18. 十月十一日 「わたし」という名の猛毒【1】
※今回、かなり重いです。シリアスが苦手な方はご注意ください。
「ねえ、あんた、こないだ6フィートアンダーでルイ様にベタベタしてた人間だよね?」
スーパーの青果コーナーでリンゴを物色していた美良乃は、横から聞こえた刺々しい声に振り返った。
見知らぬ若い女三人が腰に手を当てたり、胸の前で腕を組んだりしながら美良乃を睨め付けている。一番前に立っている女は見たところ十代後半のようだが、美良乃を「人間」と呼んだということはモンスターなのだろう。実年齢のほどはわからない。良く日に焼けた肌にブリーチした金髪、アンバー色の目の瞳孔は縦に長い。薄い唇と相まって、どこか蛇のような印象を与える。
「えっと? ベタベタ?」
美良乃はごくりと唾を呑んだ。
確かに、横抱きにされたり、ダンスをしようと言われて密着した覚えはあるが、別に美良乃が望んだことではない。
「とぼけんなよ。あたしら見てたんだから。ルイ様を誘惑しようとしてただろーが」
「はあ!? 誘惑なんてしてないけど」
とんでもない言いがかりだ。
以前から言い寄ってきているのはルイの方なのに、まるで美良乃が一方的にルイに熱を上げて、嫌がる彼に無理やりアプローチしているみたいな言われように、ムッとする。
「ちょっと可愛いからって調子に乗ってるみたいだけど、ルイ様は皆に優しいんだからな? 自分が特別とか勘違いすんじゃねえよ」
「勘違いなんてしてない。わたしからルイに近づいたことなんてないけど?」
「はあ!? ルイ様があんたみたいな豚に気があるって言いたいの?」
「うっざ!」
背後にいた二人が顔を真っ赤にして声を荒げた。
蛇女は目を眇めながらズイッと顔を近づけてくる。
「人間なんて、所詮吸血鬼にとっては餌なんだからな。ルイ様にとって、あんたなんて家畜と同じなんだよ」
胸の奥がズキッと痛んだ。
吸血鬼は血を吸わないと生きていけない種族だ。いくら輸血用の血液が手に入る時代だからといって、無料で生き血を提供してくれる存在がいた方が便利に違いない。
ルイは美良乃に好意があると言っていた。しかし、果たしてそれは女性として好ましいという意味なのか、それとも糧を得るための獲物として好ましいという意味なのだろうか。
ひとたび疑念を植え付けられると、それは心の中に強固に根を張り、あっという間に猜疑心を育んでいく。
モンスターについて無知な人間であれば、簡単に掌に堕ちてくると思って近づいたのではないか。
(だって、そうじゃなければ、わたしに近づいてくるなんて、おかしいもの……)
それにしたって、無関係なこの女にここまで言われる筋合いはないはずだ。言い返したいのに、頭の中がこんがらがって上手く言葉が出てこない。
思わず顔が強張った美良乃を見て、女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「やっと自分の立場を理解できた? 豚は豚らしく、喰われて死ね。バーカ!」
蛇女に肩を押されて、美良乃はよろけて数歩後退った。押された箇所が、針で刺されたかのようにチクリと痛んだ。
「今度ルイ様に近づいたら、バラバラにして鬼人族の晩飯用に売り飛ばしてやるからな」
「そのアイデア最高! うける~!」
「あ~あ、やだぁ! 豚の臭いが移ったかも~! 帰ってシャワー浴びないと」
三人はケタケタと嗤いながら青果コーナーを去って行った。
蛇女たちが見えなくなると、美良乃は深い溜息を吐いて、ショッピングカートにもたれかかった。
蛇女に押された左肩の付け根がまだズキズキと痛む。最近は涼しくなってきたので長袖のシャツを着ているせいで見えないが、もしかしたら痣になっているかもしれない。
「……わたしが何したって言うの」
人間社会と同じで、モンスター社会にも妬み嫉みというものが存在するらしい。
(日本でも同じようなことがあったな……)
記憶の蓋が開きそうになるのを、強く頭を振って阻止する。
家に帰ってから痛みがある箇所を見ると、青黒い痣になっていた。
「うわ、最悪。……警察に相談に行こうかな。立派な暴行だよね?」
生憎と、やられたまま泣き寝入りするような性格はしていない。いきなり罵詈雑言を浴びせかけた挙句に怪我までさせた責任は、きっちり取ってもらわないと気が済まない。
警察に相談するとして、人間が持っていない特殊な力のあるモンスターたちが起こした問題も、ニッカ―の警察署に行けば受け付けてくれるのだろうか。
「アリアに相談してみよう……。何だが、具合悪くなってきた」
美良乃は負傷した箇所をスマホで写真に納め、肩を押された時間、場所、押した人物の詳細をスマホにメモしておく。
理不尽な言いがかりをつけられてショックだったのだろうか。帰宅した直後から酷い倦怠感があるため、美良乃はその日のバイトは休むことにして、ベッドに横になった。
***
気が付くと、美良乃は見覚えのある教室に立っていた。黒板の前には机と椅子が整然と並べられ、教室の後ろには鞄を入れるための棚が備え付けられ、掃除具を入れるロッカーもある。少々年季の入った床は窓から差し込んだ夕日で通常よりオレンジっぽく見えた。
(ああ、ここは、わたしが通っていた中学校の教室だ)
確信した瞬間、重苦しい嫌悪感が胸に去来した。中学生活にあまりいい思い出はない。美良乃にとっては、黒歴史が詰まっているパンドラの箱のような存在だった。
(わたし、夢を見ているんだ)
早く目を覚まさなければ。そう思うのに、足が床に縫いつけられたように動かない。
「ねえ、何か言ったらどうなの?」
鋭い声がして、美良乃は反射的に背後を振り返った。
いつの間にか、教室の後方、ロッカーの前に二十人近い女子生徒が立っていた。同じクラスだった生徒ばかりで、中には隣のクラスで見た覚えのある生徒も混じっている。
険しい顔の彼女たちと対面するように、独りで立ち竦んでいる女子生徒の背中を見て、美良乃の心臓が大きく跳ねた。背中の真ん中までの黒いストレートヘアに、制服のスカートから覗く脚はすらりと長い。
(あれは……、わたしだ。……やめて、思い出したくない!)
目を背けたいのに、首を動かすことも、瞼を閉じることもできない。
「あんたさあ、田中くんに告られたって本当? 舞が田中くんのこと好きって知ってたよね? 横取りとか酷くない?」
舞が田中を好きなことは知っていたが、それと美良乃が田中と友達として会話をしたり、田中が美良乃に好意を抱くことがどう関係するのか、美良乃には理解できない。
おまけに、田中に告白されたけれど、美良乃は友達以上に見ることができないと断っているのに、何故責められないといけないのだろうか。
「……田中は友達だし、断ったけど?」
「いや、そんなこと聞いてないから。舞が田中くんのこと好きって知ってて、何で近づいたのかって訊いてるの」
「そんなこと言われても……」
黙り込んだ美良乃に、別の生徒が苛立たし気に吐き捨てた。
「っていうか、あんたって、いつも男子と一緒にいるよね? どんだけ男好きなの。マジビッチじゃん」
そこかしこから賛同する声が上がる。
「自分のこと可愛いと思って、男子侍らせて勘違いしてるんじゃないの? 自分はあたしたちとは違うってか?」
「侍らせてないし! 普通に話してるだけなんだけど。わたしが女だから、男子と話しちゃいけないっていうわけ?」
幼い頃から、美良乃は女子独特のコミュニケーションが苦手だった。
「美良乃ちゃんかわいいね」と言われたら「ありがとう」ではなく、「そんなことないよ、○○ちゃんの方がかわいいよ」と返さないと自惚れていると思われるとか、皆でテーマパークへ遊びに行っている時に、皆が乗りたがっているアトラクションに興味がないので、ひとりだけ別のアトラクションに乗ると「協調性がない」と反感を買うとか。
美良乃にとっては意味不明で理解しがたい暗黙のルールが存在し、そのルールから少しでも逸脱することは、彼女たちにとって受け入れがたいことらしい。
その点、男子のコミュニケーションの方が美良乃には馴染みやすかったので、会話をするのは男子が多くなっていた。だからと言って、休日に一緒に遊んだりするほど彼らと仲が良かったわけではない。
「はあ!? そんなこと言ってないじゃん。被害妄想とかウザいんだけど。色目使うなって言ってんの!」
「わたし田中に好きになってくれなんて頼んだことないし、友達以上の態度取ったことなんてないんだけど? 舞が田中を好きだからって学校中の女子が話しちゃいけないって言うの? それこそ何様のつもり? 大体舞だって、好きなら好きって、正々堂々と田中に言えばいいじゃない。何で皆を巻き込んでわたしに八つ当たりするのか、理解できない」
「八つ当たりなんて、酷い……」
舞は鼻を啜りながら両手で顔を覆って俯いた。
「舞、大丈夫? ほら、泣いちゃったじゃん! 最低!」
美良乃に対面していた女子生徒たちはギラギラした目で睨みつけてくる。
「いい気になんなよ! お前マジ性格悪いわ」
「もういいよ、皆、明日から美良乃のことは無視ね」
間違ったことなど何も言っていないのに、何故彼女たちは自分を親の仇を見るような目で見るのか、自分の発言の何が相手を怒らせたのか理解できないまま、美良乃は投げつけられる悪意にただ呆然とした。
舞を守るように肩を抱いていた生徒が、ゴミでも見るような目で美良乃を睥睨する。
「あんた、この学校で一番嫌われてるから。あんたのことを好きな人なんて、誰もいないんだからね。あんたはどうせ顔しか取柄がないんだし、男子に媚でも売ってれば?」
頭から冷水を浴びせられたように血の気が失せた。悲しみと怒りがぐちゃぐちゃに混じり合って、身体の中心から澱のように全身へ広がっていく。
『普通、考えれば分かることでしょう?』
『何でそういうキツイ言い方しかできないの?』
『本当に頑固で融通が利かないね。一緒にいると疲れる』
『まだそんなこと覚えてたの? ひがみっぽいわね』
『言われないと分からないの? 空気読めないとか、マジ使えないわ』
負の感情に引きずられるように、それまで母や姉に言われた数々の言葉が記憶の中から噴き出して、汚泥のように纏わりついていく。
家族でさえ、異分子を見る目つきで美良乃を見る。
無償の愛を与えてくれるはずの母にすら受け入れられない存在なら、一体、この世の誰が自分を受け入れてくれるというのだろう。
(どうしたら『普通』になれるの? 空気ってどうやって『読む』の? どうすれば誰も傷つけないで済むの? 教えてよ。誰か、教えて)
――わたしがわたしでなくなる方法を。
(わたしはそこにいるだけで、周りに嫌われていくんだな。まるで、空気を汚染する猛毒みたい)
あれから、男子ともあまり会話をしなくなった。誘惑してると誤解されたくなかったからだ。
高校へ進学してからも、自分なりに周囲に溶け込むように頑張ったつもりだった。波風を立てないように、決して注目されないように、神経をすり減らして『わたし』という名の猛毒を広めないように務めた。
次第に誰かとコミュニケーションを取ることが苦痛になって、自分の殻に閉じこもるようになった。自分と周囲を守るために壁を築いたのに、結果更に疎まれるようになった。何処へ行っても美良乃は異分子で、「変わってる子」で「無神経」で「何を考えているか分からない」面倒くさい生き物だった。
何処へ行ったら受け入れられるんだろう。自分の居場所はどこにあるんだろう。逃げても逃げても、影のようにどこまでも追いかけてくる。
今も美良乃を苦しめている、あの日の記憶。滂沱の涙に頬を濡らしながら、煙に巻かれたように徐々に霞んでいく教室を見つめていると、不意にすとんと腑に落ちた。
――ああ、そうか。
(わたしは、他の誰からでもなく、自分自身から逃げたかったんだ)
長くなってしまったのですが、ここまでギュッと入れました。文字数多くて申し訳ないです。次回に続きます。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




