65. 十二月二十五日 クリスマス【2】
ルイの家に着くころには既に午後七時を回っていた。普段なら夕食の時間だが、生憎と自宅と大伯父宅で二回もクリスマスディナーを食べた後なので、身体が重く感じるくらい満腹だ。
二人はルイの寝室で寛ぐことにした。暖炉の前でゆったりとソファに座り、先日一緒に買いに行ったプレゼントをルイに渡した。銀色に金のラメがアクセントになった包装紙でラッピングし、クリスマスカードも添えてある。
「ありがとうっ!」
ルイはいそいそとカードを取り出して中を読んだ。アメリカのグリーティングカードは大抵詩的なメッセージが印字されていていて、それに一言二言自分で追加して署名する場合が多い。美良乃が贈ったのも、スーパーのグリーティングカードを扱っているセクションで「恋人向け」という分類にあったものだ。
「『ルイ、メリークリスマス! 一緒にホリデーを祝えることが嬉しい。大好きだよ。これからもよろしくね。美良乃』アア~ゥ! 何て可愛らしいメッセージだろうねっ! 家宝にするよ!!」
「そんな、大げさな」
ルイは頬をバラ色に染めながら美良乃を抱き寄せ、軽くキスをした。次いで勢いよくプレゼントの包装紙を破って中のフィギュアの箱を取り出した。
日本人が初めてこの光景に遭遇したらビックリするかもしれないが、アメリカでは包装紙が破れないように丁寧に開封する習慣はなく、逆にビリビリと破くことで喜びを表現する。
「ああ、僕の日本アニメコレクションに新たな仲間が!!」
ルイはいそいそと立ち上がると、アンティークの飾り棚の扉を開けた。棚は硝子のキャビネットになっていて、中には七つの龍の球を集めている金髪の戦闘民族や十三歳で親元を離れて修行に旅立った魔女など、美良乃も知っている数々のキャラクターのフィギュアが飾ってあった。彼は「君たち、仲良くしてくれたまえ」と、その中に二つのフィギュアも並べる。
フィギュアの新入りの挨拶も終えると、クリスマス定番の映画を鑑賞した。毎年必ず放送されているものなので、内容を知り尽くしている二人は、合間にぽつぽつと話をする。
「そういえば、わたし一月からニッカ―の大学へ通うの」
ニッカ―の大学はセメスター制で、一年が二学期に分かれている。美良乃が引っ越してきたのは一学期が始まる直前だったため、入学手続きが間に合わなかったのだ。二学期からの入学に間に合うように夏の終わりから書類を揃えたり手続きをしたりして、ようやく入学準備が整った。
「ほう、それは素晴らしい。何を専攻する予定なのだい?」
「心理学を専攻したくて」
「心理学を?」
美良乃は首肯した。
「わたし、ニッカ―に来てから気付いたけれど、凄く思い込みが激しくて、自分のことを客観的に見ることができていなかったんだよね。それで長い間辛い思いをしていた」
物事の捉え方は人それぞれだが、美良乃は特にネガティブに捉えてしまう癖ができていた。まだ直面していない未来のことでも、過去の経験に紐づけて「どうせ悪い方へ向かうから」と諦めてしまったり、何かトラブルが発生すると、確証もなく原因は自分にあるのではないかと考えてしまう。
アリアに育った環境が大きく影響しているのではないかと言われた時に、色々と気付かされたことがあった。それをもっと深く掘り下げて学んでみたいのだ。
「わたしね。もし将来自分に子供ができたら、その子が自分は愛されているんだ、少しくらい短所があったって、受け入れてもらえるんだって思えるようにしてあげたいの」
「美良乃……」
ルイは美良乃の肩を抱き寄せた。少し身を屈めて、コツンと額同士を軽くぶつける。
「僕は君のその向上心をとても好ましく思う」
「ありがとう。わたしも、ルイの明るくてポジティブなところを尊敬しているよ」
「本当かい!? そんな風に言ってもらえて、凄く嬉しいよ。愛している」
彼は感極まったように、美良乃をギュッと抱きしめた。二人はチュッチュと啄むようなキスを繰り返していたが、それはやがて深いものへと変わっていった。
頭の芯が痺れたようにふわふわしてくる。
しばらくして唇を離すと、ルイの瞳に紅い欲望が燃えていた。彼は熱くて重い吐息の合間に零すように懇願してくる。
「嫌なら断ってほしい……。君の血を吸ってもいいだろうか?」
やんわりと美良乃の手首を持ち上げると、内側の血管が透けている部分に口づける。
壮絶な色気と少しひんやりとした柔らかい感触に、美良乃の肩が小さく跳ねた。どんどん鼓動が速くなり、血潮が全身を駆け巡る。
(ひいいい! 鼻血が出そう! 何でこの人こんなに色気がムンムンなの!? アリアの提案が現実のものに……!!)
頭の片隅で『プレゼントは、あ・た・し♡』というアリアの声が蘇ったのを、慌てて打ち消した。
美良乃はルイを見つめ返した。普段の柔らかな表情とは打って変わって、ギラギラした雄の顔をしている。少し緊張するが、血だけでいいのならば吸わせてあげたい。
美良乃はコクリと喉を鳴らした。
「――いいよ。できればあまり目立たないところを噛んでくれるとありがたいんだけど」
ルイは「ん」と微かに声を漏らすと、美良乃の手首に押し当てていた唇をそのまま少し下の位置まで滑らせる。それが妙にくすぐったくて、背筋がゾクゾクと震えた。
袖で隠れる位置で止まると、ルイは少しの反応も見逃すまいとするように、紅い眼差しを美良乃の顔に据えたまま、見せつけるようにねっとりと肌を舐め上げた。
あまりに扇情的な光景に、美良乃は唇を噛んで視線を逸らした。心臓が胸をぶち破って飛び出るのではないかというくらいドキドキしている。
肌に熱い吐息がかかったかと思うと、牙が腕に押し当てられる感触がした。そのまま皮膚を破って体内に侵入する。痛みはない。
――恋人はどんな表情で自分の血を啜っているのだろう
美良乃は好奇心に負けて、ちらりと横目で己の腕に吸い付くルイを見やった。彼は未だにじっくりと美良乃の様子を観察したまま、ゴクリゴクリと血を嚥下している。
特にいかがわしいことをしているわけでもないのに、何故か羞恥心を煽られる。
瞬時に顔が熱くなった美良乃を見て、ルイはフッと笑った。牙を抜くと止血のためにもう一度肌に舌を這わせ、腕から顔を離した。
彼は恍惚とした表情で緩慢に唇を舐めた。ちらりと覗いた歯は紅い血に濡れている。
「――はぁ。やはり愛しい君の血は格別だね。……ごちそうさま、美良乃」
彼の言葉はいつもより若干舌足らずに聞こえた。
「お、お粗末様でした……」
「ん……。こちらへおいで」
ルイは美良乃を抱き上げると、膝の上に横向きに座らせる。首筋に顔を埋めてうっとりと匂いを嗅がれ、美良乃は震えあがった。
「ちょっと!?」
「ふふ……。美良乃の匂いがする」
「そりゃそうでしょうよ……。ルイ、まさか酔っ払ってるの?」
「吸血鬼は愛しい者の血に酔うからね。今は緊急事態でも戦闘中で気が昂っているわけでもないから、ほろ酔いで気分がいいのだよ」
言いながらも首筋に何度も吸いついてくる。
「ああ、堪らないな……。好きだ。好きすぎて辛い」
「ルイ!? こら、強く吸うとキスマークがついちゃうでしょ!?」
「ふふ、所有印をつけて、君が僕のものだって、全世界の男どもに知らしめようじゃないか」
「何言ってるの……」
そこで美良乃はハッと目を瞠った。
(ちょっと待って。前に、ルイは吸血するとムラムラするって言ってなかったっけ?)
もしかして、いや、もしかしなくても、自分は貞操の危機に陥っているのではないだろうか。
「ルイ!? あの、わたし、まだその、何と言うか、そういう心の準備はできていないんだけど! 正気に戻って!」
ルイは美良乃の焦りなどおかまいなしだ。不埒な唇が首筋を這って、流れるように鎖骨に移動していく。
美良乃はルイの顔を押しのけようとしたが、びくともしなかった。両手でルイの頬を摘まんで思い切り引っ張る。
ルイは我に返ったのか、ギクリと身体を硬直させた。錆びついたブリキの人形のようにぎこちなく顔を上げて美良乃を見つめる。
「――っす、すまない」
彼は慌てた様子で美良乃を抱え上げると膝から下ろし、自分の隣に座らせた。
「あまりにも美味い血だったもので。興奮して暴走したようだ」
「うん。暴走してるのは見てて分かった」
紅く光っていた瞳は普段のブルーサファイアに戻っている。ルイは気まずそうに俯いた。
「あのね、もう大人なのにって思われるかもしれないけれど、まだちょっと、そういうことには時間をかけたくて」
世の中の成人した男女は、肉体関係を持つまでもっとスムーズにいくのかもしれないが、自分はそこまで積極的に進められないのが申し訳ない。
ルイは優しく美良乃の手を握った。
「大丈夫。君が僕を受け入れてもいいと思えるまで待つさ。人には自分に合ったペースというものがあるのだから、ゆっくり進めていけばいいのだよ」
胸がキュンと締め付けられて、美良乃は吐息を漏らした。
美良乃の意思を尊重してくれるのが嬉しい。
――色々と面倒くさくて厄介な性分の自分を受け入れて、優しく包み込んでくれる人。
(わたし、気付かない間に、理想の人に巡り会っていたんだな)
美良乃はルイの肩に頬を擦り寄せた。
「あの日、カフェでわたしを見つけてくれてありがとう、ルイ」
「美良乃……」
「大好きだよ」
「僕も、愛している」
二人は軽いキスを交わすと、テレビの画面に視線を戻した。
いつの間にか観ていた映画は終わって別のものになっていたけれど、ルイとなら何を観ても楽しめる、そんな気がした。
次回本編最終話です。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




