隠したものは
荷物を宿に置いたステラは、街のさらに奥へと歩を進めることをセレーネに提案した。門から入ってすぐの広場は冒険者向けの店や屋台が多く、雰囲気こそ違えど売り物の種類にそこまで差は無いことに気づいたからだ。
観光するなら、貴族向けの店が立ち並ぶエリアの方がキオンには無い物を見れるだろう、と続けると、セレーネもその理由に納得を示した。
家々の壁と石畳は夕日に染まり、青い屋根は少しづつ暗くなり始めた空に溶けている。
夜を待つ王都の街並みはとても美しくて、同時にこの景色を見られるのがこれっきりだと思うと、言いようの無い悲壮感に苛まれる。
「王都に来たのは二年ぶりかしら。昔はよく親に連れられてパーティーに来ていたわ」
通りを歩く途中、セレーネは軒を連ねる店を眺めながらそう呟いた。昔はよく来ていた──そう聞いた時、ステラは強烈な不安に襲われた。
私にとっては一回きりの特別でも、セレーネちゃんにとっては沢山ある内の一つでしかないんだ……。
そんな不安は焦燥となって、ステラの笑みを剥がしていく。
「そっか、セレーネちゃんは貴族だもんね……いや〜、私なんかのわがままに付き合わせてごめんね?」
セレーネは少し驚いた様な顔をして、暫しの間ステラの顔を見つめた。
「……あんたでも自分を卑下することってあるのね」
「ふふふ、そりゃあ私でもそういう気分になることはあるよ」
また少し、会話が途切れる。しかし、今度のセレーネは驚いて口籠ったのではなく、意図的に閉口して言葉を選んでいるように見えた。
「……貴族じゃなくて冒険者として来たのはこれが初めてよ。それに、あんたがいるならどれだけ通い慣れたとこでも騒がしくて飽きないわ」
「そっか、そう言ってもらえるなら嬉しい……かな」
いつもなら茶化されてあしらわれているのだろうが、選ばれたその言葉にどれだけ助けられただろうか。
この幸せに限りがあるのなら、それだけ一瞬一瞬を大切にしなきゃ……!
セレーネの言葉でいつも心掛けている信条を思い出したステラは、素直な感謝を伝えると、またいつものように笑うことが出来た。
「あ、あそこ入りましょう。飾りっ気はないけど良い店よ」
「うん! いこっか」
セレーネが指差した先には、派手過ぎない看板が掲げられた瀟洒な貴金属店があった。年季が入ってなお洒落た雰囲気を纏うドアを開けると、カウベルが心地良い音を響かせた。
「いらっしゃい」
店主と思しき仏頂面の男は、それだけ言って手元の本に視線を落とした。
外の喧騒が小さく聴こえる店内を暫く見て回り、ほどほどに楽しんだ上で結局何も買わずに外に出た頃、ローブの内ポケットに手を入れた。
「あれ……無いなぁ」
「どうしたの?」
「ごーめん! さっきの宿屋におさいふ忘れてきちゃったみたい。すぐ戻るから取りに行ってくるね」
「はぁ? お金なら貸したげるから……って待ちなさいよ!」
セレーネに反論の暇を与えぬまま、ステラは店のドアを勢いよく開けた。
「すぐ戻るから!」
振り向きざまにそれだけ言い残し街へ駆けていくと、セレーネの呆れる声が背後に小さく聞こえた。財布を忘れたのは勿論嘘で、行き先は事前に場所を調べておいたサリス細工専門店だった。
──バレないように早く戻らなきゃ……!
先程の貴金属店からは、宿屋までよりもサリス細工の店へ行く方が少し遠い。ステラは敢えて人気の無い通りに入り、出力を抑えた飛行魔法で行く道を飛ばした。
ガチャ。カランカラン。
セレーネが店の外に居なかったので店内に入ると、カウベルの音がまた響いた。
「はぁ……はぁ……お待たせ〜……はぁ……」
「……そこまで急がなくても良かったのに」
「えへへ……このくらい余裕余裕……ふぅ……」
ステラは平静を装いつつ、喘ぎ喘ぎ答えた。
「……さ、行こっ?」
「ええ、おじさまもありがとう」
おう、と小さく答える仏頂面の店主を背後に、ステラ達は店を出た。
「あのおじさんと何か話してたの?」
「あなたと同じ様な娘さんがいたんだって。今は他の街に嫁いじゃったそうだけど」
「ふ〜ん……私に似てってことは、元気で優しい人だったんだろうな〜」
「優しいかどうかはともかく、元気過ぎて困るぐらいだったって言ってたわよ?」
「うぐぐ……」
痛い指摘にステラは閉口し、お淑やかさでは貴族にはどう足掻いても叶わないよ〜、と心の中で嘆いた。
それから二人は、日が没してとっぷり暗くなっても王都を歩き回った。王都は宵の口でもなお明るく、通りに面した酒場には活気が絶えなかった。スイーツ店で昼間の売れ残りを買ったり、お洒落な服を探したりして、宿に戻る頃には時計の針は九時を回っていた。
二人は部屋ごとに整備された風呂に入って、馬車の長旅で凝り固まり、街歩きで疲弊した全身をゆっくりと解した。
「ねえセレーネちゃん」
「なに?」
風呂から上がって暫く寛いだ後、ステラは隣のベッドで戦利品の整理をしているセレーネに話しかけた。自身もそうだったが、セレーネは制服を脱いで持参した寝間着に着替えていた。そう見ることの無いであろう無防備な姿に、少し新鮮さを覚える。
「セレーネちゃんはさ、どうしてそんなに魔法を頑張ってるの?」
「……姉様の顔に泥を塗らないためよ。偉大な魔法使いの姉様が、胸を張って誇れるような魔法使いになるため」
セレーネは少し息を整えてから凛とした声色で、強い決意を感じさせるような口調でそう答えた。
「だからあんたには負けてられないのよ! 調子乗ってると絶対足元掬ってやるんだから! 覚悟しときなさい!」
──かと思ったら、急に猫の様に目を吊り上げて啖呵を切り始めたので、少し笑ってしまう。
「ふふふ……調子に乗ってるつもりはないんだけどなぁ?」
「……それで、そういうあんたはどうなの?」
「ん〜? ……秘密、かな」
ステラは表情が曇らない様に、努めて笑顔で言った。
セレーネちゃんは優しいから、きっとこれを言ったら私を庇ってくれる。だからこそ、知られる訳にはいかない。
「はあ? 私が言ったんだからあんたも言わなきゃ不公平でしょう」
「ふっふっふっ〜、じゃあ代わりにこんなのはどうかな? ……じゃーん!」
ステラはこれ見よがしにクローゼットへ向かい、仕舞ってあった制服を弄り、内ポケットから件の物を取り出した。
白百合を象った精緻な銀細工と、それを彩る飾り紐の蔦。髪留めよりも二回りほど大きめのそれは、学院の尖り帽を飾るにはぴったりの代物だった。
「私をグリズリーから助けてくれた時、帽子に傷が付いちゃったでしょ? そのお詫びというかお礼というか……まあ私の準備不足でこれだけお金使わせちゃって、何言ってんだーって感じなんだけど……」
「ふ〜ん……」
セレーネはステラから帽子飾りを受け取ると、ベッドから立ち上がり、帽子掛けに掛けてあった尖り帽を手に取った。肝心の傷は随分前に直されていたが、帽子の真ん中辺りにあったはずの傷跡にそって取り付ける。
「どう?」
セレーネはそれを被ると、少し照れくさそうな顔をしてステラの方に向き直った。
薄い寝間着に大きな帽子の組み合わせはアンバランスで、少しおかしくもあったが、そんなことは問題にならないほどに、ステラから見たセレーネは美しかった。
「……すっごく似合ってるよ」
ステラがそう言うと、セレーネは笑った。とてもきれいな笑顔だった。首を傾げると、窓から差す月光が反射して、銀の細工がきらきらと輝いた。
月の光は人の心を狂わせるとは魔法界では常識だが、そのせいだろうか。それとも、この秘密を隠し続けるのに、もう耐えられなかったのだろうか。ステラは自分でもわからない内に口を滑らせていた。
「私ね、夏休みの前には多分学院をやめなきゃいけないと思う」
ステラの脳裏に母親の顔がよぎる。
ステラは幼少期から、魔法使いである母親から虐待とも言える教育を受けていた。小さな身体に余る大魔法を覚えさせられ、一日の大半を魔法の修練に費やした。どれだけの事を成したとしても、母親にとってはそれが普通で、褒められることは終ぞ無かった。母親は自分の娘が、大陸一の魔法使いになれると盲信していたのだ。
「はあッ!? なんで急にそんな……っていうかせっかく入った学院を辞めるって……」
ある日ステラは、たまたま村に来ていた魔法使いに、魔術学院へ自分を紹介して貰うよう頼み込んだ。その魔法使いは人が良く、ステラの魔法の才を見るや二つ返事で引き受けたが、母親はその限りでは無かった。
きっと自分の庇護下から逃れられるのが、嫌で堪らなかったのだろう。母親がステラに提示した条件は、“学院のテストで、一度でも一位を逃したら退学にする”という子供じみたものだった。
「だから、それは正直言うと、プレゼントって言うより置き土産なんだ。私がいなくなっても、私のことを覚えていて欲しいから」
実戦ならともかく、市民が座学で貴族に勝ることなど不可能だ。あまりに教育の質が違い過ぎる。
それでもステラは、その条件がどれだけ理不尽でも、不条理だったとしても、従わざるを得なかった。従わなければ殴られる。言う通りに出来なければ身体を焼かれる。他ならず、そういうふうに教育されてきたからだった。
ステラが言い終わっても、セレーネは何も言わなかった。部屋は静寂に包まれ、部屋の外からの物音が却って大きく聞こえた。
「ごめん、気持ち悪いよね! 嫌だったら捨ててもいいから! おやすみ!」
陰鬱な空気感に耐えきれなくなったステラは、勢い良く布団を被って、もう一つのベッドとは反対を向いて瞳を閉じた。
「……気持ち悪いとは思わないわ。私だって、誰かに自分のことを覚えておいて欲しいと思うから。……おやすみなさい」
セレーネはそう呟くと、自分も静かにベッドへ入った。小さく、しかし静寂に包まれた部屋でははっきりと聞こえるその呟きに、ステラは自分の我儘が少しは許された気がして、幾分穏やかな眠りにつくことが出来たのだった。
《大地のきらめき》
王都の路地裏に居を構える小さな貴金属店。店主は無愛想だが目利きは確かで、質のいい品が揃う隠れた名店。
夏休みスペシャルということで、若干ボリューミーになっております。休みに入っても投稿ペースは恐らく変わらないので、気が向いた頃に来ていただけると嬉しい限りです。




