62. 十二月十八日 想定外の男、塁毒規則三亭顎【1】
プレゼントを買いにオマハへ行く前に、寄りたいところがあるというルイ。
「……えっと、どういうこと?」
美良乃は展示室いっぱいに並ぶピカピカの車を呆然と眺めながら呟いた。
すぐ隣では得意気なルイが美良乃の肩を抱いて立っていて、満面の笑みを湛えた車のディーラーが、少し離れた所で揉み手をしながら二人の様子を窺っている。
「さあ美良乃、僕からのクリスマスプレゼントだよっ! どれでも好きなものを選ぶがいいっ!!」
「……何だか頭がくらくらしてきた」
美良乃は小さな溜息を吐きながら、眉間の皺を揉みほぐした。
(一体全体、どうしてこんなことになったんだろう?)
時を遡ること三十分前。
ニッカ―郊外にある美良乃の自宅まで高級スポーツカーで迎えに来たルイは、いつになく上機嫌だった。ひと目でブランド物と分かる黒いコートにロイヤルブルーのマフラーを巻き、デニムパンツにピカピカの黒い靴という出で立ちだ。
「やあ、僕の女神! 今日の君も涎が出るくらい美味そうだよ」
「ありがとう。でも、涎は垂らしてほしくないかな」
彼は玄関から出てきた美良乃に軽くキスをすると、彼女の手を颯爽と取り、車の助手席までエスコートした。シートベルトを締めてエンジンをかけると、車のスピーカーからはクリスマスソングが流れてきた。
二人で歌を口ずさみながら農道を進み、ハイウェイに行きつく。オマハへ行くには左に曲がらないといけないが、何故かルイは右に曲がり、ニッカ―の町中へ進んで行く。
「今日はオマハに行くんじゃないの?」
美良乃が不思議に思って訊ねると、ルイは口の端を持ち上げて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふふっ。実は、君に贈りたいものがあってね。これからそれを見に行きたいのだよ」
「わたしに贈りたいもの?」
「ああ、そうだともっ! 前々から君が欲しいと言っていたものだよ。おっと!! これ以上はネタバレになってしまうねっ! あとは着いてからのお楽しみだよ!」
何をプレゼントされるのか見当もつかないまま、とうとう車は町の外れまで来てしまった。
(あれ? このままだと隣街に行くことになるけど、何処に行くんだろう?)
キョロキョロと辺りを見渡していると、ルイは車を販売しているディーラーの店の敷地へ車を進めた。
――何だか、嫌な予感がする。
美良乃の勘が的中し、ルイはそのまま、来客用の駐車場に車を駐めた。ルンルンと鼻歌でも歌い出しそうな様子で車を降りると、助手席のドアを開けてくれる。
「――ルイ、まさか」
美良乃が恐る恐る声をかけた時、「いらっしゃいませ!」と元気な声が聞こえ、二人は振り返った。スーツを着た恰幅のいい中年男性が近寄ってくる。
「お待ちしておりました、ミスター・サンティアゴ!」
「やあジェラルド! 電話ではどうも。今日はよろしく頼むよっ」
ルイはジェラルドと握手を交わすと、自分の名刺を渡した。例の「塁毒規則 三亭顎」という中二病のような当て字が書かれたものだ。
彼は美良乃の右手を掬うと、そのまま自分の腕につかまるように誘導し、ジェラルドの案内に従って店内へと進んだ。
「君は以前から、車が欲しいと言っていただろう?」
「確かに、言ってはいたけど」
車が欲しいかと聞かれたら、美良乃は迷わず欲しいと言うだろう。しかし、それは自分が貯めたお金で贖える程度の、身の丈に合った中古車のことだ。
アメリカでは州によっては車検というものが存在しない。ネブラスカ州もそのひとつで、いつ壊れるのか分からないようなボロボロな車が走っているのもよく見かける光景だ。
ネブラスカ州はドがつくほどの田舎で、オマハなどの大きな街に行かなければバスが通っていない。人々は車がなくては生活できないので、多少壊れていてもそれに乗らざるを得ないのだ。お金のない高校生や大学生は親が乗っていた車を譲り受けたり、中古車を買うのが基本だ。SNSや専用のアプリで個人間で売買することも多いが、今回のように車のディーラーに行って買う場合もある。
困惑したまま踏み入れた店内には、照明の光を反射してキラキラと輝く新車がずらりと展示されていた。
(まっ、眩しい!! こんな綺麗な車、傷をつけたらどうしようと思って安心して運転できないよ)
社会人になっても新車を買うことができるのは一部のお金持ちだけで、ほとんどの場合が中古車を購入するのが当たり前だ。たかだかバイトしかしていない美良乃には明らかに分不相応だ。
ルイは美良乃に新車をプレゼントしたいので、好きに選べと宣う。
人によっては何の疑問も抱かず、大喜びで恋人の好意を享受できるのだろうが、美良乃は他人が自分にお金を使うと申し訳なくなる。その金額が大きければ大きいほど、自分の立場が弱くなっていくような気がして負担に感じるのだ。
美良乃としては、ルイとはあくまで対等な関係でいたい。金銭面であろうが心理面であろうが、相手に依存しているような状態になりたくない。
「ちょっと待って、ルイ。確かにわたしは車が欲しいって言ったけど、自分で買えるくらいの中古車を買うつもりだったんだよ」
ルイは理解できないといった風に片眉を上げた。
「中古の車なんて、いつ壊れるか分からないじゃないか。自分の恋人がそんな危険なものに乗っているなんて、僕は考えただけで恐ろしいよっ!」
ルイとしては、自分は経済的に恵まれており、恋人が欲しいと言っていた車も買うことができるのだから是非とも贈りたい、喜んでもらいたいというだけで、見返りを求めているわけではないのだろう。
それは理解できるし、その気持ちはとても嬉しいのだが、数万ドルもする車など明らかに恋人へのプレゼントとしてはやり過ぎた。これではまるで、愛情を対価に金銭的援助を受ける愛人関係のようではないか。美良乃としては到底受け入れられない。
それに、例え現在二人が想い合っていても、今後別れる可能性はないとも言い切れない。その際にこんなに高額な贈り物を受け取ってしまったら、何かトラブルに発展する可能性だってある。
(ただより安いものはないっていうし。それに、わたしの性格上、『あの時車もらっちゃったし』って、引け目を感じて嫌なことにもNoって言えなくなりそう)
美良乃は途方に暮れてルイの白皙の美貌を見上げた。価値観は人それぞれで、どちらが正しいかを争っても不毛なだけだ。
(お互いの気持ちがすれ違ってる……)
ここで初めて、美良乃は自分と他との意見が対立することを異様なほど恐れていて、僅かな言い争いも避けようとする性質があること、そしてそれは育った環境が原因であることに気が付いた。
幼い頃から、母や姉は自分と美良乃の意見が食い違った際、どうして美良乃がそう思い至ったのかという理由も訊くことなく、「普通、そんな風に思う? 信じられない! 本当、あなたってちょっとおかしいわよね。絶対に、わたしの方が正しいんだから」と自分たちの意見をごり押しし、美良乃の意見をなかったことにしてきた。
そういうことが続くと、人間は傷つくことや責められることを恐れて話し合いそのものを避けるようになるらしい。実際、今までの美良乃であれば、相手が理解してくれないと察した瞬間に話し合うのすら面倒になって心を閉ざし、適当に曖昧な返事で誤魔化してその場を切り抜けた挙句、相手と距離を置いてしまっていた。
人とのコミュニケーションが苦手で逃げてばかりいた美良乃には、こんな時、どうやったら気まずい思いをしないでお互いの意見を尊重した結論を出せるのか分からない。圧倒的に経験が足りないのだ。
ルイは困ったように美良乃の瞳を覗き込んだ。
「美良乃。君が何を考えているか教えてくれないかい? 理路整然と述べる必要はない。僕はただ、君を理解したいのだよ」
美良乃は思考を巡らせた。早く何かを言わなければと焦る自分に気付いて苦笑する。
慌てる必要はない。ルイなら「何で黙っているんだ、さっさと言え」なんて急かしたりしないし、何を言っても馬鹿にしないできちんと話を聴いてくれるはずだ。
「あのね、ルイがわたしを喜ばせようとしてくれているのは本当に嬉しいんだ。でもルイがお金持ちだからって、こんな高価なものを買ってもらうのは、何だか貢がせてるみたいで嫌なの。
わたしはルイとはあくまで対等な関係でいたい。それに、ルイとわたしは付き合っているけど家族というわけではないから、ある程度の線引きは必要だと思う」
ルイは反論したり話を遮ったりせず、じっと耳を傾けてくれる。
「ふむ。君は、家族ではない僕が高価な贈り物をしたら、君もそれに見合うだけの愛情なり、奉仕なりを返さなくてはならないと感じてしまうのだろうか。そして、君にはそれがプレッシャーに感じられるということかい?」
美良乃は、家族とは金銭面も含めて互いに支え合う存在であると認識している。だからこそ、月々僅かな生活費を入れているとはいえ、成人してからも祖父母の家に住まわせてもらっていることに、そこまで良心の呵責を覚えていない。
そして、家族とは当然、夫婦も含まれる。夫が妻のために高級車を購入したとしても、特に抵抗を感じないだろう。
「そういうことなんだと思う」
「なるほど。君の気持ちは分かった。ただ僕としては、せっかく君が頑張って貯めたお金を、いつ壊れるとも分からない車を購入することに充ててしまうのはもったいないと思うし、できれば安心できる車に乗ってほしい。しかしながら、僕としても気持ちを一方的に押し付けて、君に喜ばれない贈り物をするのは不本意だ」
「うん」
「では、二人の意見の間を取らないかい? 僕は君に安心できる車を贈りたい。君は僕に新車を買うような金額の散財をさせたくない。ならば、僕も君も納得できるグレードの車を贈るというのはどうだろうか?」
美良乃は暫く考え込んだ。上手く丸め込まれているような気もしなくないが、新車ではなく、自分の身の丈に合った車であれば、そこまで受け取るのに抵抗を覚えないだろう。
「分かった。それでいい。……ありがとう、ルイ」
素直に新車をもらっておけばいいのに、ごちゃごちゃと反論して可愛くない女だと自分でも思うが、これが美良乃の性分なのだ。それに対して、ルイは面倒くさがるでもなく、きちんと美良乃の意見を聴いた上で提案をしてくれたのが嬉しかった。
二人のやり取りを見ていたジェラルドは少しだけ落胆したような顔をしたが、すぐに外に並んでいる中古車のところまで案内してくれた。
二人はじっくり車を見て回り、何台かの試し乗りを経て、十三年前に製造されたSUVタイプの車に決めた。新車でないとはいえ、7600ドルもの大金をポンと払えるルイが凄い。
(いやいやいや、初めてのクリスマスプレゼントに7600ドルって……。金銭感覚バグってるでしょ)
ルイが鼻歌混じりに購入手続きを済ませている間、美良乃は隣に座り、やはり断るべきだったかと冷や汗をかいたのだった。
次回に続きます。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




