落武者の恋【8】
コートニー視点です。
『バレンタインデーの夜は色々話してくれてありがとうな。暫く連絡できなくなるけど、元気でいてくれ』
落武者が帰国したと知らされてから二日後、コートニーはつい先ほど落武者から届いた、どこかよそよそしいメッセージを読み返し、何度目か分からない溜息を吐いた。
二日前、偶然スーパーで会った美良乃に「落武者さん、バレンタインデーの翌日にあんなに慌てて帰って、残念だったね」と言われて初めて、彼がコートニーに何も言わずに帰国していたことを知って愕然とした。
「ひと言くらい、挨拶があっても良かったんじゃない……?」
落武者がニッカ―に到着する日を知ろうともしなかった自分を棚に上げて、独り言ちる。
バレンタインデーの夜、思いっきり突き放すような事を言ったのだ。彼が気分を害してしまったとしても仕方ない。どちらかと言えば、そうなるように仕向けたのはコートニー自身なのだから。
自業自得だと納得しているのに、胸が締め付けられるように痛む。自分に傷つく権利なんてないのに、我ながら勝手なものだと自嘲して、コートニーはスマホをポケットに突っ込んだ。
これでいいのだ、自分はこれまでも独りだったし、これからも独りで生きていく。これで誰にも自分の領域を侵されない、自由で気ままな生活を送ることができるではないか。せいせいする、はずだ。
何度も何度も頭の中で繰り返し自分に言い聞かせるのに、スマホの通知音が鳴る度に期待し、落武者からのメッセージではないことに落胆する自分に嫌気が差す。
(時間が経てばこの痛みも薄れていく。大丈夫、わたしは何も失ってなんかいない……。今までと何も変わらない。変わらないことを選んだのはわたしなんだから)
じくじくと痛む胸を抱えたまま、一ヶ月近く経ったある日。
「ただいま」
「おかえり、コートニー」
「おかえりなさぁい、コートニーちゃん」
「おかえり、コートニー殿」
夜に勤務を終えて帰宅し、玄関のドアを開けた途端聞こえた声に、コートニーは違和感を覚えて振り向いた。
自宅のリビングでソファに座っているアリアと、彼女の両足を膝の上に乗せて嬉しそうなダニエルがいる。それはいい。
問題は、ひとり掛けソファにどっかりと腰かけ、ビール片手にスマホをいじっている黒髪黒目、黒い翼の男がいるということだ。
「――オチ?」
「よう、コートニー殿。久しぶり」
きょとんとしているコートニーに、落武者はまるで暇だから遊びに来た隣人のような気軽さで手を振った。
「えっ!? な、何でここにいるの……?」
「何って、皆で夕飯でも一緒に食わねえかと思って」
言いながら、彼はリビングの隣のダイニングルームを指差す。ダイニングテーブルの上にはテイクアウトしてきた中華料理の箱が並んでいた。確かに、四人で食べるのに充分そうな量がある。
「皆で食べようって……」
困惑するコートニーを余所に、アリアとダニエルはいそいそとダイニングルームへ向かった。
「まあまあ、細かいことはいいじゃない。それより、早く食べましょ。冷めちゃうわ」
アリアに促され、釈然としないまま食卓につく。近所の中華料理店名物の海老チャーハンと、野菜と豚肉を炒めてとろみをつけたものを皿によそった。
「そういえば、前回は随分慌てて日本に帰国したって聞いたけど、何かあったの?」
アリアはクラブラングーンという、ワンタンの皮の中にクリームチーズ、カニカマ、小葱を混ぜたものを包んで揚げたものに手を伸ばした。半分に割るとパリっといい音がする。
「ああ、ちょっと色々あってな。その節は何も言わずに帰っちまって、失礼したなあ、皆」
落武者は慣れた手つきで箸を操り、黒いマスクを押し上げて、野菜とカシューナッツの炒め物をせっせと口元に運んでいる。彼は決してこのマスクを取らないが、コートニーも敢えて何故なのかは訊いたことはなかった。
いつもはデニムパンツにパーカーなどのカジュアルな格好なのだが、この日の彼は襟付きのブルーのシャツに、クリームイエローの蝶ネクタイをしている。
「コートニー殿も、すまなかった」
「別に、わたしは気にしてないわよ」
アリアがニヤニヤしているのが視界の端に映ったが、見なかった振りで無視を決め込む。
「オチくん、今回はどれくらい滞在する予定なのぉ?」
「ああ、飯食ったら帰る予定だ」
「えっ!?」
思わず声を上げたコートニーに、落武者はフッと目を細めた。
「明日も仕事があるからなぁ」
――だったら、何故ニッカ―にやって来たのだろう。
いくら天狗の世界を通ればそれほど時間がかからずに国を渡れるとはいえ、夕食を食べるためだけにわざわざアメリカくんだりまで来るとは思えないのだが。
(何か、企んでるのかしら……?)
これまで一ヶ月近くも音沙汰がなかったくせに、いきなり現れた本当の理由は何なのか。何度も問いただそうとしては思い直し、開いた口を閉じる。
結局、コートニーは落ち着かない気分のまま夕食を終えた。
そして本人の申告通り、落武者は食後にコーヒーを一杯飲んでから、本当に帰路についたのである。それも「じゃあ、またな」とまるで隣の家に帰るように。
「本当、何だったの……?」
暫くの間、コートニーは狐につままれたような気分で落武者が出ていった玄関ドアを眺めていた。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




