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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十一話 闇路
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10

その名を耳にした瞬間、体に電流が走ったように震え、そして動けなくなった。

宗温にひたと視線を送る。

忘れられる筈のない名前だった。同時に、思い出すのも怖くて記憶の片隅に仕舞い込んでいた。

そんな名前を唐突に、それも全く予期しない人の口から聞いて、混乱し思考が止まった。

微かに震えてすらいる龍晶の戸惑いを解消すべく、宗温は説明した。

「私は小奈(サナ)と婚約していました。彼女は花嫁修業のつもりで宮仕えを始めたようです。十八になるまでの二年だけと決めて。そして、龍晶様の(そば)に仕える事になった…そう、嬉しそうに報告してくれました。たまの休みに顔を合わせれば、それはもう龍晶様の話ばかりで、少し妬いてしまう程に。でも後宮という所は本当に幸せそうで、話だけでもそれがよく伝わってきました」

その二年が、数多の運命を狂わせる二年だとは当初思いもしなかっただろう。

程なく王が倒れた。そして現王と皇后の入城、先王側室 朱花(シュウカ)の捕縛。

怒涛のように幸せの形は崩れた。

「宗温」

小さな声で、龍晶は呼んだ。

その続きを聞きたくは無かった。

しかし思い出さねば、否、常に頭の中にこびり付いて離れないあの光景を、己の口で説明せねばならなかった。

彼女にとって無二の存在である宗温は、あの瞬間何があったのか知る由も無いのだから。

「俺は今も本当に悔いている…。あの時、俺が余計な事をしなければ、小奈は……」

宗温は問い質しはしなかった。

それでも語らねばならなかった。己の罪を。

一つ深く息を吐いて、震えながら言葉にしてゆく。

「兄が…王が、初めて後宮に入ったあの日、俺が王の前に飛び出して行った事は知っているだろう?今では城の誰もが知る話だが…。その時に側に仕えてくれていたのが小奈だった。あの頃いつも俺の側に居てくれたから」

それが(あだ)となった。今ならそう思う。

あの頃は、居てくれる事があまりに当然のように思えていたから。

その恩義への無知が、今もせり上がる後悔の原因だ。

「王の怒りを買った俺は殴られながら、つい小奈に言ったんだ…助けてって。それがいけなかった。彼女は蹴飛ばされる俺と王の間に割って入って、王を(いさ)めた…そして」

代わりに彼女は半死半生の目に遭った。

あの時、自分の叫んだ一言が無ければ。

それによって彼女がどう動かねばねらず、そしてどうなるか考えられていれば。

己の愚かさを悔いて、悔いて。

もうこんな苦い思いをしたくなくて、王の傀儡となる事を決めた。

殴られるのは、自分だけで良い。

「…あれから後の彼女の安否を何も知ろうとせず今日まで来た事は済まないと思っている。知るのが怖かった…」

そう前置いて、宗温に恐々訊いた。

「小奈は、今…どうしている…?」

宗温は、色を失った龍晶の顔に目を落とし、ふっと息を吐いて。

遠くを見て、言った。

「あの後ーー宿下りの後、ひと月ほど看病しましたが…」

途切れさせた言葉。

龍晶は目を閉じた。

心のどこかで判ってはいた。それでも息が詰まりそうだった。

終わってしまった彼女の物語の代わりに、宗温は己の事を語った。

「私は王に復讐を誓い、その機を伺っていました。そんな折、皓照様に拾われ考えを改めました。復讐ではなく、龍晶殿下に王位へと着いて頂く事。何より、小奈が愛していた殿下を代わりに守ろうと…軍に入りました。無論、それは皓照様へ命じられたからでもあります。情報を送りながら、殿下の側へと近付く為に」

流石に驚いた顔をして、龍晶は問い返した。

「じゃあ、お前はあの男の密偵だったと…?その為に、何年もあの軍に…」

「まさか辺境の地で何年も足留めされるとは思いもせず、加えてそこに殿下がお出でになるとは全く…運命とは分からぬものです」

笑って、宗温は龍晶へと視線を戻した。

壬邑(ジンユウ)に飛ばされたのも、私が挨拶程度には哥の言葉を知っていたせいです。小奈は休暇で戻ってくる度に、私にも哥の言葉を教えてくれていました。教えられても聞き流す程度だったのでろくに覚えられはしませんでしたけどね。でも、殿下とお勉強しているんだって、嬉しそうに教えてくれるんです」

在りし日、小奈を従えて哥の言葉の習得に一日何時間も、何日も付き合わせていた。

今思えば申し訳無い事だったが、子供心に夢中であったし、彼女も粘り強く共に学んでくれた。

「殿下が哥の言葉を勉強される理由…覚えていますか?殿下は彼女に、哥の人と友達になりたい、そうすれば戦が無くなるから、そう教えて下さっていたようですね」

龍晶は気恥ずかしく頷いた。

それは旦沙那に語った理由と同じだ。

十年の時を経て、同じ事を口にしていた。

「私達が望むのはその世界です、殿下」

傷付いた手を取って両手で握り、宗温は言った。

「あなたの中に小奈の望みは生きています。彼女だけでは無く、もっと多くの人々の望みが」

それを生かすか殺すかは、己次第。

たくさんの人々の命を奪ってしまった。救い切れなかった命もある。生きながら不幸の谷間に落としてしまった人々も居る。

その彼らを、再び殺す事など出来ようものか。

何かが己の中で崩れ去った。

守るべき物を取り違えていた。

幼い頃から願い続けてきたもの、その夢は、間違いではなかった。

様々な困難に傷付けられ、汚され、折られた志ではあるが。

それをもう一度掴み直しても良いのだと。

夢ーー王となった暁には、哥と国同士の親交を結び、戦を無くす。

多くの人にとっての『大望』だ。

閉ざされていた先の道が見えてきた。

十年間止まっていた時が動き出した。

龍晶は立ち上がった。痛む足を引きずって、その痛みも忘れて歩き出した。

己にやるべき事がある。

自分にしか成し得ない事が。

「皓照殿」

隣室に入り、その姿を認めると、真っ直ぐな視線を向けて言った。

「あんたは以前、俺にとって何が必要か、何を守るべきかーーそれを問うたな」

「ええ。答えが出来ましたか?」

龍晶ははっきりと頷いた。そして言った。

「俺は民を守る。皆の願う国を作る。その為に力が必要だ。この国を動かし、変える力が」

「殿下…」

桧釐が誰よりも驚き、また心打たれた顔で主人を見上げる。

この言葉をずっと待っていた。

龍晶は桧釐には目もくれず、皓照だけを見据えて言った。

「あんたは俺に力を貸してくれるのか?否、頼む。力を貸して欲しい」

判る。今この時を、そしてこの男を逃せば、望みは永遠に(つい)える。

その先の未来など無い。自分だけではなく、この国の多くの人々も同様に。

ーー戦は無くしなされ。

この道中出逢った刀研ぎ師の声。

そんな、声なき人々の声。そして、失われた、母の。

聴こえる。

世界に溢れる言霊となって、己を動かす。

この声は、この道は、今の俺は、間違っていない。

戦を無くす。皆の願いの為に。

「ええ、勿論です。何の為に私がこの戔に居るとお思いですか。全て私にお任せなさい」

二つ返事を聞いて、頷いて。

一気に気が抜けた。

「わっ!殿下!」

後ろに居た宗温が倒れかけた身を慌てて支える。

完全に体を預け切って。

「大丈夫か?」

桧釐の問いに宗温は頷いて、頬を緩めた。

「安心されたのでしょう。ほら」

覗き込むと、小さな寝息と。

思わず桧釐も笑いを堪えて宗温と目を合わせる。

闇路から解放された、少し笑みさえ含んだ安らかな少年の寝顔に。


夜。

窓越しに空を眺め、溜息と共に燕雷は振り返った。

何の悪気も無い顔でこちらを見る相方。

「話が違うだろ」

この国の王を変える、その為に今後は動く。その決定は聞いた。

それは大いに結構だ。この腐った国を変えるというのなら。

ただし、それは自分達とは関係の無い所で進めて欲しい。

もう、この国と関わる事は一切有り得ないのだから。

「俺達は朔夜を救い、連れ帰る為に来た筈だ。少なくも俺はそうお前に聞かされた。あれは俺を丸め込む為の嘘か?(はな)からそのつもりは無かった?」

「嘘なんて。私が君に?その方が有り得ない。あと、彼を連れ帰るとは私は一言も言っていません」

「何だと?」

「暴走を止め、万一の場合その後の世話は頼みましたが、連れ帰るつもりは無かった。計画に無い事を私が口走る事はありませんから、君の思い過ごしです」

「まだこの国に留め置くとでも!?…お前は…」

罵る言葉を飲み込んで、溜息に変えた。

その溜息を、皓照自身が言葉に変換した。

「ええ。私に人の情はありませんよ。彼は私の駒に過ぎない」

「言うな!」

一言怒鳴って、相手を睨む。

が、動じる相手ではなく、平然と更に悪い事を告げた。

「そもそも、彼が生き延びるか否かは判りませんよ?私は留めを刺すつもりは今のところ有りませんが」

燕雷の顔が引き攣った。

長年この男の隣に居るが、今ほど怒りを感じた事は無い。

「お前…殺す気なのか」

唸る程低い声音で問う。

「完全に悪魔と成り果てた以上は、この世界から駆除せねば。不要どころか、有害な駒など消してしまった方が良いでしょう?」

「お前がこの国にやったんだろうが!!」

まだ何か言ってやりたかった。が、感情だけが溢れて言葉にならなかった。

確かにこの国に置いたのはこの男だ。だが、それがどうという事は無い。故に駒だ。

何も咎める言葉が無い。

人の情が無い。そういう事だ。

燕雷は目を閉じ、長く息を吐いた。

怒りに任せても何もならない。この男に何を言っても、何をしても無駄だ。

「…皓照、俺は俺のやるべき事をやる。お前とは関係無く」

無論、いつもそうだ。

何を命令される訳でも無い。頼まれる事も少ない。

二人のやるべき事が一致していたから、これまで共に動いてきただけで。

それも自然に、この神のような男に付いて行こうと思えたから、信頼を全て置いてきた。

だが、神に人の情など無い。それを知れば、付いて行く事は出来なくなった。

今も飄々と、己の言葉を受け流して。

「どうぞ、お好きに。しかしその前に、彼を迎え討たねば話になりませんよ。君の出番はその後です」

「迎え討つ…?」

皓照は窓の上からその光を放つ月に目をやって。

満月。雲一つ無い、星も無い、完璧な月だけの空。

「もうすぐ、私を殺す為にやって来ます」

燕雷は、その笑みに、流石に恐怖を覚えた。

人の命を意のままに操る、神の(わら)い。

「月にとっては、日の光は邪魔なようですから」


まだ血の流れる腕。その先の手を、月光に透かして見る。

この光のお陰で傷は癒えつつある。しかし、幾つ傷を付けられたかも分からない。

横たわる地面には赤い水溜りが出来ている。

早く。治ってしまえ。

動けるようになれば、再びあの男の前に立たねばならない。

昼間は確かに完璧な敗北を味わった。あんな経験は今までに無い。

互いに見えぬ刃を繰り出しているとは言え、それも見切れず己が身を斬らせてしまうとは。

だが、夜ならば話は違う。

しかも今宵は満ち月だ。月が最も力を持つ時。

己が月ならば、奴は陽。

昼間は相手に有利な舞台で対峙してやっただけの事。

この夜は、己の舞台だ。

勝つ。勝って、奴を消さねば。

邪魔だから。

俺より強い存在など有ってはならない。

俺がこの世界を手玉にして遊ぶのに。

奴はそれを邪魔する。

何故、人間の味方などする?

俺達は同類の筈なのに。

転がしていた体を起こし、胡座をかく。

月は真上に昇った。

完全には治らないが、動くのに支障は無い。

腕から未だに流れる血を冷めた目で見、その傷を舐めた。

人間の血の味。

朔夜の身に流れる血の。

己の脳裏で叫ぶ者が居る。やめろ、と。

鼻で嗤って俺は返してやる。お前が弱いから敵わなかっただけだ、と。

俺は、今の俺なら、あの男を殺せる。

奴を消して。

ニンゲンを、消す。

俺を悪魔へと仕立て上げた、この世の全ての人間を。


月明かりの元に現れた人影に、満足気に皓照は笑んだ。

白々と光る銀糸。狂気に彩られた藍の瞳。

紅い唇で相手もまた笑った。

無言のまま。

月が刃を抜いた。刹那、二人の間の虚空で火花が散った。

皓照も刀を抜いていた。すらりとした長刀。それを横に薙ぐ。

間合いはあるが月は大きく後ろへ跳んだ。

頬が割れる。血が流れる。

舌打ちして、今度は真上に跳んだ。

皓照は構えて待ったが、その姿は消えた。

と、金髪の先が切れた。

彼自身は横に避けていた。金糸は月明かりを受け輝きながら風の中に散る。

漸く上からの気配を察知し刀を構える。そこに落ちてきた斬撃。

刃の一つは受け躱した。が、相手の得物は双剣だ。

何年振りかに感じた痛み。尤も痛みとも言えぬ擦り傷ではある。

皓照は手の甲に出来たその傷を見、不敵に笑った。

「面白い」

月は相手の反応など関係無く地を蹴った。

今度は姿勢を低くして疾走する。

そこここで火花がぱっ、ぱっと散り、消える。

闇に紛れたその月影に、皓照は目前で気付いた。

敵の目の前に刃を振る。

が、その姿は既に無い。

上。月の輪の中に収まる人影。

頭を蹴られ吹っ飛ばされる。

追い討ちをかけてきた刃を飛ばされながら受け返し、地面に(したた)かに打ち付けられた。

悪魔の笑い声。

「やっぱりな。あんたは月明かりじゃ力を使い切れないんだ。よっわ」

虚仮(こけ)にする子供の揶揄う声に、何百年と生きた男ははぁ、と溜息を漏らす。

よいしょ、と起き上がって。

折角(せっかく)君に有利な舞台を用意して待ってたのに、そこまで言いますか」

言いながら、油断も隙も無く斬りかかってきた刃を刃で受け、敵の実体に向けて見えぬ刃を放って向こうに間合いを取らせた。

そして土埃を払いながら立ち上がる。

「老体には久し振りの運動が堪えるんです。少しは優しくしてください」

「よく言うよ。俺の事、舐めてただろ」

でなければ、この舞台設定は無い。

皓照は悪戯っ子のように笑った。

「ま、実は舌を巻いてるのは否めませんがね」

月はその眼に本気の色を戻して構え直した。

皓照も構える。そして。

今度は自分から向かって行った。

その速さに月は鋭く息を飲んだ。斬撃に間に合わない。

それでも長刀は空を切った。ぎりぎりで月は下へ進路を取っていた。

足元を狙った刃を皓照は跳んで躱す。跳びながら刀を下へ振る。

その斬撃を避ける為、後ろへ仰け反りながら地面へ手を突き、その勢いで体を起こした。

地に足が着くと同時に、皓照の落下点へと跳び寄る。

相手は落ちて来るより無いのだ。下からの斬撃は避けられない。

が、忘れていた。相手は人間では無い事を。

見えぬ刃が右腕を切り裂いた。

左腕の剣だけが敵の腿を切り裂いた。が、深い傷ではない。

翻って己の傷は、筋を断ち切られていた。力を失った手から落ちた得物を目が追う。

その一瞬を皓照が見逃す訳が無く。

長刀が胸を貫いていた。

月は。

先刻まで無かった筈の黒雲に、隠れていた。



挿絵(By みてみん)

第三部に続く

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