ひと目惚れ
美良乃と出会った頃を思い返すルイ。
ある冬の夜。寝室でベッドのヘッドボードに背を凭れながらタブレットで業務報告に目を通していたルイは、ジンジンと疲れを訴えている両目をゆっくりと瞬いた。眉間を揉みほぐしながらベッドサイドのデジタル時計に目をやると、時刻は午前二時を示していた。
(大分疲れてきたようだ。今日はここまでにしようかな)
短く嘆息して横を見やると、泊まりに来ていた美良乃がスヤスヤと眠っている。その安心しきった顔に思わず頬が緩んだ。
美良乃と正式に交際を初めて一ヶ月以上経ったが関係は順調に進んでいて、時折こうして共に夜を過ごす。ルイとしては毎晩でも一緒にいたいのだが、慎重な美良乃の性格を考えて、同棲の提案はもうしばらく控えるつもりでいる。
ルイは美良乃の黒髪を優しく梳いた。「ん」と小さい声を漏らして口をもにょもにょ動かす仕草がリスのようで、胸がキュンとした。
(出会った頃の警戒心剥き出しの野良猫みたいだった君も可愛かったけれど、少々ぎこちなくも素直に甘えてくれる君は最高に愛おしいよ、美良乃)
夏も終わりに近づいたあの日、ニッカ―に唯一存在するカフェを訪れたのは単なる偶然だった。早朝に目が覚めてしまうという、ゲーム友達の落武者曰く「老化現象」で朝五時に目が覚めてから仕事をし、息抜きにコーヒーでもと思い立った。それだけの理由だ。
カフェでお気に入りのソファに腰を下ろしてふと顔を上げると、この辺りでは見かけない黒髪の若い娘が目に飛び込んできた。彼女が醸し出す金の粒子が混ざったラピスラズリ色のオーラを見た瞬間、全身に雷に打たれたような衝撃が走った。
身体の中心が発火したように熱くなり、鼓動が速まって目が潤んだ。
(これは、一体何だ?)
軽い酩酊感にぼんやりしながらも彼女を観察する。象牙色に近い肌色に、アーモンド形の目。ニッカ―周辺で見慣れた白人よりはやや幼さを残した顔立ちをしている。この辺りに住む人間であれば、十人中九人は「大層な美人である」と評しそうな容姿は、何処か懐かしい気さえする。
――この娘が欲しい。
どうしてなのか自分でも分からないが、今すぐ彼女を攫って自分のものにしてしまいたいと本能が強く訴えかけている。
湧き上がる吸血欲に、ルイは思わず口元を抑えた。全身を駆け巡る血潮に反応するように、牙が疼いて仕方がなかった。
(何てことだ。こんなこと、二百六十年生きていて一度も経験したことがない)
ルイは人間に好まれる容姿のせいもあり、それなりに女性経験が豊富だったが、ひと目見ただけでこんなにも強い欲求が湧いたのは初めてだった。
ふらりとソファから立ち上がり、気付けば娘に声をかけていた。それが最愛の恋人である美良乃との出逢いだった。
(最初は散々な反応だったな)
自分のアプローチを省みてルイはくつりと自嘲する。
もともと女性の方から勝手に寄ってくることに慣れていたので、自分から女性を口説き落とすという経験が皆無だった。
振り返ってみると、美良乃が日本出身であるということに捉われすぎていたように思う。日本在住時に漫画で仕入れた情報を元に運命の出会いを演出しようと、トーストを作って口にくわえてみたり、サラリーマンに倣って名刺を渡してみたり。
何とか気を惹く術はないかとモンスター専用SNSで探し、「人間の男は女性に求愛のダンスを踊る」という情報を得た。証拠とばかりに女性の背後で腰をくねらせて踊るアフリカ系男性の動画がアップされていたし、日本でもバブル期に港区の某ディスコで踊り狂っていたヤングな男女がいたのを覚えていたので、早速ルイも美良乃に求愛のダンスを贈ってみた。
(あの時の美良乃の反応は『ドン引き』という言葉がピッタリだったな)
美良乃は手強かった。
大抵の女性はルイが微笑めば頬を染め、話しかければすぐに陥落していたのに、その点美良乃にはルイ最大の武器である容姿と経済力が全く通用しなかったのだから、正にルイの周りにはいなかった「おもしれー女」である。
ルイは上掛けを捲って美良乃の隣に横臥した。起こさないようにそっと顔を近づけてまろい額に唇を寄せる。
美良乃はつい先日から大学に通い始めた。講義と宿題、バイトで忙しい日々を過ごしているので、二人でゆっくり過ごせる時間はとても貴重になりつつあった。
たまに時間がある時にこっそりと大学構内を歩く美良乃を覗き見、もとい見守っているのだが、やはり彼女の容姿は人間の男にとって魅力的なようで、すれ違いざまにちらちらと視線を寄越す輩がいるのが気に食わない。
美良乃はとても真面目で誠実なので、決して浮気などするタイプではないと信じているものの、他の雄から狙われているという状況は不安に感じる。
(さて、どうしたものか。やはり一日も早く婚約、結婚と段階を進めていかなくてはならないね)
今日日の人間は結婚に対して消極的であるというし、美良乃が生まれ育った日本の平均初婚年齢は三十歳程度なので、現在二十一歳の彼女には早すぎると感じるのかもしれない。
人間は儚い生き物だ。吸血鬼である自分と比べてその寿命は遥かに短い。だからこそ、ルイは愛する人とは一秒でも長く一緒に過ごしたい。
どうやって彼女の気を変えようかと策略を巡らせていると、美良乃が寝返りを打ってルイと向き合う格好になった。そのまま首元に顔を擦りつけてくる。
(ああ……、幸せだな)
ルイは美良乃の頭頂部に何度もキスを落とした。甘い花のような匂いを胸いっぱいに吸い込むと、脳髄が痺れるような多幸感が広がっていく。
――少し気が急いていたようだ。
焦る必要はない。こうして二人で寄り添って眠ることができているだけでも幸せなことなのだから。先ずは今度のバレンタインデーに二人でどう過ごすのか計画を練ろう。
「ふふ。これから二人でたくさん思い出を作っていこうね」
ルイは小声で囁くと、温かな美良乃の身体を抱き寄せた。
「愛しているよ、僕の女神」
それに応えるように、美良乃がルイのパジャマの胸元を握った。
ルイは出会った当初、どんな気持ちで奇行に走っていたのかなと思って書きました。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




