4. 八月二十六日 「普通」じゃない
※今回かなり重いです。シリアスが苦手な方はスキップしてください。
「時差ボケはもう治ったの? おばあちゃんたちは元気にしている?」
タブレットの画面に映る母に向かって、美良乃は手を振った。アメリカに到着してからもメッセージのやり取りはしているが、ビデオ通話をしたのは今日が初めてだ。
画面には美良乃の二歳年上の姉も映っていた。母と姉は東京で同居している。
美良乃はこちらへ来てからのことをぽつぽつと話しだした。
「――でね、結構いい雰囲気のカフェを見つけたんだけど、変な人に絡まれちゃって」
カフェで話しかけてきたルイは美良乃の中で強烈な印象を残していた。当分あのカフェには近寄らない方がいいだろう。いい雰囲気の店だったのに、残念だ。
「変な人?」
姉が膝の上に乗せた愛猫のきなこを撫でながら訝し気に片眉を上げる。
「すごく綺麗な顔しているんだけど、何て言うか、言動がすごく芝居がかってて」
姉はあまり興味なさそうにフンと鼻を鳴らした。
「あんたって、昔から変人に興味を持たれるよね。変わってる者同士波長が合うんじゃない?」
美良乃はムッとして眉を寄せた。姉はそんな美良乃の反応にもお構いなしに続ける。
「それで? あんたアメリカにバイトしに行ったんだっけ? いいとこ見つかったの?」
「――バイトっていうか、ちょっとこっちで暮らしてみたいな、と思ったから。二重国籍でいられる期間は限りがあるし。バイトは介護つきの老人ホームがキッチンの手伝いを募集してるから、応募してみたんだ。結果はまだ連絡来てないけど」
キッチンと聞いて、母が「え~!?」と声を上げた。
「あなたがキッチンって、大丈夫なの? あなた昔からお料理のセンス壊滅的じゃない」
「……ちゃんとレシピがあるから、大丈夫だよ」
「本当に!? 覚えてる? あなた小学校のころ、お蕎麦とたらこ、人参を入れて炒めた激マズ料理作ったの」
母の言葉に、姉が思い出したように両手を打った。
「あ~! あった!! あれは酷かったよね。いかにも美良乃だよねってママと話したよね」
「ね~。あの食材を一緒に炒めてみようって思わないでしょ、普通。大雑把っていうか、何て言うか。美良乃らしいよね」
二人は憮然と黙り込んだ美良乃を置き去りに、楽しそうに笑っている。
――『普通は』、『美良乃らしい』。この人たちは、本当に変わらない。
美良乃はモヤモヤする気持ちを押し出すように深い溜息を吐いた。
「とにかく、まだバイトは決まってないから。決まったらまたメッセージ送るから」
「はいはい。それじゃ、くれぐれもおばあちゃんたちにはよろしくね。体調に気を付けて。炭酸飲料ばっかり飲んでるとあっという間に太るわよ」
「分かってるから。じゃあね」
最後はほとんど吐き捨てるように言って、「終了」ボタンを押した。通話終了を知らせるピロリンという音がして、画面が暗くなる。
「……わたしは、あなたたちとは『違う』って言うんでしょ」
タブレットを机に置くと、美良乃はベッドにうつ伏せに身を投げた。
美良乃は幼いころから「変わった子」だった。感受性が強く、傷つきやすいうえに頑固な子供だったと、よく母が零していた。癇癪を起こしたり、思ったことをそのまま口に出してしまって顰蹙を買い、友達と上手く付き合うことができなかった。人に言われた言葉の真意を汲み取ることができず失敗したことも少なくない。
小学校一年生の頃、担任に「やる気がないなら帰っていい」と言われて、本当に帰ってしまったことがあった。美良乃は「担任の先生が早退を許可してくれた」と思い込んでいたのだが、美良乃が教室にいないことに気付いた担任は、大慌てで仕事場の母に電話をした。
仕事を早退して帰宅した母は呆れたように美良乃を見下ろし、「普通、本当に帰ってこないよね? 少し考えれば分かるでしょ?」と溜息を吐いたことを今でも鮮明に覚えている。
そんな美良乃は次第に学校でも孤立していくようになり、いつもひとりで家の中で絵を描いて過ごすことが多くなった。
美良乃からすれば、そもそも母や姉も「個性的」な性格をしているように思う。
母は明るく社交的だが自由な人で、とにかく子供と遊ぶことを面倒がって自分の趣味に没頭していた。
悲しかったり寂しかったりする時に抱きつくと「触らないで、暑苦しい。ベタベタされるのは好きじゃないの」と言い放つような人だったが、育児放棄をしていたわけではない。むしろ教育熱心な方で、シングルマザーとして女手ひとつで姉と美良乃を育てたが、英会話、習字、学習塾などに通わせたし、健康な食事にこだわって、毎朝不味いグリーンスムージーを飲み終わるまで家から出してもらえなかった。
姉は離婚前の父と母に厳しすぎるくらいに躾けられて育ったが、その反動からか、何かと美良乃の言動に目を光らせては些細なことを鬼の首を取ったように論う。美良乃もそうした姉の言動が鬱陶しく、常に彼女の顔色を読んでいた。
そんな姉でも、面倒見がいいところもあり、洋服を貸してくれたり、凝ったヘアスタイルに髪を結ってくれたりすることもあったので、傍から見れば仲良し姉妹だっただろう。
二人とも辛辣な物言いをするし、家庭内でお互いを貶すような言葉を使うことも日常茶飯事で、美良乃はそれが当たり前のことだと思っていた。そのため、他人に対しても同じように接すると嫌われるということに、ある程度大きくなるまで気が付かなかったのだ。そして気付いた時には何もかもが手遅れで、美良乃は「変人」かつ「嫌なやつ」として完全に孤立していた。
先ほどの会話のように、母と姉は美良乃の「普通じゃない」部分を論って嗤う。そのたびに「お前は異常で、正常な自分たちとは違うんだ」と壁を築かれているように感じていた。
以前、二人の態度を耐えかねて、傷つくからやめてほしいと言ったことがあった。しかし、「大げさだ」「こんなことで傷ついたら社会でやっていけない」「ひがみっぽい」「根に持ってしつこい」と散々反論されたので、彼女たちには何を言っても無駄だと諦めてしまった。
(じゃあ、教えてよ。どう感じれば「普通」なの? どういう態度をとれば「普通」になれるの?)
――わたしは異常なのだろう。些細なことも流せないで傷つくわたしは弱いのだろう。でも、否定されて、始めからこの世に存在しなかったように扱われたわたしの気持ちは、何処へやればいいのだろう。
(考えすぎだって、面倒くさい性格だっていわれる。でも、それは誰と比べて考えすぎなの? 考えてしまうわたしはおかしいの? いけないことなの?)
いくら考えても、誰も「正解」を教えてくれない。
家にも外にも、本心を話せる人がいない。
母や姉と同居していると余計に孤独で、寂しくて、疲れてしまう。
そしてバイト先で陰口を聞いてしまった日、ついに美良乃の心は限界を迎えた。
だから美良乃は逃げ出した。家族から、バイト先から、自分を嗤う全ての人から。誰も自分を知らない場所へ行って、すべてをスタートからやり直そうと、日本を脱出したのだ。
――だからどうか、ここで居場所を見つけられますように。友達ができますように。
美良乃は机の上の紫色のカードに目を留める。
「……アリアと仲良くなれるといいな」
誕生日はもう来週に迫っていた。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。