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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第九話 虚言
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数日振りに来た座敷牢は、人の気配をますます失っていた。

目的の人物に遭う前に、その牢を素通りして、最も奥の鉄格子の前に立つ。

相変わらず障子はきっちりと閉められ、中を窺う事は出来ない。

その向こうに誰か居るとも思えなかった。

見えない、でも居ると信じたい、そんな幻の為に俺はこんなにも沢山の人を苦しめるのかーー愚かしい、そうは解っていても。

お許し下さい、そう口許で呟いて。

踵を返した。

「朔夜」

久し振りに名を呼ぶ。

牢の片隅で蹲っている。膝の中に落としていた頭を上げて、眩しそうにこちらを見上げる。

また痩せた。目は赤く泣き腫らした後のようだ。

ずっと独りこの中に居るのだ。無理も無い。

「出るぞ。お前の出番だ」

「…戦?」

掠れた声で返された問い。

前にもこの場所で同じ事を問われた。

あの時は心底、哀れみにも似た呆れを覚えたものだ。そして言った。「やっぱりお前は戦の道具でしかないんだな」と。

俺はもう道具じゃない。

そう言える所まで来ていたのに。

俺はまた俺の手でこいつを道具にする。

龍晶は錠を開けて扉を開け放した。

「ああ。戦だ。その為のお前だろう」

地獄に堕ちる、その覚悟は出来ている。


王の命令は至って単純だった。

そろそろ峯旦(ホウタン)に戻れ、と。

都に戻って来れたのは、ただ桓梠に会わせたいだけの束の間の休暇だった。

戦はまだ終わってはいない。

寧ろ今からが肝心だろう。

峯旦から戔軍を追放し、更に壬邑(ジンユウ)を奪還し国境線を元に戻す。

それを、朔夜の力で行えという事だ。

無論軍は同行するが、無駄な犠牲を払いたくないのだろう。この戦では。

力を温存し、次なる戦に備える。

次、とは何処だ。

今まで繍を攻めるのだと信じていた。だがその確信が揺らいだ。桓梠の言っていた事はどこまでが真相なのか。

だが繍を攻めねば周辺諸国を敵に回す。

それはいくらこの国でも無謀というものだ。

そんな展開など考えたくもなかった。

峯旦への道中は雨模様だった。

同じ景色を見て壬邑へ行った。だが、あの時とは何もかも違う。

朔夜は馬上で流れてゆく景色を虚ろな目で眺めている。

「何か思い出せそうか?」

桧釐が横から訊いた。

余計な事を、と舌打ちしたい気分で龍晶は桧釐を睨む。

彼は肩を竦ませただけで龍晶の怒りなど受け流した。

一連の二人のやり取りを目にした後で、朔夜は言った。

「全然。思い出せない」

何処となく、龍晶は喉に引っ掛かるような何かを感じた。

こいつは相手に見棄てられない為の言動を作り出してしまう、そんな子供だ。

時にそれは鋭くこちらの本心をも見抜いてしまう。

「本当に?」

余計だとは知りつつ念押ししてしまう。

「うん。本当」

まっすぐこちらを見て朔夜は繰り返した。

嘘は無いだろう。

だが、気を付けねばならない。悟られてしまった気がする。

記憶は戻らない方が良いという、身勝手な思いを。

峯旦へは五日で着いた。

この地に留まっていた宗温(ソウオン)が挨拶に来た。幾許(いくばく)か驚いた顔で。

「よもや戻って来るとは思わなかっただろう?」

宗温の心情を先に言い当てると、彼は気まずく笑った。

「失礼ですが…その通りです。あんな体験をされて、もう戦など懲り懲りではないかと思いましたが」

「これからは戦とは呼べぬ戦だ」

「と言いますと…?」

「お前、言っただろう?」

あの赤く染まった井戸で。

悪魔の所業を前に、これを戦と呼んで良いのか、と。

「殿下…本気であれを繰り返すおつもりで…?」

他の者には持てぬ危機感を持って宗温は訊いた。

あの光景を見たからこそ。

だが、同じ物を目にした龍晶には迷いは無かった。

「その為に俺達は来た」

その為に、ここに存在する。

自分も、朔夜も。

敵という誰かを殺す為に。

「お変わりになってしまいましたね…あなた様は」

故意にやっている事だ。言われる間でも無かった。

「人の本性などこんなものだろう。戦況を教えてくれ」

「は。どうぞ、本営へ」

人の本性は、必ずしも残酷ではない。龍晶は実際そう思う。

寧ろ、あの玉の様なーー朔夜の澄んだ眼こそ答えだろう。

しかし、そのままでは生きてゆけない。そんな世界を生み出す、それもまた人間の本性なのかも知れない。

戦況は五分と言った所だった。油断は出来ぬが、ある程度こちらに利があり、策は練れる。

朔夜を用いるならば攻撃は夜間でなければならない。

「攻め込むか?それとも誘い出す?」

宗温、多禅を含む面々に問う。

「誘う小細工など面倒ですな。便利な兵器が来たのですから、さっさと攻めて蹴散らしてやれば良い」

多禅が大雑把に決定しようとした所に、宗温は眉を顰めて言った。

「しかし彼一人を突出させても、敵を全滅させられるとは限らないでしょう。前のように途中で力尽きたら誰が救出するのです?あまり前に出しては、その難易度は上がるばかりですよ」

「前に出さねば俺達が巻き添えを喰らう」

龍晶が言い切って、宗温の顔をますます険しくさせた。

「あいつの回収は俺が責任を持つ。だから攻め込みたいならそうすれば良い。ただし必ず月の夜にだ、良いな?」

「物分りが良くなられましたなぁ、殿下」

多禅の見下した発言など完全に無視して、龍晶は天幕を出た。

日が暮れて、辺りは藍に染まっていた。

西の空に上弦の三日月。

あれは俺を突き刺す剣だろう。

「殿下」

天幕から宗温が追って出ていた。

「朔夜殿の救出、何か方法がお有りで?」

突かれるだろうとは思った。だが何も考えて無かった。

「無い。なるようになるだけだ」

正直な所を告げる。相手は驚いた風も無かった。

「ならば私がその任に当たります」

「…何?」

「殿下は危険を冒してでも彼を救いに走るでしょうから、そうさせる訳には参りません」

はっ、と笑って、しかしすぐに真顔で切り返した。

「俺に高見の見物でもしてろと?奴らの様に?」

奴らとは、多禅であり、桓梠であり、兄王であり。

向こう側に居る人間。

そちらに行くと決めながら、心底軽蔑している。

「他人に命を懸けさせながら、それを見ものにする輩だと…俺はそう見えるか?」

「いいえ。殿下にそんな事は出来ぬと、私はよく知っております」

落城寸前の壬邑へわざわざ戻り、自ら率先して敵陣に向かい、捕虜となっても他の者を救わんとする。

宗温はそんな人間を見てきた。

「殿下はお変わりになってはおられませんね。あれは私の失言でした」

「頭など下げるな。俺は変わらねばならんのだ。だが…」

変われない。変わりたくない。

堕ちたくない。

「ならば共に参りましょう。それで高見などとは言わせません」

明々とした宗温の提案に、龍晶は目を見開いて彼を見返し、思わず頷いた。

宗温も笑顔で頷き返し、やや真剣な表情に戻して言った。

「難しいお立場となられましたね。さぞお辛いでしょう。お察し致します」

宗温には、煩いと突っ撥ねる気にはならなかった。

「…一兵でも多く生かす為だ。今は理解出来ないだろうが、以前の朔夜ならば同じ様に考えた筈だ」

「ええ。それはご尤もだと思います。しかし失礼を承知で申し上げれば、今の殿下はもっと他の動機でお変わりになろうとしていらっしゃると…そう見えます」

龍晶は黙って宗温に背を向けた。

変わらねばならぬ。そう焦りながら。

その理由?

そんなもの考えていたか?

否。考えても意味の無い事だ。

「この国の為…それが建前と聞こえるなら、俺自身の保身の為だと言おう」

「本当に?」

「ああ。俺は朔夜を使って生き残る」

嘘ではない。

朔夜を使役する事が出来れば、兄に取り入る事が出来る。それで少なくとも己の命の心配はしなくとも良くなる。

本当は、目的はその先にあるのだが。

「成程。ならばもう何も申しますまい」

宗温は穏やかに言って、天幕の方へ踵を返した。

途中足を止め、振り返って龍晶に言った。

「しかし殿下、この国の為と言われたのは建前だけではないのでしょう?あなたは民の為に生きる方だ」

龍晶は咄嗟に何も返せず、宗温を見送った。

そう、期待されているのなら。

裏切るだけだと自嘲して、自らも踵を返した。


繰り出される攻めを桧釐は擦れ擦れで躱しながら、内心で舌を巻いていた。

この陣に着いて数日、遊び混じりに朔夜の稽古に付き合ってやっているが、日に日に動きが良くなってゆく。

良くなると言うより元に戻ると言った方が正確かも知れない。最初に出会って立ち合ったあの時の動きが蘇っている。

尤も使うのはその辺りで調達した木の枝を削って木刀にした物だ。真剣を使うのはまだ怖いものがある。

隙を突かれて胴を抜かれ、桧釐は降参した。

「参ったよ。ちょっと休もうか」

予想通り、えーっと不満な声が上がる。

ただ、言ってみただけで朔夜も満更でも無さそうだった。さっさと木陰に退散して座り込む。

その隣へ座り、水筒を差し出してやる。

ありがとう、と笑顔を見せて、喉を鳴らして水を飲んだ。

出立する時には青白い程だった血色も、今はすっかり健康な色に戻っている。

動けば動くだけ心身に良いようなので、桧釐も面倒がらずに相手をしてやる事にしている。

一方で、本来面倒を見たい相手は殆ど顔も見せなくなった。言葉を掛けてもまともに返って来ない。せいぜい、放っとけとか煩いとか言い返されるだけ。

心配そうな顔をする朔夜には、反抗期なんだと笑ってやるのだが、そもそも言葉の意味が通じないので冗談にもならない。

それに桧釐自身、今の龍晶の状態を笑い飛ばしてしまえなかった。

龍晶の眼は、死を覚悟した人のそれだ。

己の何もかもを投げ棄てると決めてしまった、そんな空気を纏っている。

そこまでして、彼が何を残したいのかーー最早分からなかった。

そして彼に死を覚悟させる相手は。

時々じっと遠くに視線を投げて考えている。何とも言えぬ、寂しげな表情で。

一体これから、この少年二人がどんな運命を辿るのか、桧釐には見当も付かないし、考えるのも恐ろしい気がした。

「まだ休憩?」

訊かれて、桧釐は現実に思考を戻す。

朔夜は木刀を既に握っている。疲れを知らない。

俺は酒の呑み過ぎだな、と若さを眩しく思いながら首を振った。

「いや、お前がやれるならやるか」

はしゃいで朔夜は立ち上がる。

その動きが唐突に止まった。

視線を辿れば、龍晶がこちらに近付いて来ている。

朔夜の顔は、友達を迎えるそれではない。強張っている。

こいつも龍晶の変貌には気付いているのだと知った。寧ろ、自分達より敏感かも知れない。

今の朔夜には頼れるものが龍晶しかないのだから。

「話がある」

ある程度近付いた所で、龍晶が自分達に向けて告げた。

「何でしょうか?」

桧釐が応じると、龍晶は抑えた声の通じる所まで来て足を止め、言った。

「今晩出陣する」

「えっ?」

思わず声を上げたのは桧釐だが、龍晶は朔夜に向けて言った。その朔夜はじっと龍晶を見上げている。

「戦をする為に来たんだ。遊びに来たと勘違いするな」

「いや…そんな事は…。しかし唐突過ぎます」

「お前の文句など関係無い。必要なのは朔夜だ」

言いながら視線を戻す。

「行けるな?」

否を言わさぬ口調で念押しする。

朔夜は一瞬躊躇い、頷いた。

その様を見て桧釐は息を吐く。

こんなもの許される訳が無い、これは龍晶自身の言葉だが。

「朔夜」

改めて龍晶が向き直る。

朔夜は少し構えて彼を見上げた。

「お前が戦わねば俺達は滅ぶ。この国の命運も、俺の命もお前に懸かっている。…嫌でも戦え。そうしなければ…」

一度口を閉じた。

言わねば。何を犠牲にしてでも。

「そうしなければ、次に滅ぶのは、梁巴だ」

目が見開かれる。

己の言葉の効果を感じながら、龍晶は続けた。

「お前が逃げれば敵は梁巴まで進軍するぞ。そうしたらどうなる?お前の親は?友人は?死なせたくはないだろう?」

「俺、逃げないよ…!だから…!」

「安心しろ。お前が言う事を聞けば、戔は梁巴を守る」

大きく頷く。必死な顔付きで。

その後ろで、桧釐が白い目で龍晶を見ている。

「…出立は夜になる。夜中に敵陣を襲う。それまで体力を保っておけ」

朔夜は数歩、後ろに下がってその場を去ろうとしたが、その前に龍晶へ口を開いた。

「俺は、お前の事、守るから」

走り去る。

姿が見えなくなって。

「よくもあんな事が言えますね?」

予想済みの侮蔑に龍晶は視線を逸らした。

「あんな嘘…どうするんです、露見したら」

「しないように振る舞え。お前次第だ」

「だから、俺は間違いは間違いと言いたい男ですと前にも申し上げました」

不意に龍晶は鼻で笑った。

「お前のつまらん信念が曲げられない為に、俺を殺すか?反乱に必要な、俺を」

「殿下…」

呆れと哀れみ、そして怒りの混じった声音で呼ぶ。

もう、随分遠くに居る人のように。

「朔夜はあなたを守ると言いました。そんな相手を裏切って…果てはあの子があなたに刃を向けると言うのですか?止めて下さい。朔夜はあなたを殺せはしません」

「それはどうかな」

揶揄する笑みだが、自嘲だった。

朔夜は俺を殺す。これはもう確信に近い。

だから殺されるまで、利用する。

「肉親すら殺せる奴だ」

吐き捨てて、背を向ける。

まだ日は高い。出立まで時間はある。一眠りしても良いくらいだ。

朔夜でもあるまいし、この苛立つ神経で眠れそうには無いのだが。

「後悔しますよ!」

後ろから桧釐が声を上げた。

完全に無視して立ち去る。

きっと、悔いる暇など与えては貰えないだろう。


自軍は夜陰に紛れて敵陣を取り囲んでいる。

その最も敵に近い一角に潜んで、狼煙を上げる時を伺っている。

その狼煙となる少年は、今日は居眠りせず緊張した面持ちでその時を待っている。

桧釐と宗温がその隣に付き、自分達が真っ先に刀を抜きそうな気迫で敵陣を見詰めている。

龍晶は彼らの背後に立って事の成り行きを見るともなく見る構えだ。

流れる雲の合間から、満ち月に近い光の塊が姿を現した。

「朔夜」

低く、龍晶は呼び掛ける。

朔夜は少し龍晶を振り返り、しかし動き兼ねていた。

今日は一人で行けと言ってある。桧釐や宗温を力に巻き込む訳にはいかなかった。

そのせいばかりではないだろうが、ここに来て戦う事を躊躇っている。

龍晶は変わらず低く抑えた声で言った。

「お前が行かねば多くの人が死ぬぞ。大事な故郷を屍で埋め尽くしたいのか?」

朔夜はぎょっとした顔をして、首を横に振った。

「なら行け。敵は人の形をした畜生共だ。迷うな。…全て殺せ」

黙したまま朔夜は立ち上がり、真っ直ぐ敵陣を見据えて。

刀を抜き放ち、駆け出した。

宗温が心配気に後を追うのを厳しく諌め、敵に姿の見える間際で足を止めさせた。

桧釐はこちらを睨んでいる。

言いたい事はうんざりする程判る。己の本心と大差は無い。故にいちいち態度に出されるのが煩わしい。

朔夜は。

瞬く間に敵に囲まれた。が、次の瞬間には切り裂かれた肉片が飛び散り、血を浴びた彼を露わにした。

その姿は、正しく悪魔と呼べる、人の形をした化物だった。

「…不思議なものだな」

龍晶は誰にともなく呟く。

「この世で最も残酷な光景を見ている筈なのに、それはこんなにも美しいものなのか…」

桧釐が顔を顰めて振り返る。

ふっと龍晶は笑った。

「戯言だ。聞き流せ」

あの悪魔に地獄へ叩き落とされる。

寧ろ俺はそれを望んでいるのかも知れないと、龍晶は薄々感じていた。


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