Prologue of Selene
「なかなか筋が良い水魔法だな、我が妹よ」
隣に立った姉がそう言う。
「ほんとに?」
姉はセレーネより十歳も上だが、この時点ではまだ十六歳。にも関わらず、彼女は既にこの国では名のしれた魔法使いとなっていた。
自分に目標を作ってくれた憧れの存在──。
そんな姉に褒められたのが嬉しくて、ついついはしゃいでしまう。
「ああ、私なんてすぐに抜かされてしまうかもな」
そう呟いた姉は、うっすらと微笑えんでいた。
「えへへ………私ね、お姉様みたいな魔法使いになるのが夢なんだ!」
姉は暫しの間、少しだけ驚いた様な顔をしてから、またふわりと口角を上げた。それからセレーネの耳に、冬の冷たい月のように美しく透き通った、優しい声が届く。
「セレーネにならきっとなれるさ、私みたいな大魔法使いにだってね」
✣
魔法使いのセレーネ・オウレアールは、雪解けの季節である四月に、キオン王立魔術学院の寮へ引っ越して来た。
この学院は二百年以上の歴史があり、魔法の腕を認められた極僅かの者しか入学出来ない、大陸で御三家と呼ばれる名門魔法学校である。
城と見まごうほどの広大な校舎を誇るこの学院には、大講堂に決闘場、様々な役割を持った数十の教室に、大陸中から優秀な人材を集め、歴史に名を残す魔法使いを育てるための、七百以上の寮室が内包されている。
学院の大校舎を抱える魔術街キオンは、大陸の北方に位置するイリスネージュ王国領に存在しているため、通年肌寒く、冬の凍てつくような寒さが特徴的な気候であ
る。
学院の制服となっている漆黒のローブと尖り帽は、その肌を突く寒さから学徒を守り、魔力をより強くする役割がある。セレーネも、寮室のクロゼットにそのローブを見つけた時は、嬉しさの余り、姿見の前でひらりと回って見たものだ。
入学から二週間。今までのところ、セレーネは何一つ不満の無い学院生活を謳歌していた。何を隠そうセレーネは、著名な魔法使いの血族も在籍する貴族学校の魔法科を、首席で卒業した逸材だからである。
幼少期から魔法使いの姉に鍛えられ、先生や友達からの期待を背に魔法に励み、それを裏打ちするように勉学の才もあった。そんなセレーネには、同年代の者はおろか、冒険者として活動している魔法使いでさえも敵わなかった。
新しい友人もでき、座学も実技も、勉強については一切の心配ごともない。セレーネの人生に、障害というものはおよそ無かったのだ。
──そう、あの瞬間までは。