16. 九月二十九日 ハーベストムーン
その日、美良乃はアリアから何とも物騒なメッセージを受け取っていた。
『緊急事態発生。今宵やけ酒に付き合われたし』
何があったのかは分からないが、文面が果たし状みたいになっているところからして、ただ事ではない予感がする。おまけに、受信した時間が朝八時ピッタリ。美良乃が寝ていることを想定し、ギリギリ起こしても問題ない時間を待ち構えて送信ボタンを押したことが推測できる。
「やけ酒ってことは、6フィートアンダーに行くのかな?」
9月の満月、ハーベストムーンの日であるというのに魔女の儀式に参加しないのだろうか。
ともかく、大切な友達の「緊急事態」なのだ。行かないという選択肢はないだろう。美良乃はドキドキしながらも承諾の返信をした。
「ハーイ、フェルナンド。この間はありがとうね」
その夜、6フィートアンダーでバウンサーをしていたのはフェルナンドだったので、美良乃はできるだけ自然な笑みを浮かべて挨拶した。笑顔は苦手なので、気を抜くと引き攣ってしまうのだ。
「おう、美良乃。アリアはもう来てるぜ」
「本当? ありがとう」
「今夜は満月だから、気をつけろよ」
「ん? 満月だと何かあるの?」
キョトンとする美良乃に、フェルナンド無表情で頷いた。
「モンスターの中には満月に気が昂る種族が多くいる。特に獣人族には気をつけろ」
「へえ……。狼男は満月を見ると変身するって言われてるけど、本当だったんだ?」
「いや、それはデマだな。でもまあ、満月が近づくと血気盛んになるから、あながち嘘ってわけでもねえのかもしれねえが」
「妖精族は満月に何かあるの?」
フェルナンドはしばらく逡巡していたが、憮然としながらも渋々教えてくれた。
「……妖精族は満月の夜、庭で輪になって踊って、フェアリーリングを作る」
「フェアリーリング?」
指輪か何かを作るのだろうか。
「……フェアリーリングってのは、地面にキノコが円形に生えたもののことだ」
「へ、へえ……」
踊ってキノコを生やすとは、さぞかしシュールな光景だろう。しかも、何のために生やすのか訊きたいが、フェルナンドはあまりそれについて話したくなさそうに見える。
強面のフェルナンドが満月の下、皆で輪になってキャッキャウフフと踊っている姿は全く想像できない。顔がニヤニヤしそうになるのを必死で堪えた。
「そ、そっか……。タノシソウダネ……」
棒読みになりながらも、当たり障りのない返事をしておく。
美良乃はフェルナンドの喉で寝そべっているリンクスに手を振ってバーカウンターの方へ向かった。
フェルナンドの教えてくれた通り、アリアは既にカウンターに座っていた。いつもはファミレス席の方へ行くのだが、やけ酒をしたいと言っていたし、ここの方がおかわりを頼みやすいのかもしれない。
「ごめんアリア。待たせちゃった?」
勢いよく振り返ったアリアは目が据わっていた。片手に毒々しい紫色の液体の入ったショットグラスをしっかりと握っている。
「よく来た。座って、座って」
ぐいぐいと手を引かれて、美良乃は大人しくアリアの隣のバースツールに腰かけた。
バーテンダーに『妖精の瞬き』と、棒状のモッツァレラチーズを揚げたモッツァレラスティックを注文した。
「それで、何があったの?」
「よくぞ訊いてくれました」
アリアはショットグラスをぐいっと呷る。
「本当にもう、信じられない! あいつ、浮気してやがったのよ!!」
カウンターにショットグラスを割れんばかりに叩きつけ、建物全体に響き渡るのではないかという程の音量で怒鳴った。
あまりの音量に耳がキーンとする。顔を顰めつつも、美良乃はアリアの顔を覗き込んだ。
「あいつ」と「浮気」が差す人物といえば、アリアの交際相手であるジェフしかいないだろう。
「ジェフが? 本当なの、アリア?」
ジェフは美良乃のはとこだ。仲良くはないが、親戚の集まりで会えば挨拶とちょっとした会話程度はする。あまり真面目な印象はないが、浮気するほど軽薄だったのか。
「そうなのよ!! あいつ、あたしという女がありながら、チアリーダーをお持ち帰りしやがったのよ!! な~にが『酔ってて記憶がないんだ、許してくれベイビー』よ、あのクソッ!」
完全にアウトな言い訳に、何だか親戚として申し訳ない気持ちになった。
アリアはジェフの浮気によほど傷ついたのだろう、ものすごい勢いで酒を呷っていく。
アリアがいつも飲んでいるのはウィッチズ・ブリューという酒なのだが、その時々によって混ぜるものが異なるそうだ。見た目もピンク、緑、紫と色々だが、最後に必ず魔力を入れて味を調えているらしい。
こんな時、何て言葉をかけてあげればいいのだろう。「アリアならもっといい男がいるよ」とか、「あんなやつのことは忘れちゃえ」とか、月並みな言葉しか浮かんでこない。
オロオロしていると、アリアがナンパしに来た若い男二人組をヒキガエルに変えてしまった。美良乃はカエルが大嫌いだ。カエル恐怖症と言ってもいい。小さいアマガエルも嫌いだし、カエルの置物さえ見るのも嫌だ。
背中に嫌な汗が流れる中、バーを去って行く二匹のカエル、もとい男たちを横目で確認していた時、毎度おなじみのファンファーレが鳴り響いた。
パンパカパ~ン!
「紳士淑女の皆様、お待たせいたしました! 頭脳明晰、ブルーサファイアの瞳、今宵の空に輝くハーベストムーンのようにパーフェクトな吸血貴公子!! ルイ・ド・クルール・サンティアゴ~!!」
螺旋階段の先にかけられていたカーテンがさっと開き、中から歌舞伎町のホストのような白いスーツと赤いマントに身を包んだルイが現れた。
彼が一歩を踏み出すごとに、ピンクの花びらが何処からともなく降り注ぐ。割れんばかりの歓声が巻き起こった。
(――出た~!!)
ルイが満面の笑みでファンからの黄色い歓声に応えている間に、美良乃はそそくさと出口へ向かう。
いつもはルイの独特な言動に呆れつつも何とか対応できていたが、大嫌いなカエル、しかも二匹の出現によって精神的ダメージを負っている現在の美良乃に、あのハイテンションと迷言を上手く脳内で処理できる自信がない。アリアには申し訳ないが、少し外に避難し、ルイがいなくなったころを見計らって戻って来よう。
怪訝な顔をしてこちらを見ているフェルナンドに目礼し、ドアのノブに手をかけた時、背後からマイク越しに蕩けるような甘い声が響いた。
「(ピーガガッ)おっと、コホン。美良乃~!! マイエンジェ~ッル!! 僕の胸に飛び込んでおいで!!」
慌ててドアを押し開けようとしたところで、力強い腕にガッシリと抱え込まれた。
「ひいっ!」
たった数秒の間に、どうやって背後に忍び寄ったというのだろう。恐る恐る振り返ると、キラキラしい笑顔のルイが立っていた。
「恥ずかしがりな子猫ちゃんだね」
美良乃は胡散臭いものを見る目つきでルイを睨んだ。
「わたし、もうかえ」
「ささ、夜は始まったばかりだよ、マイハニー」
――誰がお前のハニーだ。
反論しようとしている隙に、ルイは美良乃をひょいと横抱きに抱え上げた。
ひしめき合っていた客の視線が、一斉に自分に集中するのを感じて頭を抱える。
(人に注目されるのは嫌なのに!)
「ちょっと、下ろして!?」
ルイの横顔睨みつけるも、ルイは美良乃の言葉など聞こえなかったとでもいうように上機嫌でバーの方へ歩いていく。
未だかつて、ルイがここまで強引な態度に出たことはなかった。これはどういう心境の変化なのだろう。
「も、もしかして、満月だから……?」
前回の満月はアリアと魔女の儀式に参加していたし、あの時はまだモンスターの存在を知らなかった。もしかしたら、吸血鬼も獣人族のように満月は血沸き肉躍る日なのだろうか。疑いを持って見ると、何となく、ルイのブルーサファイアの瞳の奥に血のような赤い色が見える気がしてくる。
「ふふっ。僕たち吸血鬼は満月の影響を受けないから、安心したまえよ」
食い入るように己を見つめる美良乃に、ルイはちらりと笑んだ。下唇に牙の先端が引っ掛かって何とも艶めかしい。
あまりの色気に心臓が跳ねた。
(なっ、何これ!? 何でわたしドキドキしてるの!?)
じんわりと顔が熱くなって、美良乃は焦って両手を頬に押し当てて隠した。
「っていうか、下ろしてよ!」
バーに戻るなり、ひしめき合っていた人混みがモーセの十戒のごとく左右に割れた。ルイは悠々とダンスフロアの真中まで来ると、そっと美良乃を床に下ろした。
人々の奇異の目に晒されていたたまれなくなった美良乃は、アリアの元へ戻ろうと踵を返したところで右手をルイに掴まれた。
「ちょっと!?」
「嗚呼、僕の女神よ! 僕と一曲、踊っていただけますか?」
「はぁ!? お断りします!!」
カラオケは好きなのでリズム感はある方だと自負しているが、ダンスをする機会など学校の体育以外になかった。それなのに観衆が見守る中で踊れなんて、どんな罰ゲームだ。
しかし、一刀両断に断られてもめげない男。それがルイ・ド・クルール・サンティアゴ、通称毒規則である。ステージ上のDJにバチコーンとウィンクをかますと、バーの雰囲気に似合わないクラッシックな音楽が流れてきた。
「そんなつれない君も素敵だよ。ささ、お手を」
「だから、断ったじゃない!」
がっしりと手を掴まれ、腰をホールドされた。
「わたし、小学校の運動会でソーラン節くらいしか踊ったことないんだから!!」
「安心したまえ! 僕は元々、ヨーロッパの伯爵家の生まれだからね! ダンスは天才的に上手なのだよっ! 天は二物を与えずというけれども、僕は例外だねっ!!」
真珠のような歯を煌めかせながら、堂々と言ってのける。
「……自分で言っちゃうんだ」
呆れながら半目でルイを見上げた時、入口の方から怒声が聞こえてきた。
「ああ、何だとテメエ! ミーティアは俺の女なんだよ!」
「ふざけんなコラ! 振られたくせに未練がましいんだよ!」
ギョッとして入口の方を見ると、男が二人、ものすごい勢いでバーの中に突っ込んできた。数回殴り合うと、二人は床を蹴って跳び上がり、掴み合いながら放物線を描くようにしてダンスフロアの中央にいる美良乃たちの方へ落ちてくる。
(ぶつかる! 避けなくちゃ)
頭の中ではそう理解しているのに、あまりの速さに身体が追い付かない。
「やれやれ……」
ルイが溜息を吐いたと同時に強い力で抱き込まれ、硬い胸に頬を押し付けられた。ぐるりと身体が回転する。
ドンという音と振動を感じて首を巡らせると、美良乃たちから数歩離れたダンスフロアの床の上で先ほどの男二人が揉み合っているのが見えた。どうやら、ルイが咄嗟に美良乃を抱き込んで衝突を回避してくれたようだ。
男たちをよく見ると、ひとりは犬のような、もうひとりは猫のような獣耳が生えているので、獣人族なのだろう。
「怪我はないかい、マイエンジェル?」
呆然としながらも頷くと、ルイは数回軽く肩を叩いてから身体を離した。
コツコツと音を立てながら数歩進み、床の上で殴り合いに発展している男二人の傍らで立ち止まる。
「君たち。僕の店で暴れられたら困るなぁ」
ルイが発した言葉は凍てつくような冷たさを帯びていた。決して大声ではないというのに、何故か鼓膜がビリビリと痺れ、身体が総毛立つ。
「あまりおいたがすぎると、喰うよ?」
美良乃からはルイの背中しか見えないが、こてりと首を傾げる様が異様に不気味に見えた。何と表現したらいいのだろう、動くはずのない人形が首を傾げたような、背筋が冷たくなる光景だったのだ。
「ひっ!」
「わ、悪かった!」
男二人は血の気の失せた顔で床に尻もちをついた。地獄の使者をみるような恐怖に慄いた目つきでルイを見上げている。
「悪ぃなルイ。侵入してくるまで気付かなかった」
ばつの悪そうなフェルナンドが人混みを押し分けてダンスフロアに出てきた。フェルナンドはバウンサーなので、入口で身分証明書を確認するだけでなく、警備員の役割を担っている。
「妖精族の聴覚は吸血鬼に及ばないからね。気にすることはないさ」
「すぐに片付ける」
フェルナンドが男二人に向かって軽く指を振ると、ウインドチャイムのような音と共に金色の鱗粉が彼らをぐるぐると取り囲む。最後は泡が弾けるようなパチンという音がして、二人の姿が消えた。
ポカンとしている美良乃に、フェルナンドは肩を竦めた。
「店の外へ強制移動しただけだ」
「ご苦労だったね、フェルナンド! 先ほどから彼らが墓地でぎゃあぎゃあと喚く声が聞こえていたものだから、いずれここにも入ってくるだろうと思っていたのだよ」
ルイはステージのDJを振り返って目線で指示を出す。いつの間にか音楽が止んでいたようで、すぐに最近流行している音楽が流された。
「美良乃とのダンスは、またの機会に、ね」
パチンと片目を瞑って見せるルイを、美良乃はまじまじと見上げた。
美良乃が店の外へ出ようとしていた時、ルイが強引にバーまで連れ戻したのは、店の外であの二人が暴れていることが分かっていたからだったのだ。
(わたしが、巻き込まれないように、だったんだ)
胸の奥がくすぐったい。何となく、視線を合わせていられなくなって目を逸らした。
「それでは、良い夜を」
「あっ……」
気付けば視界の端で踵を返したルイのスーツを咄嗟に掴んでいた。
ルイが驚いたように息を呑んだ音が聞こえたが、美良乃は自分の手元に視線を定めたまま、ポツリと呟いた。
「ま、守ってくれて、ありがとう……」
自分でも赤くなっていることが分かるくらい、頬が熱い。
ルイは自分のスーツの端を掴んでいる美良乃の手を、壊れものでも扱うように丁寧に掬い上げた。少し温度の低くて柔らかいものが押し当てられる。
「お姫様を守るのは騎士の役目だからね」
手の甲から僅かに唇を離したままそう言って、ルイは甘く笑った。
呆然とその様子を見ていた美良乃の心臓が、胸を突き破って出ていってしまうのではないかと思うくらい、早鐘を打ちだす。
「ちょ、き、なっ」
パクパクと口を開いたり閉じたりする美良乃の手をそっと離すと、ルイは今度こそ背を向けて歩き出した。
ルイの背中が人混みに紛れて見えなくなったところで、美良乃はハッと我に返った。
(べ、別にときめいたりしてないんだから!! 何よ、気障ったらしい……)
慌ててアリアの待つカウンターへ戻る。
「ひとりにしてごめん、アリア!」
アリアは知らない人と肩を組んで陽気に歌っていた。アリアの周りには数えきれないくらいの空のショットグラスが置かれているので、これはもう泥酔しているとみて間違いない。
アリアといる人物は、女性にしては筋肉質だが、男性にしては線が細い。ルビーのような真っ赤な瞳に黄色とオレンジのグラデーションの髪をしている。額には黒い角が二本生えているので、人間ではなさそうだ。
「あ~、美良乃ぉ! おっかえりぃ~! ヒィック!!」
「あらあ、アリアちゃんのお友達ぃ?」
「そうよぉ! かっわいいでしょお!? 美良乃、この人は鬼人族のダニエルよ」
「ど、どうも。美良乃です」
アリアとダニエルはカウンターで隣に座っていたところ、意気投合したらしい。ダニエルは口調は女性的で線も細いが、喉仏があり、名前も男のものだ。
「やっだあ、美良乃ちゃんもアリアちゃんも、めちゃくちゃかわいいじゃないのぉ! アタシかわいい子大好き!」
ダニエルは手に持っていたビールジョッキを掲げてご機嫌だ。
「あ、ありがとう」
「んふん、もうチューしたくなっちゃうわ!」
「いえ、それは遠慮しておきます」
めちゃくちゃテンションが高い。彼も泥酔しているのだろうか。
「それでは、満月の出会いに感謝してぇ、かんぱぁ~い!」
「フォー! サンキュー女神様! 今夜は金曜、明日はお休みぃ!!」
「い、いえーい……」
美良乃は自分の飲み物がなかったので、仕方なくアリアの空のショットグラスを掲げた。魔女と鬼人は音楽に合わせて上半身だけで踊ったりしながら楽しそうだ。
美良乃はそんな二人を眺めつつ、気が付けば、何故かルイの姿を探していた。
背中に朱色の翼が生えた綺麗な女性と談笑しているルイを見て、モヤモヤしたものが胸の奥に広がっていく。
――これではまるで、嫉妬しているみたいではないか。
「満月のせい、きっと満月のせい!」
美良乃は周囲に聞こえないくらいの声量で呟いて強く頭を振った。
真意は定かでないが、人間の世界でも満月になると出産が増えるとか、犯罪数が増えるとかいうではないか。きっと、人間である美良乃も何かしらの影響を受けて情緒不安定になっているのだろう。
満月が終わればこのモヤモヤも消え失せるはずなのだ。
「すみません! レモネードください!!」
酒に強くない自覚があるので、これ以上は飲みたくない。
美良乃はソフトドリンクを次々に呷って、胸の奥で灯ってしまった何かを必死に掻き消したのだった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




