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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十一話 闇路
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2

山中から街を見下ろし、一行は駒を止めた。

眼下にあるのは経由地に過ぎない。

だが、龍晶にはここが終着地点となる不安を拭えない。

一つ何かを間違えれば、全てが終わる。そんな瀬戸際に来ている。

しかし正解は一向に分からない。

「変わりなさそうだな」

桧釐が街を見下ろし、安堵を滲ませて呟く。

北州は静かないつもの風景を保っていた。

「まだ日暮れまで時はあります。この先の街まで行く事も出来ますが、如何なさいますか」

宗温が問う。龍晶は即答した。

「冗談じゃない。ここで馬を(あがな)う約束だろう?いつまでもこいつと密着していたくない」

致し方無しにお子様を抱きながら駒を進めてきた桧釐は思い切り噴いた。

「それは悪うございました!宗温、街へ降りるぞ」

言われた宗温も苦笑しながら馬首を転ずる。

「分かりました。行きましょう」

二騎と三人は山を降りる道を取った。

大人二人は苦笑しきりだが、真顔そのものの龍晶の胸の内は理解している。

我儘で煙に巻いてはいるが、本当の目的は悪魔なのだと。

このまま何事も起こらずに通過するに越した事は無い。それならそれで良い。

龍晶はとにかく己がこの街へ足を踏み入れる事が重要だと考えていた。その上で悪魔の出方を見ねばならない。

恐らく、悪魔は月夜に現れる。

その時、どうするか。

良い方策など無い。必ず助かる方法も無いだろう。なるようにしかならない。この大事に。

「殿下」

桧釐には龍晶の頭の中などお見通しで、そっと声を掛けた。

「悩み過ぎは良くないですよ。必ずお助けしますから」

反応は無かった。集中し過ぎて耳に入らなかったのかと思うほどに。

返答と言うにはかなり時が経ってから、龍晶は応えた。

「ああ。だが、お前が無事でないと意味は無いからな」

誰も巻き込む訳にはいかないから。

桧釐は彼がこれまで独り背負い続けてきたものを思い出し、未だに独りなのだと思い知った。

麓まであと一歩と迫った時、向こうから行き違う市民に出会った。

夫婦と思しき男女の二人組は、一行に目を留め、その中に龍晶の姿を認めるなり驚いて道端に控えた。

その驚き方や慌て方が少し尋常ではない。見れば、家移りの如き大荷物を抱えている。

「どうした?街を出るのか?」

馬上から桧釐が声をかける。

二人は戸惑いを隠せず龍晶を上目遣いに見ている。

「恐れ多いのですが、殿下…このような所業には耐えられません。私共は街を捨てますが、どうかお考え直しをお願いします」

男が言った事に龍晶は眉を顰めた。

「何の事だ?」

「悪魔狩りの事でございます。殿下のご指示と聞いておりますが、あまりにも酷い…」

女が咽びながら言うのを、男が慌てて止めた。

驚くのは龍晶の方だ。

「俺は何も知らぬ。詳しく聞かせてくれるか」

言いながら下馬する。桧釐が小さく止めるが、聞かなかった。

一人で馬に乗り降りするにはまだ早い。地に足を付けるなり痛みに呻くが、押し殺して二人の前に膝を付けた。

仕方が無いので桧釐、宗温もそれぞれ下馬し、馬を近くの木に繋いで話を聞く事にする。

林の下草に五人が腰を下ろして、街の様子は語られた。

「二日前でしたか…急に街に軍隊が入ってきました。龍晶殿下の号令により、悪魔狩りを始めると言って」

「悪魔狩り…」

軍は恐らく朔夜を探している。当然だ。あんなものを自国に野放しにはしておけない。

しかし、何故北州で。

北州を襲うという悪魔の宣言は、この三人しか知らぬ事だ。

「恐らく北州での殿下への尊崇を壊す為でしょう。悪魔はその言い掛かりに過ぎない」

宗温が低い声で考えを口にした。

「俺の名を使い…奴らは何をした?」

龍晶が夫婦に問う。

「悪魔を匿う者は居ないかと、家屋に押し入り、物を盗り、歯向かう者は斬り捨てる。とにかく悪虐の限りを尽くしております。命に代わる物は無いと、私共のように逃げ出す者が後を絶ちません」

「…街そのものを壊す気か…!」

怒りを込めて、しかし押し殺して龍晶は呻いた。

「桧釐、急ぎ街に入る。こんなふざけたことをしている奴らを一人残らず叩きのめしてやる」

今すぐ当事者を殴り殺しそうな勢いで龍晶は馬の方へ向かった。慌てて桧釐が追う。

「ちょっと、落ち着いて下さいよ殿下。今のあなたにそりゃ無理ですって」

「お前、自分の街だろ!これが怒らずに居れるか!?」

「殿下が怒り過ぎるから俺が怒る余地が無いんですよ!俺だってぶん殴りたいのは山々ですけど、その辺察して下さいって」

舌打ちして地団駄を踏み、一人では乗れない馬を見上げる。

「…頭冷やして行きましょう。喧嘩は感情に流されたら負けです」

はっ、と龍晶は笑う。

「分かったよ。ここは蟒蛇殿に従おう。喧嘩の事は俺にはさっぱりだ」

桧釐もにやりと笑う。

「そりゃ、温室育ちのお坊ちゃんには分からない世界ですからね。大丈夫、俺は北州で負け無しの男です」

「本当か?怪しいがそういう事にしておいてやろう。軍隊相手でも言い訳無用だからな?勝てよ?」

「朝飯前ですよ」

笑って見せて、桧釐は夫婦を振り返った。

「行く当てはあるのか?」

彼らは首を横に振る。

逃げ出した民の殆どがそうなのだろう。とにかく身一つで当ても無いまま街を去らねばならない状況なのだ。

「すぐ事は収まる。一日や二日したら、また戻って来いよ。捨てるには惜しい街だから」

実現せずとも、いずれこの街を治める立場の者として育てられた男の背を、龍晶は初めて見た。

誇りを持って己の街だと言い切れる。龍晶には持てぬ故郷だ。

少し羨ましくもあった。

「どうか…お願いします」

桧釐の言葉に希望を見た顔で、二人は頭を下げてこの場を去った。

「凄い自信ですが…勝機はあるのですか?」

騎乗しながら宗温が訝しげに問う。

「ある訳ねぇだろ」

ぶっきらぼうに桧釐が答えた。

その言い様に苦笑いし、しかし顔を引き締めて宗温は言った。

「相手の狙いは北州の民を蹂躙し、勢力を奪い去る事。それも殿下への求心力を悪用して。許される事ではありません」

「みすみす勝手を許した俺にも責任がある」

馬上で前を睨み据えて龍晶は言った。

「…勝たねば」

後ろで桧釐が頷く。

その桧釐と宗温を振り返り、龍晶は訊いた。

「しかし、敵は本当に悪魔が来る事を想定しているだろうか?悪魔狩りと称している以上、本物が現れたら逃げ出す訳にはいくまい?」

「想定などしておらんでしょう。いざとなれば逃げ出すのが落ちですよ」

つまらんと言わんばかりの桧釐に、宗温も同調した。

「先方はあくまで北州の勢力削減の為に悪魔の名を借りているだけですからね」

「本物の悪魔が襲って来たら…奴ら、泡を食うだろうな」

「殿下?」

龍晶は薄く笑って従兄弟を振り返った。

「賭けだ、桧釐。悪魔狩りなんてふざけた名を使われた以上、ここは悪魔殿自ら幕を引いて貰った方が良いだろう」


「本当に一人で大丈夫なんですか、殿下」

馬上から念を押す。

目前にはこの男の家がある。尤も、何年も敷居を跨いでいない家だが。

「折角、逃げ道を用意してやったのに無駄にする気か?それともやっぱり父上に頭を下げて入らせて貰うか?」

「そういう事じゃなくて。本当に殿下は意地悪だなぁ」

二度目の意地悪呼ばわりに龍晶は鼻で笑って見せ、聳え立つ屋敷を睨んだ。

「俺には俺の戦いがある」

今度は従兄を見据えて。

「お前にはお前のやるべき事があるだろう。民を頼んだ」

桧釐は深く頷いた。

「承知しました」

互いに背を向け、行くべき方向に向かう。

桧釐には道場の仲間と共に、民の救出と避難の先導を頼んだ。これ以上被害を増やさない為に、まずは民をこの街から離す。

街外れの山道に向かうよう指示し、そこからは宗温が彼らを誘導し、安全な別の村まで連れて行く。

夜までにこの大仕事を成すよう、二人に念押しした。

夜になれば、この街は修羅場と化すかも知れないから。

そして、龍晶自身は。

「開けろ」

屋敷の前で番をしている兵を睨み付けて命じる。

この顔を知らぬとは言わさぬ気迫で。

兵は大変に驚き、少々お待ちをと言いながら中へすっ飛んで行った。

待つつもりは無く、開いたままの扉から堂々と入る。

以前滞在した屋敷。今は兵が往き来して物々しい。

軍が来るならば、ここに本営を置くだろうと目星を付けて来た。

このふざけた計画を実行する責任者は、ここに居る。

「殿下!」

まずはこの屋敷の主人である桧伊(カイイ)が走り寄って来た。

「一体どうされ…いえ、ご無事で何よりでございます。お一人で!?」

言いかけた事が本音だろう。この(まず)い時にどうして現れた、と。

龍晶は伯父に鋭い視線を送った。

その表情に、桧伊は怯む。

この地を治める者としての体たらくを、その視線のみで責めた。

そして作り笑いを貼り付ける。

「伯父上、ご心配をお掛けしたようで申し訳ございません。この屋敷に我が軍が世話になっているようなので、一言ご挨拶に参りました。軍の者と話があるのですがご案内頂けますか?」

「は…はい、こちらへ…」

冷や汗を流しながら桧伊が歩き出す。

上階へと登り、一際広い客間への扉。その前で立ち止まる。

「こちらでございます」

自ら開けようとはしない。

余程、軍の連中を恐れているようだ。

「そうだ、伯父上。お伝えせねばならぬ事が一つ」

龍晶は躊躇なく扉へ手をかけ、伯父に向けてにやりと笑った。

「ご子息と、奥方、ご息女、いずれも息災です。ご安心なされよ」

目が点になっている顔を鼻で笑い、真顔に切り替えて扉を大きく開けた。

「何だ!無礼な!」

急に扉を開けられた中の者達は鼻息荒く出迎えてくれるが、入ってきた人物を見て流石に息を飲んだ。

「軍議の中、失礼する」

ずかずかと兵たちの居並ぶ中央へと入ってゆく。周囲を囲む小者の目が泳いでいるのがはっきり見て取れた。

場の中央に陣取っていたのは、誰あらん、多禅(タゼン)であった。

「貴様か」

座る相手を見下ろして龍晶は一言吐き捨てた。

「殿下…?本当に殿下ですか?まさか影武者などで我らを謀る者ではないでしょうね?」

多禅の言葉に周囲から笑い声が漏れる。

それらを睨め付けて、龍晶は言った。

「俺が本物か否かも見分けられぬ節穴だから、哥の進軍も見出せなかったのだろう?勝ち戦をみすみす落としやがって」

笑い声が収まる。

多禅が龍晶から目を離さずゆっくりと立ち上がった。

緊張が走る。

相手が拳を握る前に、龍晶は口を開いた。

「だが此度の迅速な対応には礼を言う。一刻でも早く悪魔を捕らえねば」

毒気を抜かれた多禅を差し置いて、集まる兵へ視線を向けた。

「悪魔による被害は我々だけではなく、民にも及ぼうとしている。都へと被害が拡がる前に、何としても食い止めたい。悪魔を捕らえよ。生死は問わぬ。その為の多少の犠牲は目を瞑る。これを正式に俺の名で近隣の街へ言い広めよ。奴の耳に入るようにな」

兵は一度多禅の顔色を伺い、彼が渋々頷くと承知しましたと応え、ぞろぞろと部屋を出て行った。

「さて…多禅」

人数の減った部屋で、龍晶は再び(いや)な男と向き合った。

「悪魔討伐は良いのだが、何ゆえこの地を選んだかは説明して貰えるのか?奇しくもここは我が伯父の屋敷だ。それも無関係では無いのだろう?」

「何を仰いますか。偶々ですよ。壬邑(ジンユウ)から最も近い街と言えばこの北州だと、殿下もよくご承知でしょうに」

「俺の思い過ごしか?悪魔を探すついでに、我が父祖の地を叩き潰しておこうとしたのかと、そう見えたが」

「何ゆえこのような時に殿下の大事な地を傷めねばならぬのですか。思い過ごしですよ」

龍晶は意味深に笑った。

「そうか。ならば良いのだが」

踵を返し、扉の前に立って。

笑みを浮かべたまま、振り返る。

「悪魔は夜現れよう。一世一代の大捕物だ。手腕を期待しているぞ、多禅」

男の顔が一瞬強張ったのを見逃さず、龍晶は部屋を出た。

屋敷の中は不思議に静かだった。人が減ったせいでもあるだろう。

先刻出て行った兵達は、龍晶の言付けた通り街から出ていくと思われる。広く喧伝して、朔夜の耳に届けて貰わねば困る。

それに、少しでも街の中から兵を減らして、桧釐らの仕事をやり易くしてやりたかった。

龍晶は壁にもたれかかって暫し足を止めた。

流石に身体がきつい。腹の痛みは続いているし、熱もまだ下がり切らない。

痛む腹を押さえて蹲る。

こんな事をしていれば、以前なら誰か飛んで来たろうに、今は人の気配が無かった。

使用人が減ったのだろうか。この騒ぎで屋敷を去った者も少なくないのかも知れない。

人が来ないのを良い事に、壁伝いに歩き、部屋の一つに滑り込んだ。

屋敷の勝手は分かっている。ここは客が宿泊する部屋だ。

戸を閉め、やっと落ち着いて、龍晶は床に寝転んだ。

窓へ目を向ける。街では桧釐らが懸命に骨を折って住民らを説き伏せ街の外へ誘導している筈だ。

共に立ち回りたい気持ちはあるが、この屋敷に入ったからにはそれは叶わない。下手に動いて多禅に彼らの動きを見られてはならぬ。

監視の目を己に向けさせておく。動けない自分には囮くらいしか出来ない。

そして、夜を待つ。

今宵だろうか。明日か、それとも。

朔夜は今どこに居るだろう。

一体どういうつもりで、何をして。

そして相対した時、一体どうなるのか。

悪魔の残虐な行為を止めねばならなかった。その為に今度こそ死ぬかも知れない。

恐怖はある。まだ傷は脳裡に生々しく残っている。

だが。

龍晶は口の端を上げる。

己でも理解出来ない感情。

何処かで俺は、あいつと向き合う事を愉しみにしている。

胸騒ぎ。この興奮は、決して恐怖だけではない。

きっと互いに無事では済まないだろう。だけど、それで良いのだ。

それで再び、二人は対等になれるのだから。

この屋敷をかつて訪れた時、あの声で言われた。

死なせはしない、と。

今はその言葉を朔夜に返す時だ。

朔夜を死なせはしない。俺が守る。

この胸騒ぎの正体。

俺は朔夜に会わんとしているのだ。悪魔ではなく。

ーー判らないだろ、何があるか。生きてみなきゃ。

そう。何かが起こると期待しても良い筈だ。ここまで生き延びたのだから。

期待して裏切られる事には慣れている。もうそんな事は怖くない。


逃げられる者は逃がし、無理な者は決して家から出るなと言い含めた。

街の中心部にある家を全て回り終え、桧釐は宗温と落ち合った。

もう辺りは薄暗い。

「兵が散ってくれて助かりました。殿下の策が上手く嵌ったようですね」

宗温が山道を下りながら言った。

多くの兵が街を出て行った。

お陰で主だった街道を民に通らせてやれなかったが、流石に地元民は細い山道を多く知っており密かに行動する事が出来た。

「何よりだ。俺は乱暴を働く野郎をぶんのめしてきた。今頃気持ち良く寝てるだろうよ」

桧釐は何処と無く楽しそうに報告する。

目の前で民が被害に遭う現場に遭遇したのだから、これは四の五の言わず対処せねばならなかった。尤も背後から一発殴って気絶させただけだ。

それも一人や二人ではない。要らぬ騒ぎにならねば良いが、と宗温は苦笑する。

この北州で向き合うべき相手は、軍ではないのだ。

「暗くなったな」

山影が更に闇を濃くする。

細い月が、正面の山の端に昇る。

「殿下は大丈夫だろうか」

宗温の呟きに、桧釐は答えられず月を見ていた。

また、長い夜が始まる。


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