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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十話 背反
49/60

9

龍晶はいつもの狸寝入りを続けられず、思わず目を見開いた。

口許に重ねられた体温。開いた目に驚いて咄嗟に離れた相手を、冷ややかに見遣る。

その相手、桧釐の妹である朱怜は弁明の言も出ず、目を泳がせていた。

追い詰める相手でも無いなと思い直し、龍晶はふっと笑う。

笑みに朱怜もいくらか安心した顔をして、気まずく微笑んだ。

桧釐がそこへ入ってきたのはそんな微妙な空気の中だった。

「ん?何だ何だ?」

どう考えても普通の雰囲気ではない。

ふうと息を吐いて龍晶が大雑把に説明してやる。

「この娘が悪戯好きなのは母親譲りだな」

恐れていた事態が起きてしまったと、兄は急き込んで訊いた。

「何か粗相がありましたか」

「別に?」

龍晶は含笑いで流した。

が、朱怜は(まなじり)を上げて兄を見上げた。

「兄さま、お願いがあります!」

「…はい?」

妹に気圧(けお)される桧釐。

「私を殿下に嫁がせて下さい!」

「……それ俺に言うこと?」

ごもっともなぼやきを発して桧釐は一歩退いた。完全に逃げ腰だ。

「えーと、お袋呼んでくる」

「おい桧釐」

「別に良いでしょ、二人きりにしても襲われるのは殿下なんだから」

「何だよそれっ!!」

「俺が言うのもなんですけどね、こんな可愛い娘はそうそういませんよ。では失礼」

「そういう問題じゃな…い…!」

こういう時の逃げ足は早かった。

取り残されて、声に出して溜息を吐き出し、顔を壁に向ける。

まだ立ち上がることはおろか、寝返りをうつのも痛みが走る。

「…お(いや)ですか」

細い声が訊いてくる。

即答を避け、目を閉じる。このまま眠ってしまいたい。

答えるのも考えるのも億劫だった。

「私、側女でも侍女でも良いんです。殿下のお側に居られるのなら」

「邪魔だ」

一言で切って捨てた。

その理由は重過ぎて、一々説明するのも面倒だった。

しかしじわじわと後悔しだしたのは、咽び泣く声が聞こえたから。

矢張り面倒でも説明してやらねばならない。

龍晶は朱怜へと顔を向けた。

「済まぬ。言葉が過ぎた。…そなたに問題がある訳ではない。悪いのは俺だ」

顔を覆っていた手がずらされ、赤い目が覗く。

「殿下?」

「この通り、いつ何が起こるか判らぬ身だ。俺のそばに居れば…巻き込まれるぞ」

「覚悟の上でございます」

「死ぬ覚悟などある訳無いだろう!」

怒鳴ってしまって、また後悔して。

「悪い。…だが、そういう事だ。そなたの身に何かあれば、伯母上にも桧釐にも申し訳が立たぬ」

何か言おうとして、しかし口を開けない朱怜の背後から、桧釐が再び顔を出した。

「それは殿下、再び死地を踏もうとでも考えているのですか」

「は?…立聞きしてたのかよ」

「いえ、聞こえただけです。俺は言った通りお袋を呼んでました。ほら」

桧釐の後ろについて、黄花が入ってきた。

「失礼致しました殿下、娘が不調法を致しまして。殿下ももう良いお年なのですから、思い人の一人や二人いらっしゃいますよねぇ」

「ではもう一人増えても差し支え無いでしょう!?」

龍晶の顔に、この母娘は…というげんなりが思い切り出ているが、この母娘には伝わらない。桧釐が腹を抱えて声を忍ばせ笑っているのがまた腹が立つ。

馬鹿馬鹿しくなった龍晶は毒気を含んで、事実を隠す事を止めた。

「伯母上、生憎ですがそのような者はおりませんし、今後作る気も一切ありません。都では俺に色目を使う女はいくらでも居るが、本気になって近付く者は誰も居ない。皆、己の命が惜しいからです。当然だが」

「何故です?どうして殿下を好く事が、命懸けということになるのですか?」

朱怜が問う。致し方無いが、この娘だけが現実を分かっていない。

「都の人々にとって俺は、王家の子である以前に、絶やされる筈だった一族の子だから」

誰とも目を合わさずに無感情に告げて、口を噤む。

その一族が、ここに居る。

いくつかの犠牲によって、生き永らえた四人が。

重い沈黙を破って、桧釐がわざと明るく言い放った。

「だから殿下、もう都の事なんか忘れちまったらどうですか」

「何だと?」

「都に残して来た物なんてもう何も無いでしょう?なら、帰らなきゃ良い」

「馬鹿言え。そんな事…」

当然のようにしようとした反論は消えた。

気付かされた。今ならそれが出来る。

駄目押しとばかりに桧釐が言った。

「陛下に意識が戻らぬと言い続ければ良いだけの話です。殿下が何もかも棄てて良いとお考えなら」

この身に流れる、王家の血筋の意味を無くしても良いと思うなら。

そんな物はとうの昔から失っているも同然だった。寧ろ、これさえ無ければと何度もどうしようもない悔恨に駆られた。

これが(ただ)の、体に流れる血だと、そうする事が出来るなら。

「…俺を、死人にするか」

敢えて桧釐が言及しなかった方法を、自身が口にした。

死人とすれば、誰も怪しまない。もう追い回される事も無い。

「どうします?殿下」

即答など、出来よう筈が無かった。

これまでの人生を、棄てるか否か。

「…考えさせてくれ」

掠れた声で応じた。

桧釐は頷き、笑いながら言った。

「ま、どうせ暫くはここから動けないんですし?ゆっくりお考えになったら良い事です」

「我が家は大歓迎ですからね、殿下」

黄花がにこにこしながら言ってくれるが、龍晶は顔を背けたまま真顔になっていた。歓迎出来ないのはこっちだ。

「そうだ桧釐、お前は言うべき事を言ったのか?」

気を取り直して水を向けるが、当人には本気で首を捻られた。

「何の話ですか?」

忘れているだけでしらばくれている訳ではないので、龍晶は意地悪く笑って言ってやった。

「一家の大問題だろう。放蕩が過ぎて親父殿に勘当されたなんて」

「ええっ!?」

高い二人の声が重なる。

桧釐は思わぬ不意打ちに目を見開いて、口をぱくつかせている。

「それ本当!?兄さま一体何したの!?」

「まさか色町に入り浸って借金塗れの末に殿下に泣きついて護衛の仕事を頂いている訳じゃないでしょうね!?」

「どうやったらそんな想像の飛躍が出来るんだあんたは!!」

余計な気をまわして杞憂しまくってしまうのも親心…だろうか。

「伯母上、入り浸っていたのは道場と酒場ですよ。その点はご心配なく」

流石に哀れになって助け舟を出す。

すると今度は朱怜が口で手を押さえながらあらぬ事を口走った。

「兄さま、悪酔いして罪無き人を打ち倒しましたね!?その(とが)で勘当されたのですね!?」

「ちーがーうっ!」

全く迷惑なまでに母娘である。

「正直に自分の口で言ったらどうだ。さもないとお前、二人にあらぬ罪を被されるぞ」

半笑いで龍晶は忠告した。実際、冗談にならない冗談だが。

「…道場の仲間と反乱を企てている。親父にそれが露見した。故の勘当だ」

反乱も企てた時点で大層な罪である。何なら酔って人を殺すよりも遥かに重い罰が与えられる。

だが、母と妹の反応は薄かった。

「ああ、何だそんな事か」

さもありなん、と言った所だ。

これには龍晶が拍子抜けした。

「国に露見したら重罪ですけど」

「殿下、黙ってて下さってありがとうございます。全くこの子ったら間が抜けて」

「…そういう問題か?」

不可解な余り苦笑を禁じ得ないが、何となく分かった。

この三人もまた、都からの仕打ちを恨み、抗おうとしてきたのだろうと。

桧釐が反乱を考えるのは、恐らくこの母の影響でもあるのだ。

そして不当に真っ向から立ち向かおうとする姿勢も。

流れる血は、皆同じだった。

「取り敢えず良かったな。変な誤解されないで、家庭分裂の危機を免れて」

「とっくに分裂はしてますが」

母娘が夕飯の支度をすると席を外して、残された二人。

皮肉気味に家族問題を揶揄する龍晶に、桧釐は苦笑を返した。

「まぁ、あれじゃ伯父上と伯母上が共に暮らすというのも無理だな。お前を焚き付けたのが伯母上だとは思わなかった」

「そりゃあ、あの人にとっては実の妹ですからね…」

実の息子たる龍晶は口を閉ざしてあの頃を思い出す。

悲しみや憎しみを持ったのは、自分だけでは無かった。

「なあ、桧釐」

「はい?」

「俺は母の事をも捨てて忘れてしまっても良いのだろうか」

過去を捨てるとは、そういう事だ。

これまでの人生の大部分を、母の行方を追う事に時を費やしてきた。直接的にそれは出来ずとも、少しでも面影を探していた。

確かに幼い日の感情のままに、恋しかった。

しかしそれ以上に、己の中から母の存在を消したら、自分が自分で居られなくなる。そう信じている。

母の教えてくれた良きものを捨ててしまったら、自分の中には理不尽な世の中に対する憎悪しか残らない。

それは、怖かった。

「誰も責めはしませんよ」

桧釐は優しく告げた。

龍晶は小さく頷く。

全ては、自分自身で決める事。

この先、自分がどう生きてゆくか。

「一つ大きな問題点があってだな」

「何でしょう?」

互いに深刻な顔で向き合いながら。

「とても本人に言えた事ではないが、お前の妹はお前に似てて、それが途轍もなく嫌だ」

桧釐は噴き出して問い返した。

「そんな事無いと思ってましたが…似てますか?」

「兄妹だろ、似てて同然だ。目元とかそっくり同じだ」

「良いじゃないですか。別に不細工な訳じゃないんだし」

「常にお前の面影がちらつくのが嫌なんだよ」

けらけらと桧釐は笑って、そのうち慣れますよとか何とか適当な事を返した。

龍晶は案外、前向きにこの生活を続ける事を考えている。

馬鹿馬鹿しく下らないかも知れないが、それで良いと思った。

この人に、希望に満ちた『普通』の生活を思い出して欲しかったから。


宗温がこの亜北(アボク)の村を訪ねてきたのは、寝たきりだった龍晶が他人の力を借りながらでも多少は動けるようになった、そんな頃だった。

桧釐がその報せを受け、戦友を出迎えた。

「よお、こんな辺鄙な場所に来れるとは、そっちは片が付いたらしいな」

気楽な挨拶がてらに戦況を訊くと、思わぬ顔色の悪さに無理矢理笑みを貼り付けて、宗温は返した。

「ええ。無事に戦は終結しました」

「…どうした?」

宗温は返答に躊躇い、周囲を注意深く見回した後、声を潜めて問うた。

「つかぬ事をお伺いしますが…殿下はお変わりありませんか?」

「何かあれば俺もこうして脳天気にお前を出迎えてはいられないだろ。何があった?」

桧釐の尤もな言に頷いて、更に声を潜めて宗温は言った。

「朔夜…いえ、悪魔が姿を消しました」

「何!?」

思わず声高に返した桧釐の口を塞いで、宗温は続けた。

「大事にならぬうちにと、私の手の者を使って捜索しています。しかし、現れるならここが一番可能性が高いかと思って…」

「だが朔夜はこの村の事なんか知らない筈だ。()してや殿下がここに居るなんて誰も一言も喋ってはいない筈だぞ」

「そうです。そうですが…相手は我々の人知を超える者です」

桧釐は口を噤んで、宗温と同じく周囲を見回した。

いつもと変わらぬ、平和な村の景色。

「分かった。注意は払おう。…だが、本当に悪魔が来たとしたら、俺一人では手が足りぬぞ」

「いえ、貴殿以上に頼れるお方は居ません。貴殿が一番、悪魔の正体を知っておられる」

「また説得しろと言うのか」

宗温は頷いた。それ以上の方策は今の所無い。

「了解した。殿下の顔を見て行くだろう?案内するよ」

当然の誘いに、宗温は尻込みした。

「大丈夫でしょうか…私を通して戦場の嫌な記憶を掘り起こす事になるのでは」

「お前が湿気た面しなけりゃな。近頃殿下は笑うようになられた。俺の家族が珍奇だからだろうが。ま、多少の事は大丈夫だ」

宗温もやっと少し顔色を戻して、桧釐に従って歩き出した。

「殿下がお笑いになる程のご家族、是非拝見してみたいですな」

「おう。見てるだけなら面白いぞ。一員になるのは御免だがな」

言っているそばから、家中より高い声が上がっている。

「また何かやらかした」

苦笑しながら入口を潜る。

「客人だ。ちっと静かにしとけよ」

妹達に言ったつもりが、意外に振り返ったのは近くの椅子に座っていた龍晶だけだった。

「これは何かあった時に言い逃れ出来んな、桧釐」

堪えきれず笑いながら言う、その向こうで母娘は机の下やら家具と壁の隙間に隠れたつもりになっている。

「…何やってんだ」

そうとしか言いようがない。

「ついにお前が軍に捕まると思われたそうだ」

龍晶の説明に桧釐は脱力した。

「あのな、俺が捕まるにしてもお前達が隠れる事は無いだろ。って言うか俺は捕まるような事はしてないぞ」

「だって!兄さまの罪は私達にも及ぶに決まってるじゃない!」

「…あー…とにかくこの宗温殿は客人であって、決して俺を捕らえにきた訳じゃない」

「信じられない!」

龍晶が一人で笑っているが、腹が痛むらしく泣き笑いになっている。

迷惑顔の桧釐の横から、宗温が顔を出した。

「殿下、お見舞いに参りました。ご機嫌麗しいようで何よりです」

「ああ、宗温。ご苦労だな、こんな所まで」

笑いを引っ込めずに龍晶は宗温に席を勧めた。

こんな柔らかい表情の彼を見るのは初めてで、戦地から難しい顔を持ってきた宗温まで頬を緩めた。

「お具合は如何ですか?」

勧められた隣席に座りながら宗温が問う。

「この通りだ。まだ痛みはあるが、死体の真似事に飽きてな」

「起きられた方が心身に良いですよ。この家は快癒に打ってつけのようでしたね」

「無駄に腹が痛くてそろそろ勘弁願いたいところだ」

冗談ぽく言う顔は満更ではない。

宗温はこれで良いと思う反面、ますます悪い報せを喉の奥に引っ込めねばならなくなった。

目前に居る普通の若者に、もう修羅は味合わせたくない。

やっと家族を物陰から引っ張り出した桧釐が、やれやれと龍晶を挟んだ向かいの席に座った。

「お騒がせを致しました。全く、こんな家庭で申し訳ない」

「良いご家族です、桧釐殿。殿下の笑い顔を拝見出来ただけでも来た甲斐がありました」

「やめろよ宗温。そんな事を言いに来たんじゃないだろう?」

一瞬、宗温の表情が固くなったのを、龍晶は見逃さなかった。

「何かあったのか」

咄嗟に宗温は言葉を継いだ。

「悪い報せです、殿下」

「何だ?」

桧釐が眉間に皺を寄せて睨むように見遣る。言うなという牽制だ。

無論、それは宗温も同意だ。

「殿下を抜きにして戦を終わらせてしまいました。お許し下さい」

「何だ。それのどこが悪い報せだ」

「これでは殿下の手柄とはならぬではないですか。この戦の意味が無くなってしまう」

「別に手柄など、今となってはどうでも良い。それより戦が終わった事が重要だ。よく終わらせてくれた」

微笑みながら手を取って、龍晶は宗温の働きを褒めた。

共に捕虜となり泥水を啜った仲間だ。その戦を宗温が終わらせた感慨は一入(ひとしお)だろう。

龍晶の様子に、桧釐の表情も和んでいる。

よく誤魔化したな、とその顔が言っていた。

「戦が終わったのですか?」

朱怜も興味を唆られたらしく、茶を出しながら訊いてきた。

「ええ。和議交渉は言葉が通じず難儀致しました。殿下がおられればと何度思った事か」

宗温が苦労した本音を出して、和議に真実味を持たせると、龍晶は真顔で応じた。

「悪かったな。肝心な時に離脱してしまったようだ」

「いえ、殿下は悪くありませぬ。我が軍の通訳が殿下ほど堪能ではないのが一番の誤算で」

「それでも交渉を纏めたのだから大したものだ。重ね重ねご苦労だった」

「恐れ入ります」

結局、その場は笑い合っただけでお開きとなった。

龍晶は朔夜の事を訊きもせず、当然誰も触れはしなかった。

誰もが忘れたい存在となっているのは間違い無かった。


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