表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おはよう、フェアリーテイル  作者: イザヨイ
5/6

【5】


 いよいよしっかりと妖精が見えてきた。

 目を開けるたびにドキドキする。目を開けるという行為がこんなに胸高鳴るものだとは思わなかった。

 今日もいつもと同じく、車椅子で暖かな庭へと連れてこられた。

 手で地面を触る。草、花、葉っぱ。手で触り、それぞれの感触の違いを得る。

「………」

 目を覆うレースに触れる。少し持ち上げて、ドキドキしながら薄目を開けて、閉じた。

 一瞬前に見たものが、ちかちかと瞼の裏側が眩しく残っている。

 ――きっとそうだ。と確信する。

 こんなにも美しく眩いのは妖精に違いない。

「――あっ」

 庭には基本、ノル一人だ。お世話係を呼ぶ時は首に下げたベルで呼べばいい。

「ご主人様っ」

「―――っ」

 ノルが振り返ると驚いたのか、たたっ。と靴音が響いた。おそらく一、二歩下がったのだろう。

 お世話係に比べ、彼の足音は重く静かだ。

「驚かせてしまってごめんなさい。あの…呼び出してしまってすみません…」

 お世話係がノルをここに連れてきてくれた時に、男を呼んでほしいと頼んでいたのだ。

 難しければ引き下がろうとも思ったのに、お世話係は主人の予定を把握しているのか、わかりました。と即答していた。

 コンコン、と音がした。男がどこかを叩いたのだろう。それは否定の意。

 主人を呼び出すなんてと思ったが、どうやら気分を害されていないようで安堵する。

「あの…ご主人様…」

 立ち上がり近付こうとすると、男が足早にこちらに来たので結局立ち上がる暇もなかった。空気が動く。彼がしゃがんでくれたのがわかった。

「私のお話し、聞いていただけますか?」

 さくりと音がした。地面を叩こうとして音が草に吸収されてしまったのだろう。男は手を一つぱちんと叩いた。

「優しい方、聞いてほしいの。……私、実は、妖精眼を得たの…っ」

 男の息を飲む声が聞こえた。反応が嬉しくて、話せるのが嬉しくて、興奮が抑えきれなくなる。

「目を開けると、ちかちか眩しい光が見えるの。これって妖精ですよね? …実は少し前から見えてたけれど、黙っていたの。本当に妖精眼なのかわからなかったから…。でも、これで…やっと貴方の役に立てれます」

 気持ちが高揚する。どんなかたちかなんてノルには問題ではない。こんなに幸せなひと時は初めてで、いっとうの恩返しができるならば後の事など問題ではない。

「私を売れば貴方はずっとずっと、きっと私を買った時よりも多くのお金を手に入れられる…っ。私はここでどうすればいいのかわからないから…私の売ったお金を感謝の気持ちとさせてほしいの」

 ここに来てノルは与えられるばかりだ。今は幸福だが、その後に何があるかはわからない。ならば幸福なまま役に立って去りたい。

 ここはノルにとって幸福な場所だ。けれどいずれ去らねばならないのなら、そうなる前に恩を返して出て行きたい。

 売られた後、どうなるかはわからない。きっとここに来れたのは奇跡に近い幸運だ。

 出来れば生きていたい。けれど死んでしまうなら仕方ない。

 死んでしまうような場所ならば、せめてこの幸福を抱えていたい。

「……ノル」

「―――っ」

 初めて声を聞いた。息を吸い込み、感動で固まる。男の人の声は、低くて優しいトーンで名前を呼んでくれた。

 驚いて、嬉しくて、身体の中で何かが溢れ出したように脳が痺れる。ふわふわ、ぽわぽわと、まるで重力を失ったように。

「…きみが持っているのは…妖精眼なんかじゃない」

「……え…?」

 しかし真っ先に告白を否定され、灯が吹き消えるような冷たさに満たされた。

 気配が近くなる。きっと目の前に居る。彼が近付くと、ノルの後頭部で何やら動いた。

「…あっ」

 慌てて目元を覆うも、レースが取り払われてしまった。

「ゆっくり、目を開いてごらん」

 でも、と反論しようとして、やめる。ここで妖精がいる箇所を指させばきっとわかってもらえる。

 そっと目を開いた。

 ほら、ちかちかと暗闇に浮いている。そっと指さそうとしたところで、また声が降ってきた。

「きみが見ていたものは、妖精なんかじゃない」

 男の声が少し遠ざかった。目を開く。顔を上げた。

「きみが手にしたものは、視力だ」

「――――」

 光の奔流、だった。きらきらと輝くのは暗闇に浮かぶ白い光ばかりではない。色がついている。どういう名前かはわからない。けれど、薄暗い闇の向こうには確かに色づいた景色とぱちぱちとはじけるような光があった。

 眩いと言う言葉を知らず、ただその強さにうつむいた。自分の手が見えて、草を触る。その通りに感覚が伝達される。花が咲いている。

「これが…花…」

 感覚はまだ掴めずに何度か失敗したが薄い花びらに触れられた。

「…こんなに小さかったのね…」

 思わず口から洩れる。

「きみの盲目は先天性のものだ。だが治せる見込みがあるとあの館に居る時から確証があった。ここには癒しの法陣が張られていてより効率良く治療を行えるんだ」

「…じゃあ…私が見ていたものは…」

 ふわふわと浮かぶ光。妖精だと思っていたあの光は。

「…景色だ。徐々に見えるようになるにあたり、強い光を先に感じていたのだろう」

 男の声はどこか苦しそうだ。

「……どうしてそんな声を出すの? 私が…妖精眼を持っていなかったから?」

「そんなもの! 持っていなくてかなわない!」

 男が咆哮するように否定する。

「…じゃあ…どうしてそんなに怒っているの?」

 怒りが怖い訳ではない。そんな感情はあの娼館で嫌というほど見てきた。怒りには理由があるものと無いものがある。後者はひたすら男たちのもたらすものに耐えなくてはいけないが、理由があれば話して発散してくれる事も多い。

 何より、ノルはようやく存在の一片を見せてくれた男をささやかでもいいから知りたかった。

「…きみが、そうやってすぐ自分を犠牲にしようとするから…ッ!」

 次に聞こえたのはしぼんだ風船のような声だった。ノルに酷い事をした後、後悔していた男たちと同じ声色。

「でも私は何も持っていないから…私自身を削らないと…」

 そうじゃないと生きていけない。そうやってノルは生きてきた。広げた両手に何もないから、爪を剝ぐようにして。

「僕はきみで金儲けをしたり、まして売る気なんてない」

「…でも、貴方は…」

 娼館で客がしてきたような行為をノルに求めすらしない。ノルがここで得ていたものは、ただひたすらの安らぎだ。

「ただきみを…ここよりもずっと良い場所へと連れて行きたいんだ。もっともっと暖かくて優しい場所へ」

「……え?」

 男の口から出たのは予想外の言葉だった。金儲けでも身体目当てでもなくノルに道具性をも持たせない。とすれば、ノルに出せる答えはただ一つだ。

「…私が…要らなくなった…?」

 え、と男が困惑した声を上げる。

「だから私をここから追い出すんでしょう? でもそれなら、やっぱり売って…」

「ッ違う! そういうんじゃない! ここはきみには窮屈だ。…今はそうじゃなくても、目が見えて知識が増えて…いずれきみはここを退屈だと嫌になる。…そうなる前にもっと良い場所へと行ってほしいんだ」

 ノルにはわからない。それと追い出す事と何が違うんだろう。

「…わからない…だってここを嫌になるなんて…」

 想像もできない。

 戸惑い、男の言葉を少しも信じられないノルを見て、男は意を決したように大きく息を吸い込んだ。

「…見てくれ…」

 そう言い、男はシャツのボタンを二つ外した。そして目を閉じる。

「……?」

 目を凝らす。気のせいか、男の顔色が黒くなっていっている気がする。段々と、形も変わっている気がするが、ぼやけた視界ではうまくとらえられなくて瞬きを繰り返す。

「……手を」

 伸ばされた手は、黒かった。どうしてだろうと思いつつその手を取ると、ふわりと毛並みに触れた。

「え?」

 目の前にいるのは男の筈。だが手に触れているのは人間の触り心地には思えない。

「俺はヒトではない。…じゅ…獣人…だ」

 男の上半身は黒豹に似た獣の姿へと変わっていた。

「獣人…」

「獣人はわかるか?」

「ええ…知ってるわ」

 娼館の壁はあまり厚くない。特に、客が入らない時の娼婦の口もゆるくなる。彼女たちの口からは何度も獣人を忌み嫌うような言葉が聞こえた。

「獣人はこの国では嫌われている。現国王が獣人にも人権を与え、奴隷のような扱いをしないようにと法を整えてくれたが、人々の意識はすぐには変わらない。今は人間に紛れて暮らしていけてもずっとバレないとは限らない。その時一緒に居たらきみだって迫害を受ける」

 ノルはどうしてそんなに獣人を嫌うのかがわからなかった。

 ノルにとって、近付くものはほんの少しの例外を除いて『同じもの』だったから。

「ヒトに紛れて暮らすのは正直とてもストレスだ。そんな時に偶然入ったのがあの娼館で…きみに出会った」

 男の焦燥した声が少しだけ安らぐ。

「どうしても…衝動を抑えきれずに娼館に入って、きみを抱いた。…その、あまり思いやってあげれなくて…謝罪を兼ねてもう一度訪ねたんだ。忘れてるだろうけれど…二度目に会いに行った時に言ってくれたんだ。…『優しいね』って」

 覚えている。彼はわざわざ甘いものを持ってきてくれた。ノルが盲目だと知ると、わざわざ包み紙を解いて手に乗せてくれたのだ。

「そんな事…って思うかもしれない。でもとても嬉しかった。抱いてる最中もきみは俺を拒絶しなかった。その後も…。たったそれだけだが、きみに救われた。だから僕も僕が思いつく限りの方法できみを幸せにしたいんだ。…だから…きみを…」

 男にも葛藤があったのかもしれない。

 ノルの為を思い、様々なものを隠し遠ざけ癒してくれていた。

 感謝すべきものなのに、何故かズルい。と思った。

「…私、貴方に黙っていた事があるの」

 わしりと目の前の手を掴んだ。硬いと思った手は案外柔らかかった。

「え…えっ?」

 動揺する声がした。胸の中がむかむかする。こんな気持ちは初めてで、だから正直に吐き出す事にした。

「私は…貴方が獣人とは知らなかったけれど、誰かはわかっていたわ」

 動揺する男をじっと見る。顔はもちろん知らない。けれど、知っている。

「貴方は…スヴァットさん。優しい私のお客様」

「――――ッ?!」

 はっきりとした動揺が伝わってきた。

「私は目が見えないけれど、鼻と耳が良いみたいなの。あのお店で三度目から貴方はあまり話しかけてくれなくなったけど、匂いと音でわかったわ。…ここに連れてきてくれたのが貴方だって」

 スヴァットからの返事はない。ただ、口から名前…とかすかに聞こえた。動揺がまだ続いている。そうすると、むかむかしていたものがスッと晴れていった。

「名前は…貴方の事は、私の友人が教えてくれたの。…ねぇ優しい人。部屋の暖炉に火が入るのはお客様をお迎えしている時だと知って、何もせずに居てくれた。私の布団と服が薄手だと知ると、自分のコートをかけてくれもした」

 彼が一晩ノルの相手になってくれたおかげで、粗暴な客からも逃れられた。

「覚えてるわ、貴方の事。二回目に来てくれた時だけじゃないもの。ずっと貴方は優しくて…ずっと優しいと今でも思ってるわ」

 毛並みをするりと撫でると気持ちいい。びくりと震えた手が引っ込められそうで、ぎゅうと力を込めた。

「私はきっとおかしいの。何があっても、しょうがないって、思ってしまうから。…この手がヒトのものじゃないとしても別にどうでもいいの。例えこの心が感じとれなくても、人が欲深いものだってちゃんと知っている。…いつか感じ取れるようになったら…この手がヒトじゃないなんてと思うようになったら…」

 スヴァットを、獣人という理由で嫌うようになったら。

 ここを、つまらないという理由で出て行きたいと思うようになったら。

「その時は死にます。殺してくれてもいいわ。恩人の貴方を嫌になるだなんて、感覚がヒトになれても心が終わっているから」

 死ぬのならば仕方ない。けれど罪を背負ったのならば少しは意味は生まれるのだろうか。

 じっとスヴァットを見る。スヴァットの視線はノルを見ているようで見ていない。けれど必死に考えているのがわかり、握る手に力を込めた。

「…僕はきみを幸せにしたいんだ」

「…はい。私も、貴方を幸せにしたいんです」

「ただ、それだけなんだ」

「……はい」

 男はまた言葉を切り、だがノルはじっと待つ。

「…僕が訪ねると、きみは笑ってくれた。会話もまともにできないし、気の利いた事もできない。ただ、傍に………、…けれどきみは怯えもせず、ほとんど答えないのに言葉をかけてくれて、拒まずに居てくれた。…きみが…そんなふうに想ってくれてたなんて……本当に、嬉しかったんだ」

 じっくりと言葉を嚙みしめるように、誤解などひとつも与えないようにと言葉を選んでくれているのがわかる。けれどその優しさがノルの望むもの違う場合もあるのだとわかり、油断もできない。

 ノルもまた、いつでも口を挟めるようにと必死に耳を傾ける。

「あの場から解き放たれて、癒されて、暖かい場所で暮らしてもらうのがきみの幸せだと思ってた。ここは止まり木のようなもので…」

 ノルが握っていた大きな手が、ノルの手を包み返してくる。ノルの両手にまったくおさまらなかった手の平は、ノルの小さな手をすっぽりと覆ってしまった。

「でもここに居る事がきみの幸せと言ってくれるなら、僕は全力で成すと誓うよ。誓いを破らせず、死なさず、幸せだと思い続けれるように」

 握り締めていた手の感触が変わる。毛並みの良さと柔らかさはなくなり、代わりに五指の手となった。顔を上げると黒い獣はおらず、端整でがっしりとした身体つきの男がこちらを見つめていた。少しやぼったい髪は漆黒。のぞく瞳は金色で美しい。

 ――ああ、大丈夫だと緊張を解く。

 よかった、嬉しい。そんな純粋な感情が満ちていく。

「私も、誓います」

 嬉しくて笑うと、ぎこちなくスヴァットも口端を持ち上げた。

「私は妖精眼も持たない…何も持たないけれど。私の幸せを貴方が嬉しく思ってくれるなら、私もずっと幸せでいれるよう、証明し続けられるように、貴方の傍に居られるように頑張るわ」

 何も持たず、ただ流されて、よくわからないまま生きていくのだと思っていた。

 諦めていたのだ。そうしてすべてを。持つ事を覚えたら、その先を望んでしまうと恐れたのだ。

 手に何も持たないまま。ただ、ただ、持たずに、考えずに、必死に自分を糧に生きて。

 心が萌ゆる。視界の情報ばかりではない。スヴァットがくれたあらゆるものに感謝したい。

 そしてこの大きくて不器用な手に、彼がまだ持ち得ていないものを渡してあげたいと、そう思った。


ここまで読んでいただきありがとうござました!

絵本調から始めてみたいなと思い浮かんだお話になります。

おまけがもう一話あるので、よろしければもう少しお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ