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スローライフを堪能するゲームの中に入り込んで帰ってこれなくなる主人公が現実世界に戻るために完全クリアを目指す話です。
現代ファンタジー 恋愛系 幼馴染
今日はこの秋一番の冷え込む朝だった。自分の足の冷たさで飛び起きて、羽毛布団と部屋の寒暖差で一瞬で目が覚める。
なんだかいい夢を見ていた気がして、もったいないような気分になった。
当たるとわかっている宝くじを買うような夢だった気もするし、石油王に美味しい食事を奢ってもらったような気もするし、満員電車で座席がたまたま空いて座れる現実感溢れるものだった気もするし、海辺で美しい貝殻を拾うような、懐かしい思い出のそんなささやかな夢だった気もする。
いい夢の良いことの解像度が低いのは、生活のクオリティが低いからなんて認めたくない。
最近あったいいことが、パッと頭にうかばないのがそれを証明しているからかもしれない。
社会人二年目。新人の頃抱いていた希望もすり減り、素直なガムシャラさもなく、社会の厳しさと現実を知る。給料明細の引かれる税金の多さにため息をついた昨日。月一のご褒美の額を下げなければと貯金額を思うのに、考えるだけはタダだからと、どうしようかなんて空想しながら行楽の秋からクリスマスや年末年始の旅行のポスターの貼られた駅の改札を通って、三分遅れの電車に飛び乗った。
「今日はちょっと良い感じかも」
なんて思うのは流石にレベルが低すぎるだろうか。
毎日のタスクをこなすだけで過ぎて行く毎日。
ガタンゴトンと揺れる満員電車の片隅で、自由のきく右手だけしっかりとスマートフォンを握る。落とさないようにスマートフォンのケースにつけたストラップを手首に巻き付けているのは生活の知恵だ。
ご褒美の情報収集しようと検索画面を開きたかったのに、いつもの癖でニュースアプリを開いていた。
薄く平らの少しだけ熱を帯びた固い画面に指を滑らせ、時短、コスパ、トレンドなどキャッチーな見出しの情報の上部だけをなぞって行く。
経済、海外、スポーツ、ファッション、それからエンタメ。
クリスマスプレゼント特集はサンタの外注を受けた親御さん向けの特集だった。
最新の技術を搭載したおもちゃ、今年度一番流行った漫画、そして冬休みにむけた新しいゲームタイトル。
関係ないものばかりだとページを飛ばそうとしたとき、ふと、目を止めた十五周年の文字に、思わず声を出しそうになるのをぐっと堪えた。
電車がカーブに差し掛かり線路の軋む音でなんとか誤魔化されただろう。
『スローライフ ジェムストーン 十五周年記念』
十才のクリスマス。サンタさんが届けてくれた思い出のゲームソフトのタイトルだった。
ニュースのアプリから、急いでメッセージアプリを開いて、一ヶ月前にやり取りした幼馴染の名前『朝井 研磨』をタップする。
『ね、あのゲーム十五周年だって』
それだけ短く文を作って送信した。
満員電車の中からでもメッセージは高速で彼の元に届く。
すぐに彼が見たという通知が届いた。
『かんな 応募するの?』
応募って?と聞き返す前に自分の送信したURLをもう一度タップした。
「アンケートとイベントのお知らせ」
人気シリーズの第一弾、スローライフ ジェムストーンが発売から十五周年を迎え、イベントを開催することが決まった。
と簡素な書き出しの記事を確認する。
いくつかのシリーズの人気投票、座談会のメンバー募集、記念グッズの販売、新しい家庭用ゲーム機での最新作の開発についてなど書いてあった。
研磨が応募するのかと訊いてきたのは座談会のメンバーのことだろう。
座談会のメンバーに選ばれれば当時のゲームを新しいハードウェアでリメイクする開発途中のものを体験できるらしい。
『応募してみようかな』
『じゃあかんなが外れた時のために、俺も応募しておくよ』
『ありがとう』
『今日久しぶりに実家に用事があって泊まる予定なんだけど、ご飯一緒に食べれる? 夜、飲みに行こ』
『いいよ! 行こう』
隣にいるみたいにトントン拍子に会話が続いて予定が決まってしまった。
メッセージアプリでそのまま母親の名前をタップして、夕飯がいらない旨を伝える。
研磨とご飯行くからと送っておけば、妙な期待もさせないだろう。
最近家に居続ける娘に、恋人はいないの、大丈夫なのと聞いてくるようになった。大丈夫かどうかなんて、私が知りたいくらいだ。
職場と自宅の往復。学生のころ想像していたキラキラの社会人像とはかけ離れている。必要最低限の身支度、増えないスマートフォンの連絡先。今はやりのミニマリストを地で行こうとしているつもりはないのだけれど。
ちょうど駅に着いたので、スマートフォンを落とさないようにカバンにしまって次はバス停に向かった。
バスの待ち時間は二十分、そしてバスの乗車時間は十五分。思い出に浸るのは十分だ。座談会の応募ページを開いて、リンク先に飛んで必要事項を記入する。
あなたが一番すきなシリーズは、キャラクターはといろんな質問に当時のことを思い浮かべた。あのレトロなゲームのBGMが聞こえてくるようだ。
(研磨と毎日夢中になってゲームしたなあ)
私の青春とともにあのゲームはあったのだった。
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