第5章
その日の夜、俺とエルザは村の中央にある集会所に座らされていた。
俺たちの周りを、村人たちがぐるりと囲んでいる。
議題俺たちの処遇について。
特に、突如として現れた、見るからに只者ではない魔女、エルザの存在をどうするか。
「……」
「……」
俺とエルザは、互いに一言も口を利かず、そっぽを向いている。
空気、重すぎだろ。
俺としては、一刻も早くこの女を村から追い出したい。
俺のスローライフ計画にとって、こいつは惑星級の災害に等しい。
だが、この村人たちの前で、いきなり破壊魔法をぶっ放すわけにもいかない。
どうしたものか。
俺が打開策を必死に考えていると、集会所の扉がギィ、と古びた音を立てて開いた。
現れたのは、村長のタロー爺さんだった。
だが、その表情は昼間とは打って変わって、世界の終わりでも見てきたかのように、厳粛で、悲壮感に満ちている。
その手には、やけに古めかしい、分厚い革張りの本が抱えられていた。
どう見ても、何百年も蔵の奥で眠っていました、という雰囲気を醸し出している。
「皆、聞いてくれ」
タロー爺さんは、重々しい口調で語り始める。
その声に、村人たちは水を打ったように静かになった。
「わしとしたことが、忘れておった。この村に古くから伝わる、厄災の言い伝えを……」
爺さんは、持ってきた本を恭しく机の上に置くと、ほこりを払って、ゆっくりとページをめくった。
その所作の一つ一つが、やけに芝居がかっているように見えるのは、気のせいだろうか。
「この古文書によれば……『光と闇、破壊と創造、対極を成す二つの大いなる力が、ノドカの地に相見える時、それは調和の試練か、終焉の前触れか』……とある」
何言ってんだ、この爺さん?
俺は眉をひそめる。
光と闇? 破壊と創造? 大げさすぎるだろ。
「『二つの力、もし手を取り合わず、反発し続けるならば、大地の恵みは枯渇し、空は色を失い、ノドカの地には未曾有の厄災が訪れるであろう』……!」
タロー爺さんが、ページの一節を指さしながら、悲痛な声で読み上げる。
その瞬間、村人たちの間に、さざ波のような動揺が広がった。
「ま、まさか、厄災の言い伝えって、本当だったのか!」
「どうすんだ! このままじゃ、うちの畑が……!」
いやいやいや。
待て、待て、待て。
なんだこの茶番は。あまりにも出来すぎている。
「落ち着け、皆のもの!」
タロー爺さんが、パン、と手を打って村人たちを制する。
「幸い、この古文書には、厄災を回避する方法も記されておる」
彼は再び古文書に視線を落とし、厳かに告げた。
「『二つの力、夫婦となりて一つ屋根の下、調和の暮らしを送るべし。さすれば、厄災は転じて祝福となり、ノドカの地には永遠の繁栄が約束されるであろう』……と」
……めおと?
俺は、自分の耳を疑った。今、この爺さん、夫婦って言ったか?
俺と、この、エルザ・ナイトメアが?
「――というわけじゃ」
タロー爺さんは、パタンと本を閉じると、俺たち二人に向き直り、深々と頭を下げた。
「旅のお方々、事情はわかっておる。会ったばかりの、それも素性も知れぬ者同士、いきなり夫婦になれというのは、あまりに酷な願いじゃろう。しかし! これも、我々の村を守るため! どうか、この通り、我らの願いを聞き入れてはくださらんか!」
爺さんの言葉を皮切りに、周りを囲んでいた村人たちが、一斉に俺たちに向かって頭を下げ始めた。
「お願いだ、旅の人!」
「あんたたちが夫婦になってくれないと、村が……村が滅んじまう!」
四方八方から、悲壮な声が浴びせられる。
完全に、外堀を埋められた。
こんなもの、嘘に決まっている。
だが、この村人全員がグルだとしたら? 俺が「馬鹿馬鹿しい」と一蹴すれば、その瞬間、俺はこの村全体の敵になる。
それは、俺が望むスローライフとは、あまりにもかけ離れた状況だ。
くそっ、どうする……!
俺が必死に反論の言葉を探していると、それまで黙っていたエルザが、すっと立ち上がった。
彼女はタロー爺さんの前に進み出ると、真剣な表情で問いかける。
「村長、でしたか。一つ、確認させてください」
「おお、なんじゃな、お嬢さん」
「その『夫婦』の定義とは? 具体的に、どのような行動規範が求められるのですか? 調和を達成するための、具体的なパラメータを提示してください」
真面目か!
お前は、このくだらない作り話を、本気で信じているのか!?
エルザは、魔族の常識で生きている。
人間の「夫婦」という概念も、言い伝えも、彼女にとっては未知のデータでしかない。
だから、この状況を、極めて論理的な問題として捉えているのだ。
タロー爺さんは、一瞬きょとんとした後、にやりと笑みを浮かべた。
「うむ。難しいことはない。ただ、二人で同じ家に住み、毎日顔を合わせ、仲良く暮らしてくれれば、それでいい」
「……なるほど。共同生活による、相互理解と魔力波長の同調が、厄災回避のトリガーであると。理解しました」
理解するな!
「そういうことであれば、異論はありません。この村に厄災が訪れるのは、私の本意ではありませんから」
エルザは、あっさりと頷いた。
その瞬間、俺の敗北は決定した。
「おお、そうか! 引き受けてくれるか、お嬢さん!」
「アルク! あんたも、それでいいな!」
村人たちの歓声と、期待に満ちた視線が、俺一人に集中する。
断れるわけが、なかった。
「……ああ、わかったよ。やればいいんだろ、やれば」
俺が力なく頷くと、集会所は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
こうして、俺の意思とは全く無関係に、宿敵だったはずの魔女との、奇妙な強制夫婦生活が幕を開けることになった。
タロー爺さんが、満足げな笑みを浮かべて、俺たちのために用意したという「新居」の鍵を差し出すのを、俺は死んだ魚のような目で見つめることしかできなかった。