11. 九月七日 夢魔のお茶会
気が付くと、美良乃は霧の立ち込める庭園に立っていた。
白く煙った木立と、腰の高さほどの生垣が行く先を塞いでいる。困惑して目を瞬くと、白っぽく霞む視界に時折キラキラした金と銀の光の粒子が混ざっていることに気が付いた。
(ここは、どこだろう?)
先ほど自宅のベッドに潜り込んだはずなのに。
自分の身体を見下ろすと、パジャマ代わりに愛用しているタンクトップとショートパンツではなく、何故か自分の趣味でもないフリルたっぷりのピンクのドレスを着ているではないか。
キョロキョロ見渡すと、背後にレンガが敷き詰められた小道が伸びていた。
仕方なしに道なりに歩いていくと、すぐにガゼボが見えてきた。白い円柱と青いドームの屋根が見事だ。周囲を取り囲むように紫陽花に似た虹色の花が咲いている。
ガゼボに近づいていくと、段々とそこに二つの人影が見えてくる。そのうちのひとりに気付いて、美良乃は足を止め、思い切り顔を顰めた。
(う、嘘でしょ、何で!?)
ガゼボの中には白いアンティーク調のガーデンテーブルが置かれている。それを挟むように、艶やかな黒髪の男と、紫色に白いハイライトが入った髪を頭頂部でひっつめた老婆が対面で座っていた。
――何でこんなところに毒規則がいるんだ。
老婆と愉し気におしゃべりをしているルイを、美良乃は愕然と見つめた。
「ふむふむ、それでは夢魔特製のカクテルを出してはどうだろうね!?」
「あたくしの特製カクテルを? ええ、ようござんす。……あら。そんなことよりも、あーた、そろそろお客様が見えたようですわよ?」
「おや、僕としたことが!」
ルイは立ち尽くす美良乃に気付いたようだ。こちらを見ると、大輪の花が綻ぶような笑顔を向けてくる。
「美良乃、マイエンジェ~ッル!! 噂をすれば影が差すだね!」
今回は言葉を正しく使用できていたが、聞こえなかったことにした。
「さようなら!!」
くるりと踵を返して一目散に今来た方向へ走り出す。しかし必死に足を動かしているのに、身体が鉛のように重く、ちっとも前に進めない。
(何これ!? まるで夢でもみているみたいな……)
ぐぬぬと奥歯を噛み締めて、更に一歩を踏み出そうとした時、背後から老婆の声がした。英語が母国語ではない者特有の訛りと、耳慣れない言い回しが特徴的だ。
「あーた、せっかくお茶に招かれたのですから、お茶とお菓子を召し上がっていくのが礼儀でござーますわよ」
ふわりと身体が浮き上がる。
「きゃああ!!」
まるで見えない誰かに優しく横抱きにされているようだが、身を捩っても解放されることはない。有無を言わさぬ強い力でガゼボの方へ引っ張られていく。
丸いガーデンテーブルの前に座らされると見えない拘束が解かれた。美良乃は丸いテーブルを挟んで向かって右側に座っているルイを軽く睨む。
「……あなたがわたしをここに連れてきたんですか、毒規則さん?」
「毒規則だなんて、そんな」
自分で漢字を当てたくせに何が恥ずかしいのか、ルイはポッと頬をバラ色に染めて俯いた。まるで美良乃がよく読んでいるラノベに出てくる、どこかのご令嬢のような反応だ。
「ルイと呼んでくれたまえ! 僕と君との仲じゃないか!」
「……数回会っただけの、単なる顔見知りですよね、わたしたち」
美良乃がげんなりと溜息を吐くと。テーブルを挟んで左側に座っている老婆がにやりと口の端を歪めた。紫色の睫毛に縁どられた瞳は金色で、小花柄のピンクのワンピースが妙に似合っている。何故か美良乃が着ているドレスと似ている。
「まあ初々しいお二人でござーますわね。ささ、遠慮なさらず、お好きなものを召し上がってくださいな」
テーブルの上にはお皿を三段重ねたようなティースタンドと、白磁に金で縁取りをしたものにバラの花が描かれた、優雅なデザインのティーセットが置いてある。ティースタンドの上にはひと口大のサンドイッチ、スコーン、ケーキなどが載っている。
ぐさぐさと突き刺さってくるルイの視線から逃れるため、美良乃は老婆が紅茶を注ぐティーカップに視線を定めたまま訊ねた。
「あの、ここは何処なんですか? わたし、さっきまで自宅のベッドで寝ていたはずで」
「ここはあたくしの領域でござーます。こちらのルイちゃまのご依頼で、あーたの夢とここを繋げたんざます」
「夢を繋いだ??」
美良乃は目を丸くした。
「ええ。あたくしは夢魔のバーバラざます。お見知りおきくださーませ」
「は、はあ。美良乃です。人間です。よろしくお願いします」
バーバラは小指を立てながら優雅に紅茶をひと口啜った。
「あたくしは結婚相談所を経営しておりましてね。結婚に限らず、恋人を探したり、片想いの相手とくっつけたり、まあいろいろなサービスがござーますわね」
要するに、今回はルイの依頼で美良乃の夢をバーバラの領域に繋いで、お茶会に招待したということだろう。招待された覚えはないし、応じた覚えもないけれど。
じっとりとルイに非難の眼差しを向けると、彼は困ったように眉尻を下げた。
「どうしても君と話したいと思ったんだけれどね。連絡先も交換してくれないし、住所も知らないから、こうしてバーバラを頼ったというわけさ」
だからといって、本人の意思を完全に無視して強制的に呼び出すとは何事か。
美良乃の苛立ちに気付いているのか、いないのか、ルイはおもむろに席を立つと、美良乃の前で跪いた。背中に隠し持っていた真っ赤なバラの花束を差し出してくる。
「ああ、僕の女神よ!! 溢れんばかりの情熱を受け止めておくれ!!」
絶世の美男子が跪いて愛を請うなんて、世の女性にとっては垂涎もののシチュエーションなのかもしれないが、美良乃は気障ったらしさのあまりぶるりと身を震わせた。
「ちょっと待って……。あなた、わたしのこと良く知らないじゃない」
「知らないからこそ、こうして君と語り合ってお互いを良く知りたいと思っているのだよ」
「……知りもしないのに、情熱だとか言われても困ります」
「ひと目見たあの時、僕のハートは君に持ち逃げされたんだ!!」
「持ち逃げって……」
ものすごい言いがかりだ。
何度目か分からない大きな溜息を吐いて、美良乃は冷めた目でルイを見返した。
「要するに、あなたはわたしの顔だけが好きってことね」
これまでにも何人か「ひと目惚れした」とか「付き合ってほしい」と言ってくる異性はいたが、皆美良乃の中身を知ると興味を失って去って行った。
「彼女候補として見てください」なんて頼んでいないのに、彼らは勝手に美良乃に期待して、独りで盛り上がって、失望して、去って行く。
『全然話さないんだね』
『何考えてるか分からない』
『何か、思ってたのと違う』
女としても、人間としても価値のない存在だとでも言うように、その後彼らが美良乃に連絡したり、話しかけてきたりすることもなかった。
――だったら、最初から近づいてこないでほしい。
だから美良乃は、ぐいぐい来る人は跳ね除け、壁を築いて牽制することにしている。
ルイだって、美良乃の性格を知ったら離れていくだろう。最初から無駄だと分かっていることに時間を費やしたくないし、傷つくと分かっていることに踏み込めるほどの鋼の精神は持ち合わせていない。
「悪いけど、わたし、ひと目惚れって言われると腹が立つの。だって、顔さえよければ中身はどうでもいいってことでしょ? 馬鹿にしてるとしか思えない。……わかったら、とっととわたしの夢に戻してくれる?」
思ったよりも強い口調になってしまったが、これだけ言えば、怒って二度と近づいてこなくなるだろう。
――お互い、時間を無駄にしなくて済む。
軽蔑も露わな美良乃の視線を受けたルイはしかし、頬を更に赤く染めてうっとりとしている。
「ああ、その蔑むような目も堪らないよ、マイエンジェル……」
ほう、と熱い息を吐いて、恍惚とした様子のルイに、美良乃は頬を引きつらせた。
(そっちの趣味だった――!?)
全身に怖気が走り、腕を摩る。被虐趣味になんて付き合っていられない。美良乃は気が強い方ではあるが、人を虐めて悦ぶ趣味はない。
「そ、そいう訳だから、じゃあ!」
慌てて立ち上がろうとするのに、尻が椅子の座面に貼りついたかのように動かない。
驚愕に目を瞠ると、二人のやり取りを傍観していたバーバラがティースタンドを指さした。
「あーた、そんなにカリカリしちゃお肌に悪うござーますよ。キュウリのサンドイッチでも召し上がったらどうざます?」
どうやら、何かしらを食べてお茶を飲むまで意地でも帰してもらえないらしい。
美良乃は渋々バーバラに従った。キュウリがシャキシャキしていて、ちょっと酸っぱい何かが塗られているようだ。鼻に抜けるハーブはディルだろうか。
どうせ飲まねば納得してもらえないのだからと、すでに冷めてしまった紅茶をぐびぐび飲み干した。
「ごちそうさまでした!」
さあ、今すぐ解放しろとばかりにバーバラを見ると、彼女は片眉を上げ、呆れたように肩を竦める。
「せっかちな娘でござーますわね、ルイちゃま」
「うむ、そこもまた良いのだがね!!」
はっはっはと笑いながら上品に紅茶を飲んでいる。結局何でもいいのではないだろうか。
「……前から思っていたんだけど」
美良乃が不本意ながらも口を開くと、ルイは驚いたように視線を上げた。
「何だい、僕のかわいい兎ちゃん?」
嬉しそうにキラキラしい笑顔を向けてくる。
――誰が兎だ。そして、お前のではない。というか、さっきからエンジェルだったり、女神だったり、ころころ変わりすぎじゃないだろうか。
「あなた、吸血鬼なんだよね?」
「いかにも」
「吸血鬼って、食事できるの? 日光も平気みたいだし」
「ははあ、小説や映画の吸血鬼と違うって? それはそうだろうとも、あれはフィクションだからね」
「フィクションなの?」
美良乃は首を傾げた。
ルイ曰く、吸血鬼は長命種で子供ができにくいが、人間と同じように胎生で、生まれた時は当然赤ん坊の姿をしているそうだ。そのため、吸血鬼に噛みつかれた人が吸血鬼になることはないという。
そして、彼らも人間と同じように食事もするし、排泄もする。棺桶ではなくベッドで寝るし、鏡にも映る。日光に当たり過ぎると蕁麻疹が出てしまうようだが、灰になって死んでしまうことはないという。
「ただ、人間に比べて身体能力が高いし、ある程度成長すると老化がゆっくりになるけれどね。にんにくも、十字架も、銀も特に害はないよ」
「じゃあ、血を吸うっていうのも、嘘?」
ルイはちらりと牙を覗かせて微笑んだ。ブルーサファイヤの瞳が怪し気に輝く。
「ふふ、それは本当だね。ただし、毎日飲まなくてはいられないというわけではないんだ。定期的に接種すれば問題ないよ。今は輸血用の血液があるから大変便利だが、相手の合意があれば、直接血を飲ませてもらうこともある」
「心臓に杭を打たれると死ぬっていうのは?」
「それは人間も同じなんじゃないかな」
ルイは揶揄うような笑みを浮かべた。
言われてみると、確かに吸血鬼でなくても心臓を貫かれれば死ぬ。あまりにも馬鹿げた質問だったかもしれない。
特にこれ以上訊きたいことがなかったのでスコーンに手を伸ばすと、視界の端でルイがにまにま頬を緩めているのが見えた。
「――何?」
「いや、君が僕のことに興味を持ってくれたのが嬉しくて」
美良乃は気まずくなって慌てて目を逸らした。
「べ、別にあなたに興味があったわけじゃなくて! 吸血鬼っていう種族に興味があっただけだから!」
「ははあ、こういうのを、ツンデレっていうのだろうっ!?」
「つ、ツンデレじゃないから!!」
スコーンを口に押し込み、バーバラが取ってくれたケーキを口に運びながら、美良乃はあることに気付いた。
「……そういえば、わたしって今、自宅でどうなってるんですか?」
「あたくしの領域は、あくまで夢の中に存在しておりますからね。あーたは今頃、ご自宅でスヤスヤ寝ているざます」
夢の中、ということは、食べているものも実際の身体に影響はないのだろうか。そう訊くと、バーバラはこくりと頷いた。
「そうでござーますね。実際に胃の中に入っているわけではござーません」
「ああ、良かった」
「何故にそんなことをお尋ねになるんざます?」
「だって、こんな真夜中にケーキだのスコーンだの食べたら確実に太るじゃないですか」
美良乃の返答に、バーバラとルイは一瞬ポカンとしたが、すぐに二人で顔を見合わせる。
「何ですか?」
「あーた、そんなにお痩せになっているのに、そんなことを気にするんざますか? もう少しお肉をつけてもいいくらいでござーますよ」
美良乃は日本基準のBMIでいうなら、至って普通の体型だ。決して痩せてはいない。しかし、アメリカの基準で見るとやや細く見えるのかもしれない。
バーバラはねえ、とルイに同意を求める。
「僕は美良乃がどんな体型であろうが愛し抜く自信がある」
キリリとした表情で断言されても、現状彼に愛されたくはないので「どうも」とスルーしておいた。
「さてと、そろそろ帰らないといけないので……。ごちそうさまでした、バーバラさん」
「こちらこそ、来てくれてありがとうござーましたわ。ルイちゃまと連絡先を交換なさったらいかがざます?」
「いえ、それは」
バーバラは実にいい顔でにっこりと微笑んだ。
「まあ、それではまた、ルイちゃまとここでおデートいたしましょうね。今度はあたくし、席を外しますので、じっくりとお話なさるがいいざます」
「連絡先を交換してもらえないのは寂しいが、夢の中での逢瀬も悪くないねっ!」
ルイはまんざらでもなさそうに頷いているが、夢で強制デートなど、美良乃にとってはたまったものではない。
「……連絡先の交換で、お願いします……」
こうして美良乃のスマホに、新規連絡先「毒規則」が追加されたのだった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




