60. 十二月十日 命長し、恋せよモンスター【2】
「ハーイ、フェルナンド」
「よお、さっきぶり。どうしたんだ?」
入店した際にフェルナンドとは軽く会話を交わしている。
「ルイが挨拶回りに出たから、バーで待ってようと思ったんだけど、独りだと心配だって言うから。フェルナンドといればルイも安心かなって」
「ルイは過保護だな。まあ、分からなくもねえが」
美良乃はフェルナンドが使っているテーブルの上にチキンウィングを載せた。彼にも勧めてみたが、勤務中だからと遠慮された。
もぐもぐとチキンウィングを食べながら、ふとフェルナンドの顔を見ると、リンクスが彼の頬まで散歩に来ていた。美良乃を見るなり、嬉しそうに目を細めて髭をそよがせる。
「リンクス! 元気になったみたいで、良かった」
カサンドラの襲撃の翌日、美良乃は借りていたタトゥーのリンクスをフェルナンドに返した。あの時はかなり弱っていたようだが、どうやら主の魔力を浴びて散歩に出られるまで回復したようだ。
「こらリンクス。勝手に顔に出てくるんじゃねえよ。……こいつはどうしてもあんたに会いたかったようだぜ、美良乃」
「ええ、本当?」
フェルナンドから命令を受けていたとはいえ、身を挺して美良乃を護ってくれたリンクスには感謝しかない。
――何と健気なタトゥーだろう。
「あんなに危ない目にあったのに、まだわたしを慕ってくれるんだ? ……何だか涙が出てきた」
美良乃は昔から、子供や動物に弱い。すぐに感動して涙が出てしまうのだ。
リンクスはひとしきり美良乃を観察して満足したのか、フェルナンドの喉を通って身体の方へと去って行った。タトゥーが温度を感じるかは謎だが、もしかしたら服に覆われていない頬は寒かったのかもしれない。
元々口数の多くない美良乃とフェルナンドはすぐに話題が尽きてしまう。暫く無言のまま、ぼんやりとバーで楽し気に過ごすシニアたちを見ていると、ふと疑問が湧いてきた。
「そういえば、妖精族ってどれくらい長生きするの?」
「種類にもよるが、俺の一族は千年以上生きる奴が多いな」
「千年!? ……何だか想像もできないほど長い一生なんだね」
フェルナンドは六百歳以上だと言っていたから、少なくともあと四百年くらいは生きるようだ。何でも、妖精族は青年期が非常に長いらしい。成人するまでは人間と同じ速度で肉体も成長し、ずっと若い姿のままなのだとか。その後百年程かけて徐々に老化が進み、やがて死を迎えるのだという。
「何だか、そんなに長生きだと時間を潰すのが大変そうだね」
美良乃など、長期休暇のたびにやることがなくて途方に暮れたものだ。それが千年も続くと気が狂いそうである。
「ああ。妖精族に限らず、長命種にはまっとうな人生に飽きる奴が少なくない。刺激を求めて人間をけしかけて争いを起こさせてみたり、反対に自分の趣味に没頭してとんでもない研究結果を出す奴もいる。要するに両極端なんだな」
「ええぇ。暇つぶしに人間を巻き込まないでほしいんだけど」
フェルナンドは肩を竦めた。
「今の時代は、人間社会と共存していこうって奴の方が多いさ。心配するな」
フェルナンドと雑談しているうちに、出入口付近で身体が冷えたのか、段々と下腹部が痛くなってきた。事務室に置いてある荷物の中に薬湯を入れた水筒があるので、すぐにでも飲んだ方がいいだろう。念のため、消臭剤も吹きかけておきたい。
美良乃はフェルナンドに礼を言ってバーへ戻った。人混みを掻き分けていくうちに、段々と痛みが強くなって、顔から血の気が引いてくる。
(ああ、まずい。貧血かも)
視界がチカチカしてきて、歩くのがやっとだった。
「美良乃!?」
美良乃の異変に気付いたのか、ルイの声がした。視線を上げると、彼はこちらに来ようとして、十メートル程手前で身体を強張らせ、不自然に立ち止まった。
彼は臭いものでも嗅いだように鼻に皺を寄た。一瞬でブルーサファイアの瞳が紅く変化し、彼は慌てたように片手で口を押さえた。
(もしかして、血の匂いに気付いた……?)
恥ずかしいやら情けないやらで、更に具合が悪くなってくる。ふらついたところを、駆け寄ってきたルイに抱きとめられた。
「うっ……。美良乃、事務室まで我慢しておくれ」
ルイは何かを堪えるように顔を背けた。額にうっすら汗が滲んでいる。
彼は美良乃の膝裏を掬うと横抱きにし、かなりの速さで螺旋階段を駆け上がった。
事務室へ入ると来客用のソファに美良乃を横たえ、彼は急いで距離を取った。何かを探しているのか、備品の入っている戸棚をガサガサと漁りだす。
(ああ、耳鳴りまでしてきた。早く薬湯を飲まないと)
美良乃は何とか荷物を取ろうとしたが、上体を起こすだけでも辛い。
「美良乃! 僕がやるから、何が必要か言ってくれ。シュコー」
視線を上げると、ルイは黒いガスマスクのようなものを装着していた。呼吸するたびにシュコーと音がして、某SF映画の悪役のようだ。今にも「私がお前の父親だ」と言い出しそうである。
美良乃は少々面食らいながらも、床の上に置かれた自身のバッグを指差す。
「ごめん、あれを取ってくれない? 中に薬湯と消臭剤が入ってて」
「お安い御用だよ! シュコー」
ルイは荷物を手渡してくれる。美良乃が中の水筒を取り出すと、彼はそれをそっと取り上げ、薬湯をコップに注いで美良乃の口元に持ってきた。
「飲めるかい? シュコー」
「うん、自分で飲める。ありがとう」
不味い、もとい、健康に良さそうな味の薬湯を飲み干していると、ルイは何処からかブランケットを持ってきて、いそいそと美良乃にかけた。
「ごめん、臭いんだろうね、わたし」
「いや、全く。むしろ理性が吹っ飛びそうな匂いなのだよ。君が苦しんでいるのに、反応してしまって申し訳ないね。シュコー」
デニムパンツの上から消臭剤をたっぷりとかけると、安心して力が抜けた。
ぐったりとソファに身を委ねると、ルイは優しく腰を摩ってくれる。どうやらもう臭わないらしく、彼はガスマスクを外した。
「ごめんね、仕事中なのに。少し寝てれば大丈夫だから、下に戻って?」
ルイは強く首を横に振った。
「とんでもない! 具合の悪い君を放置して行くなんてできないよ。それに、ちょうど挨拶回りは終わったところだから、気にしないでおくれ」
ルイの優しさがじんわりと胸に沁みる。
「何かしてほしいことはあるかい?」
「……手を握っていてもいい?」
「もちろんだとも、僕の子リスちゃん」
手を伸ばすと、大きな手で包み込んでくれる。ルイの手はいつも通り、少し冷たくて筋張っていた。
薬湯が効いてきたのか、次第に痛みが治まってくる。
ルイが小声で「平常心、平常心」と繰り返し呟いていたようだが、瞼が重くなってきて、それが何を意味するのか考えることができない。
(あったかい……。安心する……)
ふわふわした気持ちのまま、美良乃は目を閉じた。
目覚めると、先ほどまでの不調が嘘のように、気分がスッキリとしていた。どうやら三十分程眠っていたようだが、その間もルイはずっと付き添ってくれていたらしい。
「体調はどうだい?」
「もう大丈夫。手を握っていてくれてありがとう」
「僕の方こそ、そばにいさせてくれてありがとう。君の寝顔をじっくり見ることもできて、僕も役得だったよ♡」
ルイはパチンと片目を瞑る。美良乃に気を遣わせまいとしてくれているのだろう。
(ああ、ルイのこういうところが、好きだなあ)
これが美良乃の家族だったら、「どうして早めに薬を飲んでおかなかったのか」とか「具合が悪いなら家に居ればよかったのに」などと責めてくるだろうに。
「……大好きだよ、ルイ」
気持ちは言葉と態度で表現しないと伝わらないと、美良乃は身をもって知っている。
照れくさいながらも素直に口に出すと、ルイは急に真顔になって首を傾げた。
「……今、襲ってくれって言ったかい?」
「いや、言ってないけど」
「いかん、願望が幻聴を引き起こしたようだ。僕も愛しているよ、美良乃♡」
彼は額にチュッと口づけすると立ち上がった。
「僕は会場の様子をチェックしに行くけれど、君はもうしばらく、ここで休んでいてくれたまえ。ドアを開けておくから、不埒な輩が来たら叫ぶんだよ?」
忙しかったのに、随分彼を引き留めてしまったようだ。
「分かった。ここで大人しくしてる」
ルイがバーに戻って暫くすると、バーバラが事務室へ顔を出した。立ち上がろうとする美良乃を軽く手で制して、彼女は美良乃の向かい側のひとり掛けソファに腰を下ろす。
「お久しぶりでござーますわね。あーたが体調不良とお聞きして、こうして様子を見に伺ったざます」
「バーバラさん、こんばんは。具合はもう大丈夫です。ご心配おかけしてすみません。現実でお会いするのは初めてですね」
先ほどバーでもバーバラを見かけたが、パーティーの参加者たちと何やら盛り上がっていたので、声をかけなかったのだ。
「ええ、そうでござーますわね。もっとも、あーたの夢は美味しゅうござーますから、またお邪魔いたしますけれども」
「じゃあ、今度はルイも招いて、三人で夢でお茶会しましょうね」
美良乃がそう言うと、バーバラは金貨のような目を三日月形に細めた。
「おほほほ! ようやっとあーたを堕とせたと、ルイちゃまにお聞きしましたわよ。よろしいことでござーますわ。ルイちゃまの浮かれっぷりといったら、それはもう可愛らしいものでござーます。あたくし結婚相談所の他にブライダルサロンも経営しておりますからね、ルイちゃまとご結婚なさる際は、是非ともご贔屓に」
「いえ、まだ付き合い始めたばかりで、そんな話は」
バーバラはニタリと笑う。
「おほほほ!! あーた、吸血鬼の執着から逃れるのは至難の業でござーますわよ。あたくしの予想ではルイちゃまに押し切られて、一年以内に結婚式を迎えているはずざます」
美良乃は口の端を引きつらせた。何やら恐ろしいことを聞いた気がする。流石に二十代前半で結婚は早すぎると思う。もう少し人生経験を積んでから家庭を持ちたい。
「ところで、バーバラさん、いい出会いはありましたか? さっき素敵な方とお話されてるのを見かけましたけど」
「ええ、何人かの見目麗しい殿方に狙いを定めたところでござーます。あたくしも恋の狩人でござーますから、狙った獲物は確実に射止めるざます」
言いながら、矢を射る仕草をするのが勇ましい。
「か、狩人。かっこいい。素敵な恋人ができるといいですね」
「ありがとうござーます。恋は女性を美しくしますからね。あたくしはいつだって、恋をしていたいんざます」
そう言って悠然と微笑むバーバラはとても輝いて見えた。恋にしろ、推しにしろ、何か夢中になれるものがあると、人はとても生き生きするものなのだろう。
バーバラに比べて、人間である美良乃の一生などあっという間だ。美良乃の性格上、恋愛に生きる目的は見いだせないけれど、何か他に打ち込めることならあるはずだ。
(わたしも、最期の瞬間まで『充実した人生だった』って言えるように、頑張ろう)
階下から聞こえてくる陽気な音楽と楽し気な喧噪に、美良乃は明るい未来を思い描いたのだった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




