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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十話 背反
48/60

8

醒めても未だ、甘い夢を見る。

もう居ないと分かっている人の姿を。

花と謳われ、国中の人々の口に上ったその容姿は、花が散り、誰もがその存在すら忘れても、自分にだけは永遠だった。

瞼の裏でその影を追い続けて。

唯一無二のその存在は、最早幻となって。

今また、目の前で微笑む。

ここは、死後の世界だ。

「母上…」

伸ばした手を、そっと包んでくれる両手がある。

あの日のままの温かさで。

「お会いしとうございました」

声は出ず、呼気だけの念願を、彼女は微笑み頷いて応えた。

至福の両手に包まれた手が、胸の上に戻される。

そして、その両手で頬を包まれる。

「私もです、殿下。よくぞここまでいらして下さいました」

「殿下なぞ…名でお呼び下さい。在りし日のように」

「そうは参りません。あなた様は立派にお育ちになりました。陛下と呼べぬのが残念ではありますが」

龍晶は怪訝な顔をして母を見た。

「母上は王になどならずとも良いと、あの牢の中で言うて下さいました。あれは本音では無かったのですか?」

彼女は少し目を見開き、そして顔から両手を離して己の口許に当て、軽く笑った。

「お許し下さい殿下、少し調子に乗ってしまいました」

更に訝しんで相手を見詰めているうち、視覚が冴えてきてその姿を現にした。

別れた最後の姿から、幾分歳を経た母の姿にも見える。しかし死して歳を取るだろうか?

否、これは現世だ。

そして、この人は。

「私は殿下の母君ではなく、伯母上ですよ」

驚きも忘れてぽかんと口を開けて見上げてしまった。

自分で伯母上と名乗ってしまう辺り、何とも伯母上である。そう、僅かな記憶に残るこの人はこんな人だった。

視界の外から何とも苛立だしい舌打ちが聞こえて、龍晶は首を起こそうとしたーーが、腹部の激痛に襲われて断念した。

この僅かな動作の為の腹筋が使えない。

顔を顰めていると、視界にぬっと桧釐が現れて手にした器を目前に差し出した。

「水です、殿下。まだ痛いと思いますが我慢して飲んで下さいよ」

片手を頭の下に滑り込ませ、持ち上げて首を起こす。それだけでも痛い。

更に、飲み込んだ水が腹に入っていくと、次第に内蔵の痛みが強くなり、龍晶は二口で音を上げた。

頭を下されると同時に体をくの字に曲げて煩悶する。筋肉も痛いのだが、それが問題にならぬくらい内部が痛い。

脂汗がたらたらと流れる。呻く声を抑える事も出来ない。

「殿下、暫し耐えて下され。この水には痛みを鈍らせる薬が入っております。それが効けば楽になりますよ」

桧釐の声を頭上に聞いて、そんな薬など有ろうものかとは思ったが、不思議と少しずつ落ち着いてきた。

切れる息を吐きながら、強張った体を元通り横たえる。

体の感覚が浮遊するように遠くなる。まるで意識だけの存在となったように。

「何を…飲ませた?」

夢心地に意識までも奪われぬよう抗って、龍晶は問う。

桧釐は口許を歪ませて答えた。

「この村に伝わる秘薬です。正体はお教え出来ません」

「何だと…?」

「殿下をお救いする薬ですよ。ほら、今のうちに普通の水を飲んで下さい。あと、粥も」

洪水に抗う杭が流されるように、正気が吹き飛ばされる。

この苦痛から解放されるなら何でも良いだろうと、己の頭が言う。

幻覚が見える。咲き乱れる花々と、黄金の空と。きっと極楽の景色だろう。

また逝きそびれた場所に、本物の母は居るのだろうかと。

考えかけてやめた。それすら虚しい夢の渦に巻き込まれて。


花束を抱えて家路に付く母の姿に、桧釐は流石に無視出来ず咎める声を出した。

「ちょっと…何考えてんだあんたは。この花…」

「母に対してあんたは無いでしょう。殿下みたいに母上と呼べないのかいあんたは」

「あんたに言われたかない!」

お互い呼称が同じで引っ掛かる点も同じだ。

「そんな事より、この花は何だ?」

問題は母が抱える花だ。

艶やかな大振りの花弁の、白や紫の花が根から抜かれて両手に抱えられている。

「何って。判るだろう。芥子さ」

「それをどうするのか訊いている!」

「お前達が要るかと思って摘んできたのさ」

桧釐は母を睨んだ。

確かに龍晶に、この芥子から取れる薬を飲ませたのは自分だ。だが、やむを得ず使ったと思っている。

「こんな量は必要無い。それより、どうしてこんなに植わってるんだ。まさか恣意的に栽培してるんじゃ…」

「都の金持ち相手によく売れるんだよ」

事も無げに彼女は言った。

「良いだろう、別に。向こうは好きで買ってゆく。こちらは他に売れる物なんか無い。これがあるから村は成り立つ」

睨む視線に疑念を混じらせる。

母、黄花(オウカ)は慌てて言い足した。

「私がここに来た時にはもうこの村はそうなっていた。別に私が都人憎さに始めた商売じゃないからね?」

「…どうだか」

どうでも良くなって桧釐は回れ右をした。

そろそろ龍晶も目覚めているだろう。

「とにかく、それは必要無い。そいつは便利だが危険過ぎる。俺はともかく、殿下はそれを解っているようだ」

何を飲ませたかと問う口振りは、全てを見通しているようだった。

幼い頃から書物を友にしてきた彼なら、この禁断の薬の知識も有っておかしくない。

「殿下の所に朱怜(シュウレイ)が行っているよ」

背を向けた母の声が追ってくる。

特に何も返さず、桧釐は砂を固めて作った簡素な家の入口を潜った。

出来れば世話になりたくなかった母の住処だ。

他に龍晶を運び込める場所も無いし、再会に喜んだ彼女が半ば強引にここへ引きずり込んだ。桧釐は止めておけと反対したのだが、その理由が正当でないので言えたものではない。

ただ家族の顔を見たくなかった。特に母親の顔など、今更見れようものか。

祖父が処刑され、朱花の一族であるというだけで肩身の狭い思いをし、ついに北州を去った母とは年に一度会えれば良い方だった。

この村には二度ほど来た事があるが、義理で顔を見に来ただけで別に会いたかった訳ではない。(むし)ろ億劫だった。

それが今更、それも父親からは勘当された立場で毎日顔を合わせる事になろうとは。

げんなりとする。まだ龍晶の世話に掛かりきりで、自分達の事を話してはいないが、その時が嫌で堪らない。

一方の龍晶は、伯母に実の母の姿を見る程だというのに。一族でこの違いだ。

しかし、母親を恋しがる龍晶の気は理解出来なくはないのだ。道中、彼は魘されながら何度も母を呼んでいた。桧釐とて、それを聞いて切ない気分になる。

だからこそ、一瞬とは言え朱花の振りをした母の行動が許せない。あれを見て増々嫌になった。

父も母も、俺にはどうしてこうも疎ましいのだろう。

悩まされながら部屋を仕切る麻布を捲る。

すると枕元の椅子に座る背中に、また溜息が出る。

妹の朱怜だ。そう言えば母がそんな事を言っていた。

八つ歳の離れた妹は、同世代の美麗な王子様が気になって仕方ないらしい。暇さえあればこうして寝顔を眺めている。

邪魔なことこの上ない。

「おい、退けろ朱怜。お前は他にやる事は無いのか」

怒って尖らせた唇が振り返る。

兄目線で言うのも何だが、この娘は一族の血を受け継いでなかなか見目が良いと思う。しかしこの表情ではそれも台無しだ。

「邪魔なのはそっちよ!兄さんが炊事したら良いのに!」

何だか理不尽な捨て台詞を残して彼女は部屋を出て行った。

全く、どいつもこいつも…と頭を抱えたい気分で居ると、不意に寝台から抑えた笑いが聞こえてきた。

「起きてたんですか、殿下」

白い瞼が半分開いて、黒い瞳が覗く。

「あの手の娘は苦手でな。どうやらお前も苦労しているらしい」

狸寝入りで遣過したという訳だ。

「ご気分がよろしいようで何より」

「馬鹿言え。最悪だ」

「本当に最悪なら、あなたは笑う事なんて出来ません」

不貞腐れた子供のように口許を歪め、龍晶は話を変えた。

「ここは何処だ?」

この当たり前の問いが出来るくらいには快復したのだと考え、安堵を感じながら桧釐は答えた。

亜北(アボク)という村です。壬邑からはそう離れちゃいませんよ」

「成程、戦場に死ねない屍を置いておけないから適当な場所に運んだって事か」

己を屍と称するのを諌めたいのは山々だが、ここは聞き流す事にした。変な議論にはしたくない。

「しかし、ここも砂漠地帯だろう?よくも…あんな花が咲くものだな」

龍晶が言いながら見遣る先に、花瓶に生けられた一輪の白い芥子の花。

朱怜が何の気なしに置いていったのだろう。

そしてそれを指す龍晶の顔は厳しい。この花が何なのか判っている。

桧釐は降参とばかりに頭を掻きながら言い繕った。

「どうやら、この村では薬を作ってそれで生計を立てているようです。俺も今日まで知りませんでした」

「ほう?ではその薬の正体も知らず俺に飲ませた訳ではあるまい?」

龍晶の目が据わっている。

溜息混じりに桧釐は答えた。

「お許し下さい殿下。俺は痛み止めとしか聞いてないし、調合した者もあの量なら問題無いと申しておりました。ご不快があったなら平に謝ります」

「不快な…」

怒りの矛を収め、龍晶は軽く瞼を閉じた。

蘇るのは、あの時見えた、己の心の奥底が求める光景。

「逆だよ桧釐。俺は快楽を恐れるのだ。現実を忘れる為なら、俺はあの花の中に溺れる事も辞さないかも知れない。それを知るのが怖い」

じっと、桧釐は生けられた花に視線を注ぎ、おもむろに立ち上がるとそれを窓の外に棄てた。

「あなたは死人ではありませんよ。まだやるべき事があります。その為に生かされたのです」

窓に向かったまま桧釐は強く言った。

龍晶は虚ろな目で黙していた。

忘れられるなら忘れてしまいたい事が山ほどある。

誰が何の為に己を生かしたのか、そんな事考えたくもなかった。そして考えずとも答えなど知れていた。

「伯母上に非礼を詫びておいてくれるか?起きがけの事とは言え、済まぬ事を口走った」

頭の中と室内の空気を変えようと、龍晶は口を開いた。

桧釐は驚いた顔で振り返って、ぶんぶんと手を振った。

「殿下が詫びる事など無いでしょう。寧ろ、俺があの人の軽はずみな言動に頭を下げなきゃなりません。全く、申し訳ない事でした」

「謝るな。甘い夢を見た俺が悪かったんだ。それに…一瞬でも夢を見させてくれた事は良かったと思っている」

「殿下…身内に甘過ぎますよ」

ふん、と彼は鼻で笑った。

夢を見させてくれたとは、本音なのだろう。それに、母を思わせる伯母の言動を責められないのは母への思慕の念の強さ故だと、桧釐は知っていた。

安らかだった在りし日々の思い出を、そのままにしておきたいのだ。

「しかし…伯母上もこんな辺境の地に居られるとは、相当な苦労を掛けてしまったようだな。長年消息を訪ねもせず、全く済まぬ事をした」

「だからそれも殿下が詫びる事ではありませんって。あの人達は気儘に生きているだけです」

「お前に孝行の心が無い事も俺には心苦しい」

「だから…」

話が己にまで及ぶと、桧釐は苦笑しかない。

龍晶もにやりと悪戯っぽく笑い、しかしすぐに虚のような無表情に戻って呟いた。

「親は大事にしろよ」

桧釐にはその有り触れた言葉が、龍晶の口からは全く逆の意味で出たと聞こえた。

どうして同じ一族なのに、こうも違うのか。全く血筋の(くさび)を受けぬお前が羨ましい、と。

王家の血脈も、母方の者達が彼を生かそうと流した血も、彼を縛り付ける楔であった。

姿は既に無いのに、否それ故にか、彼は親の存在を捨てられないのだ。

親を捨て気儘に生きているのは自分かと、桧釐は少し反省した。

「うちの母親が朱花様のように出来た人なら、俺ももう少し大事にしようって気にもなるんですがねぇ。全く、姉の癖に妃に選ばれなかった理由が嫌でも分かるしそれで正解でしたよ。あの人はお転婆過ぎたんだ」

「それは一理あるな」

龍晶に笑みが戻ったところで、桧釐はさてと、と弾みを付けた。

「殿下、目が覚めてるうちに腹に物を入れて下さいよ。どんなに痛くても、食べなきゃ治りませんからね?のたうち回りながらでも食べて下さいよ?」


部下から手渡された書状を宗温は緊張した面持で開いた。

もう戦は続けられないと訴えた嘆願書の、王からの返信。この書状の内容次第で、この戦の行く先が決まる。

恐らく王は、一武人たる自分の言う事など気にも止めないだろう。直接の進言であればその場で怒鳴られて終わっている。

期待など出来ず宗温は書かれた文字を目で追っていった。

一度読み終わって、暫し考え。

今自分が読んだ内容が信じられず、再び書状の頭へ視線を戻しまた読んでゆく。

二度、三度と読んで、それが本物の王の書状だと確かめて、思わず歓声を上げた。

「どうされました?」

部下達が目を丸くしている。普段物静かな上官だけに、一人で声を上げるという事態におっかなびっくり、しかし絶望の声ではないので興味を唆られている。

「喜べ!漸く我らは都に帰れるぞ!」

一同が信じられないとばかりに目を見開いている。

年月を数えるのも忘れる程の間、この城塞で戦い続けた部隊だ。俄かに信じられないのも無理は無い。

「まさか、嘘では無いでしょうね!?」

「こんな嘘など私の口から出るものか。陛下は哥との和議をせよと仰せだ。それが成るまで他の者には黙っておくように」

「は…!」

畏まりながらも歓喜の色を隠せない彼らに頷いて、宗温は多禅の元へ赴いた。

この一軍を率いる立場の大将は、悪魔に刃を向けられて以来、酒に浸って正気に返る事が無い。

元々この地の戦は宗温が取り仕切っていたのだし、今も実務は全て宗温が熟しているので問題が起こる事は無い。

だが、この件ばかりはどう伝えたものかと考えた。

そもそも、王に嘆願書を書いた事すらはっきりと伝えてはいないのだ。軽く言ってはみたが相手が泥酔していたので伝わったとは思えない。

多禅にしてみれば、悪魔の暴走は王に隠すべき事態だっただろう。己に原因は無くとも、大将たる者の責任がある。このような形で兵を失うとは大将の失態でもあるのだ。

一刻でも早くこの戦に幕を引かねばと考えた宗温には、多禅のそれらの事情など考慮して待っていられなかった。

そして希望していた通りの、しかし思いもかけなかった和議の命令。これを多禅はどう思うだろう。

宗温は、大将の詰める部屋の扉を叩いた。

くぐもった声で中から返事がある。

開けると、酒気の匂いに満ち満ちている。

「失礼致します」

多禅は半開きの眼を向けて、おうおう、とだらしなく笑いかけた。

「どうされた、副司令官殿。改まって何用かね」

表情、言葉尻に、宗温を蔑む内心が見える。

階級は多禅の方がずっと上だ。だが、悪魔を前に取り乱し、更には宗温に命を救われてしまった引け目が、態度を尊大にさせる。己の肩書きを振り(かざ)さねば立場が無い。

今の宗温にとって、その己の立場を堅守しようとする多禅の態度は厄介だった。

「陛下より書状が参りました。これを」

手にしていた書状をそのまま差し出す。恐らく実物を目にせねば和議など信じないだろう。

予想通り、多禅の赤ら顔は読み進むにつれ更に赤黒くなった。

そして叫んだ。

「誰だ!ここであった事を陛下に知らせたのは!?」

「私です。出過ぎた真似かとは思いましたが、一刻を争う事態でしたので」

「おま…!阿呆か!大将は俺だ!何故お前が、許可も無く…!」

唾を散らし怒る多禅に、宗温は淡々と答えた。

「大将は反対されるだろうと思い、私個人の意見書として陛下にお届けしたのです。それをどう読まれるかは陛下次第でしょう。信の厚い貴殿からの意見であれば、更に通りやすかったとは思われますが」

それでも聞き取れぬ怒鳴り声を上げ続ける多禅に、宗温は冷たく言い放った。

「貴殿に何も害は無いでしょう。それとも何か?まだ貴殿は悪魔と共に戦を続けるおつもりでしたか。それなら止めません。私共は一足先に都へ帰らせて頂くだけです」

「貴様…!」

絶句して、口を開けたまま睨み付けている。

ふと口許で笑い、宗温は告げた。

「悪魔はまだここに居ますよ?私達の喉元を掻き切るつもりで」

ひぃ、っと図体に似合わぬ高い悲鳴を上げて、何かから逃げるように酒を口に流し込む。

思わず宗温は溜息を吐いた。この男を軽蔑し続けていた龍晶の気が嫌と言う程分かる。

「和議には私が向かいます。それで宜しいか?」

勝手にしろ、というような事を怒鳴ったのだと思うが、明瞭な言葉にならないので勝手にそう解釈する事にして、宗温は頭を下げた。

「では、そのように」

部屋を出て、正常な空気を胸に入れ、次の目的地へと向かう。

王の用件は和議だけではなかった。それが成った後に、悪魔を都に連れて帰れとある。

その方が難問であった。

果たして悪魔を都に入れて無事に済むのか。

例の地下牢へと向かう。まだ日は高い。

檻の向こうに朔夜が居る。

ぐったりと四肢を床に投げ、壁に頭を凭せ掛け、目は焦点を失ってやっと開いている。

額から血が流れる。壁に頭を何度も打ち付けている所為だ。

それが自死の為の行為なのか、他に理由があるのか、それは分からない。言葉らしい言葉を彼からずっと聞いていない。

夜になれば悪魔が口を開く。が、宗温を含め誰も悪魔には近寄らない。

その点は誰もが多禅と同じだった。悪魔への恐怖を忘れようと藻掻いている。無理だと分かってはいても。

「朔夜殿」

宗温は呼び掛けた。前と同じ、丁寧な呼称で。

しかし返答はおろか、視線が動く事も無い。

予想済みの反応の無さに構わず宗温は言うべき事を告げた。

「陛下より命令がありました。これより私は哥と和議交渉をします。それが成れば、貴殿を都へと帰します。陛下がお待ちです」

言葉は虚しく牢に響く。

一つ息を吐き、続けて魂を持たぬ人形の如き相手に呼び掛けた。

「悪魔殿にお願いを致します。どうか都に帰るまで、朔夜殿を生かして下さい。誰の死も齎しては欲しくありませんが…せめて朔夜殿だけは。それがあなたの望む所でもあるでしょう」

「龍晶はいいのか?」

声が聞こえた。

まごう事なき朔夜の声だが、喋ったようには見えなかった。

視線は相変わらず、ぼんやりと壁を向いている。

「殿下は私が命に変えてもお守りします」

宗温が答えると、人形の口の端が歪むように吊り上がった。

「あいつを殺して楽にしてやるつもりは無いけどな」

朔夜の言葉ではない。

そう気付いて、宗温はさっと踵を返した。

血の気が引いてゆく。これは、恐怖だ。

牢の中は相変わらず、壊れた人形が転がっているだけだった。


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