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美良乃のモンスター交流日記 ~墓石の下には人外が集まるバーがありました~  作者: 柏井猫好
本編

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56.  十二月二日 それでも、君がいい【3】

サンティアゴ伯爵邸にお泊り。続きです。

※ルイ視点です。

 規則正しい美良乃(みらの)の呼吸音が聞こえてきて、ルイはフッと頬を緩ませた。


(怯えていたようだが、どうやら眠ったようだ。良かった)


 誘拐された挙句に暴力を振るわれたのだ。それに超高速で動いていたとはいえ、ルイとカサンドラの対決も目撃している。戦いとは無縁の生活を送っていた彼女の心の傷になっても何ら不思議ではない。


 書類の整理にひと段落をつけて、暖炉の火の始末をする。ブランケットと枕を持ち込んでソファに身体を横たえた。


 意識しているわけではないのに、数時間前の戦闘シーンが脳裏に蘇ってくる様は(さなが)ら映画のようだ。美良乃を客室に案内した後に入浴して多少は落ち着いたとはいえ、やはり気が昂っているのだろうか。疲れているはずなのに目がさえてしまう。


 同じ空間に美良乃が無防備に横たわっているという事実もまた、眠りが訪れない一因となっている。

 暗がりの中、ルイは寝返りを打って天井を見上げた。


(それにしても、カサンドラは本当にしつこい女だった)


 カサンドラが人間を襲撃するのは、ルイが知っているだけでも二回目だ。一回目は自警団が設立される前だったため、前科はつけられていないが、今回の事件を裁く際に確実に考慮に入れられる。


 複数回人間を襲った吸血鬼の末路は悲惨なものだ。両方の牙を抜かれた上、他の動物――美良乃が聞いたら発狂しそうだが、魔女の大好きなカエルあたり――に姿を変えられて放逐される。刑罰で科す魔女の呪は強力で、一生元の姿に戻ることは叶わない。


(実に愚かだね。他の州で大人しくしていれば、吸血鬼の姿だけは保っていられたものを)


 ルイは小さな嗤いを漏らした。


 ――大切な女性を二人も巻き込んだ罰にしては、あまりにも軽いけれど。


 世が世であれば、ルイ直々に息の根を止めてやりたいところだが、生憎と時代がそれを許さない。モンスターは人間と波風を立てずに共存していなかければならないのだ。


 ルイはふと、昔の恋人の顔を思い浮かべた。


 空のように青く澄んだ瞳、緩やかなウェーブを描く濃い金色の髪。彼女の姿や匂いは昨日のことのように鮮明に思い出せるのに、人の記憶とは声から失われていくという説の通り、今はもう、名前を呼んでくれた甘い声も、楽しそうに笑った声も思い出の中に埋もれてしまった。


(ビルギッタ……。最後に君を見たのは、もう八十年近く前のことだったか)


 人間とは儚い生き物だ。当時二十代半ばだったビルギッタは、既にこの世を去っているか、生きていたとしても百歳以上になっている。 


 ルイと別れてから、かつての恋人は隣のアイオワ州に居を移し、後に人間の男と結婚したと人伝に聞いた。それ以降のことは分からないけれど、彼女の人生が穏やかで、幸せに満ちたものであったことを願う。


 ルイはベッドで安らかに眠っている美良乃に視線をやった。人間と違って夜目がきく吸血鬼には、暗がりの中でもその安心しきった姿を捉えることができる。それが自分を信頼し心を許してくれている証だと思うと、愛しさが溢れて胸がキュッと締め付けられた。


(君の信頼を、僕は決して裏切るまい。だからどうか、僕の手の中に堕ちてきておくれ)


 己の身勝手さに、ルイはギリッと拳を握りしめた。自分のせいで大切な人を面倒ごとに巻き込んでしまうのに、どうしても手放してやることができない。ルイにはもう、美良乃のいない生活は考えられないのだ。


 美味そうだから愛おしい。愛おしいからこそ、その首筋に牙を突き立てて、香しい生き血を啜りたいという欲に抗えない。愛情が増せば増すほど、渇きと執着が強くなっていく。


 ――既に、後戻りすることも考えられないほど、どっぷりと美良乃に溺れている。


 かつて自分は聞き分けのいいふりをして恋を手放した。しかし、例え彼女を苦しめることになったとしても、今回ばかりは諦めない。


(諦めたら試合終了だと、()()()()も仰っていたではないか!!)


 頭の中でバスケットボールを題材にした有名漫画の某先生を思い浮かべて合掌した。


 ニッカ―のカフェで彼女をひと目見たあの時から、本能が訴えかけている。ただ狂おしいほどに、あの娘が欲しいと。

 気が強いくせに恥ずかしがりなところが可愛いとか、真面目で堅物なところが愛おしいとか、胸キュンポイントはいくらでの羅列できるが、理由も理屈もどうでもいい。彼女を愛している。愛しているからこそ、手に入れたいのだ。


 カサンドラのしたことには業腹だが、美良乃の心が不安定な今こそ、彼女を射止める絶好のチャンスだ。

 人間は恐怖や不安を感じている時に、そばにいる者に恋愛感情を抱きやすくなるらしい。その吊り橋効果を利用して、今後更に美良乃との距離を縮めるつもりだ。所詮ルイは吸血鬼。魔に属する人ならざる者だ。物語に出てくる白馬に乗った王子様のように正々堂々と愛を勝ち取るつもりは微塵もない。この飢えにも似た感情がきれいごとで片付けられるようなものではないことは、ルイが一番よく分かっている。卑怯と罵られようとも、姑息と謗られようとも、彼女の心も身体も血も必ず手に入れてみせる。


 耳がすすり泣く声を拾って、ルイは現実に意識を引き戻された。


 上体を起こしてベッドを見やると、美良乃がうなされていた。固く閉じられた瞼からは滂沱の涙が溢れ、柔らかそうな頬を滑って枕を濡らしている。


「やめて……。い、や……たすけ……ル、ルイ!」


 ルイはソファから勢いよく立ち上がると美良乃に駆け寄った。ベッドの脇に膝をつき、壊れものを扱うように、そっと頭を撫でてやる。


「僕はここにいるよ、美良乃」


 汗でしっとりと湿ったまろい額に口づけると、眉間に刻まれていた深い皺が薄くなる。

 子供をあやすようにポンポンと肩を叩いてやると、美良乃がうっすらと目を開けた。


「――ん、ルイ?」

「ああ、僕だよ。ルイだ」

「……わたし、夢を……?」

「かわいそうに、うなされていたね。怖い夢でもみたのだろう」


 ルイはベッド脇のランプを点灯した。美良乃は眩しそうに顔を顰めたが、何度か瞬きを繰り返すと目が慣れたのか、視線をルイに向けた。


 涙で濡れた頬を指で拭ってやると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。


「僕がいる。何も心配いらないよ」


 美良乃はじっとルイの顔を凝視していたが、みるみるうちに両目が涙で溢れてしまう。彼女は感極まったようにルイの首に腕を回して自分の方へ引き寄せた。


 ルイは誘われるまま美良乃の首筋に顔を埋める。彼女の発する花の蜜のような甘い匂いと肌から伝わる体温に、身体の奥に火がともったように熱くなった。

 湧き上がる吸血欲を必死に押しとどめながら、彼は美良乃の背中に腕を差し入れると柔らかな身体を掻き抱いた。首筋に、頬に、何度もキスを落とす。


「ごめん、ごめんよ、美良乃」

「ど、して?」


 掠れる声で、彼女は何故謝るのかと問う。


「僕のせいで君を二度も危険に晒してしまった。本当であれば、君のためにも僕は身を引くべきなのだろう。けれど、ごめんよ。それでも僕は君がいい。――君のことが、欲しくて欲しくて、堪らないんだ」


 驚いたように見開かれた瞳の奥の感情を知るのが怖くて、ルイは噛みつくように美良乃の唇を貪った。薄く開いた唇の隙間から舌をねじ込み、戸惑うように縮こまっている彼女の舌を優しく撫で、吸い上げる。

 

 美良乃の肩がビクリと跳ねたが、気付かないふりを装った。


 深い口づけを繰り返しているうちに羞恥が限界に達したのか、美良乃はルイの両肩を押し返した。


「ちょっ……、お手柔らかにって、言ったのにっ……!」


 茹蛸のように真っ赤になりながらも、美良乃はルイを睨め付けた。身体に灯った熱が一気に膨れ上がる。


「はぁ……。あまり可愛い反応をされると、自分を抑えることができなくなるのだけれど」


「何の話なの……」


 美良乃はベッドの上で上半身を起こし、顔を伏せながらもルイに向き直った。

 彼女は暫く何かを考えるように指で上掛けを摘まんで弄んでいたが、やがて決心したように顔を上げた。


「あのね。わたし、ルイとこのままデートし続けていいのかなって、悩んでいたの」


 ルイはショックで息を呑んだ。


 モンスターショーを観に行った日あたりから、美良乃が何か思い悩んでいるのには気付いていた。しかしカサンドラの襲撃や美良乃の家族が訪米したこともあって、深く追求できずにいた。――いや、どさくさに紛れて有耶無耶にしたと言うべきか。


「ルイはいつも女の人に囲まれているし、出会いも多いから、いつかわたしのことなんて飽きちゃうんじゃないかって思った。短期間しか続かない関係なら時間の無駄だし、何も始めない方がいいんじゃないかって」


「美良乃……」


 ルイは縋るように美良乃の手を両手で握った。

 美良乃は自嘲するように笑う。


「それにね。カサンドラがわたしのことを『堕としやすそう』って言った時に、ああ、わたしって吸血鬼にとってはチョロい女で、だからこそルイはわたしの血が目的で言い寄ってきたのかなって」


「そんなことは」


 美良乃はルイの言葉を遮るように首を振った。


「そう思ってしまうのは、結局ルイを信じられないというより、自分の価値を信じられないってことなんだと思う。いくらルイが言葉や態度で気持ちを示してくれても、どうせわたしなんかって、卑屈になって逃げてしまう。――傷つくのが怖いから」


 美良乃は空いている方の手をルイの手に重ねる。


「でも、ルイはわたしのことを守ろうとしてくれた。アリアやフェルナンドに頼んで対策を講じてくれたし、今日も助けに来てくれた。ルイがわたしのことを大事に思ってくれてるっていう事実から目を背けるのは誠実じゃない。わたしもルイを大事にしたい。傷つきたくないから、突き放して逃げるなんてことは、したくないの」


「美良乃……」


「わたしは、歪な愛情の中で育った。お互いに貶め合うのが日常だった家庭出身のわたしじゃ、誰かを真直ぐに愛することはできないのかもしれない。でも、わたしは育った環境を言い訳にして諦めたくはない」


 美良乃は力強い視線を送ってくる。彼女はどうしようもなく不器用だが、どこまでも真直ぐで誠実で、己と向き合う強さを持っている。


(ああ……、好きだな……)


 後から後から気持ちがこみ上げてきて、溢れてしまいそう。


 ルイは床についていた両膝のうち、片方を立てて跪き、美良乃の右手を取って恭しく指先に口づけた。


「美良乃。僕以外にデートしている相手はいるかい?」


 突然の話題変更に戸惑ったのか、美良乃は一瞬ポカンとしたが、すぐさま首を横に振った。


「わたしは何人も同時進行できるほど器用でも、社交的でもないよ」

「ふふっ。そうか。――僕も、君以外に会っている人はいない」

「そうなんだ……?」


「君さえよければ、僕は、この関係をもう一歩先へ進めたいと思っているんだ」


 美良乃は眼球が転げ落ちるのではないかというくらい、大きく目を見開いた。


 その瞬間。彼女の身体の内側から鮮やかな赤い色が滲み出てきて、ピンクとラピスラズリのオーラに更なるグラデーションが加わる。


 ――ああ、何て美しい。


 それは、より一層深まった恋の色。


 ルイは歓喜に打ち震えた。美良乃をそっと腕の中に抱きしめる。


「君を独占する権利を僕に与えてくれないか?」

また長くなって申し訳ないです。次回から美良乃視点に戻るので詰め込みました。

誤字脱字は見つけ次第修正していきます。

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