女の顔からは血の気が引き、絶望と恐怖が支配していた。
「⋯⋯はぁはぁはぁはぁ、⋯⋯嫌ッ! ⋯⋯止めて! 来ないでぇ⋯⋯!! た、助け⋯⋯、あっ」
少女は石か何かに足をとられ、躓き転んでしまった。
「⋯⋯い、いや、やめて、来ないで⋯⋯」
”異形の者“は、少女のすぐ間近にまで迫っていた。
逃げようとするものの、足が震えて立てない。
少女は座り込んだまま後退さりするものの、遂に壁際にまで追い詰められてしまった。
その時、一人の少年が少女と”異形の者”に追いついた。
少女を守ろうと必死に駆けてきた少年は、残された全ての力を振り絞り叫んだ。
「⋯⋯や、止めろぉ! 妹に、結衣に手を出すなぁ!」
少年の体は、血と泥にまみれていた。
そしてその手には、この“異形の者”に対して何の役にも立たなかったであろう、ぼろぼろになった一本の短刀を握りしめていた。
少年の叫びは、少女に迫る”異形の者”には届かない。
いや、きっと”聞く耳持たず“なのだ。
少年の悲痛な叫びにも構う事は無く、この狂気を帯びた”異形の者”は、座り込む少女に自身の影を被せた。
邪な悪意を持って伸びる手。
「⋯⋯や、やめろおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
「⋯⋯い、いやああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
断末魔の叫びと血飛沫と共に、後はひとときの静寂だけがその場を支配する。
そして⋯⋯。
⋯⋯全てが終わった時、その場には身体を引き裂かれた無惨な二つの亡骸と、一本の短刀が転がっていた。
日本の古の口伝、地獄の門『羅生門』が開いた夜に、京都のとある裏路地で起きた出来事だった。
そしてこれは数多起きた悲劇の、たった一つに過ぎない。
『羅生門』と関わりあるこの”異形の者“による陰惨な血の殺戮は、日本の何時の時代に於いても、この京都の町の至る所で人知れず起きていたからである━━━━。
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━━━━時は一七二八年、享保十三年、三月下旬。
京都御所、戌の刻(※19時)前。
遠くに見える山際は、つい今しがた沈んだばかりの陽の紅をまだ仄かに残していた。
此処京都、帝の住まう御所内は、所々に蒼い篝火が焚かれて何処か物々しい反面、今宵の晴れ渡った夜空に煌めく満月が中庭の池に映り、水面に美しく揺らめいて、平和で穏やかな刻の流れも感じさせてくれている。
総じて御所内は、京都の市井の夜とは一線を画した、厳かな静寂の色に包まれていた。
永遠に続くのではないかと思えてしまう、そんな静寂に満ちた夜は、突如として宮中内に響き渡った、恐怖に彩られた甲高い悲鳴によって終わりを告げた。
「羅生門! 羅生門、開門ッ⋯⋯! 鬼だ、鬼が出た! おッ⋯⋯!! ⋯⋯う、ぐぅっあぁっ!?」
何かの異変が起きた事は間違いない。
急を知らせる誰かの叫び声を皮切りに、先程までの御所の凛とした世界は壊れ去った。
そして響くのは、慌ただしく走る無数の足音。
獣が檻の外に解き放たれたような咆哮。
刀が風を切る音、何かが何かに刺さる残響。
聞こえてはすぐに途絶える叫び声。
そんな無数の音の共鳴の後、最後はこの広大な御所の中に誰も人が居なくなったような、そんな不穏に彩られた静寂と沈黙の世界が広がった。
「ひいっ! く、来るな! 来るなああぁぁッ!」
御所の中央、南北に長く伸びた回廊の奥で、一人の年配の公家が、得体の知れない“何者か“に追われ、行き止まりの壁際に追い詰められていた。
その公家の男が今しがた逃げてきたであろう回廊に沿って、何人もの亡骸が転がっている。
その亡骸たちの身につけている装具や、床に無造作に転がる刀や槍や弓などからして、亡骸はこの御所の警備を担当していた者たちに見えた。
腕や脚など身体の一部を欠損している者、腹を切り裂かれた者、人外の力で顔を潰された者など、その亡骸の何れもが、目を覆いたくなるような凄惨さを極め、床も壁も辺り一面がまさに血の海と化していた。
両の手に握った大鉈で威嚇しながら、狂気の雄叫びを上げる”異形の者“の巨大な影。
明らかに人間より一回り大きく、筋骨隆々とした身体。
回廊の脇に立つ太柱を、その兀兀とした巨大な手と鋭い爪で掴み、凄まじい握力によって一気に抉り取った。
《⋯⋯グッフフフフフフ、⋯⋯グルルルルルルルル》
笑い声か、唸り声か。
その声の持つ意味は、公家の男にはまるで理解不能だったが、残念ながら自分を殺そうとしている事だけは間違いないようだ。
“異形の者”は、明らかに人間ではなかった。
生来の凶暴さが伝わってくる、醜悪で禍々しい容貌。
耳まで裂けている大きな口。
その異様な”異形の者“は、口からねっとりとした涎を垂らし、低い唸り声を発し続けながら、追い詰めた公家の男を更に威嚇し、全身を舐め回すように睨みつけた。
《罪深キ、愚カナ人間ドモ、⋯⋯皆、殺ス》
そしてふてぶてしい恍惚の表情を浮かべながら、壁際に尻もちしながらぶるぶると震えている公家へとにじり寄った。
《我ラ蒼鬼ノ代ワリニ、人間共ガ地獄ニ堕チルガイイ、コノ日本ノ国ヲ、蒼鬼ガ支配スル刻ガ、ツイニ来タ》
蒼蒼とした顔。
そして、頭には角。
“異形の者”の正体は⋯⋯、
⋯⋯蒼鬼だった。
《何ト、ヒ弱ナ人間ナンダ、トリアエズハ、死ネェ!》
「ひ、ひぃぃっ!」
蒼鬼はどす黒い血が付着した大鉈を振り上げ、追い詰めた公家の頭上から、狂気の刃を思い切り振り下ろした。
⋯⋯その時だった。
「蒼き鬼よ、地獄に還れ━━」
刃の閃光と共に、人影がひらりと宙を舞った。
⋯⋯そして訪れる、再びの静寂。
頭を抱えたまま、公家の男は固まっていた。
公家の男は迫る恐怖から顔をそむけ、咄嗟に目も瞑っていたため、すぐ眼前での出来事とは言え、何が起こったのかがすぐに理解できない。
一旦は死を覚悟したものの、恐ろしい”何者か“に対して、予想外の”何か“が起こり、結果としてまだ自分は生きているようだ。
でも本当に自分は生きているのか。
実はもう地獄の入り口にでも来ているのではないか。
そんな生と死の真実を理解しようと、閉じていた目を恐る恐る少しずつ開けてみる。
薄っすらと広がっていく横長の視界の先に、真っ先に飛び込んできたのは⋯⋯。
⋯⋯仁王立ちする蒼鬼だった。
(ひ、ひいッ!)
だが蒼鬼からは、あの恐ろしい狂気の顔は消えていた。
(⋯⋯!? ひゃあっ! ⋯⋯くび、く、首が⋯⋯! 鬼⋯⋯、首⋯⋯、鬼の首が、無い!?)
狂気の表情が消えていたのではない。
その顔色を読み解こうにも、蒼鬼の身体にはそもそも首が無かったのだ。
想像だにしなかった異様な光景を目の当たりにして、男の中に新たな恐怖が押し寄せてくる。
薄くしか目を開けれてはいられない。
その限られた視界の中、首を失った蒼鬼の胴体は、胸元に縦に付けられた刀疵を境にして真っ二つに裂け、血煙と共に音を立てて崩れ落ちていく⋯⋯。
⋯⋯その姿が薄っすらと見えた⋯⋯。
⋯⋯そして首も胴体も、まるで回廊の張り詰めた空気に溶けていくように、蒼の障気と化して、飛散し消滅していく⋯⋯。
(な、何が? 一体何が起きたのじゃ!?)
男は一向にまだ体の震えが止まらない。
しかしこのままだと埒が明かない。
千載一遇の逃げる機会を失ってしまうかもしれない。
男は意を決して、目を開けてみることにした。
神仏に加護を祈りながら、一気に目を見開いた。
その瞳に映ったのは⋯⋯。
⋯⋯消滅した蒼鬼が倒れた場所と座り込んでいる自分、そのちょうど中間辺りに此方に背を向けて佇む、別のもう一つの影だった。
(ひ、ひいっ! ま、まだ鬼がいたか!?)
男が驚きでよろける。
だがその”別な影“は、蒼鬼の仲間では無いようだった。
それは明らかに人間の男の背中。
男はすらりとした長身で長髪。
所々に金色を含んだ、紫と白のきらびやかな狩衣を纏っていた。
右手には、蒼い炎の瘴気のようなゆらぎを放つ刀身を握りしめている。
そして反対の左手には、眩いばかりの金色に輝く、重厚かつ美しい彫りに彩られた鞘を、逆手で握りしめている。
烏帽子から下ろす前髪も含め、その若々しく凛々しい後ろ姿は、凄まじい殺気と共に不思議な妖しさも放っていた。
公家の男の頭が混乱する。
恐らくはこの妖美さを纏った謎の男が、あの迫り来る狂気の蒼鬼の首を一刀両断したのだろう。
自分と同じように、公家の宮中の衣装である狩衣を着ていたり、烏帽子を被っていることから、この剣士も男と同じ公家の者である事は間違いなさそうだ。
⋯⋯だが果たして、敵なのか、味方なのか。
正体の掴めない謎の男と鋭く煌めく刃を前にして、公家の男は、得体のしれない新たな恐怖が、心の底からじわりと湧き上がるのを感じずにはいられなかった。
鬼と戦ったばかりのその剣士は、息一つ乱すことなく、刀で空を斬って蒼鬼の血を払う。
そして妖しい蒼波が迸る刀身を、鞘へとゆっくりと納めていく。
改めて目にしたその鞘は、豪華絢爛な装飾が施され、鳳凰の彫り物の素晴らしさが一際目を引く、格別の代物だった。
謎の剣士は公家の男に背を向けたまま、落ち着いた声で、何事も無かったように淡々と呟いた。
「お怪我はありませぬか」
「⋯⋯ん? あ! あ、あぁ、だ、大事、ない」
「今宵到着が遅くなったのは、京の町中にも鬼が現れた故。どうか平に御容赦を、大納言殿」
(⋯⋯良かった、この男は敵ではない。本当に自分は助かったのだ。九死に一生を得たとはまさにこの事だ)
“大納言”の役職で呼ばれた事によって、この公家の高官にもやっと安堵の波が押し寄せてきた。
とは言え、蒼鬼に襲われた恐怖や動揺の余韻が、まだ心に燻ぶり残っている。
窮地を救ってくれたこの謎の男に対して、感謝の言葉を一言二言程だけ、声を震わしながら絞り出すのが精一杯だった。
「よ、よう守ってくれた、よきじゃ、よきじゃ」
謎の剣士がようやく警戒の構えを解いたのは、更なる蒼鬼の出現は無いと判断した、暫しの残心の後だった。
そしてその豪華絢爛な鞘を悠然と左手に握りしめたまま、回廊の虚空を見つめて苦々しく呟いた。
「⋯⋯今宵も開いたか、羅生門」
殺気を解いていく男の後ろ姿を見て、大納言もやっと九分九厘まで正気に返る事ができた。
生きている喜びと実感が一気に込み上げてくる。
そして先程までの力無い返事からは一転、半ば狂ったように途切れる事無く言葉を吐き出し続けた。
「⋯⋯その刀は! そうか『村雨』じゃな! 礼を言う、助かった、麿は助かったのじゃ! それにしても流石じゃ、流石は『村雨』じゃ! まさに鬼を斬る刀! 妖刀『村雨』じゃ! ほ、ほほほほほほほほほ⋯⋯!」
大納言に『村雨』と呼ばれた刀を携えた謎の剣士は、結局それから一度も大納言を振り返りもしなかった。
斃した蒼鬼に対しても、命を救った大納言に対しても、恐らくもう何の興味も抱いてはいないのだろう。
この狂宴の夜の終幕を飾る、大納言の生を噛み締める狂喜乱舞の高笑いにすら背を向けたまま、悠然とその場を立ち去っていく。
進む廊下の壁に掛けられた、数多くの燭台の蝋燭の灯火。
先程までの鬼の暴挙でも倒れずに耐えていた幾つかの光が、廊下の左右に点々とゆらゆらと揺れていた。
その光の道に照らされて、廊下を歩いていく謎の剣士の横顔もまた、闇に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
歩みに合わせて揺れる、美しく艶やかな前髪。
その隙間から覗く鋭い瞳に映る光は炎を宿し、ただ前だけを━━次の鬼との戦いだけを、熱く凛々しく見据えていた。
「⋯⋯羅生門、次こそは必ず。そして地獄の憎き鬼ども、必ずやこの麿が尽く滅してくれようぞ」
謎の剣士、そして妖しい煌めきを放つ刀『村雨』は、そんな篝火の残炎に揺らめき照らされながら、血で彩られた回廊の光と闇の中に、朧気な影となって消えていった━━━━。
数年前に作成した完成済の物語ですが、空いた時間を見つけて改めて執筆、小説化して投稿してみることにしました。一見わりと固めの文学的作品に見えますが、本編内容は異世界和風バトルを基調としたライトノベルになります。本編開始は10話から。9話までは世界観を伝える目的の序章が続きますが、2話以降も引き継ぎ御一読頂けたら嬉しいです。投稿や執筆の励みになるので、ぜひブックマークや評価、感想等よろしくお願いします!
★1月10日投稿初日は序章のうち5話を連続投稿予定です




