落武者の恋【7】
コートニー視点が続きます。
バーに戻り、カウンターでそれぞれ飲み物を注文すると、空いていたテーブル席に腰かける。
暫く互いに押し黙り、喧噪に耳を傾けていたが、コートニーはポツリと呟いた。
「……良かったの? キャンディーのこと。今夜お持ち帰りできたでしょ、確実に」
「おいおい、飯屋の定食じゃねえんだから、そんな気軽に持ち帰るもんじゃねえだろ。それに、某は誰彼構わず寝たいわけじゃねえ」
「……何よ。わたしには簡単にお持ち帰りされたじゃない」
落武者は飲みかけていたカクテルを吹き出しそうになって咽た。
「ゲッホゲホゲホ!! あれはっ……」
「あれは、何よ?」
落武者は目の下を赤らめたが、コートニーから視線を逸らさなかった。
「誰でも良かったわけじゃねえよ。コートニー殿だから、一晩だけでも共に過ごしてえって思ったんだ」
「……そう」
腹の奥から無視できぬ焦燥感が湧き上がって、コートニーはひっそりと息を漏らした。手に持っていたグラスを傾け、『魔法使いの夜』をゴクリと飲み込む。爽やかなベリーとミントの風味がするはずなのに、何故か今はほろ苦く感じた。
(やっぱり、オチが相手でもこんな気持ちになるのね)
世の中の多くの人は、「あなたは私にとって特別な存在である」と打ち明けられれば喜ぶだのだろう。しかしどういう訳か、コートニーの場合は抗いたくなるような圧迫感を覚えるのだ。そして相手が近しい仲であればあるほど圧が増す。この感覚は、シャツのボタンを一番上まで留めた時や、ネクタイをきつく締め過ぎた時に感じる息苦しさに似ているだろうか。
何故、自分はこんな反応をしてしまうのだろうか。
ふと脳裏に両親の顔が蘇って、気付けば勝手に口が動いていた。
「わたしの家ってね、代々医者の家系なの」
「……うん?」
落武者は突然変わった話題に若干戸惑っているようだったが、コートニーは敢えて説明せず、目線を手元のグラスに下げた。
「曾祖父も、祖父も、父も、代々そろって医者ばかり。だから当然、両親もわたしが医師になるべきだと考えていたし、子供はわたしだけだから、両親の期待が全部わたしに向いてね。子供の頃は遊ぶ暇もないほど習い事と勉強をさせられたわ」
学校の成績は常にトップでなくてはならない。ピアノとバレエも嗜んでおいた方が印象がいいが、絵画は無駄だから習う必要はない。クラスメイトは全てライバルなのだから、友達なんて必要ない。テレビはアニメやバラエティー番組ではなく、ニュースと教育番組しか観てはならない。
幼かったコートニーは両親に従順に育った。しかし、やればやるほど、彼らの要求は増すばかり。大きすぎる期待を抱き、コートニーがそれに完璧に応えてみせないと失望され、失望させた娘に憤る。
テストで99点を取ったら褒められるどころか詰られる。何故満点ではないのか。「あれだけ勉強しているのに満点が取れないのは、お前がだらけているからだ」と叱責され、更に自由時間を削られた。ネブラスカ州の単語のスペルコンテストで優勝しても褒められることはなく、「州大会など優勝して当然なのだから、次は全米の大会で優勝しろ」と次なる目標を決められる。当然、そこにコートニーの意思はない。
「父は有名な大学を卒業して医師になった、とても優秀な人なの。でも、家族には興味がなくて、子育てにも参加しなかった。そのくせわたしが優秀であることには拘るの。母は大学の教授をしているのだけれど、二人とも忙しいから、わたしのことでしょっちゅう仲たがいしていてね。でも、父は母と言い争いに発展しそうになると、逃げてしまうのよ。そんなんだから、母は余計に苛立って、わたしにきつくなるの」
毎日、見えない檻に閉じ込められているような気分だった。そしてその檻は日に日に小さくなっていくのだ。気付けば身動きが取れないほど狭くなった檻の片隅に押しやられて、ついにコートニーは息ができなくなった。
「ある日ね、ベッドから起き上がることができなくなったの。動こうとすると酷い倦怠感と頭痛がして、立っていられなくなるのよ。食欲も湧かなくなって、食べても吐いてしまうようになった。魔法も一切使えなくなって……」
両親は当初、コートニーが義務を放棄したくて体調不良を装っていると思ったようだ。無理やり部屋から引きずりだされてスクールバスに押し込まれたこともあったが、すぐに具合が悪くなり、保健室で休まなくてはならなくなった娘を迎えに来るようにと学校から連絡が入る。「お前のせいで仕事仲間に迷惑をかけた」と不機嫌な母を見て、自分はなんて不出来な子供なのだろうと己を責め、自己嫌悪に陥る悪循環。
日に日に症状は悪化して、高校へ進学するとついに学校へ行くことはおろか、勉強することもできなくなった。そうなってやっと、両親たちはコートニーの精神が限界を迎えたと理解したようだった。
『お前に期待して教育に時間も金をかけたのに、がっかりだ。出来損ないに用はない。大学へ行きたければ、自分で稼ぐか、奨学金でも得なさい。これ以上、私たちを煩わせないように』
彼らはコートニーが自分たちが思い描くような「完璧な娘」には育たなかったことに酷く失望し、彼女に落伍者の烙印を押して突き放した。娘が一番支えを必要としているときに傷口に塩を擦りこみ、これまで過剰に干渉していた娘の存在に、一切の興味を失ったのだ。
そしてそれから少しして、父親が長い間若い女性と不倫関係にあったことが発覚する。
「母は父が家にいれば大声で怒鳴りつけて罵倒するばかりでね。父もそのうち、家に寄りつかなくなって、不倫相手と一緒に住むようになったのよ。それからの母はアルコールに依存するようになった。毎晩毎晩、泥酔しては『お前が不出来なせいで、お父さんは余所に女を作ったんだ』ってクダを捲くわけ」
そんな両親に対して感じたものは、失望でも哀しみでもなく、身の内を焦がすような怒りだった。
――子供には完璧さを強要しておいて、妻子がいる身で欲望に抗うこともできずに不貞を働いた父も、娘に責任を転嫁して、アルコールに逃げることでしか己を保てない母も、自分たちのことは棚に上げて、コートニーを心理的に虐げることで心の安寧を保っていたような、理性のない動物だったのだ。
「偉そうにふんぞり返ってわたしに説教していたくせに、この人たちは何様なんだろうって思ったわ。わたしは今まで動物に支配されていたんだと思うと憤ろしくて、虚しくて、殺してやりたいとすら思った」
コートニーは自嘲に顔を歪めた。グラスに残っていたカクテルを一気に飲み干し、手の甲で口元を拭った。
「そうか……」
そう呟いたきり、落武者は暫く黙り込んでしまった。視線を伏せたままだったので、彼がどんな表情をしていたのかは分からない。
「わたしはね、本来人としてあるべきものが大きくかけているのよ。友達をつくるもの億劫なのに、ましてや恋人なんて、考えただけでゾッとする。本音を探り合うのもまどろっこしいし、デートの計画を立てたりするのも億劫。どんな会話をしたらいいかと頭を悩ませるのも面倒くさい。誰かにああしてほしい、こうしてほしいって言われると鬱陶しくてうんざ」
「いいんだ」
沈黙が妙に気まずくて、畳み掛けるように次から次へと言葉を吐き出すコートニーの手を、落武者がそっと握って遮った。その冷たくも熱くもない温度に、思わず肩から力が抜ける。
「そんな風に牽制しなくても、某はコートニー殿に『好きになってくれ』なんて言わねえよ」
コートニーはちらりと横目で落武者の顔を盗み見た。
彼の双眸はバーカウンターの後の棚に並べられているアルコールのボトルの方を向いたまま。黒曜石のような瞳が、痛いものを堪えるように僅かに眇められている。
一瞬にも数十分にも感じられた沈黙を破ったのは、落武者だった。
「……コートニー殿は、今も父ちゃんたちに対して怒っているんだな」
「えっ?」
驚きに目を瞬くコートニーに、落武者がゆっくりと視線を向けた。その瞳には探るような色はなく、ただ確信だけがあった。
「だからこそ、自分に深入りしてこようとする奴ら全員を父ちゃんたちに重ねて、わたしは二度とお前らなんかに操られたりしねえんだぞって、憤って押しやってるような気がする」
彼の言葉がストンと腑に落ちた。
「――そう、なのかもしれない」
これまで自分の生い立ちについて詳しく誰かに話したことがなかったので、第三者の目線から見た意見を言われたのはこれが初めてだった。
高校を卒業して家を出たことで両親とは縁を切り、もう過ぎたことだと思い込んでいた。
しかし、心の傷はそう簡単に癒えないのだろう。コートニーのように、己の傷に見て見ぬふりを続け、痛みをなかったことにし続けてきた場合は尚更。
コートニーは自分でも気付かぬまま、狂おしいほどの憤怒を抱えながら過ごしてきたのだ。そして、まるで活火山のように、他人に一線を越えられそうになる度にぐつぐつと煮えたぎるマグマが噴出していたのだ。
「そうか。この圧迫感は、怒りなのね」
呆然としたまま、胸に手を当てて呟いた。
年端もゆかぬ子供に過度な期待を寄せて押しつぶそうとしたくせに、彼女の精神を崩壊させたことに対しては何の罪悪感も抱かないどころか、責任を押し付けてきた恥知らずな親。頑張ったことを認めてくれず、コートニーにも人格があり、傷つく心があるのだと、終ぞ理解してくれなかった親。
理想の恋人像を押し付けて、その通りに動かないコートニーに失望し、不満をぶつけてきた過去の交際相手たちは、彼女にとって幼少期に自分を追い込み続けた親と同じ身勝手な生き物に他ならない。だからこそ、親の姿を彼らに投影して拒絶することで、自分の心の安寧を保ってきたのだ。
コートニーはくしゃりと髪をかき上げた。
「やっぱり、わたしは誰かを幸せにはできないわ」
「――そうか……」
彼はただそう呟いた。
それから二人がどう過ごしてどう別れたのか、コートニーはあまり覚えていない。
そしてその夜から一度も会うことがないまま、落武者が日本へ帰ったと美良乃から聞かされたのは、バレンタインデーから一週間後のことだった。
文字数多いのですが、ギュッと入れてしまいました 汗。毎度すみません……。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




