22. 十月十二日 毒を食らわば心まで【2】
「毒を食らわば心までと言うだろう? 同じ毒を食らったよしみで、聴かせてくれないか。どうして君が自分のことを嫌いになってしまったのか」
それを言うなら「毒を食らわば皿まで」ではないだろうか。しかも、いつも通り使い方が間違っている。しかし、何となく今は突っ込む気分ではないので、心の内に留めておいた。
素直に話す気になったのは、暴言を吐いてしまったことへの罪滅ぼしなのか。美良乃は適切な言葉を探しながら、自分の生い立ちと境遇について、ぽつりぽつりと話し出した。
幼い頃から変わった子だと言われてきたこと。
母親や姉に理解されずに孤独だったこと。
他人の気持ちを推し量ることが難しかったり、人の言葉の真理を読み取ることが苦手なうえ、思ったことをそのまま口に出してしまい、気心の知れない人とのコミュニケーションに問題が生じることが多々あったこと。
話を聴く間、ルイは宥めるように美良乃の髪を指で梳きながら時折頷くだけだった。
美良乃が話し終えると、ルイは暫く黙っていたが、「僕は専門家ではないから、これはあくまで、素人としての僕の意見なのだけど」と切り出した。
「もしかしたら、君の生き辛さの原因となっているのは生まれ持った特性で、君の意思だけでは制御できないことなのかもしれない。
しかし君は『わたしはこういう性質で、人を傷つけてもしまったとしても悪気がないのだから、許されるべきだ』などと開き直ることを良しとしなかった。自分の発言が他人を傷つけたことを反省しているし、どうしたら自分の短所を克服できるか悩んで苦しんでいる。それは、君が心根が優しく純粋で、真面目であることの何よりの証であると、僕は思う」
「優しい? わたしが?」
自分に最も似つかわしくない形容詞に、美良乃は失笑した。
「優しいとも。性根が腐っている者は、自分の過ちや失言を省みず、全てを人のせいにするからね。でも、君は人を傷つけるたび、君自身も傷ついているじゃないか」
彼は子供をあやすように美良乃の背中を撫でた。パジャマの上から触れられた箇所がじんわりと温かくなって、身体の中に熱が浸透していくような気がする。
「生まれ持った特性は治せないのかもしれないが、君はこれまでの人生の中で、どういうことを言った時に相手は傷ついたのか、どんな言い方をした時に相手を怒らせてしまったのか学んできたはずだ。そしてその膨大なデータを基に、無難な言動を探り出して君なりに実践してきた。だからこそ、ニッカ―では大した問題を起こさずに、皆と上手くやれているのではないかい?
君は失敗ばかりに目を向けているけれど、もっと自分自身の努力を認めて、ここまで成長した自分を誇りに思うべきだよ」
喉の奥が詰まって、鼻の奥がツンと痛くなった。
「どんな人であれ、生きていれば他人との衝突は避けられない。けれど、そんな時にどう対応したらいいのか、日々の失敗から学び、次に生かすことはできる。だから君は必要以上に己を責めなくていい」
眦から熱いものが溢れ出て頬を濡らす。
今まで母でさえ、そんなことを言ってくれなかった。それなのに。
――彼ならどんな自分でも受け入れてくれると、勘違いしそうになる。
長くて節くれだった指が涙を拭ってくれた。顔を上げると、ルイの慈愛に満ちた眼差しが降り注ぐ。温かくてくすぐったい何かが胸いっぱいに広がって、今にも溢れ出てきそうになる。
「……ずるい」
「ずるい? 何がだい?」
(だって、あんなこと言われて、そんな目で見られたら)
――好きにならずにいられるわけがないのに。
きょとんと目を丸くしているルイに笑って、美良乃は彼の肩に顔を押し付けた。
ルイは感に堪えないといった風に息を呑んだ。
「み、美良乃が僕に、甘えている……!?」
「あ、甘えてないから!」
美良乃はいたたまれなくなって身を捩った。ルイの膝から抜け出すと、彼はがっくりと肩を落とした。
「……さっきは、疑ったり、酷いことを言ったりして、ごめんなさい」
「僕は気にしていないよ。それに、疑り深くなったのは毒のせいでもあるのだから、あまり気に病まないでおくれ」
「それと……今日は、その、色々と、ありがとう」
「君のためなら、いつでもどこでも駆けつけるさ!」
真珠色の歯を煌めかせながら、ルイは爽やかに笑った。
「あの、できれば何かお礼がしたいんだけど」
「お礼?」
「何か、欲しいものとか、してほしいこととかないの?」
「えっ」
ルイが頬を染めたので、美良乃は焦って言い足した。
「いかがわしいことはなしだから!」
「そ、それはもちろんだとも! ……では、僕とデートしてくれないかい?」
「でえと」
「そう、僕とディナーを食べに行ってくれると嬉しい」
「分かった。じゃあ、お礼にディナーをご馳走させていただきます」
バーバラが見せてくれた夢の中で、ルイはオマハにいい日本食レストランがあると言っていたが、実在するのだろうか。調べてみるのもいいかもしれない。
「おっと。もうこんな時間だね。僕はそろそろお暇するよ」
時計は既に午前三時を示している。
「寝不足はお肌の大敵だからね! デート、楽しみにしているよ!」
バチコーンと片目を瞑って、キスをひとつ投げて寄越す。
「う、うん……」
美良乃が頬を引きつらせながらも手を振ると、彼は意気揚々と窓に片足を突っ込み、そのまま窓の外へ身体を滑らせた。
「えっ!」
美良乃が窓から外を顔を出した時には、既に彼は夜の闇へと消えていた。
「……玄関から帰ればいいのに」
窓を閉めて鍵をかける。照明を消すと、美良乃はベッドに潜り込んだ。
「……吸血鬼に血を吸われるなんて、何だかすごい夜だったな」
無意識に首筋を撫でると、ルイの唇と舌の感触がありありと蘇ってくる。
「ほひょええええ!!」
美良乃は奇声を上げてブランケットを顔の上まで引き上げた。
あの時は怖かったけれど、今思い出してみると、恥ずかしいだけで不思議と嫌ではない。
「――何だか、わたしだけ狼狽えて、すごく悔しい……。しかも、ちょっと優しくされただけで落ちちゃうなんて、わたし随分チョロくない?」
美良乃はむうと唇を尖らせた。
芽生えたばかりのこの感情をすぐに認めてしまうと、何だか負けたような気になる。
だからもう少しだけ、悪あがきをさせて欲しい。この面倒くさいプライドをかなぐり捨てるだけの時間がほしいのだ。
きっと、ルイはそんな美良乃の気持ちも、笑って受け入れてくれそうな気がする。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




