7. 九月二日 6フィートアンダー【2】
店に入ると、軽快な音楽が耳に飛び込んできた。
入口付近の四畳半ほどのスペースにはテーブルと椅子が一組置かれていて、そこに青い髪の若い男が座っていた。かなり身長が高いようで長い脚を投げ出している。黒いタンクトップから覗く腕は筋肉質で、カラフルなタトゥーがたくさん彫られていた。
男はちらりとこちらに顔を向けた。カラコンでもつけているのか、瞳が蛍光黄色で瞳孔が星のような形をしている。血色の悪い薄い唇にはピアスをしており、よく見ると、右の眉毛にも銀色のピアスをつけている。
(厳つい! 怖い!!)
美良乃は思わず彼から目を逸らした。
「よお、アリアじゃねーか」
「ハーイ、フェルナンド! 今日はねえ、あたしの友達の二十一歳の誕生日なのよ!」
言いながら、アリアは美良乃の肩を掴んでくいっとフェルナンドの前に押し出した。美良乃の口から思わず「あばばばば」と奇声が漏れる。
フェルナンドは口の端を引き上げて目を細める。あまり表情が変わらないが、どうやら笑っているらしい。
「へえ、ハッピーバースデー」
「あ、ありがとう」
アリアと美良乃は運転免許証をフェルナンドに見せる。彼は二人の年齢をじっくりと確認すると、美良乃の手の甲に紫色のスタンプを押してくれた。
「ようこそ、6フィートアンダーへ。いい夜を」
礼を言って奥へと進む。店内は広く、墓地の地下にあるとは思えないほど天井も高い。暖色系の照明が落ち着いた雰囲気を醸し出している。壁はレンガがむき出しになっていて、ビールの銘柄のネオンサインや額縁に入れられたセピア色の写真や絵などがたくさん飾られている。床はよく見るとフローリング風に加工したタイルだった。
入口を背に立って右側の壁にはバーカウンターがあった。壁一面に様々な種類の酒瓶がぎっしりと並べられている。カウンター内では五名ほどのバーテンダーが忙しそうに客のオーダーを取ったり、カクテルを作ったりしている。カウンターの周りにはバースツールがいくも並べられていて、その全てに客が座っていた。
店の反対側、左の壁際にはステージがあって、DJが音楽をかけている。ステージの目の前はダンスフロアになっているようだ。そこだけ照明が少し暗くなっていて、楽しそうに踊る男女で賑わっている。ダンスフロアの更に奥には二回へと続く黒い螺旋階段が見えた。
週末の夜だからか、店はかなり混雑している。アリアは人混みを掻き分けるようにしてカウンターに近づいて行った。美良乃もはぐれまいとそれに続く。
「美良乃は何にする?」
「え、よく分からないけど、あまり強くないものがあればそれがいいな」
アリアは頷いて、バーテンダーに手を振った。
「すみません! ウィッチズ・ブリューと『妖精の瞬き』一杯ずつお願いします!」
バーテンダーはにこっと笑って頷くと、手早くカクテルを作ってくれた。
アリアはグリーンスムージーのような深緑色の液体が注がれたグラスと、淡いピンク色の液体が入ったカクテルグラスを受け取ってお金を払った。
美良乃が自分の分を払おうとすると、アリアはパチッと片目を瞑った。
「バースデーガールに一杯奢らせてよ!」
「あ、ありがとう」
「はい、どうぞ。これは『妖精の瞬き』ってカクテルなのよ。アルコール初心者でも飲みやすいと思う」
受け取ったカクテルは淡いピンク色だと思っていたが、炭酸でも入っているのか、中で虹色の小さい気泡がぷくぷくと弾けていた。口に含んでみると、アルコール独特の味と、甘い花のような香りが口に広がる。嚥下した後に舌の上でパチパチ何かが弾けるような感じがした。子供の頃にこういうキャンディーを食べたことがある気がする。
アリアは腰に手を当てながらぐびぐびと深緑色の液体を飲んでいる。まるで銭湯で風呂上がりに牛乳を飲んでいる子供のようで可笑しくなった。
二人はダンスフロアの脇の壁際に設置されたファミレス席に座った。テーブルの上にはステンドグラスのペンダントライトが下がっていてお洒落だ。踊っている人たちを眺めながら、ちびちびとカクテルを舐めていると、ダンスフロアからひとりの女性が歩いてきた。
「アリア! 久しぶり!」
「ミーティア! 偶然ね!」
ミーティアはチョコレート色の肌にグレーの瞳、ピンク色の髪の毛を細かいブレードに結った綺麗な女性で、ぷっくりとした唇が艶めかしい。かなりグラマーな体型で、お尻が平べったくなりがちな日本人からすると羨ましくなるくらい、見事なお尻をしていた。思わずじっと見つめてしまう。
ミーティアは持っていたグラスをくるくると回しながら残念そうに眉尻を下げた。
「この間の儀式は行けなくって、残念だった! ちょっと人間とデートしてたもんだから」
「だからいなかったんだ? 美良乃もこの間の儀式に参加したのよ。ね、美良乃」
「うん。楽しかった」
「あら、あなたも魔女なの?」
「えっ?」
美良乃は質問の意味が分からなくて目を瞬いた。
アリアは苦笑して、「違うわよ」と代わりに答える。
「デートと言えば、あんた、前に会ったときは狼族の男とデートしてなかったっけ?」
ミーティアは大仰に溜息を吐いた。
「彼とはしっくりこなかったのよねぇ。今は人間、吸血鬼、妖精族の三人とデートしてるんだけどさ。まだ誰とも正式に付き合ってないのよね。運命の人って感じじゃなくてぇ」
「相変わらずね。ほどほどにしておかないと、誰が誰だか分からなくなりそう」
美良乃は引き攣った笑みを浮かべながら二人の話を聞いていたが、会話の内容に首を傾げた。
(狼族? 吸血鬼? 妖精?? 何を言ってるんだろう? 暗号か何かかな)
質問しようにも、アリアとミーティアは話を続けているし、話の腰を折るのも申し訳ない気がしてしまう。
しばらくぼんやりしていると、ミーティアの背後からがっしりした男が声をかけてきた。
「ようミーティア! 相変わらずいいケツしてるじゃねえか!」
酔っているのか、彼は無遠慮にミーティアのお尻を鷲掴みにした。
ミーティアの顔が瞬時に怒りに歪む。
「どこ触ってるのよ!!」
振り向きざま、ミーティアの瞳が銀色に光ったように見えた。
彼女がグラスを持っていない方の手を振り上げると、男はまるでワイヤーで吊り上げられてでもいるかのように勢いよく宙に浮かび上がった。
「えっ!?」
美良乃は思わず座席から腰を浮かせて男を見上げた。ミーティアの手の動きに合わせて、男は空中でゴロゴロと転げまわっている。まるで洗濯機の中で脱水をかけられている洗濯物のようだ。
「わ、悪かったって、やめっ、酔う、酔う!」
男が情けない声を上げると、ミーティアはフッと手を横に払った。途端に男は支えを失くしたように落下して床に尻もちをついた。
「次やったらヒキガエル変身させて、ポーションの材料にしてやるわよ!!」
ミーティアは炯々と銀色に輝く双眸で男を睨め付ける。
「おっかねえなあ。まあ、そこもそそられるんだが」
恐怖からか、興奮からか、男はぶるりと身震いした。
美良乃が瞬きをした間に、男が立っていた場所に、二本足で立っている巨大な犬が現れた。ご丁寧に男と同じ服まで着ている。
(えっ……!?)
慌てて目を擦って、まじまじと男を凝視する。何回見ても、大きな獣にしか見えない。
――カクテルに幻覚作用のあるものでも混入していたのだろうか。
どうやら、人間は驚きすぎると思考が停止するらしい。
美良乃は呆然としたまま座席に腰を下ろした。そのまま頭を抑えてテーブルに両肘をつく。何やら酷い頭痛がする。
「えーっと、美良乃、大丈夫?」
「あれ、わたし、酔ったのかな? 男の人が空中でぐるぐるして、落ちてきたら犬になってたんだけど。気のせい? 気のせいだよね! そうに決まってる、ははは……」
「あ~、気のせいじゃないわ。それと、あれは犬じゃなくて狼ね」
気まずそうなアリアの声に、美良乃は恐る恐る顔を上げた。アリアは申し訳なさそうに頭を掻いている。
「ちょっとずつ話していこうと思ったんだけどね? ここは人外――人間じゃない種族が集まるバーなの。かく言うあたしも魔女のひとり」
「――ど、どういうこと??」
人間じゃない種族とは、何のことだろうか。
アリアはグラスを置いて、美良乃の方へ身体を向けた。彼女曰く、人間にはあまり知られていないが、この世界には人間以外にも様々な種族がいて、現在に至るまで人間に紛れて生活してきたという。アメリカでは、彼らを総じて「モンスター」と呼んでいるらしい。
「有名なのが魔女だと思うんだけど。ほら、魔女狩りとかあったじゃない?」
アメリカでも十七世紀に有名な魔女裁判があったことは美良乃も知っている。魔女と言っても、魔女狩りで犠牲になったのは殆どがただの人間だったようだが、とにかく魔女を含むモンスターたちは、迫害を恐れて最近までひっそりと暮らしていたのだという。
しかし近代化が進み、非科学的なものが否定される時代になり、最近のモンスターはかなり制限の緩い生活をしているのだとか。
「人間におおっぴらにカミングアウトするモンスターも結構いるのよね。あたしはジェフに自分が魔女だって言ってないけど」
美良乃は茫然自失状態で話を聞いていたが、よく目を凝らしてみれば、バーの客の中にも頭に動物の耳が生えている者や尻尾が生えている者もいた。
思考がパンク状態で、たった今見聞きしたものが頭の中で現実と結びつかない。アルコールを摂取していることと相まって、まるで夢を見ているように感じる。
それにしても、世の中には、まだまだ美良乃の知らないことがたくさんあったようだ。
「ごめんね、混乱させて。美良乃なら、そこまで抵抗なくあたしたちを受け入れてくれるんじゃないかって思ったの」
美良乃は言葉に詰まった。確かに驚きはしたし、すんなり受け入れるまでに少し時間がかかるかもしれないが、何故かそこまで強い忌避感はない。
――他人に本当の自分を受け入れて欲しいと思う気持ちは、美良乃にもよく分かる。
「ちょっと驚いちゃったし、慣れるまで時間が必要かもしれないけど、アリアが魔女だって知っても、怖いとは思わなかったよ」
ぽつりと呟くと、アリアは嬉しそうに破顔した。
「そっか……。ありがとう、美良乃」
「わたしこそ、話してくれて、ありがとう」
何も知らない人間をここへ連れてくるには、相当勇気が必要だっただろう。美良乃になら話しても大丈夫そうだと、信用してくれたことが素直に嬉しかった。
「今日いるお客さんも、全員人外なの?」
肉体的特徴がない種族だと、ぱっと見ただけでは人間かどうか見分けがつかない。
「全員ではないわね。何人か人間もいるわよ。さっき入口で年齢確認してくれたフェルナンドいるでしょ? 彼は妖精族よ」
「えっ、あんな厳つい見た目で妖精!?」
妖精と聞くと、バレリーナのようにひらひらしたスカートを穿き、背中に蝶のような翅の生えた可愛らしい女の子をイメージしてしまうが、先ほどのフェルナンドは翅もなかったし、イメージとはかけ離れた見た目をしていた。ちなみに、あの瞳はカラコンではなく自前らしい。
アリアと話をしている間にミーティアはダンスでもしに行ったのか、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
『妖精の瞬き』も飲み終わったので、次の飲み物を買いに行こうかと話していた時だった。
パンパカパ~ン!!
大音量のファンファーレが鳴り響き、美良乃はビクリと飛び上がった。
何事かと思って首を巡らせると、バーの二階へと続く螺旋階段にスポットライトが当たったところだった。
「紳士淑女の皆様、お待たせいたしました! 今宵もあなたのハートを盗みにやって来た! 頭脳明晰、ブルーサファイアの瞳、花も恥じらうパーフェクトな吸血貴公子!! ルイ・ド・クルール・サンティアゴ~!!」
長くなってしまいましたが、まだ次回に続きます。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。