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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十一話 闇路
59/60

9

於兎は強張っていた身体を何とか立たせて、衣に付いた土を払い、混沌とした屋敷の中へと足を踏み入れた。

兵の死体、若しくは重傷者がそこここに転がり、血があちこちに飛び散る惨憺たる光景だ。

それを作り出した本人は燕雷と何やら機嫌良く話をしている。尤も、燕雷の目は笑ってはいないが。

その向こうでは、泣き止んで少し落ち着いた少年が呆然と、先刻まで重傷人だった青年に背中を撫でられている。その彼は手を動かしながら、もう一人の軍人風の青年と談笑している。

全く持って意味が分からない。

もう一人、この事態を全く飲み込めていない異邦人が居るが、於兎の目には入っていない。

「あの!ちょっと!」

取り敢えず共にここまで来た二人の間に割って入る。

「そんな呑気に話してて良いの!?朔夜はどうなっちゃったのよ!?それに、この人達は!?」

「え?ああ、それもそうですね」

いかにも今気が付きましたとばかりの皓照を、燕雷が一瞥して倒れた兵達の様子を見始めた。

「ああ、その辺の始末は町の人に手伝って貰おう。ちょっと待っててくれ」

桧釐が朗らかに提案して、立とうとしたが足が膝から崩れた。

「まだ無理ですよ。傷は塞がってますけど、暫く安静にしておいて下さい」

治療した皓照が医者よろしく忠告する。

「ここから動くなって事か」

苦虫を噛み潰した顔で座り込んだ桧釐が呻いた。その視線の先に。

屋敷の主人が恐る恐る、こちらを覗いている。

自分の屋敷の中での突然の悲劇に理解が追い付かないのは仕方の無い事だった。しかし、子供の隠れんぼのように壁から半分顔を出してこちらを窺う様は間が抜けている。

「おい、何やってんだよ。取り敢えずこっちに来たらどうだ」

息子が苛立った口調で呼び掛けた。

ぎょっとして、首をきょろきょろと巡らすが逃げ道は無いと判り、とぼとぼとこちらに向かって来る。

「こちらは?」

皓照が桧釐に問い掛ける。そもそも、桧釐自身にも初対面ではあるが。

「この北州の首長、桧伊。俺はこいつの倅で桧釐という。事の始末は首長殿に頼めば良いだろう」

「それは調度良かった。お願いしますね」

何をしろと言うんだと言わんばかりの顔をする桧伊に、呆れた顔で桧釐は教えた。

「町の人に重傷者の運搬、手当てと、死人の埋葬を頼んで来いよ。避難させたとは言えまだ何人か働き手は居る筈だ。無論、あんたの金庫から金は出せよ」

「な!お前、藪から棒に出て来て偉そうに…!」

「でないとあんたの屋敷は死体だらけのままだし、こいつらが化けて出て来ても知らんからな」

「なので、お願いしまーす」

反論しようとするも、息子には厳しい釘を刺され、当事者は全く気にかけない笑顔で軽過ぎるお願いをされる。

ぐぬぬ、と唇を噛み締め、もう反対の余地が無い事を悟ると、桧伊は足を踏み鳴らして外へと向かった。

「さて、片付けの邪魔になってもいかんから、二階にでも行こうか。もう俺の家でもないが、皆ゆっくり寛いで行くと良い」

桧釐は言って、改めて宗温に支えられながら立ち上がった。

「有難い。旅の疲れを癒すとしましょうか、皆さん」

皓照もにこにこと同道者を促し、己が一番に二階への階段に向かう。

「俺は片付けを手伝うよ」

燕雷は宣言して、兵の脈を取り続けた。

於兎は龍晶の前に立ち止まる。

「大丈夫?歩ける?」

見た目にも酷い打撲痕が顔にも身体中にも付いているし、所々出血もしている。何よりまだ目付きがぼんやりしていて、現実を見てはいない。

「宗温、俺は良いから殿下を…」

桧釐が言いかけたが、支える手を離さず宗温は遮った。

「あなたも一人では歩けないでしょう?何、往復すれば済む事です」

言った側から、龍晶に手を差し出す者が居た。

旦沙那だった。

目前の手から彼の顔へ、龍晶の目が動いた。

『手を取れ。大望の為には他人を頼る事も必要だ』

じっと、異国の友人を見詰める。

どうして彼がここに現れたのか、解らなかった。だけど。

大望という言葉に心が動いた。

戔と哥の和解。狂人の戯言と聞き逃しても良いあの言葉を、彼は心に受け止めてくれていた。

また涙が落ちそうで、しかし堪えた。

尤もそれは嬉し涙だ。

代わりに、穏やかに微笑んで、哥の言葉で伝えた。

『ありがとう』

掴んだ手を力強く引かれる。

自分の足で体を支え切れずよろめいたが、旦沙那に支えられ肩を組んで、立つ事が出来た。

「この人達、この国の人じゃないの?」

於兎が素朴な疑問を桧釐らに投げ掛ける。

彼らは笑って、まずは旦沙那を指して説明した。

「彼は哥の人間だよ」

「哥?」

ここから遠く離れた場所の出身である於兎にはさっぱりだ。

「ここより北にある国。民族が違うから言葉も違うんだと。でも、こちらは俺達の同胞だからな」

言いながら龍晶を指す。

「俺達の国の王子様だよ」

「えっ、そうなの?」

「違う」

迷惑そうに本人が否定。

正確に言えば違うし、もうその立場は捨てた。

だが、桧釐らには関係無かった。

「違いませんよ。やっぱり、あなたには王位を継ぐ者として存在して貰わなきゃ困ります」

「お前、何を急に…」

「だって、はっきりしたじゃありませんか。この国も、あなた自身も、それで成り立ってるんです。いつか王位を継ぐ、龍晶という人が居る事で」

棄てた筈のものが、己を支える為に、向こうから手元へと帰ってきた。

言い返す言葉も無く、客間に入り、柔らかな床の上に降ろされた。

並んで座った桧釐は、ぼすんと音をたてて布団の上に寝転がった。

「やっぱ大怪我したら体がキツイな。治して貰ったとは言え」

笑いながら言って、その場に居る面々に告げる。

「茶も出せなくて済まんが、適当に寛いでくれ」

「怪我人は気を遣わずに寝ておいて下さいよ」

宗温が笑顔で返して、龍晶に問い掛けた。

「殿下はどうされます?別の部屋で休まれますか?」

答える前に、於兎が割って入った。

「それよりあなた、怪我の治療が先でしょう!服だって泥まみれだし」

「た、確かに」

勢いに押される宗温。

更に於兎は押した。

「あなた、この子を落ち着ける部屋へ運んで、それから包帯と薬、それと傷を洗うお湯ね!準備して!」

「は、はい…!」

「地下に使用人が居る筈だから、彼らに物の在り処は訊いてくれ」

申し訳なさそうな桧釐の助言に頷いて、宗温は龍晶と於兎を伴って隣室に移動した。

「…凄いお姉さんだな」

思わず桧釐は皓照に向けてぼやく。

「全く、心臓の強い方です」

「頼もしいな。殿下にぴったりだ。俺は勘弁だが」

ふふふ、と皓晶は不思議な笑い方をして、漸くゆるりと彼と対面した。

「桧釐さん、君の活躍は宗温から話に聞いていました。私は皓照、以後よろしく」

「宗温からだと?お前達…」

「彼は戔の軍人であるより前に、私の組織の一員です。この国を切り崩す為の、彼は駒の一つ」

「何だと…!?」

これは寝ながら聞ける話ではないと、桧釐は体を起こした。

「どういう事だ…!?お前が只者では無いのは分かるが、何故この国を滅ぼそうとする!?」

「滅ぼしはしませんよ。ただ、頭を()げ替えるだけです」

「頭って…」

「私はずっと前王に忠告していたのですよ。鈴螺(レイラ)妃の子を世継ぎにしてはならぬ、と。それを彼も理解したから、龍晶殿下が産まれた訳です」

「お前…」

口にする事を躊躇い、しかし桧釐は問うた。

「お前の目的は、現王を滅ぼし、殿下を玉座に着かせる事なのか」

「ええ。それが世界の為なのです」

「世界だと?」

「あのような方が一国の主人だと、今後何が起こるか分かりませんからね。現にこの国の大半の人々は苦しんでいる。違いますか?」

違わない。だからこそ、桧釐とて何とかしようと考えてきた。

しかしその壁の高さも痛感してきた。それを、同じ壁を、この男は軽々と弾き飛ばそうとしている。

「桧釐さん、手を組みませんか?」

にっこりと笑って皓照は言った。

「私とあなたの目的は同じと見えます。ならば共に、あの王を玉座から引きずり下ろすとしませんか?」


於兎の自称手当てに龍晶はかなり顔を顰めている。が、育ちが良いせいで初対面で親切にしてくれる女性に文句は言えない。

容赦無く傷に薬を塗り込み、打撲痕を包帯越しに押さえ付けながら、痛みに小さく唸る龍晶に彼女はとても心配そうな顔をしてくれる。

お前の手荒さのせいで痛いんだ、とはとても口に出せない辺り、まだ十代の少年である。

宗温は横からはらはらとその様子を見ている。

「どうしてこんな事になっちゃったの。あなた、王子様なんでしょう?」

「だから、王子じゃない」

そこは否定する。ただ、ボソボソと小さな声で。

「おかしな国ね。自分の国の王子様にこんな目に遭わせるなんて、私の国じゃ考えられない」

「あなたはどの国のご出身です?」

不機嫌に目を逸らす龍晶に気付かれぬよう、宗温が彼女の機嫌を取るよう訊いた。

於兎は何食わぬ顔で答える。

「ん?繍よ。と言っても、元々は(ハン)って国だけれど。繍に支配された町の出身」

「繍の…」

龍晶の逸らされていた目が於兎へと向く。

事ある(ごと)にこの国の名を聞く。

「それで朔夜を…。もしかして、あなたはあいつの思い人ですか?」

「ほぇっ?」

あまりに意外過ぎる質問に変な声が出た。

思い人、とは何とも甘い響きだ。

思わず赤くなってにやける彼女に、龍晶は己の推量を伝えた。

「あいつが以前言っていました。この国に来たのは、ある人を自分の力から守る為なんだと。その女性とはあなたかと思って」

「あっ、それは…」

一瞬だが少なからず舞い上がった自分を大いに反省しながら。

「華耶ちゃんの事ね。私は違うの、朔夜にとってはただの命の恩人。於兎です、よろしく」

逆に恩着せがましい言い方をする。自覚は無いが滲み出る。

幸か不幸か、その辺りは初対面のまだ純粋な少年には伝わらなかった。

「ああ、俺もあいつに助けられました。あなたもですか」

「違う!逆、その逆だから!私が、彼を、助けたの」

「へえ…そんな事あるんだ」

思いっ切り半信半疑。その反応は間違ってはいない。

「それも二度もよ!二度!もう乗りかかった船だから、こんな所まで来てあげちゃったの。だから今回で三度目ね」

まだ何もしていないが。

「あなたは…あいつを元に戻せるんですか」

今まで話半分に聞いていた龍晶の目に、初めて真剣なものが宿る。

わざわざ朔夜の為にこの国まで来たと言えば、そう思われるのも仕方がない。

「心配しないで。その為に来たのよ!」

無駄に自信過剰な太鼓判のせいで勘違いさせてしまう。

「俺が言うのも何だけど…どうかお願いします。あいつを救ってやって下さい」

「うん、任せて!」

胸を叩いておきながら、ごく根本的な事を訊ね返した。

「で、あの子は一体何がどうなっちゃったの?何か様子は変だったけど」

漸く彼女に対して必死になっていた自分は間違いだったと薄々気付いてきた龍晶。

「……知らずに来たんですか?」

「ごく軽ーい説明は受けたけど、よく分からなかったのよ」

苦い顔で龍晶は宗温と目を合わせる。

これを己の口で説明するのは気が重い。

察して、宗温が後を引き継いだ。

「哥との戦の中で彼が記憶を失ったのはご存知ですよね?」

「ええ。それは聞いた」

「記憶を失った事で、どうやら別の人格に変わってしまったようです」

「うん、それで?」

説明不足は宗温自身も否めないが、これ以上は言葉にしようが無かった。

口ごもる宗温の様子を見て、龍晶はあとを引き継ぎ、きっぱりと告げた。

「朔夜はもう戻って来ない。居るのは悪魔と言われる存在だけだ」

「何ですって?」

「あいつはもう、この世から消えてしまったと…悪魔はそう言った」

そして、於兎に正面から向き合おうとしたが、俯いた視線を起こせぬまま龍晶は言った。

「俺のせいだ」

殿下、と小さく宗温が呼び掛けたが、無視して懺悔を続けた。

「あいつを戦の道具として使い、嘘の脅しで戦地に向かわせ、不都合があれば殴った。朔夜を追い詰め、その存在を消したのは俺だ。そして多くの命を奪う悪魔を作り出したのも」

ぱん、と。

左の頬に痛みが走った。

叩いた於兎は、怒りを噛み締めて少年に教えた。

「…これは華耶ちゃんの代わり」

自分だけではなく、朔夜を想う彼女らの気持ちだと。

叩かれた痛みを噛み締めながら、寧ろ当然だとーー龍晶は小さく於兎へと告げた。

「自分の罪は解っています。だから俺も消えようとした。今日それは叶わなかったけど」

言った途端、今度は右頬を叩かれた。

制止しようと一歩踏み出た宗温を視線で制して、於兎は少年を叱咤した。

「目を覚まさなきゃいけないのはあなたよ!死んで何になるの!?罪だと思うなら生きて償いなさいよ!」

龍晶は叩かれたまま動かず、じっと足元を睨んでいた。

そのまま、ぽつりと言い返した。

「お前達に何が解るんだよ」

え?と於兎が聞き返す。

龍晶の中で、抑えていた何かが弾けた。

「どうして皆、無責任に生きろなんて言えるんだよ!?生きて何になる!?ただこのまま苦しみながら狂っていけとでも!?どうして楽にさせてくれない!?俺は誰の為に生きる人形なんだよ!?もう嫌だ…こんなの」

宗温を見上げて。

本当は桧釐に言わねばならぬ言葉だ。

「自分が馬鹿な事をしたのは解ってる。その為に大事な人を失いかけた事も。だけど、…それでも言わせてくれ。俺は放っておいて欲しかった。自分の為に死にたかった」

流し切ったつもりだった涙が頬を伝った。

それが本音だと、その雫が証明していた。

その涙をすっと拭う手。

頬を叩いた同じ手で、於兎は彼の涙を拭いてやった。

「私には確かにあなたの事は何も分からない。だけど、あなたの言葉は間違っているのは分かる」

赤く腫れ、潤んだ目で睨まれる。

於兎は構わず続けた。

「皆、あなたに生きろと命令している訳じゃない。あなたに生きて欲しいという、これは切実な願いよ。あなたは愛されてる。これは、生きるに値する素晴らしいことだと思わない?」

そして晴れやかに笑って見せ、頭を軽く叩いた。

「大丈夫。朔夜は戻ってくる。そしてあなたのした事を笑い飛ばしてくれる筈よ!そんな子なんだから!」

信じられないという顔で見返される。

その龍晶の肩を、今度は宗温が叩いた。

「殿下は皆の願いを無下(むげ)にされるような方ではないでしょう?生きて下さい。その為に、私はこの半生を使ってきたのですから」

え?と見上げる。

宗温は寂しげに笑んで、その名を口にした。

「殿下は覚えておいでですか?小奈(サナ)という人を。私は彼女の願いを叶える為に今ここに居るのです」


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