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おはよう、フェアリーテイル  作者: イザヨイ
3/6

【3】

 売られてもうすぐ二桁の日が経つ。ノルは指の数以上は数えられない。カニーンは足の指を使えばいいと言ってくれたが、足の指は曲げられないから覚えられない。

 部屋にはノルが独り。

 何をされるのだろうと連れてこられた部屋で待っていたが、ノルには何も与えられなかった。

 …いや、違う。それまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 娼館での『お仕事』もなく、早朝に無理やり起こされもせず、おいしくて温かいご飯を食べ、ぼ~っと過ごし、夜になって眠りにつく。

 そんな日々が続いている。

 …思えば最初から妙だった。

 娼館を出るまで手荒だった手が、外のにおいと風を感じた途端に優しくなった。引きずるほどの乱暴な手が離れた途端、今までとは違う手がノルを支え、労わるようにして馬車に乗せられてた。馬車とわかったのは手を取ってくれた女性がわざわざ段差を教えてくれたからだ。

 ノルの世話は、その優しい手の持ち主がしてくれている。名乗ってもらえなかったが声が同じだからすぐわかった。

 会話は必要最低限だが、絡んだ髪を梳く櫛も、タオルを渡してくれる手も、服を着せてくれる手も、移動手段となった車椅子の操作もとても繊細だ。けれどしゃべりかけると途端に無言になってしまう。禁止されてるのだろうとは思い当たり、二日目には積極的に話しかけるのもやめた。

 困らせてはいけない。自分がどうにかなるなら仕方がないが、優しい人は傷つけたくない。

 ご飯は食べやすいように汚れにくいようにと気を使ってくれるし、最後にはデザートも用意してくれる。カニーンがこっそりと飴をくれたので甘い食べ物があるとは知っていたが、ここで出されるものはもっと甘くておいしい。

「ノル様。移動のお時間です」

 同じ時間かはわからない。けれどとても心地が良い昼下がりに、必ず車椅子で連れていかれる場所がある。そこには娼館に居た頃まで知らなかった感触が広がっている。

 お世話係は女性なのに力が強く、失礼しますと一言断りを入れるとノルの身体をふわりと持ち上げて、その場へおろす。手を伸ばしと指先に細長い何かが触れてくすぐったい。地面を押すとふかっとした。

「……」

 鼻をすませば、客が時々持ってきてくれた花の匂いがする。

 初めてここに来た時、どういうところかと聞いたら、庭ですと返ってきた。

 手を伸ばして肌で触れる。青い匂い。少しだけ埃っぽくてくしゃみが出そうになる。けれど圧倒的に良い香りが、息を大きく吸い込めば肺いっぱいに広がる。

 指先に触れた花を、茎のあたりに目算をつけて手折った。

「…くしゅん!」

 鼻先に近付けると、どうやら近付けすぎたようで今度こそくしゃみが出た。頬にあてる。薄くて少しひんやりとした感触がふわりふわりと伝わってきた。

「………」

 そよそよと風が吹くたび、草が、花がこすれて小さな音を奏でる。

「ふわ…」

 今度はあくびが出た。食事をたっぷりとって、この心地良さでは睡魔に襲われても仕方がない。

 寝ても大丈夫だろうか。

 ここに居ても大丈夫だろうか。

 最初はそんな風に感じていたけれど、ノルの行為を止めるものはいない。

 長くお昼寝をしてしまうと、いつの間にか部屋のベッドに戻っていたり、車椅子で運ばれている最中だったりする。けれどノルの買い主は一度も咎めたり罰を与えたりはしなかった。

 花の名前も色もわからない。

 どうしてお世話係がいて、様付けて呼ぶのかわからない。

 ここに来てからわからない事だらけだ。

 それでもあたたかなその場所をノルはすぐに大好きになった。



 初日に渡されたものがある。ペンダントの形状をしたベルだ。消音を兼ねた蓋を取って左右に振ると高く優しい音が鳴り、自分を呼べるとお世話係が教えてくれた。

 娼館では世話をカニーンがしてくれ、トイレにすら付き合ってくれた。けれどこの部屋は自由に使ってよいと言われているし時間は余るほどあるので、ノルは手探りで部屋を探索した。日々の情報と掛け合わせてトイレも一人でいけるようになった。

 もう一つ。部屋には『音が出るもの』が置いてある。

 お世話係に聞いてみたら、それはピアノだと言う。触っていいのか聞いてみたら、どうぞと返ってきた。

 指先で触れる。ノルが両手を広げても隅まで届かない。左側の鍵盤は音が低く、右側は高い。歌はいくつか知っているが曲は知らない。音の聞き分けもできないので、適当に指で弾いていく。二度と同じ曲にはならないが、はじけるような音は無音の部屋にはとてもよく響いた。

「ふふ…おもしろい」

 音は耳の奥まで余韻を残して消えていく。音を作り出すのが楽しくて飽きない。

 ここにきてノルが数えられる数字を超えた。いつものように鍵盤をはじいていると、突然別の音が混じった。お世話係かと思ったが、彼女はベルの音が聞こえるまで決してこの部屋に入ってこない。

 いくつか鳴っていた音は次第に旋律へと姿を変え、闖入者のそれはノルのものより余程音楽のかたちをしている。

「…貴方は…ご主人様?」

 聞くと音が止まった。出ていたのは高い音。そっとそちらに手を伸ばしたが、触れられずに鍵盤の上に落ちた手が不協和音を響かせた。そしてやはりしゃべりかけてはくれない。

「……私は…ここで何をすればいいですか?」

 お世話係に聞いても答えてはくれない。

「何か…しなくていいんでしょうか…」

 ぽつりと不安が漏れた。あたたかくてやさしくておいしい日常は、ノルには縁がなかったものだ。

 突然放り出されても困ってしまう。

 ――ポン。と音がした。

「?」

 だが音はそれきり鳴らない。

「どうしました? …えぇと…おなか空きました?」

 カニーンはよくお腹が空いたと漏らしていた。なんとなく思い出して口にすると、今度は音が二つ返ってきた。

「? えぇ…と…」

 よくわからない。すると、ポン。と音を一つと、ポンポン。と音が二つ。感覚をあけて繰り返される。

 何度も繰り返し、ノルは戸惑いながらも時々疑問を渡す。そのたび、答えるように音が返ってくる。

「……もしかして、返事をしてくれてるのですか?」

 ポン、と音が一つ。これはすぐに分かった。肯定してくれている。

「わぁ」

 ほんの少しの意思疎通だが、ノルは飛び上がるほどに嬉しかった。

 無関心な訳ではない。むしろ時間をかけてノルと言葉以外の疎通を図ろうとしてくれている。自身を認識してくれている。

「私が嫌いでは、ないですか?」

 すぐに、ポン。と返ってくる。

「…しゃべれないのですか?」

 もう一度音が一つ。

「そうなんですね……」

 出来ないものをしろという気はない。けれどかまってくれるならばこのチャンスは逃したくない。

「じゃあ…私たちだけの言葉を作りましょう!」

 目の前にはピアノがある。是非ならば今わかるようになった。

「私、もっとご主人様を知りたいのです。だからこうやって…音を使って言葉を作りましょう! …本当はもっと手段があるのかもしれませんが…私は頭が悪いので…覚えるのも時間がかかっちゃいますが…」

 手を動かす。けれど主人には触れられない。ノルの手を避けている。それでもこうしてノルに時間を割いてくれるのは、多分ノルを嫌いではないから。

 間があく。不安を覚え、それでも諦めきれずに手から力を抜けずにいると、ポン。と音が鳴った。一度で止まった音。

「…い、いいって事ですよねっ?」

 念の為確認すれば、もう一度音が鳴る。

「…わぁ…」

 身体の内側が暖かくなる。嬉しい気持ちが溢れて、心臓が高鳴る。

「ありがとうございます、優しい方。ここにきて一番嬉しいわ」

 ポン、ポン、ポンと鍵盤をはじく。この嬉しさが伝わればいいと思い。

 何も渡せないけれど、遊びでもおしゃべりでも男が楽しんでくればいいと思う。

(いいえ、違うわ。やっぱり私はもらってばかり)

 こうして相手をしてもらえて嬉しいのは、やはりノルの方なのだから。


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