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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十話 背反
45/60

5

鉄格子の内側。刃を持つ男が錠を開ける。待っていたものが来た。

殺される。父も、祖父もそうなったように。俺だけ逃げられる筈なんて無い。でも、怖い。

逃げてはいけない。俺は死んでも、母は守らなければならない。俺はどうなっても良いから、母だけは。

その姿は無い。何処へ行ってしまったのだろう。奴らが隠したのだ。だが生きている。必ず、見えない所で。

男が入って来る。刃だけが白く浮かぶ。あれで俺は殺される。

せめて、死ぬ前に一度だけ母の姿を目にしたくて、男から目を逸らした。

横にも、背後にも、その気配はあるのに、姿は見えない。闇ばかりで。

仕方なく男に向き直る。もう近くまで迫っている。

男?俺はこいつの正体を知っている。

本当は歳を同じくした子供だ。そして人ならざる者だ。化物だ。悪魔とも呼ばれている。

俺はこいつに殺される。ずっと前からそれは知っている。決まっていた事。

見えてきた相手の顔に表情は無い。冷え冷えとした、人形のような、鋭く美しいだけの。

俺はこいつの笑う顔を知っている。泣く顔も見ている。俺を守ると言い切ってくれた、あの強い意志を宿した顔も。

なのに、今は、全くの別人だ。

どうして何もかも忘れてしまった?俺達は友では無かった?誰が俺を殺すように仕向けた?

誰が?

分かっている。鉄格子の外で、こちらを薄ら笑いながら見ている肉親が居る事を。

血の半分を分けた兄は、俺の全てでもあった。

この人に見放されたら、何もかも終わる。

どんな苦痛にも恥辱にも耐えてきた。あの目で、屑を見るような目で見られたくないから。

もうすぐそれから解放されるのでは無かったか?俺を人として認めてくれるのでは。

刃が煌めく。目前の相手に意識を戻す。

ああ。

そんな上手い話なんて無いよな。

お前を利用したと思っていたが、利用されていたのは俺の方か。

矢張り屑だと思われたから消されるだけ。

俺はこの世界に、兄にとって要らない物。

なぁ、朔夜。

やっぱり俺はお前が羨ましい。

お前は、兄に必要とされるからーー


刃が己が身を貫いた衝撃で、龍晶は目を覚ました。

夢。いつもと同じだ。薬を飲まされようが、見るものは変わらない。

ただ、胸のむかつきと、全身の痺れは薬の所為だろう。体の感覚が遠く、意識だけぽっかり浮かんでいるような感じがする。

視覚ばかり冴え渡る。耳鳴りが酷い。

闇だけがここにある。

その闇が、形を成し始めて。

人の形。複数の男の影。取り囲まれる。

怖い。逃げられない。

包囲が狭まる。耳鳴りが、殺せという声に変わる。俺は罪人?

黒い手が、首へと伸ばされる。

罪は、生まれてきた、そのこと。

息が出来ない。

がたん、と。

大きな音を発てて扉が開いた。

闇に光が差し込む。刹那、男達は消えていった。

龍晶はやっと通った喉で呼吸を繰り返して、扉の方を窺った。

首が僅かに動くだけ。体は依然として痺れている。

「…誰だ?」

囁く程の声しか出せず、その声が扉まで届いたかどうか。

扉を開けた人物はこちらに近寄ってきた。

視界に入り、龍晶は息を詰まらせた。

「朔夜…」

朔夜は慄く龍晶を一瞥し、その枕元を過ぎ、窓辺へと向かった。

雨戸を開け、窓を開け放つ。

そして龍晶に向けて笑った。

「月が綺麗だぜ?王子様」

その呼称に、あっ、と小さく声を上げる。

記憶が消えてから、朔夜には自分の出自を教えていない。

「記憶が…!?」

「良い戦日和だな」

龍晶の問いを掻き消して、戯けた口調で朔夜は言い放った。

否。

これが朔夜の口にする台詞だろうか。

「面白いぞ。見てみろ。目の前でどんどん人が死んでいく」

「…お前」

「王子様のお好きな物だろう?無意味に、無駄に、人死にを出す」

龍晶は口を出さず、その朔夜の形をしたものを注視した。

違う。これは朔夜ではない。まるで人が違う。

窓から差し込む月光に半身を照らされ、もう半身は闇に溶け込む。

その顔はいつもの朔夜だ。昼間殴った痣もある。

なのに、何処か違う、別人のような相がある。狂気の相が。

これは。

「記憶が戻ったかと訊きたいようだな」

朔夜は窓の桟に座り、まるで浮かんでいるように足をぷらぷらとさせながら、先刻龍晶が訊きかけた事を繰り返した。

「残念ながら、俺はお前の都合の良いように出来ちゃいないんだ。記憶なら、全てこの中に残っている」

言いながら(こめかみ)を指す。

「俺は何もかも知った上でお前と付き合っているって事だ。ただし、お前達が普段目にしている朔夜にはそれが出来ないようだがな」

「それは…どういう事だ?」

ぬらりと、笑う。

「何を惚けて。俺の名を知っているだろう?」

月。

それは、悪魔を指す。

「お前と朔夜は…別の人格だと言う事か…?」

悪魔は推量を鼻で嗤った。

「人間的に解釈するならな」

窓から床へ音も無く飛び降り、こちらへゆっくりと近寄る。

先刻の幻覚の男達より切迫した危険である筈なのに、何故だか現実味が無い。

幻と現がぐちゃぐちゃに混じり合い、その境界を失って。

「いつまで俺を騙すつもりだ?」

「騙す…?」

「騙しているだろう?朔夜に、梁巴はお前自身が消したと教えてやれば良いものを。生半可なお優しさで隠して私利私欲の為に利用する、とんだ詐欺師だな」

目前まで来たその顔を睨み上げる。

「…一つ教えてくれ」

これは、義憤だろうか。

「何だ?」

「梁巴を消したのは、本当にお前なのか?更に言えば、お前の母親は…」

「どうでも良いだろ、そんな事」

最後まで言葉を待たず、朔夜の形で、それを言い放った。

「王子様はよっぽどお母様が恋しいんだなぁ。他人の母親を自分に重ねて慰みにするのか?馬鹿らしい。お前の母親なんざとっくに死んでるよ」

二の句が告げない龍晶の耳元に、触れそうな程唇を落として、囁くように悪魔は告げた。

「俺はこの手で母親を殺した」

横目に、子供のような無邪気な、そして凄まじく不気味な笑い顔が目に入る。

「それが真実だ。これで満足か?」

嘘だ。

信じない。悪魔の言う事など。

でも、それは、だれの為に?

朔夜の為なのか、自分の為なのか。

この悪魔なら、母親を手に掛ける事など簡単だろう。そしてそれが真実だと言っている。

ならば殺したのは朔夜ではない。この悪魔だ。

でも、その手は同じ。

「…どうしたら、お前は朔夜から離れる?」

龍晶の問いに、悪魔は顔を顰めた。

「離れるだと?」

「お前が居なければ、朔夜はもっと…幸せに生きられた筈だ。今からでも遅くはないだろう。朔夜から消えてくれないか?」

ふつふつと。

歪めた顔から笑いが漏れ、それが哄笑となって耳に障った。

悪魔は涙を拭って哄っている。まるで子供のように。

血の涙を。

「お前も自分の人格を疑った方が良いぞ?悪魔の俺から見ても、お前が悪魔なのか天使なのか分からない」

笑いながら悪魔は言った。

龍晶は真顔で返した。

「忠告は有難いが、俺も自分が破綻してるのはよく知ってんだ。だけどお前とは違う」

「何が?」

「善悪が混在してこそ人間だろう。お前のように悪一色じゃない」

悪魔は笑いを収めて、龍晶の枕元に腰を下ろし、顔の横へ右手をついて覗き込む形になった。

長い銀髪が龍晶の鼻先で遊ぶ。

「朔夜はお前を友だと心から信じてたぜ?友達なんざ五本の指でも余る程しか出来た事の無いあいつがさ」

朔夜の心理は悪魔に全て掌握されているのだろう。同じ顔でそれを語る様は奇妙だった。

「お前達は似た者同士だったよ。同じ苦しみを知っていた。だから朔夜はお前を信じた。だが、お前は裏切った」

左手が腰の刀を握る。

「お前は王様の為にやったと開き直ってるんだろうが、そんな事俺には関係無いね。お前が悪い。王様に尻尾振るだけで他に何も出来ない、お前が」

白刃が闇の中に放たれる。

「死にたいんだろう?」

己が持つ刃に目を落として悪魔は訊いた。

「屑のような自分の人生を終わらせたいんだろ?分かるよ、それしか逃げ道は無いもんな」

龍晶もまた、ぼんやりと刃を見詰めている。

死ぬのか、と遠く思う。

俺はそれを望んでいる。

「怖い?」

戯けた訊き方だが、目の奥に切実な悲しみがあった。

その悲しみが何なのか、龍晶には解る気がした。

死を逃げ道と言うなら、こいつには逃げ道が無い。死ねないから。

死の恐怖も理解出来ないのだろう。

悪魔として、屑のように生きてゆくしかない、それ以外に選択肢の無い、悲しみだ。

ふっと優しく笑って、龍晶は言ってやった。

「大丈夫…怖くない。二人だから」

哥軍に殺されそうになったあの時、朔夜も死の恐怖に震えていた。

まだ朔夜には人間が残っている。まだ人間として生きていける。

希望は、ある。

「…そうだな」

悪魔はぽつりと言った。

「俺達、似た者同士だったな…」

二人。一人は死に、一人は生き続け。

同じ苦しみを背負いながら。

「…久しぶりに友と話が出来て、愉しかったよ」

刀を持ち直す。

刺すのかと他人事のように思いながら、龍晶は訊いた。

「悪魔は孤独だな?」

悲しみの混じる笑みで彼は頷いた。

人の意識の奥底で、蹲っている。月の光だけを待ちながら。

刃が左胸の上に突き立てられた。

「おやすみ、龍晶。良い夢見ろよ」

良い夢、か。

それは、悪くないな。


抜き身の刀を手に、桧釐は城へと戻ってきた。

城の出入口である大扉を開ければ、多禅や宗温などこの軍の首脳陣が一同に会している。

皆一様に険しい顔をして、入ってきた桧釐に視線を向けた。

「桧釐殿、闘っておられたのですか」

宗温が丁寧に訊く。そんなものは見れば解る。

刀が抜き身なのは刀身が曲がって鞘に入らないからだ。その刃は幾人もの血に汚れていた。

「何だ、悪いか?」

「いえ、姿が無いので殿下のお側に居られるのかと」

「寝てるお子様の横に居ても仕方ないだろ」

軽口に多禅だけが口を歪ませる。尤も、冗談に笑っていられる状況ではない。

自軍は宗温の危惧した以上に脆かった。全く予想だにしなかった苦戦を強いられている。

こちらは城を拠点にしている分まだ持ち堪えていると言った有様だ。野戦ならば完全に負けていた。

桧釐は壁に立て掛けられた武具から誰の物なのか知らぬが使える刀をぶん取って、再び扉へと向かった。

「待たれよ、桧釐殿」

宗温が呼び止める。

煩わしさを顔から隠さず桧釐が振り返る。

構わず宗温は続けた。

「貴殿一人が奮戦してもどうにもなるまい。一先ず兵を退かせる。貴殿もお控えなされよ」

「へえ?この城に籠って勝てるとでも?」

毒を持って返すと、宗温は言い淀んだ。

この城に籠ってこれまでも戦をしてきた張本人だ。それが如何に難しいか熟知している。

ただでさえ物資が届き難いこの地で、そしてこの大人数での籠城戦は、無理がある。

「俺は勝てる戦がしたい。悪いが行くぞ」

宗温に言い置いて扉を開けようとしたが、今度は多禅に止められた。

「お前のすべき仕事はそれじゃないだろう?」

「…は?」

「殿下に一服盛ったのなら、その責任を取って代役を果たしたらどうなんだ」

扉から手を離し、多禅に体を向ける。

「何が言いたい?」

「貴様が悪魔使いになれば良いと言っている。それこそが勝てる戦だ」

今度は桧釐が言い淀む番だった。

確かに、朔夜のあの力を持ってすればこの戦は勝てる。

だが。

「問題点が二つある。一つは、俺が何と言おうと朔夜は動かんだろう。今ひとつは、この乱戦状態で悪魔の力を使えば、味方の被害も免れんぞ」

「それを何とかするのが貴様の仕事だろう」

何も分かろうとしない多禅に桧釐は舌打ちした。

代わって宗温が口を開く。

「殿下は我々の力のみでも勝てると信じてこの戦を託されたのです。事実、勝てるだけの兵力は有る。ならば朔夜殿の力を当てにせず、武人の誇りを賭して戦い切るべきではありませんか!?」

「何が誇りだ、鬱陶しい」

多禅は言い捨てた。

「そもそもこの哥攻めは、悪魔の力を試す為のものではないか。それを我々の力のみだの武人の誇りだの、見当違いも甚だしいわ。あのような便利な兵器がありながら今更、体を張った白兵戦など馬鹿馬鹿しくてやっておられん。早く悪魔を呼ばんか」

「多禅殿!貴殿それでも戔軍の将か!?」

宗温の怒号と同時に、場に断末魔の叫びが響き渡った。

瞬時にして一同に緊張が走る。

余りにも、考えられない場所からそれは聞こえた。

周囲の兵が体を反転させて刀を向ける。

そう、それは、城の奥から。

「…敵か?」

多禅が誰にともなく問う。

普通は有り得ない。城の中から敵が湧いて出るなど。

刀を構える兵の、鎧が震え鳴る。

尋常ではない緊張感と恐怖。

次の瞬間、彼の目の前に銀色の風が起こった。

あっと声を出す間も無く、その色は赤に変わる。あとは、喉笛を掻き切られた兵が重い音を発てて倒れるばかり。

誰もが息を飲んで亡骸を見詰めている中で、桧釐のみが動いた。

それを断ち切らんとして、

しかし相手の方が速かった。

「…やーめた」

悪戯っ子の声音と表情で、桧釐の首筋に刀を突き付けた朔夜は言った。

桧釐は刀を半端に鞘から抜いたまま、動けなかった。

居合を途中で止められるなど、初めての事だった。

冷や汗が背を伝う。

相手が気まぐれを起こさなければ、死んでいた。

「お前は遊び相手してくれたし、面白いから殺さない」

朔夜はにっこり笑って刃を離す。

そのまま、硬直する面々の中心へ躍り出た。

「何だよ?俺の事呼んだだろ?そんな時化(しけ)(つら)する事無いじゃん」

言いながら多禅の懐にするりと入り、己の半身程上にある顔を見上げる。

その見詰める表情は無邪気そのものなのに、体中返り血で赤く染まっている。

それまで強気な放言をしていた将も、顔色を青白くさせた。

誰がどう見ても、ここに居るのは今まで見てきた子供ではなく、悪魔の姿そのものであった。

「俺が居るから、自分の手を汚すのは馬鹿馬鹿しくてやってられない?それなら、手じゃない所を汚してみる?」

刀の先が多禅の体を舐める。

「何処が良い?腹?足?頭は悪いけど手が届かないから、楽に死ねない所になるかな」

「…や、やめて、くれ…許してくれ!!そんなつもりでは…!」

「そんなつもりじゃないならどんなつもりなのさ?嘘吐きは俺、嫌いなんだよね」

鼻で笑って、刀を腹に突き立てようとした時。

「朔夜殿お止めなされ!」

宗温の厳しい声音が手を止めた。

非情な翡翠の眼が彼を捉える。

息を深く吸い、宗温は落ち着き払って声を出した。

「いえ…お願いを致します。この城の中の者を傷付けても、あなたにとっても良い事にはなりません。我々の非礼は詫びます。どうかこの場は穏便に収められませんか」

朔夜は笑いを口に含み、刀を弄び始めた。眼は宗温を捉えたまま。

そうして問うた。

「宗温はさ、誰の味方?」

「…と言うと…?」

「だって、龍晶はお前の事、俺を守ってくれる味方だって紹介したろ?それは今も変わらない?」

「ええ。私の力の及ぶ範囲ではお守りします」

「ふーん。ま、いっか。お前は別に害無いし」

一人けらけらと笑って、跳ぶような足取りで扉に向かった。

そして開けながら振り向く。

「城の外の連中なら別に何しても良いって事だよね?」

宗温は絶句して首を振ったが、遅かった。

外へ出ながら、背を向けて悪魔は言い捨てた。

「あ、そうだ。お前らの王子様は、取り敢えず斬り刻んでおいたよ?」

自らの重さで扉が閉まる。

悪魔の呪縛から解き放たれた城内で。

逸早く我に返った桧釐が上階へ向かい駆け出した。

無言で宗温がそれを追う。

龍晶が連日魘されていた悪夢は今、二人が夢と信じたい悪夢となった。


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