5. 八月三十一日 満月の儀式
『今日は満月だから、友達の家の庭でパーティーをやるんだけど、美良乃も来ない?』
その日の昼過ぎ、アリアから送られてきたメッセージに、美良乃は戦慄した。
バイトも決まり、晴れ晴れとした気分でクローイーと食後のお茶を飲んでいた時にスマホの通知音が鳴ったので、確認してみたら外出の誘いだったのだ。
アリアとは大伯父の家で出会って以来、たまにメッセージのやりとりはしていたが、直接会ってはいなかった。
(でた、パーティー。アリアの友達って、会ったことないんだよね)
つまりは、アリア以外は全員初対面の他人である。日本にいたら光の速さで断っていた案件だろう。
(絶対疲れるやつだ。……でも、もしかしたら気が合う人と出会えるかもしれないし)
美良乃はリビングの窓際に置いたオットマンの上に腰かけながら思案した。
『満月だから』とあるが、満月に何か特別な催しでもあっただろうか。考えてみてもこれといったイベントは思いつかない。
満月を見るのは好きだ。日本にいたときも、よく独りぼっちで自室の窓際からぼんやりと月を眺めていた。月の品のある美しさが好きだったし、世界のどこかで自分と同じように月を見上げている人がいるかもしれないと考えると、少しだけ孤独が癒された。
アリアと会うのはいい。彼女は気さくで、美良乃にもぽんぽん話題を振ってくれるので、話しやすい。問題は、友達の家に到着した後、アリアが誰かと話しに行ったり、トイレに行ってしまったりして独りになった時だ。歪な笑みを浮かべて壁の花と化している自分を容易に想像できる。
(でも、せっかく誘ってくれたし、もしかしたら楽しいかもしれないし……。今回行ってつまらなかったら、次回から断ればいいか)
自分を納得させ、震える手で「行きたい」と返事を打つ。
すぐさま夜の九時に迎えに行くと返信があった。
「『了解』送信っと……。はあ~、緊張する。お腹痛くなってきた」
九時を少し過ぎてから迎えにきたアリアの車に乗って、舗装されていない畦道を十五分ほど走ると、トウモロコシ畑の真中に一軒の家があった。おそらく美良乃の祖父チャドと同じく農業を生業としている家なのだろう。
家は平屋で白い外壁と黒っぽい屋根の可愛らしい雰囲気だった。玄関の周りにホームセンターでよく見かけるおどけた小人の置物が置いてある。
庭は四十坪程度の家が十件は建ちそうなほど広大だった。真ん中に大きな焚火があり、それを囲むようにガーデンチェアが並べられている。既に何人か座っておしゃべりしていた。
「アリア! 待ってたよ!」
その中の一人がこちらに向かって手を振った。
「ごめん、今日バイトだったのよ。友達を連れてきたの! 皆、美良乃よ」
「ようこそ満月の儀式へ! 歓迎するよ美良乃!」
「よ、よろしく」
促されるまま、焚火のそばのに座った。何だか煙に混ざってハーブのような匂いがしたので、一瞬ぎくりと硬直したが、お香の匂いだと分かってホッとする。
集まっていたのは二十代から三十代くらいの人たちで、やや女性が多い。
アリアが隣に座った人と何やら楽し気に話している間、美良乃はぎこちない笑みを浮かべながらじっと焚火を見つめていた。
「皆、揃った? じゃあ、儀式を始めましょうか」
焚火の反対側に座っていた大柄な女性が立ち上がって皆を見渡す。
(――ん?? 今、儀式って言った?)
困惑してアリアを見ると、彼女は小声で「大丈夫、歌って踊ったりするだけよ」と笑う。
アリアが足元に描かれた白い円の外側に立ったので、美良乃もそれに従う。目を凝らして見ると、円の中には複雑な模様が描かれ、その中心に焚火があるようだった。
「では、歌いましょう」
皆が一斉に空を仰ぎながら両手を突き上げた。
(えっ? えっ?? 変な宗教とかじゃないよね?)
恐る恐る両腕を上げながら、キョロキョロと周囲を見渡す。
美良乃の動揺もよそに、皆は英語とは違う言語で歌を歌い出した。じっと目を閉じて両腕を突き上げたまま真剣に歌う者、腕を上げながらも楽し気に踊る者、様々だった。
どうしていいか分からず、両腕を上げたまま硬直していると、ボッという音を立てて焚火の炎が緑色に変わった。火に何かを入れると化学反応で色が変わると聞いたことがあるが、それだろうか。
目を見開いて凝視していると、焚火の周りに描かれた円が仄かに光を帯び始める。
(何、何なの!? 蛍光塗料か何か!?)
しばらくすると、目の前を小さな黄色い光が横切ったのに気が付いた。この辺りでは夏に蛍が出るので、あまり気にも留めなかったのだが、段々と光の数が増えていくではないか。しかも、赤、青、緑、黄、色とりどりだ。
月光の下の緑色の焚火。淡く輝く不思議な円。満天の星空のように輝く無数の小さな光。
(何て、綺麗なの……!)
余りに幻想的な景色に、胸が高鳴った。辺りを見渡し、感嘆の息を吐く。
「どう、綺麗でしょ?」
アリアに声をかけられてハッと我に返る。彼女はもう腕を下ろしてガーデンチェアに腰かけていたので、美良乃も慌ててそれに倣った。
「うん、すごく綺麗! これって、プロジェクションマッピングか何か? それとも蛍かな?」
「ふふっ。さあ? 魔法かもしれないわよ? 満月は魔力が最も高まるからね」
アリアはにんまりと笑う。美良乃もつられて笑った。
「そうだね。本当、魔法みたいに綺麗」
アリアは立ち上がると家の方からレモネードを持ってきてくれた。甘酸っぱくて美味しい。蜂蜜を使っているようだ。
「満月の夜はこうして仲間で集まって、月光浴をしたり、踊ったりして過ごすのよ」
――知らない人と話すのは緊張するけど、こんな夜も悪くはない。
「アリア、連れてきてくれてありがとう」
「そう言ってくれて良かったわ。また一緒に来ようね」
「うん」
美良乃は夜空で輝く月を見上げる。
――今この瞬間も、世界の何処かで月を見上げている人がいるのだろうか。
その人の隣にも誰かがいればいいな、と思った。
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