鉛の様な
春から続く一学期の内容も終わり、七月の頭から八月の最後まである夏休みが近づく中、キオンの生徒を迎え撃つのは六月末の定期テストだった。
生徒の大半を貴族が占める学院だが、少なくとも表面上は身分の差による待遇の違いなどはない。学院内での地位を決めるのは魔法の腕や学力のみだ。才ある庶民が位の高い学校に入学して、貴族からいじめを受けるといったたちの悪い話はよく聞くが、ステラがそういった目に遭わなかったのはその圧倒的な実力が故だ。
もちろん、学院外に目を向ければ、そういった地位や成績は貴族どうしでの政争に直結する。学院の内外を問わず実力を求められる生徒にとって、実力が明確な数字になって顕在化する定期テストは、学院の生徒にとって一大イベントであるのだ。
それはセレーネにとっても例外ではない。ノーグフォン伯爵令嬢として、いやそれ以上に、様々な人の期待を背負った身として、誰よりも優秀な成果を挙げ、学院のトップに立ち、自分の力を示さなければいけなかった。
北方の国といえども、夏は暑い。西方諸国や南の国には敵わないが、六月末になれば、風が涼やかで心地よいと感じる程度には気温も上がってきていた。
セレーネはよく学んだ。たまに好物であるオレンジの砂糖漬けを氷魔法で冷やして齧りながら、放課後も休日もよく勉強に励んだ。疲れた時は気分転換に、他の生徒との模擬戦にも付き合った。ステラが放課後に部屋から出てこない分、セレーネに模擬戦を頼みに来る生徒も多くなった。
そして、六月二十七日のテスト当日はつつがなく過ぎ、セレーネは成績が張り出される三十日を迎えたのだった。
「自信ある?」
「そうですね、結構あります! セレーネさまはどうでしょう」
「ま、ぼちぼちかな」
そう答えたセレーネの胸中は、謙遜と恐怖が半々だ。もちろん、座学でも実技試験でも普段通りの実力を出す事が出来たし、この日に向けて努力してきた分の自信もある。しかし、学院にはマーレやレーダスといった秀才が山程いる。月並みな努力で彼女らに勝れるかはわからなかった。
成績が張り出されるというホールに着くと、既にかなりの数の人がいた。他学年も混じっているとはいえ、朝から集まっているにしては随分な人数だ。二百人ぐらいはいるのではないだろうか。
人混みから一歩引いた位置で張り出されるのを待っていると、人の合間を縫って歩いてくる白髪が見えた。
「おっはよー、セレーネちゃん!」
「あんたは朝から元気ねー……ていうか、よく私達が来たのがわかったわね」
「ふっふっふっー。セレーネちゃんの魔力結構目立つからね、探しやすいんだよ」
「……ふーん」
この人混みの中で魔力の質を探知出来るとは。セレーネは驚きと共に、また少し劣等感を覚える。それから、友人に対してほんの些細な事で劣等を感じる自分に気付いて、自己嫌悪が上塗りされる。
「お、先生来たぞ」
「来るぞ来るぞ……」
一時暗い感情に支配されていた思考は、周りのざわめきで正気に戻った。顔を上げると、人混みの向こうで大きな紙筒をホールの壁に張り付けているデルケー先生が見えた。
「それでは、定期試験の結果を掲示する!」
デルケー先生が声を上げると同時に、巻かれた紙が一気にぴんと延びた。
『一学年 一学期試験』
筆記500/500点 実技100/100点
・ステラ・シュトラール 497点 100点
・セレーネ・オウレアール 495点 89点
・マーレ・ヴァンテーゼ 488点 87点
・レーダス・アルジェント 491点 81点
……
「…………は?」
それを読んでから、理解するまでに少しタイムラグがあった。一般の庶民と貴族には決定的な教育レベルの差がある。セレーネは、無意識にステラに座学で負ける可能性を除外していた。
しかし、記された数字は、冷酷に、しかし雄弁に物語る。お前は皆の期待を背負うには力不足だ、真に皆の期待を背負うべきはステラなのだ、と。
不意に視界が滲んだ。悔しさもあったが、何よりも自分の弱さが憎かった。
ステラの方に視線をやると、彼女はもともと綺麗な瞳をより一層輝かせてそこにいた。当たり前だ。さぞ嬉しいだろう。非特権階級が名だたる貴族を実力でねじ伏せ、キオンの学年トップに躍り出るなど、二百年の学院史に残る快挙だ。
「ねぇ、セレーネちゃ──」
ステラは声を弾ませこちらを向いた。底無しに明るい声は、そこでぶつ切れた。
「……ごめん、ごめんなさい。こんな事で泣くなんておかしいわよね」
一度溢れた涙は止めようがなく、一粒、また一粒と頬を伝って落ちていく。
「私にあんたみたいな才能があったら……みんなを悲しませずにすんだかしら」
「…………っ」
ステラは返答に窮したのか、おどおどと戸惑いつつ何か言おうと口を開く。しかし紡がれる言葉はなく、開いた口は風を食むだけだ。
「セレーネさま……」
マーレとは貴族学校からの付き合いで、私を師と仰ぐ程私の魔法に憧れていた。そんな憧れの人物がこのざまでは思う事もあろうに、それでも彼女の声色は純粋な心配で満ちていた。
その優しさが、今はつらかった。期待外れの人間なんて、糾弾の果てに捨ててくれればいいのに。
「ごめん……今は一人にしてくれない?」
セレーネは、二人に背を向け、一人喧騒を後にした。
それから、セレーネは自室に籠って泣いていた。何もする気になれず、ベッドに仰向けに倒れ込んで、ただ天井を眺めていた。
これまでずっと心血を注いできた魔法も、勉学の才も、ステラには敵わない。
もし私がステラだったら、一人異国の学校に入学し、一人身分が違う中友達を作るなんて、きっと出来ない。
とりとめもない自他比較が精神を蝕む。自分は姉の様にはなれないのだと思うと、鈍い鉛の球に押し潰される様な心地がした。
行き先のない自問自答の最中、ふと窓の外に目を向けると、青かった空は夕焼けで朱く染まっていた。鬱々とした思索に駆られている間に、随分時間が経ってしまっていたらしい。暗い感情も、劣等感も、時間の経過と共に朝よりは大分ましになっていた。
上体を起こすと、ふと玄関の脇の壁に掛けてある帽子が目に入った。ウールで編まれた漆黒のそれに咲く、煌めく銀の花。ステラの笑顔が脳裏に浮かぶ。
ステラに会いに行こう。会って謝ろう。あなたの才能を僻んだこと。血が滲む様な努力の果てに勝ち取ったであろうそれを、手放しに羨んだこと。
それからその偉業を、一人の友達として、素直に褒め称えよう。
セレーネは着っぱなしだった制服のシワを伸ばし、お守り代わりに尖り帽を被って、ドアを開けた。
「気分は楽になりましたか? セレーネさま」
セレーネは厳しい音のするドアをそっと閉めた。理由は他でもない。まるでこちらが外に出ることを知っていたかの様な様子で、マーレが部屋の外に待機していたからだ。ドアのちょうど前に陣取るその様子は、たまたま通りかかったとかの言い訳で説明出来る類のものではなかった。ずっとそこで待機していたとしか思えない。それは素直に怖い。
今のは疲労か脱水か何かで見えた幻覚なのでは、と思い、もう一度ドアを開く。果たして、そこにはマーレがさっきと変わらない様子でいた。
「水持ってきましたよ。きっと飲んでないだろうと思いまして」
「あ、ありがとう」
気遣いは嬉しいが、なぜ示し合わせたようにドアの前に立っていたのかが気になるのだが。
「ね、ねぇ──」
「ステラさんのところに行くんですよね?」
泣き疲れた喉から出る声はかき消され、核心を突く質問で返される。
「え、えぇ。そうよ」
咳払いしてから答えると、革の水筒を手渡されたので、ありがたくそれに口を付ける。
「あいつはただ頑張っただけなのに、私はあいつを傷付けた。成果だけを手放しに羨んで、妬んで、それはステラが私より何倍も頑張って手に入れたものなのに。
……私はあいつに謝って、それから、“身分の差すら乗り越えるなんて、私の完敗だわ”って褒めちぎってやるの」
マーレは少し笑ってから、私の背中に優しく手を回した。
「私は、全部セレーネさまが悪いとは思いません。あなたの苦労も夢も知っているから。それでもステラさんに謝るというなら、それは私が幼い頃から尊敬してきた、貴族として気高く在ろうというセレーネさまの志そのものだと思います」
マーレは抱擁を解くと、柔らかい水球をセレーネの顔にぶつけた。温めの水温に調整されていて、存外に心地良い。
「わぷっ…………何すんのよ」
「涙の跡は乙女には似合いませんからね」
セレーネの顔をタオルで拭きながら、マーレは言う。
「……ありがと、行ってくるわ」
小さい頃何か落ち込むことがあった時は、姉様だけじゃなくてマーレもいつも慰めてくれてたっけな。
セレーネは懐かしい記憶を思い出しつつ、マーレに手を振って自室を後にした。
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