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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第十話 背反
42/60

2

  朔夜は再びあの階段の前に立った。

これを降りれば地下牢がある。今度は迷い出た訳ではない。来るべくして来た。

桧釐は忘れろと言ったが。

忘れられる訳は無いし、彼の言う事も到底納得出来るものではない。

それに、矢張り引っ掛かる記憶のような物がある。思い出したくはない。だが、思い出さねばならない気がする。

今度は階段の前に見張りの兵が居た。真正面から近寄ってゆき、目前で止まる。

訝しがる兵に、単刀直入に用を言った。

「俺を牢屋に入れて」

「…は?」

当然の反応だ。構わず朔夜は続けた。

「牢屋の鍵は?」

戸惑いながら兵は腰に提げた鍵へちらりと視線を送る。

「それ?」

「え、いや…」

相手の目的が読めないので答えられない。

尤も、誰が見てもこれが鍵だと判るだけの動きはしてしまった。

「入れてくれないなら、俺はそれを力尽くで奪う」

げっ、という顔をする。兵も相手が何者なのか解っている。

命には変えられない。

「分かった…!お前が牢に入るだけだな?決して中の者を出したりしないんだな?」

「うん、俺が入るだけ」

念押しに素直に頷かれ、兵は仕方なく動いた。

階段を降りる。

捕虜達が一斉にこちらを向く。

「ここ。ここに入る」

一番人数の多い牢を指差して、兵に注文する。

鍵が開く。開けてくれた兵ににこりと笑って、朔夜は牢へ入った。

即刻扉は閉められ、鍵が再び掛かる。

兵は逃げるようにその場を去った。

朔夜は牢の中を見渡し、何者かと目てくる白い目に微笑して応じる。

そして隅で力無く横たわる者に近寄って行った。

足を矢で射抜かれたのだろう。これでは立ち上がる事など出来ない。

生気の無い目に、少なからず警戒心が宿る。

「治すよ?」

一応断りを入れてみるが、言葉は通じない。

相手の反応が無いので諦めて、足の上に手を置いた。

逃れようと体を這わせる。朔夜も手がずれないよう一緒に動く。

他の者はなるべく離れた所から息を潜めて凝視している。

手の中に光が宿る。

それを見て、治療されている当人が悲鳴を上げた。

「大丈夫だから」

集中を切らさぬまま言葉を掛ける。

気持ちは伝わったらしく、逃げようともがく動きが止まった。

痛みが治まったお陰でもあるだろう。

手を離す。

傷は無くなっていた。

男の顔を見てにこりと笑い、「終わったよ」と教えてやる。

男は口を開けて呆然としていたが、やがて何が起こったのか気付いてゆっくりと体を起こした。

己の目で、傷が無くなった足を確かめる。

他の者達も恐る恐る近寄って、何やら口々にさざめきだした。

彼らの視線が次第にある一方へ集まりだす。

朔夜もそれに気付いて視線を向けた。

暗い牢の奥に倒れている人影がある。

彼らの視線の意味を察して、その人影へ近寄る。

聞こえてくる呼吸は、今にも途切れそうな。

まだ年若い男のようだ。上半身が赤黒く染まっているのが、暗くとも判る。

横へ跪き、手を翳す。

傷は無数にあるようだ。即刻致命傷となる傷は無いが、出血が多いのだろう。

一つ一つ治すより無い。暗くて傷が何処か判らぬから、触った感触で見つけてゆく。

傷口から離れた所は血が乾いている。傷口の上はぬるりとした感触がある。そこへ暫し手を置く。

五、六回はそうして傷を塞いだだろうか。これで少しは持ち直してくれればと思いながら、こくりと首が落ちる。

眠気が襲う。このままだと治した肌の上に倒れかねず、そうなる前に横へ沿う形に寝転がった。

こんな所で無防備に眠ればどうなるか分かったものではないが、朔夜には敵に囲まれている意識は無い。

押し寄せる睡魔に任せて意識を手離した。


「子供の悪戯でしょ。そう目くじら立てなさなんな」

あからさまに怒り心頭な龍晶に向けて桧釐はのんびり言ってやった。

牢屋番が内々にご相談を、と駆け付けてきて、そのご相談を聞いてから何とも近寄り難い空気を放っている。

桧釐は前科を見逃してやっているので共犯のような心理ではある。何にせよ宥めておけるならそうしたい。

だが、今の自分の発言は何を言おうと火に油を注ぐだけのようだ。

「子供の悪戯?それだけで処刑に値する。餓鬼は戦場に不要だ」

「なら都に送り返しましょうか?」

「出来るかそんな事!!」

一声怒鳴って、牢屋番に宗温を呼べと言い付け、自らは足音荒く牢屋へと向かった。

「ちょっと、殿下!少し頭を冷やして下さいよ。いつもあいつは牢屋の中じゃないですか。自分から入っても良いでしょ?あいつには自然な事だ」

追い掛けながら言葉を継ぐ。と、前から再び怒鳴り声。

「阿呆かお前は!問題無いとでも思ってるのか馬鹿野郎!」

阿呆と馬鹿の二大称号を一度に頂いても桧釐は怯む訳にはいかなかった。

「問題無いとは言いませんって。ただ、ここで殿下がお怒りになっては問題の穴を深くしてしまうだけですよ」

「餓鬼に躾をするだけだ!必要な事だろう!?」

「だからそれは…あの人達と同じじゃないですか」

躾と称して治らない傷を負わされていたのは、誰だ。

同じ事をする気なのか。本気で。

「お止め下さい!あなたが傷を広げるだけです」

龍晶は一度足を止めた。

そのまま、唇を噛んでいたが。

振り向きもせず、再び歩き出した。

「殿下!」

「俺は決めたんだ」

その声音にぞっとした。

今度は桧釐の足が進まなくなった。

正直ーーこの人にこのまま付いて行っても良いのか、疑念に近い疑問が湧き起こる。

ならば尚更、放っておく訳にはいかないだろうと思い直し、重い足を進めた。

牢の前の階段で宗温は待っていた。

「事の次第は聞きました」

冷静に必要な事だけを告げる彼に頷いて、龍晶は階段を降りていった。

「…厭な通路だな」

宗温にぼやいて、桧釐も階段へと足を出す。

何やら重たく冷たい空気が、段を降りるごとに増してゆく。

そんなものを感じないかのように前を行く龍晶は、階段を降り切って足を止めた。

「…なんだこれは」

苦りきった口調で言う、その対象を桧釐もまた視界に入れて、同じ台詞を吐きたくなった。尤もこちらは苦笑を禁じ得ない程度ではある。

後に続いた宗温も口許を緩ませているから、それが一般的な反応なのだろう。

捕らえられた敵兵に囲まれて、すやすやと無防備かつ無邪気に寝息を立てる、まさに子供だ。

敵兵達は特段困惑も無ければ敵意を見せる気も無いようで、それが当たり前のように牢に収まっている。

「…全く、自分が捕虜になってた事も忘れたのかよ」

桧釐が笑い混じりに言うと、横から激昂した声が返ってきた。

「笑い事で済むか!お前は何も知らんだろう!?」

流石にこれには口をつぐまざるを得ない。

捕虜にされた時の苦渋を、ここに居る面々では桧釐のみが知らない。

だが、朔夜はその苦渋を、飲んで飲んで飲み下してここに居るのだ。

忘れた訳ではない。ただ、ここに居る連中は自分を襲わないと、そんな当たり前の事を知っているからこうして寝ていられるのだ。

両者を敵という枠で括れないからこそ、こうして無防備な姿を晒せるのだ。

寧ろ、捕虜としての立場は同じだからこそ、目前の敵兵達を心配していた節はある。

それが愚かだと断定して良いのかと思った時、龍晶が刀を抜いたのでそれどころでは無くなった。

「殿下!?」

制止の声を掛けたと同時に、耳を劈く金属音が地下牢に木霊した。

刀で鉄格子を叩いたのだ。同時に、哥の言葉で中へ怒鳴り付ける。

『起こせ!』

捕虜達が言われた事をする前に、朔夜はのそりと起き上がった。

寝惚け目で来訪者を確認する。

「龍晶…怒ってるの?」

至極当然な事を意外だとばかりに確認され、苛立ちは増す。

「出て来い」

有無を言わさぬ命じ方をし、朔夜を動かした。

宗温が扉を開け、朔夜を通す。

出て来るなり、龍晶は問答無用で朔夜を殴り倒した。

「お止め下さい!」

桧釐がすかさず間に入る。

「退けろ」

「嫌ですね。いきなり腕っ節に訴えるなんてあなたらしくもない。せめて言い分を聞いてやるのが筋でしょう?」

「今のは無断で牢に入った事への罰だ。理由なら今から聞いてやる」

視線をずらし、朔夜を射止める。

その意を解して、倒れたまま口を開いた。

「…何か、思い出せそうな気がして」

「何だと?」

「ごめん、龍晶!思い出さない方が良いのは分かってるんだ。でも…俺は俺が何をしたのか…知りたい…」

龍晶は朔夜の前に屈み、胸倉を掴み起こして問うた。

「何故?」

震える唇で朔夜は応える。

「知るのは…悪いこと?俺はそう思えない。自分がどんな事をしてても、知らなきゃいけない、そんな気がする」

「ならば命令する。知るな。思い出すな。その為にこんな勝手な真似をするな」

「でも…!」

言いかけた刹那、頭を床に打ち付けて黙らせた。

「口答えは許さん」

更に振り上げた拳を、桧釐が掴んだ。

「良い加減にして下さい!」

ち、と舌打ちをする。

そして、顔色一つ変えず、朔夜の短剣を抜いて桧釐に突き付けた。

「脅しですか」

「そうだとしても、俺にここまでやらせるな」

「それは…」

こっちの台詞だと言いかけたが、後ろから宗温が袖を引いた。

「邪魔は致しますまい、桧釐殿」

「…お前」

正気か?と問いたいところだったが、真っ直ぐな瞳に言葉を飲み込んだ。

彼とて、止めたいのは山々なのだ。

だが立場上、それをしてはいけないと自制している。捕虜の前で殿下と呼ぶ人物に逆らう訳にはいかない。

桧釐は苦々しい思いで引いた。

確かに軍規に照らせば罰せられても仕方の無い事を朔夜は仕出かした。特別は通用させてはならぬだろう。

「お前、ここで何をした?」

朔夜に視線を戻して龍晶は問う。

眠っていた理由を、既に薄々察知されている。

朔夜は正直に答えた。自分のした事に悪は無いと信じている。

「怪我を治した。二人しか出来なかったけど」

「…余計な事を」

呟きに、意外な程朔夜は反抗した。

「どうして!?放っといたら死んじゃうのに治すなって言うの!?そんなのおかしいよ!それじゃあ、あいつらと一緒だ!龍晶は違う筈なのに…それじゃあ…!」

「哥の虫共と同じか?俺が」

「死にそうな人を助けてあげないなら…一緒だよ」

「そうか。だが、俺に言わせればお前が奴らと同等だな。そんなに奴らのつまらん命を救いたいと言うなら、お前こそ俺の敵だ」

見開いた目を朔夜は友に向けた。

その頭を、龍晶は、容赦無く蹴った。

血が飛ぶ。呻く声も出さず、朔夜は恐々、もう一度龍晶を見上げた。

その眼を見たかどうか、龍晶は蹴り、踏み付け、何度も何度もそれを繰り返して。

捕虜達が、呪いのように何かを呟きだした。

それは不気味な波のように。

言葉の判る龍晶は、彼らを睨み、何かを怒鳴り付け、更に朔夜へと暴力を振るう。

何かに取り憑かれたかのように。表情はどこか切羽詰まっていた。

桧釐に羽交締めにされて、やっとそれは終わった。

「やり過ぎです!いくら何でも!違うと言うなら俺を殺してから続けて下さい!!」

体を抱えて桧釐は気付いた。

龍晶は震えている。

途端に、明らかに体の力を失って、桧釐はそのまま支える格好になった。

正気を失っていたと、理解した。

己のした事に恐れ、震えているのだ。

それは一瞬の事で、龍晶は桧釐を突き飛ばして自力で立った。

「余計な手出しをするな!」

怒鳴ったが、完全に虚勢だった。

それを見抜かれぬよう、更に捕虜達へ向けて怒鳴り散らす。

『こいつを神と言うのか!違う!こいつは悪魔に過ぎぬ!お前達の神は邪神だ!お前達を殺すのもこいつだぞ!』

無言の抵抗。

捕虜達はじっと、龍晶を睨む。

えも言われぬ恐怖。人間の視線に、こんなにも力があるとは。

肩で息をしながら、龍晶は宗温に命じた。

「奴らをここから出せ。そして晒し首にして敵軍に見せよ」

「…それは」

やり過ぎでは、と言外に問うが、血走った目に封じられた。

そして龍晶は、かつての己のように無様に転がり血を垂れ流しながら指一本動かす事の出来ぬ朔夜に言い捨てた。

「牢に入りたいなら、好きなだけ入っておくが良い」

踵を返した背に、小さな、小さな反抗が呟かれた。

「おかしいよ…龍晶」

聞こえぬ振りで龍晶は地下牢を去った。


宗温は捕虜を縄で縛り、列に連ねて牢から出した。

自力で立てる者のみ歩かせ、そうでない者はひとまず一つの牢に入れて後回しとした。

気の進む仕事では無かった。

後ろから、朔夜を介抱する桧釐の冷ややかな視線を感じる。

互いに言葉を発する事は無かった。

男達の手と胴を縛り、その縄の先で次の者を同じように縛る。

朔夜ほどの少年も数人居た。

だからどうこうと言える筋合いは無い。自分は命令に従って敵を殺す。それが戦だから。

戦場では何も考えず向かって来る者を斬り伏せる。中には同じような少年兵だって大勢居ただろう。その顔などいちいち覚えて居ない。

どうせ殺すのだ。戦場と同じ筈だ。

なのに、息苦しいような、この胸が塞ぐ感覚が消えない。

何故だろう。無抵抗の相手だからか。

「朔夜殿を中へ」

作業を終え、空になった牢を指して、桧釐に促した。

桧釐は反抗的な視線を向けた。

「本気で言ってるのか?」

「殿下の命令だ」

不満気に鼻を鳴らし、落ち着こうと細く長い息を吐く。

「…そんなにお偉いものかねぇ」

あんな青二才が正しいとは到底思えない。

「そんな事は関係無い。上からの命令は絶対だ。そんな簡単な事も分からぬ貴殿ではあるまい?」

「それであんたは従えるのか。流石は軍のお人だな。俺は違うから無理だ」

「…そうだったな。貴殿に軍規を押し付けるのは間違いか」

宗温は柔らかい口調で折れて、待たせている捕虜達を思い出した。

尤も、待たせているものは死だ。

「ならば、お好きになされよ。ただし、今の殿下は貴殿を罰する事も出来ると心得られた方が良い。あの方がそれを望まぬ事も」

桧釐はむっと口をつぐんだ。

結論を待たず、縄の先を持って宗温は進み始めた。後に捕虜の列が否応無しに続く。

静かなものだった。彼らは捕虜とされた時から覚悟を決めていたのだろう。尤も、今から何をされるかは彼らの言葉で告げられていないのだが。

察しはついていると思う。

捕虜が牢を出される時など、理由は一つだ。

階段を上がりきった所で。

「待て」

一瞬、どこから声がするのか分からなかった。

辺りを見回し、足元に視線を落として、驚いた。

龍晶が横に蹲っていた。

宗温を見上げ、彼は低い声で告げた。

「くれぐれも首は刎ねるな。生かしたまま城内に隠せ」

己の言っている事の矛盾に眉を顰められていると察して、龍晶は立ち上がり宗温の耳元に声を落とした。

「奴の為に犠牲を払うなど馬鹿げているだろう。密かに匿え。後で桧釐に北州へ送らせる」

「朔夜殿を欺く為…ですか?」

龍晶は頷いた。最初から捕虜を殺す気は無かったのだ。

「異論は後で聞く。とにかく何処かへ隠せ」

「は」

「その後に既に死んでいる者を磔にし、敵への挑発とせよ」

「分かりました、殿下」

言って、微笑を向ける。

「あなたはお変わりない事が」

龍晶の眼の光が掻き消えた。

己で、己に複雑な思いを持っているのだろう。

振る舞うべき姿と、本来の自分が一致しないのだ。

自我など消してしまった方が、余程生きやすい。戦場という場所では特に。

「頼んだぞ」

最後に念押しして、龍晶は背を向けた。

疲れきった後姿を見送り、宗温は歩みを再開させる。

ここからそう離れない場所に、使われる事も無い地下の部屋があった筈だ。そこなら捕虜を隠す事ができる。

しかし北州へ送るとは意外であった。

確かに、考えてみればそれは合理的ではある。この場所は未だ物資の供給が難しく、食べる口は少しでも減らした方が良い。

ならば一番近い都市である北州で、捕虜達の糊口を保証してやるのも龍晶の優しさだろう。

もしかしたら、もっと別の目的もあるのかも知れない。

蜘蛛が巣を張り、埃を被った扉を開く。

明かりは無い。ただ四方に石が積まれ壁としている、それだけの空間。

そこに捕虜達を入れ、宗温は扉を閉めた。

一人になって、ほっと息を吐く。

龍晶は一連の件を、決して捕虜の為に決めた訳ではない。

奴の為に犠牲を払うーーそう言った。朔夜に物事を分からせる為の芝居であり、それで捕虜を殺すのは犠牲だと。

敵の命を命とは思わぬ人の振る舞いでは決して無い。

まだ、龍晶はあの井戸の傍らに己の一部を置いているのだ。

それでも戦をせねばならない。

王からの通達があった。

哥を攻め滅ぼせ、と。


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