3
幼馴染の研磨。朝井研磨とは幼稚園の頃からの付き合いだ。
幼稚園の最初のクラスが同じだったので、母親同士の仲が良くなり、帰り道もほとんど同じだったので、毎日一緒だった。卒園式と入学式の写真も私と研磨と母親たちで撮った記念写真が残っている。
幼稚園の頃は研磨の家の広い台所で一緒におやつを作ってお茶をしたこともある。
艶のあるまっすぐな黒髪と、深い赤の唇が印象的だった研磨ママ。いつもキラキラの綺麗な石が付いた揺れるイヤリングをして、大人になったらそういうアクセサリーが欲しいなと思っていたっけ。
小学校では二年と五年以外同じクラスで、朝井研磨と岩田環菜だったから、浅野と石田がいなければ出席番号で前後になることも多かった。
距離が縮まったのは小学校二年生の時だった。その日は夏休みが終わって初めての六時間授業の日で、いつもどおり学校を終えて帰ると、自分の家に研磨のママがいた。
研磨とうちまで一緒に帰ってきたらよかったと思っていたら、お別れを告げられたのだ。
研磨のママは遠くで暮らすと言っていて、今までありがとうと、きれいなハンカチをくれた。
そのときはうまく理解できず、自分の母親から、研磨ママだけ遠くで暮らすことが決まったのだと教えてもらった。
それ以来研磨はうちで一緒に夕食を食べることが増えた。
研磨のうちにはお手伝いさんや研磨のおばあちゃんがときどき来ていたけれど、用意されたご飯を食べないという反抗期を察知した母がおせっかいを焼いていたらしい。
「夕飯を食べなければ、おやつを食べればいいじゃない」
とにかく一緒に家に帰ってきて、たらふくおやつを食べて一緒に公園に遊びに行く。遊んでお腹がすけば夕飯も食べるだろうし、給食とおやつで二食食べれば飢えて死ぬことはないからと、かなり雑な作戦だったけど、研磨は一人でなければご飯を食べるようだった。
土曜日と日曜日は子ども会の野外活動クラブに一緒に入っていたので、金曜日の夜からうちにいることもあった。お弁当を持って隣の県の科学館や博物館に行ったり、近くのキャンプ場に泊まったりする活動だ。送り迎えは私の父親の担当で、釣りやキャンプ好きな父親は研磨をよく可愛がった。
研磨は魚や鳥、星に興味がある子どもだった。私は虫が嫌いだったけれど、ロープワークや木工工作が好きだった。
野外活動は研磨がなるべく人といて食事を摂るようにという大人の作戦だったらしいが、研磨の性分に合っていたのか、私は小学校で辞めてしまったけれど、研磨は中学校まで在籍していた。
ゲームを買ってもらうまでは、雨の日は映画を観たり一緒に図書館に行って本を読んだりしたり、兄弟みたいに育った。
研磨の反抗期が治まったころに、私にも反抗期がやってきた。小学生女子にありがちな人間関係の拗れに疲れて、今思うと親に反抗することでストレスを解消していた気がする。
クラスの中心みたいな女の子の機嫌を損ねないように過ごすのは苦しかった。けれど、その輪から出る勇気もないし、一人になるなんて考えが及ばないくらい孤独は怖かった。
陰口と恋バナは苦手だった。同調する器用さがなかったからだ。流行りのテレビやアイドルにも興味がなかったし、メイクや服にも興味がなかった。公園に行くと他の女子に会って疲れるから、研磨の家におやつを持って入り浸って、宿題した後に一緒にゲームをしたものだ。
特に好きだったジェムストーンは時間を忘れるくらいやり込んだ。
今思うと、自分らしさを取り戻すというテーマのゲームに救いを求めていたのかもしれない。
中学は別々だった。研磨は中高一貫の男子校に受験して入学したのだ。電車通学になるから早く家を出るけれど、帰ってからは一緒に宿題をした。私の学力は平均点をとるのがやっとだったけれど、研磨のテストの順位はクラスでいつも一桁の順位をとっていたのを知っている。
この頃私は思春期に突入。進路が定まらない焦りもあって、学校は楽しいけれど居心地の悪さを感じている自分がおかしいみたいでもどかしさを感じていた。振り返ればそれが思春期で、アイデンティティの確立で、モラトリアムで、ホルモンバランスの乱れとか成長過程とも思うけれど、当時は気が付かなかった。
研磨は何にも聞かなかったけど、いつも部屋に上げてくれた。流行っているアニメや映画を一緒に見たり、思い出した時にゲームをしたり。気になる漫画の貸し借りもしたりした。
テスト前には呆れながら勉強を見てくれたこともあったなあ。賢い進学校に一人で六年も通って、受験も成功して国立大学に。そのまま大手企業に勤めているのだからすごい。
しがない派遣社員の私と幼馴染じゃなければ、友達にもならなかっただろう。
「座談会会場はここであってるよね」
現地集合で待ち合わせたイベント当日。
応募者が少なかったのか、私も研磨も当選した。
研磨は辞退するかと思ったら、来るつもりだということだ。
まだこんなゲームのことで付き合ってくれるなんて、気のいい幼馴染に感謝しながらとある指定された商業ビルに入ってエレベーターに乗った。会場は最上階。ジェムストーンを作っている会社の会議室のようだった。三年前くらいにできた新しいビルだ。大人の目線で会社がちゃんと儲かっているのがわかって嬉しくなってしまうのは、大人になりすぎたかもしれない。そのとき地図を開いていたスマートフォンがメッセージの通知を表示した。
『ごめん、仕事が入って、遅れて行くことになりそう』
そうメッセージを送って来た研磨に返事をする。
『大丈夫だよ、先に入っているね』
エレベーターを降りると目の前にジェムストーン十五周年記念座談会会場と書かれているポスターが貼られていた。
私はその矢印を頼りに足を進めたのだった。
読んだら( *´艸`)とコメントいただけたら励みになります