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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十話 背反
44/60

4

川縁に(はりつけ)の十字架が並んだ。

これまでの戦で死んだ敵兵、そして捕虜としてから死んだ者の遺体を敵に見せ付け、挑発する。

龍晶の指示通りに働いた宗温が、城に戻ってきた。

「さて、敵はどう出るでしょうね」

決して気持ちの良い仕事では無かっただろうが、宗温は笑みを浮かべてその光景を見る面々に言った。

「黙ってはおるまい。…見張りを増やせ」

「は。抜かりなく」

龍晶の言に頭を下げ、即座に部下へ指示を出す。

「どうするんです?次の戦」

桧釐が背後から問うと、龍晶は視線だけをくれた。

問いの意味が分からぬ、と。

「あなたの刃をどう使うおつもりですか」

朔夜の事だ。

あれ以来、数日経つが、牢に入れたままになっている。

「使えるなら使う。それだけだ」

「それなら一度お会いなさった方が宜しいかと思いますが」

龍晶は顔も見ていない。桧釐は日に何度も様子を見に行っているが。

「そのつもりだった。お前に言われる間でも無い」

言って、龍晶は踵を返す。

城内では磔を目にした兵が沸き立っている。

ざまを見ろと言わんばかりの嘲笑がそこここで起こる。次の戦も楽勝だと誰もがそう思っているようだ。

そんな中を、仕組んだ張本人は仏頂面で通ってゆく。

兵達の反応、それすら不快だとばかりに。

「朔夜が居るからこそのこれまでの楽な戦だと、皆分かっているのだか」

龍晶の胸の内が何となく理解出来て、桧釐はそれを口にした。

無論、誰にも聞かれぬように。

「それを言って誰が得をする?」

案外、龍晶は乗って来なかった。言う事は尤もではある。

誰もが自分の手柄にしか興味は無い。況してや、悪魔の所業など考えたくもあるまい。

「そりゃそうですけど。なんか悔しくないですか?」

「どうでも良いな。それより、あんな腑抜けた連中では先が不安だ」

「成程、ちょいと締めねばなりませんね」

「その辺は多禅が上手いだろう。ま、奴自身が弛緩しているせいで部下がこの様なのだろうが。宗温を介して仕事をするように命じよう」

そもそも、この人は一軍を率いているその多禅にもまともに顔を合わせていない。その気持ちは分かるが。

桧釐は自分以上に呑んだくれている多禅を何度か目にしているが、龍晶の耳には入れない事にした。

それよりも問題は朔夜だろう。

桧釐の見る限り、朔夜は日に日に態度を硬化させている。龍晶が捕虜を殺さなかったにも関わらず。

それを騙す形で、龍晶自身が何の弁明をしなかったせいもあるだろう。だが、桧釐への態度すらだんだんと冷淡になってきている。

龍晶への不信だけが募っているのでは無いのだろう。

恐らく原因は、龍晶が間違っていると言い切ったその心根の中にある。

「…朔夜に謝りますか?」

牢へ繋がる階段を前にして、桧釐は訊いた。

「まさか」

龍晶は取り合わなかった。

殴った事も、騙した事も、己に非は無いと考えているのだ。否、それを朔夜に認めてはならじと。

本当は心中、罪悪感で溢れているのだ。桧釐は龍晶が苦悩し、疲弊し切った姿を見ている。

それを朔夜の前では隠し通す気なのだろう。

だが、桧釐にはそれで事が良いように進むとも思えなかった。

龍晶は迷い無く階段を降りてゆく。

波乱の予感を感じながら、桧釐はその背中を追った。

朔夜は牢の隅に蹲っていた。

足音に視線を上げる。

頬の肉がまた痩けたせいもあるだろうが、以前のような子供らしさは薄くなり、表情には険があった。

「戦だ。出ろ」

言葉少なに龍晶は命じた。

朔夜は指一本動かさなかった。

「…鍵は?」

龍晶は桧釐を振り返り問う。

「開いていますよ。閉める意味がありませんから」

あの時から、一度もこの牢の錠を掛けた事は無い。

それでも朔夜はここから出なかった。自ら望んで入ったのだから当然なのかも知れないが。

「何の為の牢だ。餓鬼の意地っ張りも大概にしろ」

言いながら、龍晶は錠の付いていない扉を開け放した。

朔夜は動かない。

「出ろ」

再度、龍晶は命じる。

「とにかくここから出たらどうだ。出れば飯も食わしてやるし、稽古の相手もしてやれるぞ?」

横から桧釐も幾分柔らかく促してみる。

だが朔夜は断固として動かず、言った。

「俺は出ない」

二人は目を合わせる。

桧釐は目で制したつもりだった。そのくらい龍晶の目は据わっていた。

何か言う前に、龍晶は牢の扉を潜っていた。

胸倉を掴み、無理矢理立たせて。

だが、その圧倒的不利な体勢で口を開いたのは朔夜だった。

「戦はもう終わった筈だ。お前達が好き勝手にやる戦なんか、俺は関わりたくない」

国を守る戦は終わった。

これからは攻める戦だ。

その意味の薄さなら、龍晶だって噛み締めている。噛み締めて、しかしやらねばならない。

それが王の意思なのだから。

朔夜にそれを理解させる言葉など無かった。

拳が強かに頬を打つ。

打たれたままに朔夜が倒れる。

冷ややかに龍晶は相手を見下ろしている。

手はそれ以上出す気になれなかった。

「好きにしろ。お前の勝手で梁巴が滅ぶだけだ」

呪縛となる捨て台詞を吐いて、格子戸を潜る。これを言えば朔夜は従わざるを得ない筈だ。

だが。

「梁巴は滅びない」

芯の通った声音が背中に叩きつけられた。

「燈陰が守ってくれるから。梁巴が滅びるなんて事は無い」

蔑む笑いを(こら)えず龍晶は振り返った。

「そうか。お前の父親は一軍を倒す程強いのか。それは是非試してみたいものだ」

「試すって?龍晶が梁巴を攻めるのか?」

「そうなるかも知れないな」

「…なんで」

これまでの勢いが削がれた問いだった。

端から聞いている桧釐でも、それは酷だと思った。だが、龍晶は嘲笑を崩さず答えた。

「お前がこの国の為に働いていれば、戔は梁巴を攻める事は無い。だが、あの土地が欲しいのは苴や繍然り、戔も同じだ。お前が働かぬなら、我々が遠慮する理由など無くなる」

「…それでお前が梁巴に行くのか?」

「ああ。この軍を率いて攻めてやる。お前の父親がどれだけ弱いのか、この目で見てみたいからな」

「燈陰はお前よりずっと強い」

「俺よりはそうだろう。だが、千騎の兵の前では?そんなに化物染みた親父なのか?まぁ、子供は既に化物だから驚きはしないか」

朔夜は転がる体を丸め、もう何も言わなかった。

「好きにしろ。お前が居なくてもこの軍は戦う。但し、お前のせいで死者が増える事だけは留意しておけ」

言いながら龍晶は、踵を返し、階段を上がっていった。

その背中を追う前に、桧釐は朔夜を振り返る。

丸まった背中は、悲しみのやり場の無い子供のそれだった。

お前の故郷は既に無いのだと、喉まで出かかったが、奥歯でそれを噛み殺した。

どちらが酷だろう。もう分からない。

その時、階段の向こうで異音がした。

急いで駆け上がると、踊り場で龍晶が膝を付いて口元を押さえている。

鼻を突く胃酸の匂い。

「殿下!?」

吐いた物は少なかった。食が細っているのだろう。

咳をする背中を摩る。

「…済まん」

小さく謝って、喘ぎながら壁に背中をもたせ座り直した。

「大丈夫ですか?」

青白い顔に問う。

目はこの場ではない、もっと遠くに向いている。

「…眠れんでな」

自嘲して、続けた。

「あいつに殺される夢ばかり見る。兄に命じられたあいつが、俺を無表情のまま刺し殺す…それで目覚める」

「ただの夢ですよ」

「ああ。ただの夢に、脆弱な俺は狂いそうなんだ。見えぬ手で首を絞め続けられている気分だ」

考え過ぎだと一蹴してしまいたいのを、桧釐はやっと抑え込んだ。

朔夜を追い詰める事で、自らをも追い詰めているのだ。その意味は無いだろうに。

少し冷めた目で桧釐は龍晶に告げた。

「軍医を呼びます。薬でも調合して貰えば、少しは気分も晴れるでしょうよ」

立ち去る腹の中で、自業自得だと罵る。

じゃあ自分は誰の味方なのかと問うが、その答えは見えなかった。


日が暮れた。

城の最上階に上がると、物見の中に混じって敵の動きを注視していた宗温が振り向く。

「桧釐殿。殿下は如何ですか」

軍医を呼ぶ際に一連の事情は説明してある。

「薬のお陰でぐっすりだ。飲ませるまではこんな時に寝てられるかって散々暴れられたが…」

苦笑いで答える。戦の前に寝こけては朔夜と一緒にされるとでも思ったのだろう。

ただ、戦になってしまえば龍晶は居ても居なくても変わらない。それが朔夜と違う点だ。

「それはご苦労様でした。この一晩は、眠りを覚まさぬよう敵にお願いしたい所です」

「こっちから挑発したのにか」

「ですから、静かに攻めて頂くんですよ」

「なんだそりゃ」

「目覚めたら全て終わっていたとなれば、殿下も嫌な物を見ずに済むでしょう」

怪訝な顔をすると、宗温は近寄り、小声で言った。

「あれだけ戦嫌いなお人が無理をしてこの場に居るからおかしくもなるんでしょう。皆そう思っています」

「…そうかも知れないな」

「早く都へお帰りになって頂かねば」

だが、龍晶は都に帰る場所を自ら無くしたのを桧釐は知っている。

どこにも逃げ場は無いのだ。退路を絶ったと言えば聞こえは良いが、それであの様ではどうにもなるまい。

「戦が終わらねば帰れんだろう。陛下の気が済まない事には」

宗温も溜息混じりに頷いた。

「哥を滅せと仰るが、一体どこまで本気であらせられるのか…。とてつもなく長い戦になる上に、得られる物が見合うとは思えない」

「ああ。それでも戦うんだろう、あんた方は」

軍人である以上、選択肢など無い。

「出来ればこんな戦にまだお若い殿下を巻き込みたくなかった」

ぽつりと宗温が言った。

この先の泥沼を見るようだった。

「お前が気に病む事じゃない。彼自身が招いた事態でもあるんだ」

突き放して桧釐は言う。

まだ朔夜への仕打ちへの怒りは渦巻いている。

「そうは言っても桧釐殿、殿下は何の為にここに戻ってきたのかお分かりで?貴殿の為でもあるのではありませんか?それを自業自得と言われてはあまりに薄情でしょう」

「俺の為?そんな事は無いだろう」

「ここを抜かれたら、被害に遭うのは北州ですよ」

そんな事は言われる間でも無い。だが改めてそう言われると、桧釐の気勢も削がれた。

北州を守りたい。龍晶は確かにそう言っていた。そこに嘘は無い。

「民を、兵を、一人でも生かしたい…そう思う余りにそれが己の手に余るとは気付けないのでしょう。全てその肩に負おうとしておられる」

そんな事、一人で出来る訳が無い。それを龍晶は知ろうとしない。

だから無理が出てくる。歪んでくる。

「今宵は知って頂かねば。あなたが寝ていても戦は出来ますよ、と」

戯けた笑みで宗温が言った。

桧釐は真顔で頷いた。

「宗温殿!」

物見をしていた兵が呼ぶ。

目を向けると、聞かずともその理由が分かった。

「来たか!」

闇の中で蠢く一群が見える。

敵は明かりを消し音を立てず、既にかなり近くまで寄ってきていた。

丘の麓に布陣した多禅隊に肉薄している。

「援護せよ!各陣に敵の所在を伝え兵を回せ!」

「は!」

伝令が走り去る。

「腕の見せ所だな」

桧釐がにっと笑いかけると、宗温はやや緊張した、難しい顔で返した。

「敵は奇襲を狙ってきましたね…。しかし問題は、こちらの士気がどこまでかです」

「多禅があの様だからな」

「彼のせいばかりではありませんよ。これまで朔夜殿に活躍の場を奪われたと思っている者達が、果たして士気を保てているのか…」

「ああ、…確かに」

「別に朔夜殿や殿下を責める訳ではありませんが、我々はこれまで楽をさせられ過ぎた」

一度楽を知れば、人は働きが落ちる。

悪魔不在の、言うなれば普通の戦が今更出来るのか。

眼下では、敵部隊と多禅隊が刃を交え始めていた。



悪いのは誰だろう?

言う事を聞かない自分なのか、間違っている事を言う龍晶なのか。

戦を続けるここに居る全員なのか。

朔夜は眠れず考えていた。

どうして終わる筈だった戦が続くのだろう。

国境は元に戻った。ならばそれ以上何を望むのだろう。

梁巴では暮らしを脅かす他国を何とか寄せ付けない為に戦をした。それは絶対に必要だったが、戦が良い事では無いと誰もが分かっていた。

なのに、ここに居る人には、戦をしなければならぬ理由が無くとも戦をしている。まるで戦が無ければならぬと言うように。

元はと言えば、龍晶が捕虜の首を並べて挑発をすると言ったからだ。そんな酷い事をして良い筈は無い。なのに、誰も反対しない。当然の事のように。

皆間違っている。中でも龍晶が一番おかしい。

人を殺せと命じる。殺される側の気持ちなど無いかのように。

殺す俺の気持ちだって無いと思っているのだろう。

化物である俺に心なんか無い。

だけど、人に戻った時に蘇る罪の意識に耐えられない。

だから何もかも龍晶のせいにして。

自分は悪く無いとして。

でも、それだって苦しい。

あいつは悪い奴じゃ無かったのに。

俺の味方だと言ってくれた。あの地獄の中から助けてくれた。

お前は逃げろと言って、一人で敵に立ち向かってくれた、あの龍晶は。

どうして変わってしまったのだろう。

結局、こうして俺に人を殺させる為の布石でしか無かったのだろうか。騙されていたのだろうか。

根は悪い奴なのだろうか。

だとしたら。


痛い程静かだった地下牢にも響いてくる物音。

朔夜は聞き耳を立てる。

人々が鎧を付けて走り回る音。

その向こうで、人の叫ぶ声が聞こえる。弓が空を切る音も。

戦だ。始まったんだと、すぐに分かった。

それも、かなり近い所で戦っている。それは、敵がここまで攻め込んでいる証だ。

味方が不利なのだ。

朔夜は身を起こし、鉄格子に手をかけた。

意図せず、扉が開く。

桧釐は鍵を掛けずに行ってしまっていた。

心臓が大きな音を立てる。

判断は、己に委ねられた。

命令では無く、自分がどう動くか。

自由だ。そう、今なら何でも出来る。

悪いのは誰だ?

考え続けた問いが蘇る。

今なら悪い奴を排除出来る。

その為にここに来たのだ。きっと。

本当に悪い奴を、この世界から消す為に。

そして、梁巴を守る為に。


悪いのは、あいつだ。


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