19. 十月十一日 「わたし」という名の猛毒【2】
(わたしは、他の誰からでもなく、自分自身から逃げたかったんだ)
七色の光の粒が混じる銀色の煙の中、美良乃は絶望に頽れ、両手で顔を覆って泣き崩れていた。
どれ程そうしていただろうか、近くから聞こえた声に、美良乃は肩を震わせた。
「あーた、何という美味しい悪夢を見ているんざましょ。あら、これは……。あーたヴァイパー族の毒を受けたんざます?」
そろそろと顔を上げると、夢魔のバーバラが上下逆さまの状態で宙に浮いていた。相変わらず可愛らしいピンク色のドレスに身を包んでいるが、不思議なことに紫色の髪の毛に一本の乱れもなく、スカートも捲れていない。夢の中だから重力が存在しないのだろうか。
「バーバラさん……。ヴァイパー族って?」
「毒蛇の獣人でござーます」
蛇という言葉に、スーパーで絡んできた蛇女が脳裏をよぎる。
「……分からないです。昼間のあの人かな。……ヴァイパー族の毒をくらうと、悪夢を見るんですか?」
バーバラは逆さまのまま、何処からか取り出したティーカップで紅茶を啜りだした。カップを持つ手の小指が立っているのが何とも優雅な雰囲気を醸し出している。
「ヴァイパー族の毒にも色々あるざます。弱い毒はその人の心の弱い部分を抉り出すざます。トラウマや猜疑心を刺激したり、攻撃的になったりするざますね」
トラウマと聞いて、納得がいった。多分、昼間の蛇女はヴァイパー族で、スーパーで肩を押された時に毒を仕込まれたのだろう。
「……だからあんな夢を見たんですね」
先ほどの教室での光景を思い出しただけで、またポロリと眦から涙が零れ落ちた。
「生物の精気には感情が色濃く滲み出るものなんざんす。あーたの精気は濃厚で美味しゅうござーますわね。絶望と怒り、悲しみに肩まで漬かって良い出汁が出てるざます」
出汁って。人を煮干しみたいに言わないでほしい。
「……わたしの悲しみって、味がするんですか?」
「ええ。今あたくしが飲んでいるお紅茶も、あーたの精気をちっとばかしいただいて淹れたものざます。あたくしたち夢魔は魔に属する一族でござーますからね、あーたの夢のとっても美味しそうな匂いにつられて来たら、この通り、萎れた花みたいなあーたがいたんざます」
バーバラ曰く、夢魔や吸血鬼、鬼人など、人間から糧を得る種族は『魔に属する者』と呼ばれている。その中でも夢魔は人間の嫉妬や嘆きなど負の感情が大好物で、遠くからでも嗅ぎつけて寄ってくるのだそうだ。
人間の間では古から、悪魔は清らかな魂を持つ人間を好むといわれているが、実際には珍味の扱いで、美食家の夢魔には人気が高いのだとか。
確かに、手軽に食べられるファストフードの方が、独特の風味があり高級で、扱っている店舗も限られるからすみよりは大衆受けするだろう。
「それで? あーたは何故、こんなに嘆き悲しんでいるんざます?」
「……わたしは、自分のことが嫌いなんです。できることなら、わたし以外の誰かになりたいくらい、本当に嫌い」
美良乃は先ほどの記憶をぽつりぽつりとバーバラに話した。バーバラは時折頷きながらも静かに話を聴いている。
美良乃が話を終えると、バーバラはティーポットから紅茶のおかわりを注いだ。
「あらぁ、それは悲しゅうござーましたわねえ。確かに、あーたの言い方も悪かったですけれども、あたくしに言われせれば、あーたのご学友たちも目くそ鼻くそですわね」
「えっ?」
「物事や他人に対して何を思うかはその人の自由でござーますけれども、何を心に留め、何を口に出すのかという判断に、その者の本性が現れるんざます。あーたのことを『最低』だの『性格が悪い』だのと罵ったご学友たちだって、あーたを傷つけて不快にさせてしまう言葉を平気で口にする『最低』で『性格が悪い』人間だということざます。
だって、彼女らが本当にあーたの言動に悩まされていたのなら、その事実だけを話して改善を促せば良かったのに、わざわざ暴言を吐いてあーたを傷つけることを選んだんざますからね。まあ、いつの時代にも相手を貶めることで自分が優位に立とうとする輩がいるので、あたくしにとっては嬉しい限りですけれどもねぇ。妬み嫉みはあたくしの大好物なんざますよ」
嫉妬を隠し味に使うと、とても美味しいクッキーが焼けるんだというバーバラおばあちゃんの豆知識は一旦横に置いておくとして、美良乃は彼女の意見に衝撃を受けていた。
目から鱗が落ちたとはことのことだ。
確かに、美良乃も第三者の目線で事態を冷静に見ることができていたなら、バーバラと同じような感想を抱いたことだろう。しかし美良乃の自己肯定感の低さ故なのか、これまで他人に心無い言葉を投げかけられたり、相手を怒らせてしまった時、全て自分に非があり、相手にそんな反応をさせてしまうほど自分の性格が悪いのだと思い込んでいた。
しかし、その人がその発言に至るまでの心境や周囲の環境はその人しか分からない。
もしかすると、今まで全て自分が悪かったのだと思い込んでいたことも、別の角度から見ればまた違った捉え方ができたのかもしれない。
本当に美良乃の言動が不愉快だったのかもしれないし、もしかすると全く美良乃に関係がないことでストレスや不満を抱えていて、たまたま美良乃が発した何気ない言葉がきっかけとなって爆発し、鬱憤を晴らすために必要以上に責め立てられた可能性だってある。
(わたし、自然と『自分に非がある』と思い込むようになってる……?)
――認知の歪みには、原因があるのではないだろうか。
バーバラは優雅な手つきでティーカップを宙に置くと、金貨のような双眸を三日月形に歪めた。
「それで? あーたはご自分が嫌いだと仰いましたけれど、どう変われば好きになれるとお思いなんざます?」
「……今の自分とは正反対の性格でしょうか。初対面の人とも堂々と話せて、すぐに仲良くなれて、グジグジ考えないで即行動できるような人、かな?」
「お~っほほほほほほ!!」
バーバラは腹を抱えながら大爆笑した。笑い過ぎて涙を流しながらヒイヒイいっている。普段のお淑やかなマダムの雰囲気が台無しだ。
「あーたには、そんな人が理想的に見えるんざますか?」
「……そうですけど」
何だか馬鹿にされたような気分で、美良乃はムッと口を尖らせる。
「あーたの『理想的な人間』も、あーたの知らないところで悩んだりしてるはずざますけどねぇ」
バーバラは何処からともなく取り出したクッキーを頬張った。美良乃にも勧めてくれたが、生憎と心の中がぐちゃぐちゃで何か食べたい気分ではないので、丁重に断った。
「あーたのその、『人見知りで、色々考えすぎて、内向的な性格』だって、しっかり社会の歯車のひとつとして作用してるんざますよ? 皆が皆同じ性格だったら、今頃あたくしたちは全滅しているはずでござーますから」
「……そうなんでしょうか?」
「あーた、考えてごらんなさいな。長い歴史の中で人類もモンスターも、そりゃあ数えきれないくらい色々な危機に瀕してきたわけでござーましょう? 戦争、飢饉、天変地異、魔女狩りなんかもござーましたねぇ。そんな状況でも、性格も考え方も異なる人がいたから、それぞれの得意分野を生かして今この瞬間まで延々と子孫を繋いでこれたんでござーます」
「……そうなのかもしれませんけど」
言われていることは理解できるのだが、今この瞬間も自分の性格のせいで苦しんでいる美良乃にはあまりピンとこない。
納得いかないのが顔に出ているのだろう。バーバラは小さく溜息を吐くと、軽く手を振ってティーカップとクッキーを消した。
「ようござんす。百聞は一見に如かずと申しますからね。美味しい精気のお礼に、今とは真逆の性格の自分になる夢を見せて差し上げますわ。体験してみてどう感じるか、試してみるといいざます」
バーバラは身体を捻って半回転すると、美良乃の目の前に降り立った。
「さあ、愉しい夢のはじまり、はじまり……」
ショッキングピンクに塗られた長い爪が額に触れると、美良乃は一寸先も見えないほどの濃い霧に包まれた。
次回に続きます。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




