20. 十月十一日 「わたし」という名の猛毒【3】
夢魔のバーバラが誘う、今の美良乃とは正反対の性格になる夢です。
※途中、キャラクターの性格上、女性蔑視的な言葉を使う場面が出てきますので、ご注意ください。
ビーッビビッ。
「ん~、こんな時間に誰?」
朝、美良乃はスマホから聞こえたメッセージの受信音で目を覚ました。時間を確認すると、目覚ましアラームが鳴る五分前ではないか。
「もう! あと五分寝れたじゃん! 昨日は夜遅くに帰ってきたっていうのに」
半ば眠ったままメッセージアプリを開くと、ローパーという男から「今日暇? デートしない?」というメッセージが届いていた。
「……誰だっけ、こいつ。思い出せない。……まあいいや、どうせバーで酔っ払った勢いで連絡先交換したんだろうし」
思い出せないということは、そこまで好みのタイプでなかったか、既に飽きた男どものうちのひとりなのだろう。既読をつけたもののそのまま放置し、ついでに他のメッセージを確認しようとスマホの画面をスクロールした。
「うわあ、やばい。結構溜まってるなあ」
アプリには三桁近い連絡先が登録されていて、殆どのメッセージが未読のままになっていた。中には未読メッセージが数百になったまま放置してあるグループメッセージもある。
「こうなっちゃうと、もうメッセージ確認するのも面倒くさいんだよね。まあ、大切な要件だったらもう一回送ってきたり、電話してくるなりするでしょ」
美良乃は無感情にスマホをベッドのサイドテーブルへ置くと起き上がり、身支度を始めた。今日はバイトが休みなので、朝から晩まで予定がぎっしり詰まっている。
介護付き老人ホームのキッチンの仕事は単調ですぐに飽きて辞めてしまった。今はニッカ―から車で三十分程の距離にある大きな街でレストランのウィトレスとして働いている。常連客との他愛もない会話も楽しいし、何より新しい客との出会いが程よい刺激を与えてくれるので気に入っている。おまけに、アメリカでは頑張れば頑張った分だけチップがもらえるからやりがいを感じている。
「え~っと、まずルイとカフェでお茶して、エレナの家でランチをごちそうになりつつ、娘ちゃんと遊んで、アリアと一緒に夕飯を食べた後、6フィートアンダーに行く、と。あ~、フェルナンドとも遊びたいのに、一日が短すぎて予定に入れられないわ」
アメリカで流行している最新の音楽を聴きながら、日本で若い女性に人気のブランドの服を身につけ、SNSで話題のメイク方法で化粧を施したら完了だ。
「それじゃ、おばあちゃん行ってきます」
「また出かけるの、美良乃? 夕飯は?」
玄関へ向かう美良乃に、クローイーは眉間に皺を寄せた。最近夜はバーやクラブに入り浸って不在の日が多いことに不満を抱いているようだ。
「いらなーい」
「今週末はチャドの誕生日でサプライズのパーティーがあるから、今日中にケーキを予約しに行ってね? 間に合わなくなっちゃうから」
「はーい、町に行ったついでにスーパーに寄るよ」
「もう、一昨日もそう言っていたのに」
「あ~、ごめん、もう行かないと。じゃあね、おばあちゃん。愛してる!」
美良乃はこれ以上小言を言われる前に、そそくさと車に乗り込んだ。
クローイーは年齢のせいもあるのか、考え方が古いと感じることが多々ある。美良乃がクローイーの車に乗って外出したまま夜遅くまで帰らないこともあって、最近では関係がぎくしゃくしてきていた。
「ケーキなんて、明日までにオーダーすれば大丈夫でしょ。今日は予定がいっぱいだから、明日注文しに行こっと。それにしても、もう家出てルームシェアとかしよっかな。でもなあ、その前にお金貯めて車買わないと。……あ~、でも、こないだお給料出た時にタブレット買っちゃったなあ」
お金が入るとつい衝動買いをしてしまい、なかなか貯金ができない。まだしばらくは我慢して祖父母の家に置いてもらうしかなさそうだ。
カフェに着くと、既にルイがいつもの壁際のソファに座って待っていた。店主や顔見知りの客たちに笑顔で挨拶しつつ店内を進んで行く。
「ごめん、お待たせ~!」
「やあ、美良乃! 先ほど来たところだから、気にしないでくれたまえ! コーヒーはいかがかな?」
「じゃあ、カフェラテがいいな」
財布を取りだすと、ルイは軽く片目を瞑ってそれを制した。
「おやおや、そんなことは僕に任せておいてくれたまえ」
「優し~い! ありがとう、ルイ!」
少々大げさに感謝すると、ルイはいそいそとカウンターへ向かった。
ルイは見た目もいいし、何より金持ちで気前がいい。彼氏にするにはちょっと言動がアレだが、こうして友人以上、恋人未満を保ちつつキープしておくには最適な物件だ。
ルイも女性として美良乃に興味はあるようだが、どちらかというと、こんな田舎で日本の話題を日本語で話せる友達ができて喜んでいるという印象の方が強い。
「そうだ、オマハにいい日本食レストランを見つけたのだよ。今度ディナーでも一緒にどうかな? 先週メッセージを送ったのだけれど、既読がつかなくて」
「えっ、本当? ごめん、見逃してたかも~」
美良乃は慌ててスマホを取り出した。画面をスクロールしていくと、かなり下の方に「毒規則」からのメッセージがあり、未読メッセージが三件溜まっている。
ネブラスカ州最大の都市であるオマハまではニッカ―から車で二時間かかる距離にある。他の大都市に比べれば人口は少ないもののアジア人もおり、日本の食材が手に入る食料品店や日本人が経営しているレストランも数軒ある。
寿司は高級なので、なかなか食べに行くことができない。美良乃は目を見開いて両手を胸の前でパチパチと叩いた。
他人の金で食べる寿司が一番美味しく感じるのは、何も美良乃だけではあるまい。
「行きたい、行きたい! いつにしよっか?」
「来週の日曜なんてどうだろうか」
その日は生憎と、他の男とデートの予定が入っている。
複数の男と同時にデートしていると聞くと、日本ではとんでもなく男女関係に奔放な人というイメージを持たれてしまうが、アメリカには日本と違って告白というシステムがない。気になる異性がいたらまずデートに誘い、気に入ればまた次を約束し、デートし続けている状態がある程度続いた場合に正式に「恋人にならない?」と提案したり、親や友達に「恋人です」と紹介する。正式に付き合っている相手がいない場合は同時に何人かとデートすることもあるが、それは浮気ではなく、あくまで「お試し期間」だから色々な人とデートして相性をみているに過ぎないと見做されるのだ。
結局ルイとは再来週の日曜日に約束をした。
その後エレナの家に遊びに行き、夕飯をアリアと食べた後、二人は6フィートアンダーに向かった。入口でフェルナンドとお喋りをしてからバーカウンターに座る。
「美良乃! 久しぶりだな。今度俺の家でパーティーやるから来いよ!」
「ハーイ美良乃! 後でダーツで対決しない?」
「美良乃! この前教えてもらったコスメ、すっごく良かった! 今度一緒に買い物に行こうよ!」
入れ替わり立ち代わり、男女様々な種族のモンスターに話しかけられる。その度に記憶を総動員して、『この人はこういう趣味だったはずだから、あの話題がいいだろう』とか、『この人はあまり楽しくなさそうだから、あの話題なら皆会話に入れるよね』などと考える。いくら美良乃が社交的な性格とはいえ、相手を退屈させないように常に周囲に目を配っている状況は疲れるが、場の空気を悪くしないように終始自然な笑顔を浮かべている。
「あっ! 美良乃じゃん! この前はパーティー来てくれてありがとうね! 美良乃がいたから、めっちゃ盛り上がったよ! 今日はわたしの友達もいてさ、紹介するね!」
「ハーイ、俺アントニオっていうんだ。よろしくな」
「ハーイアントニオ! 美良乃だよ! よろしくね!」
アントニオの趣味はハイキングとキャンプらしい。美良乃もアウトドアで過ごすのが大好きなので、自然と会話が弾んでいく。
アントニオは他の人に気付かれないように、そっと美良乃に耳打ちしてきた。
「俺たちって、結構気が合うと思わない? 連絡先教えてくれよ。今度デートしようぜ」
美良乃はざっとアントニオの外見を確認する。顔立ちは精悍で、癖のある明るい茶色の髪、緑と灰色が混ざったような目の色をしている。
気が合いそうだし、見た目も結構好みだし、別に一回くらいデートしてもいいかもしれない。スマホを取り出すと充電が残り五パーセントになっていたので、慌ててアントニオと連絡先を交換する。
美良乃がトイレに行くために席を立つと、アリアは無言で美良乃の後に続いた。
「ねえ、あんたがさっき連絡先交換してたアントニオだけど、滅茶苦茶嫉妬深い彼女がいるって話だから、気を付けてね」
「え~、マジで? 怖っ」
先ほど連絡先を交換してしまったが、相手もノリでデートに誘っただけで、連絡してこないかもしれない。本当にデートに誘われたらその時考えればいいではないか。今考えても仕方ないことをくよくよ考えるのは合理的でない。
すぐさま思考を放棄してトイレから出ると、青ざめたアントニオを横に従えたゴルゴン族の女が仁王立ちで待ち構えていた。どうやら、思ったよりすぐに考えなくてはいけない時が来たようだ。
女は怒り狂っているのか、炯々と光る銀色の目で射殺さんばかりに美良乃を睨みつけている。頭には無数の白蛇がうごめき、ちろちろと舌を出していた。目を合わせると石にされるかもしれない。
「あんたね、さっきアントニオとデートの約束してたのは!!」
「え? 連絡先交換しただけで、別に日にちとかも決めてないけど」
美良乃は自分の足元に視線を落としたまま、至って冷静に口を開く。
「黙りなさいよ!! 連絡先交換しただけでも万死に値する!!」
モンスターであれ、人間であれ、感情的な人は建設的な話し合いができないので苦手だ。第一、彼女がいる身で美良乃にちょっかいをかけてきたのはアントニオの方なのに、何故美良乃を攻撃対象に選ぶのだろう。古今東西、女の嫉妬は女に向かうらしい。
「ごめん、彼女がいるって知らなかったの。そりゃあ彼氏が他の女にちょっかい出すのは嫌だよね? 連絡先は削除するから、落ち着いてくれない?」
美良乃は可能な限り同情的に言うと、女の目の前で連絡先を削除してみせる。
女は怒りが冷めやらないのか、美良乃のスマホを叩き落とした。
「お、落ち着いてくれよハニー。俺にはお前だけだって、な?」
「あんたは黙ってな!!」
女に一喝されて、アントニオは縮こまった。何て情けない男なのだろう。
「二度とアントニオの前に出てこられないようにしてやるから!!」
女が美良乃に掴みかかろうとした時、騒ぎを聞きつけたバウンサーのフェルナンドが割って入った。
「そこまでにしておけ」
「邪魔するんじゃないわよ、クソ野郎!! そのあばずれをぶっ殺してやる!!」
フェルナンドの魔法で拘束されて、女は更に激昂して喚き散らす。
「ここは俺に任せておいて、移動してくれないか」
「分かった。ありがとうね、フェルナンド」
美良乃はアリアの背後に庇われながら、足早にダンスフロアの方へ移動した。
「あ~、びっくりしたぁ」
アリアは片眉を上げて、咎めるような目線を美良乃に向けた。
「あんたさあ、前から思ってたけど、誰彼構わず連絡先交換するのは止めた方がいいわよ? ああいうのがいるんだからさ」
「え~、だってそんなの、その時のノリじゃない? それより、他の子も誘って踊ろうよ」
瞬時に気分を入れ替えた美良乃は、大勢の友達に囲まれ、閉店間際まで踊って飲んでと楽しく過ごしたのだった。
***
水面が揺れるように、目の前の景色がグニャリと歪む。
(こんなの、わたしじゃない)
ゆっくりと意識が浮上していく中で、美良乃が「正反対の性格の自分」に抱いたのは強い違和感だった。
靄が晴れると、再び七色の光の粒が混じる銀色の煙の中にバーバラが現れた。
「どうでござーましたか?」
バーバラは白いガーデンチェアにゆったりと腰かけると、唇に弧を描いた。
「……友達に囲まれて楽しそうだな、とは思ったんですが、あまり好きになれなかったです」
「そうでしょうとも。人間は理解できないものを受け入れがたく感じる生き物でござーますからね。正反対の性格というのは、いわば、自分がもっとも共感できない相手ということでござーます。そして、女性は共感を大事にする傾向が強うござーますから」
自分ではない自分になりたかった。自分という人間の中身を構成する全てを作り変えてしまえたら、どんなに楽になれるかと思っていたのに、いざそんな自分を目の当たりにすると受け入れられないのだ。
――自分は一体、何がしたいというのだろう。
(結局は、今の自分を変えたくないってことなの? 自分は変わりたくない、ありのままの自分を受け入れてほしいと思うなんて)
――そんなの、単なる我儘ではないのだろうか。
「わたし、わたし、どうして、どうしたら」
焦燥感が胸を焼く。次第に苛立ちが募ってきて、じっとしていられなくなって両手で己を掻き抱き、身体を前後に揺すった。
バーバラは金貨のような双眸を眇めた。
「これはいけないざますね。ヴァイパー族の毒が思ったよりまわっているようざんす。一刻も早く毒を抜かないとならないざます」
言うなり、ガーデンチェアから勢いよく立ち上がると、バーバラはドレスのポケットからスマホを取り出した。
「――ああ、ルイちゃまでござーます? あたくしですわ。あーたの女神様が大変ざんす! 今すぐ、彼女の家に行ってくださいまし! 住所は?」
美良乃はバーバラの剣幕に戸惑いつつも、住所を教える。
ルイに美良乃の家を教えると、バーバラは通話を終了し、ガタガタと震えながら立ち尽くす美良乃の肩に両手を置いた。
「目が覚めたら、あーたの家にルイちゃまがおいでになりますから、部屋に入れてあげてくださーませ。ルイちゃまが毒を吸い取ってくれるから、身を任せるんざますよ?」
「そ、それって、血を、吸うって、こ、ことですか……?」
息も絶え絶えに問うと、バーバラは真剣な表情で首肯した。
「今すぐにどうにかしないと、あーたは苦しんで暴れまわり、ご家族に襲い掛かる可能性もあるんざますよ!? 血を吸われるぐらい我慢しなさいな!!」
恐怖と羞恥、困惑が表情に出ていたのだろう。いつになく強いバーバラの口調に身を竦めながらも、美良乃は頷いた。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




