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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十話 背反
47/60

7

牢の天井に近い石壁にある明かり取りの穴。そこから赤い西日が差す。

もうこんな時間かと、桧釐は酒の入った瓶を置いた。

日がな一日、地下牢で一人酒だ。

肴は悪魔の天使のような寝顔である。全くもって、訳が分からない。

朔夜は丸一日寝て、ついに起きなかった。

その方が好都合と言えばそうだ。目覚めた時出て来るのは鬼か蛇か、その本性を知ってしまった以上まともに相手はしたくない。

かつて龍晶も言っていた。あいつから逃げたい、と。

その時は意味が理解出来なかったが、今は同じ気分だ。

なのに、この場所に居て、真っ向から向き合う事を決めた自分が居る。

何故だろう。自分にそこまでする責任は無い筈なのに。

恐らく龍晶も同じだったのだと思う。

逃げたいが、見ていたい、と。

それは、人が死に感じる魅惑と同じようなものだ。

死にたくないと言いながら、そこから目が離せず魅了され、ついには諦めて運命に身を任せるより無い。

龍晶はその渦に飲み込まれた。では自分は。

酒精を喉に流し込む。

人の一生など一夜の酔夢。

そう思えば何という事は無い。酔って夢を見るだけ。

父に疎まれて、半ば破落戸のように育ったお陰で、世の中を斜に見る事には長けている。

酔狂ならば得意分野だ。権力に盾突く程の酔狂は無いと自負している。

死を齎す悪魔相手に酒を飲むなど、(うつつ)とは思えぬ程に面白いではないか。

そうやって己を鼓舞しながら杯を傾けていると、牢の中の手がぴくりと動いた。

「起きたか」

目を開く間も待たず声を掛ける。

その声にびくりと体を震わせ、飛び起きて壁にぶつかるまで後ずさりした。

体は震え、目は泳いでいる。言葉にならぬ声が口から漏れ出る。

これは悪魔ではない。

「朔夜」

確信を持って桧釐は呼んだ。

途端に、わあっと声を上げて頭を抱え、泣き声で(わめ)き出した。

「俺じゃない!俺がやったんじゃないんだ!」

そんな事は嫌と言う程分かっている。

ただ、自覚のある事が意外だった。

「じゃあ、誰がやった?」

責めるのではなく、何処までこの朔夜が解っているのか訊きたかった。

悪魔は朔夜を掌握している。その逆はあるのか。

朔夜は問いに答えられなかった。

言葉にならぬ呻きとも喘ぎとも付かぬ声を出すだけ。

そしていつかのように、呪文のようにごめんなさいを唱え始めた。

これでは埒が明かない。

「もういい。許してやる前にお前にやって貰わねばならん事がある」

告げると、初めて顔がこちらに向いた。

大人に酷く怒られた後で相手の顔色を窺う子供そのものだった。

「殿下の傷を完全に治してくれ。そして、まだ息のある兵達の傷もだ。出来るだろう?」

頷こうとした首は、何者かに無理矢理押さえ付けられるように不自然に止まった。

そして苦痛に顔を歪め、両手が耳を塞ぐ。

端から見れば何が起こっているのか全く判らない。

ただ、桧釐は咄嗟に上を見上げた。先程まで西日の差していた、明かり取りの穴を。

見えるのは、夕闇の近い紺色だった。

夜が来る。

月が昇る。

「誰がそんな事してやるもんか!奴は俺の味わった何倍もの痛みを味わえば良いんだ!」

悲鳴のような朔夜の絶叫。それは意識と共にぷつりと途切れて。

ばったりと床に倒れ、程なくむくりと起き上がった。

「…悪魔か」

桧釐は問うでもなく確認した。

相手は朔夜の顔でにんまりと笑った。

「月と呼べ。風雅の解らん御仁だな」

そして桧釐の手元に視線を止める。

「酒か。良いな、くれ」

桧釐は怪しげに目を細める。

「飲むのか?飲めるのか?」

少なくとも朔夜は飲んだ事が無いと見えたが。

「飲めるよ。失礼な」

鉄格子の隙間から手を伸ばしてくるので、仕方なく杯をその手に乗せて酒を注いでやった。

嬉しそうに舌舐めずりして悪魔は言う。

「よしよし。これに免じて今宵は大人しくしてやろう。月を肴に酒を飲めば、人の血を飲む必要も無いからな」

「月は見えんが」

「お前に見せてやってるだろ?」

己が月だと言う。

狂の字が強い酔狂だ。

悪魔と差し向かいで酒を酌み交わすなら、己も狂人と言われても仕方ないだろう。

だが既にほろ酔いの桧釐には外聞などどうでも良かった。それどころか良い折だとして訊きたい事が山ほどある。

杯を干して彼は問うた。

「美味いか?」

月は喉を鳴らして酒を飲み込んだ。

「不味い。でも別に良い」

思わず桧釐は吹き出した。

「何だ、お前も酔いたいだけか」

己と同じだ。

「二日酔いにしとけば朔夜も自害なんぞ出来んだろ。況してや、奴らの治癒なんて到底無理だ」

「そういう企みかよ。二日酔いの時には別人なんて、羨ましい奴だな」

「だろ?お前も悪魔になるか?」

「断る…と言うか、どうやって」

軽く笑って月は誤魔化した。

「朔夜は自害する気なのか?」

何より気になる事を問う。

悪魔は唇を尖らせ、俺は知らないがと言いたげに答えた。

「あいつの錯乱っぷりを見ただろ。俺がやった事だと知りながら、自分のせいだと思っている。お友達を殺しかけてのうのうと生きてられる程、あいつ健全じゃないだろ」

「…まぁ、それは理解出来るが…」

罪の意識で死を選ぶのは狂気で、罪の意識を踏み越えて生きるのは健全だと悪魔は言う。

悪魔にしてみれば、とにかく生きる事が正常らしい。

「お前にしてみれば、自分の意思とは関係無く死なれたらたまったものじゃないって感じなのか」

「肉体的に死なせはしないけど、それもいろいろ面倒ではあるからね」

「どういう事だ?死んだらお前はどうなる?」

「そうか、お前は知らないか。この際だから教えておく。この体はな、死んでも月の光に晒しておけば蘇る。最短一晩で元通りさ、俺もね」

「それは…死んでもあまり問題は無いって事か?」

「そりゃ、死んだら俺の意思ではどうにもならないから、蘇らせてくれる誰かが必要なんだけどさ。その点は面倒だけど、お前なら蘇らせてくれるだろ?」

桧釐は流石に突拍子の無い話過ぎて即答し兼ねた。

これが朔夜ならば迷う事は無い。だが、蘇らせてこの悪魔が出て来たら、一体誰が得をするのか。

その心情を見越して、月は言った。

「大丈夫だよ、目覚めた側から俺が出て来る事は、多分無い、と思う」

随分不確かな物言いである。

不信が募るだけだった。

「ま、俺を退治するのは目出度(めでた)くとも、その時は朔夜も死ぬ時だからな。それは覚えておけ」

「…ああ。それは分かる」

何を犠牲にするか、その時になってみなければ判らない。だが、今なら迷わず朔夜に犠牲になって貰う。

悪魔による虐殺を防げるなら、安い代償だ。

「お前に朔夜を見殺しにする事なんか、出来ないだろうなぁ」

考えを読まれているのか。半笑いで悪魔は言った。

「お前は自分が思うより情に厚く流され易いからな?ほら、今も朔夜は助けてって懇願してるぞ?」

「声が聞こえるのか?」

「俺達は頭の中で会話出来るから。起きている事を同じ目で見る事も出来る。だけど過去の記憶は共有されないから安心しろ」

朔夜が消し去り、月が持っている記憶は共有出来ない。龍晶の望む通り。

桧釐は差し出された杯に酒を満たしながら訊いた。

「なあ、教えてくれ。お前は本当のところ何者なんだ。どうして朔夜の中に居る。それも、一体いつから。で、どうして昨日現れたんだ?」

「質問責めかよ。ま、そうなるよな」

笑って、満たされた杯を一気に煽り、また手を伸ばして催促しながら月は答えた。

「俺がこの体の主だ。朔夜は俺に人間の皮を被せた、その外面に過ぎない」

「え…?」

注ぐ事を忘れている杯を、地団駄するように振って急かす。

桧釐は注いでやりながら更に問うた。

「しかしお前が主なら、どうして今まで出て来なかった?俺達にしてみれば、お前は突然朔夜を支配しだした厄介者に見える」

「はぁ?どこまでも失礼な奴だな。俺はずっとこの中に居た。出る必要が無かったから寝てただけだ」

「今はその必要があるって言うのか?一体、どの辺に」

「朔夜が記憶を失った所為だよ」

「と言うと?」

「記憶を失って、あいつは怒りも憎しみも忘れてしまった。だけどな、繍に来て以降のあいつを生かしていたのはその怒りや憎しみだ。それを失えば、見ての通りただの抜け殻だ」

「今の朔夜を抜け殻と言うのか」

「そうだ。餓鬼のようにしか振る舞えないのは、今まで築き上げた己の核を失っているからだ。しかしお前達は朔夜に怒りを覚えさせた。でも、あいつは核を失っていてどうすれば良いのか分からない。だから俺は、あいつから乖離して表に出て来てやった」

杯を止めて、桧釐は顔を顰めた。

「お前は朔夜から乖離したと?元々一つだったと言う事か?」

「ま、たまーに離れる事もあるけど、大体は同じだった。だって、俺が朔夜の核だったんだから」

「…解らん」

「じゃあ、こう思っておけよ。繍で培った朔夜の負の感情が凝り固まって、人語を喋る化物になって出て来たのが俺」

「それじゃあお前が主だと言えないだろ」

「それはまた別の話。いや、俺が主と言っちゃあ僭越かも知れないな。この体を生かしているのは、俺とはまた別の意識だ」

「は?まだ有るのか?」

「お前達は今までにも悪魔を見ただろう?それは俺のようにお喋りじゃなかった筈だ」

「ああ、それは思った。悪魔ってこんなにぺらぺら喋るものだっけかって」

「悪かったな…。で、無口なそれが誰なのかって話だな。朔夜ではない。俺は力を好きに操れるが、あの時には出て来られない。即ち俺でもない」

「じゃあ誰なんだ?」

「あれがこの体を生かしているものだよ。誰と言うようなものでもないな。あれは、力そのものだ。月の力そのものが表出した姿なんだ。謂わば、生命の塊だ」

「…生命の塊?」

「この体が生きているのは、それが有るお陰だ。本当なら、産まれる前に死んでいた」

桧釐の理解出来る範疇を超えて、頭の痛くなるような話だ。

ただ、疑問は湧く。

「どうしてお前はそれを知っている?朔夜は知らんだろう?」

この悪魔が、かつて朔夜だった一部なら、朔夜の知らない事実をどうしてこうも喋れるのか。

「俺は二つのものの間にある存在だから」

「…は?」

「人間としての朔夜と、その力の存在があまりに懸け離れちゃってて、意識がその間を行き来し易いように俺が居るんだと思ってる。推測だけど」

「…はぁ」

「だから、俺は朔夜より力に近い。よって、朔夜よりもいろいろと推測が出来る訳」

「…あぁ何だ、全部推測かぁぁあ…」

語尾が欠伸になった。

「おいおい、もう頭がおネムかよ。寝る前に瓶ごと寄越せ」

「お前が眠くなる話をするからだ」

文句を垂れながら言われた通り瓶を鉄格子に寄せてやる。

格子の隙間から出て来た腕が、瓶を攫って中に入れた。

桧釐は大欠伸をしてその様を見、その場に敷いた筵に横になる。

「え?ここで寝るのか?」

吃驚した顔で月は訊いた。

「悪いか?別に寝込みを襲う気は無いんだろ?」

「無いけど…」

悪魔が戸惑う様を拝んで、桧釐は寝返りを打って目を閉じた。

「朝になったらさ、朔夜に言ってみるよ」

背中で月の声を聞く。

「酒の礼に、兵くらいは治してやれって」


目前で当然のように行われる奇跡を眺めながら、桧釐は気怠く壁に凭れて立っていた。

兵達の恐怖心を蘇らせる訳にもいかないので、朔夜に治癒させるのは意識の無い重傷人だけに限った。そもそも、朔夜も悪魔の二日酔いの所為で青い顔をしているのであまり大人数には耐えられないだろう。

それでも選りすぐって室内に運び込んだ兵は十人は下らない。

「酒の礼、ですか」

事の成り行きを聞いた宗温が、ちょっと可笑しさを堪え切れないという口許で呟いた。

「変に律儀だろ?悪魔の癖に」

「ええ。しかし、話を聞く限り彼は悪魔とも言い切れぬものなのでしょうね」

桧釐は片眉を上げて宗温を見る。

昨夜の悪魔の話は、覚えている言葉だけ宗温に伝えた。自身は意味を理解出来てはいない。

「人の善意と悪意が真っ二つに割れてしまった結果、それぞれが別の人格を帯びてこうなったのではないかと、私は思います。まぁ、当たりではないでしょうけど」

「はぁ…成程ねぇ」

それでも桧釐には理解し難い。

悪魔が発案したこの治癒は、善意ではないのか。怪我をさせたのは悪魔自身ではあるが。

それを問うと、宗温は少し考え答えた。

「悪魔は朔夜殿の自害を恐れていたのでしょう?こうして仕事を与える事で、それを防いだのではないですか?」

「自分の為に?」

「そう。自分の為に」

己の為に善行を施す。それだけ聞いたら、多くの人間と変わりは無い。

悪魔とは言い切れない。その宗温の言葉を思い出して腕を組む。

あの所業を見れば、間違いなく悪魔だと思うのだが。

「この戦、これからどうなる?お前、嘆願書には何と書いた?」

誰に刃を向けるか分からぬ悪魔を自軍に抱えて戦など出来ない。その上、それを使うなど。

王への嘆願書は、宗温が昨日のうちに書き上げ使者に持たせた。

「ありのままの現状を書きました。死傷者多数につきこのままでは戦にならず、また兵の士気もどん底だと。朔夜殿を悪魔として使うのは、危険極まるとも」

「殿下の事は?」

「一命は取り留めたものの、意識は戻らぬ故、療養して頂きます、と。戦場から出て頂いた方が良いでしょう?あと、朔夜殿から遠避けた方が」

「確かにな。こんな場所で療養も何もあったもんじゃない。で、何処に運ぶ?」

「あのご容態では、北州だと少し遠いでしょう?せめて一日程で着く場所で、落ち着ける小さな村でも有ればと思うのですが」

「何だ、俺に任せるって事かよ」

宗温よりこの近辺の事情に詳しいと思われているのだろう。

桧釐は少し考え、思い当たる場所に顔を顰め、そして仕方ないと溜息を吐いた。

「…ここから半日ほど馬を駆れば、亜北(アボク)という村がある。何も無い、数える程しか人も居ない村だが、人一人匿うには調度良いだろう」

「ほう。初めて聞く地名です。流石は桧釐殿」

「持ち上げるな。俺もこの近辺に詳しい訳じゃない。たまたま、事情あってそこを知っているだけだ」

「事情とは?」

「俺の母親がそこに隠れ住んでる。他言するなよ?」

やたらと納得したように何度も頷いて、宗温はわざわざ確認した。

「貴殿と殿下は従兄弟という事ですから、そのお母上となると…」

朱花(シュウカ)様の実の姉だ」

記憶の中の母親の顔を瞼の裏に見、苦い顔で言い足す。別に思い出が悲しい訳ではない。思い出したくないだけだ。

「成程、ご事情は分かりました。かような縁者が居られるのなら心強い。殿下の事、よろしく頼みます」

「え?……ああ…」

自ら行く気は無かったが、この流れで桧釐を置いて誰が龍晶を連れて行くのだと言う展開に自らしてしまった。

行きたい場所…もとい、顔を合わせたい相手では無いのだが。

うんざりとして顔を上げると、朔夜は重傷人の病床で突っ伏して寝ていた。

まだ三人程しか治癒は終わっていない。

悪魔の二日酔いは矢張り恐ろしかった。


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