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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第九話 虚言
36/60

6

朝陽の差し込む道場に一人、桧釐は立っていた。

手には己の刀。抜き身で素振りをしていた。

一人稽古を止め、馴染みに馴染んだこの道場を眺めている。

もう少し日が高くなってから、ここを去る。

戻って来るかは分からない。無論、戻る気ではいるが。

都に行けば、程無く龍晶と朔夜は次なる戦場へ向かうだろう。そしてまた、あの命懸けの策を取るのだ。

懸けると言うより、(ほとん)ど命を棄てに行っている。それほど無謀だ。だが龍晶はそれを止める気は無いだろう。

ならば、こちらも命懸けで彼を守り通す。

そう決めた。必ず生かしていずれこの国を変えさせる、と。

だが、生かせる保証も生きられる保証も殆ど無いに等しい。死線に次ぐ死線は目に見えている。

ひょっとしたら、否かなり高い確率で、この道場に立つ事はもう無いだろう。

理想に燃え立つ炎を掲げた場所。

その火を、そっと、消すべきか。

誰かにこの火を託す事も出来るだろう。だが、それはしたくなかった。危険だ。

都に自分達の思惑が知られれば、間違い無く命は無い。

自分だけ逃げて、責任を仲間達に押し付けるような事はしたくなかった。

郷里の悲鳴に耳を閉ざして、今だけは。

自ら起こした火を消す。再び灯す日まで。

必ず。

必ず、帰って来なければならない。

在りし日の北州の忘形見とも言うべき、龍晶と共に。

「おはよう」

声で初めて、そこに朔夜が居る事に気付いた。

「おう。よく寝たか?」

「うん」

返事をして、朔夜は辺りをきょろきょろと見ながら桧釐の元へやって来た。

「ここで刀の稽古をするの?」

道場自体が珍しいのだろう。初めて来た時も珍しげに見ていた。昨夜は眠気でそれどころではなかったから、今改めて見ているのだ。

「ああ。俺は前にここでお前と一戦交えた」

「そうなの?」

桧釐は笑いながら頷いて、近くにあった竹刀を朔夜に投げ渡した。

慌てる素振りで両手で受け取る。

自らも一本取って、少年に言った。

「やってみるか?」

今どれぐらい使えるのか、見ておきたい。

朔夜は好奇心と戸惑いの入り混じる表情で構えた。

悪くはない。基本は出来ている。

桧釐もまた構えて、相手を誘った。

「来い」

朔夜が踏み出す。

流石に以前程の速さは無い。易々と受け、刀を弾いた。

弾いた流れで目の前に切っ先を留める。

朔夜は驚いた顔で竹刀の先、そして桧釐の顔を見る。

刀を引いて桧釐は言った。

「まともに正面からぶつかるな。お前の細い腕じゃ誰が相手でも敵わない。以前のお前は流しながら攻めていた。分かるか?」

首を横に振る。桧釐は少し苦笑した。

あれは稽古ではなく実戦の中で身に付けた型だったのだろう。となると、忘れてしまえば教えようがない。

何にせよ、体得するしかない。桧釐は構え直した。

「今度は俺から打つ。避けろ。避けながら打て」

え?と疑問符一杯の返答など聞いてやる間も無く、桧釐は竹刀を横に薙いだ。

うわっ!!と叫びながら身体を仰け反らせてぎりぎり避ける。だが均衡が保てず当然倒れる。

それまでかと思いきや、片手を床に着いて後ろに飛び、持ち直した体勢で攻めに転じた。

驚いたのは桧釐の方で、まさかまだそんな技を繰り出せるとは思わず、攻めを正面から受けるのが精一杯。

そうなると分が悪いのは朔夜の方で、力任せに弾き返され後ろに少しよろめいた。次の瞬間には反撃が迫る。

それを咄嗟に身を低くして躱し、そのまま身長の低さを利用して相手の懐へ潜り込むと、下から首元目掛けて竹刀を跳ね上げた。

これでは桧釐に打つ手は無かった。

足元に居る少年を見下ろす。

息の上がっている朔夜は、自分がどういう動きをしたかも分かっていないようだった。

「…記憶は無くとも体が覚えているな」

怪訝な顔をされる。

桧釐は自らの顎の下へ突きつけられている竹刀を掴み、取り上げた。

朔夜もやっと立ち上がる。片手で身体を支えた左手首を摩っていた。

「全く…見せてみろ」

左手を差し出させ、様子を診る。

見た目に異常は無い。骨には影響無いだろう。

「筋肉も無いのに、感覚だけでやりやがったな」

「身体が勝手に動いてた」

「そういう事だろうよ」

それだけ、体に戦いの記憶が染み込んでいるのだ。

「よく飯を食って動くんだな。でないと、次は潰れるぞ」

「はーい」

悪戯っ子のような返事をして、やたら嬉しげに指を一本立てて突き出した。

「…もう一回やれってか?」

きらきらとした笑顔で頷く。

「駄目だ。素振りしろ素振り」

「えーっ!!」

絶叫。まさに子供のそれ。

「自分が負けたからってずるいよ!」

「そんなんじゃねえっ!お前の体が持たないって言ってんだよ!!」

「ずるいずるい!!」

「だぁーもう、ガキかてめーはっ!!」

「前から餓鬼だって言ってるだろ」

龍晶がぼさぼさの黒髪を掻きながらやって来た。

「おや殿下、おはようございます。二日酔いの程は如何で?」

朔夜との口喧嘩は一旦置いて、龍晶に向き直る。

龍晶は一睨みして、不意に鼻で笑った。

その意味を考える間も無く。

朔夜が後ろから桧釐の尻を思い切り竹刀で叩いていた。

「いっ…!!てめぇこのクソ餓鬼がっ……!!」

襟首を捕まえようとする手を擦り抜け、爆笑しながら朔夜が逃げる。

「良いぞ朔夜。もっとやれ」

「殿下ぁっ!!」

怒鳴りながら追い掛けながら、桧釐は血管ブチ切れそうだが捕まらない。

子供よろしく、追い掛けられるとすばしっこさは強化されるようだ。

馬鹿馬鹿しさも手伝って、桧釐が先に音を上げた。

朔夜は龍晶の後ろに逃げ込んで、背中越しに追いかけっこの鬼の様子を見、もう来ないと分かるとその場に座り込んだ。

二人の荒い呼吸を聞きながら、龍晶はまた鼻で笑って従兄に言ってやった。

「良いお父さん役だな」

「冗談…じゃないです…ったく」

切れ切れの息で反論しながら、朔夜に目を落とす。

先刻とは一転して、遠い目をして、表情は掻き消えていた。

思わず桧釐は訊いていた。

「本物の父さんが良いよな?」

いきなり顔をくしゃりと崩す。

そして膝を抱え込んで俯いた。

「…だから、餓鬼だって言ってるだろ」

龍晶が桧釐に向けて詰る。

言われてやっと、桧釐も己の失言に気付いた。昨晩の話もある。嘘を貫く為に、郷里を思い出させる事はなるべく避けたい。

だが、今の朔夜の反応は、必ずしも郷里から遠く離れてしまった寂しさだけでは無いように見える。

同じ事を思ったのか、龍晶が近寄って小声で教えた。

「あいつの父親はな、自分を決して父とは呼ばさず、あいつを化物扱いして、その力を利用していた」

「なんとまぁ…そんなに酷い父親だったんですか?」

「分かるだろ、あいつにこびり付いてる劣等感が。自分は化物だっていう」

俺が化物でも怖くないか、そう訊かれた事を思い出す。

お前は化物だと言い聞かされ、自らの力はそれを証明しながら、人とは言い切れぬ己を受け入れて育ってきたのだろう。

そんな寂しさも含まれた、あの表情だった。

「朔夜」

その場から龍晶が呼んだ。

少しだけ、目が見える程度に朔夜は顔を上げる。

「もう一本相手して貰えよ。思いっきりこのオッサンを打ってやれ」

目を見開いて見上げる桧釐を一瞥して、龍晶は言った。

「別に良いだろ」

「いやいや殿下…」

「記憶は戻らずともあいつ、少しは元の悪餓鬼に戻ってた。お前の手柄だよ」

「何とも嬉しくのない手柄です…」

やれやれ、と立ち上がる。

気配に後ろを向くと、竹刀を持って朔夜が待っている。

「やるのか?」

「うん」

当然とばかりに。

龍晶に助けを求める視線を向けたが、流された。


結局、桧釐は仲間達に、自分が留守の間もよく稽古して待てと伝えて出た。

彼らだけでは事を起こす事は無いだろう。ならばそれで良いと思う。

もし、自分が帰って来る事が叶わなかった時、事を起こすも起こさないも自分達で考えて結論を出すべきだろう。それが北州の為だ。

都に着いたのは出立して五日目だった。

朔夜は初めて見る大きな街に、ひっきりなしに視線を動かしている。

「落ちるぞお前」

後ろから桧釐が苦笑しながら忠告してやる。

始めこそ大騒ぎだった乗馬も、この連日で随分元に戻ってきたから、本気で心配はしていない。

それよりも心配は朔夜の前を黙々と進む人物だ。

都が近付く程に口数が減っている。尤もその胸中は分からないでもない。

王が会わせようという客人。その正体も気になる。

何より問題なのは、その客人に龍晶が何を訊くかだ。

命を懸けずとも、朔夜を自在に悪魔へと変える方法ーー王はそれを訊けと言った。それは桧釐も知りたいと望むところだ。このままでは近い将来、龍晶は本当に命を落とす。

だが、それを知ってしまいたくない気持ちも解る。

それを知れば、龍晶はただ朔夜を使役するだけの冷血な人間へとなるだろう。現実の苦悩はともかく、誰が見ても使役する者とされる者の関係が出来上がる。

龍晶は己の命を懸ける事で、朔夜への償いではないが、まだしも公平な関係であろうとしたのではないか。

互いに傷付き何かを失いながら、共に居よう、と。

それが、朔夜一人だけの負担となった日には。

互いに耐えられるのだろうか。二人の優しさと狂気が一体どういう方向に向くのだろう。

それを考えると恐ろしくもあった。

いつか、(たが)は外れる。

王城に着き、馬を預ける為にまず厩に向かう。

仕事をしていた祥朗が、龍晶の姿に気付いて手にしていた物を全て放って走り寄ってきた。

馬を降りた龍晶の腰に抱き付く。

「祥朗…ただいま」

頭を撫でてやりながら龍晶は言った。

「殿下、お帰りなさいませ!」

佐亥も小走りに走って来ながら、少し興奮気味に出迎えてくれた。

「佐亥、心配を掛けた。済まん」

本心から頭を下げる龍晶の肩を両手で押し返して佐亥は笑った。

「何、今の嬉しさの為のこれまでの心配です。良かった。本当に良かった」

こんな笑顔に再び囲まれるとは思わなかった。本当に良い人達だと、改めて思う。

「朔夜殿もよくぞご無事で…。ご苦労なされたでしょう」

佐亥に労わられても、朔夜はぽかんと見覚えの無い二人を見ている。

その様に何か感付いて、佐亥は龍晶に視線を送った。

龍晶は事務的に、淡々と説明した。

「戦の中で負った怪我のせいで記憶を失っている。二人の事も忘れてしまった。悪いがあまり多くの事を教えると混乱するからな、そっとしておいてくれるか?これからは療養の為に城内で過ごさせる」

「殿下?」

思わず桧釐が問い返した。そんな話は聞いていない。

龍晶は目で桧釐を制した。

「分かりました。殿下がそう仰るのなら。祥朗も分かるな?あまりこの方に近付いてはならぬぞ?」

祥朗も賢い顔で頷く。

「さて、俺は陛下に報告に行かねばならぬ。積もる話はまた後でな」

龍晶は可愛い弟に言い聞かせて、馬の手綱を渡した。

祥朗は嬉しそうに頷いて、「ご飯作っておくね」と口の形で言ってくれた。

続いて、朔夜の馬の手綱を受け取りに行った。いくらか不思議そうな面持ちで朔夜を見ながら。

別人の様に窶れてしまっている為だろう。表情も乏しく、目はどこか遠くを見ていた。

桧釐は佐亥に丁重にこれまでの礼を言われながら、彼に手綱を預けた。

「では、行ってらっしゃいませ。夜には祥朗と二人で殿下のお好きな物を作ってお待ちしておりますよ」

龍晶は二人の厚意に笑顔で応え、兄の待つ城へと向かった。

「龍晶!」

朔夜が小走りに追って来ながら問い掛ける。

「あの人達は…」

「知らなくて良い」

一言で断ち切る。朔夜は続けられなかった。

視線が刺さる。渋々、龍晶は桧釐に寄って小声で釈明した。

「彼らを巻き込みたくない」

それでも非難がましい視線は変わらない。

「見ただろ、あいつの本当の姿を」

「殿下を守る為なのでしょう?」

朔夜は龍晶を守る為に悪魔へと変わる。ならば彼らにも被害など加える筈が無い、その理屈は分かる。

だが、そんな理屈で割り切れる存在ではない。龍晶はそう信じている。

「言うだろ、触らぬ神に祟り無しって」

毒付いて、終わらせたかった。

しかし。

「そうだよ。化物には近寄りたくない人のが多いから」

「…朔夜」

窘めるように呼ぶと、顔を背けた。

本当は、朔夜自身が一番解っている事なのだろう。

己が如何に危険な存在かという事。

「まぁ…殿下の自由ですけどね」

彼をどう扱うのか、全て龍晶次第だと桧釐は突き放した。

怒りたくとも龍晶には何とも言えない。

重い、気まずい沈黙のまま、城の中へと入っていった。

待たされる事なく王の元へと案内される。普段はこんな事は無いのだが。

いつもの荘厳過ぎる扉を開き、王と対面した。

「待っていたぞ」

玉座に着く硫季が先に声を掛けてきた。こんな事は今までに無い。

余程朔夜の闘い振りが気に入ったのだろう。待たれていたのは自分ではなく朔夜だと、龍晶には判り切っていた。

「陛下、只今戻りました。大変お待たせして申し訳ございませぬ」

「何、構わん。客人は待たせてある。潘庸、これへ連れて参れ」

は、と傍に控えていた潘庸が畏まって直ぐさま呼びに出て行った。

「悪魔殿、調子は如何かな?」

「えっ…えっと」

しどろもどろに龍晶へ視線を送って助けを求める。相変わらずだ。

「ご覧の通り、身体も回復してきています。陛下のご厚情のお陰です」

龍晶が代わりに答えた。

王が峯旦を去った後、朔夜の所望した酒と共に猪肉など栄養価の高い食糧が送られてきた。王の計らいだ。

それだけ、朔夜のこの力を期待しているのだ、この人は。

その期待が高ければ高いだけ、龍晶の危機感は募る。

次は何処で何をやらされるのだろう。

「そうか。何よりだ」

王は上機嫌に言った。

「陛下、お客人とは一体…」

龍晶が尋ねかけた時、通用口から潘庸が戻ってきた。

「お通ししてもよろしいですか?」

客人はすぐそこまで来ているらしい。龍晶は質問を止めた。

「通せ」

硫季の一声で大扉が開かれる。

殆ど息を飲んで現れる人物を待っていた龍晶だが、その顔に見覚えは無かった。

当たり前かと思い直す。この国以外の人間など殆ど知らない。

その男は、つかつかと室内に入り、まず王に向かって拱手した。

「この度はかような趣向をご用意下さり感謝致します」

謙る男に王は頷いた。

「楽しんで貰えれば何よりだ。こちらこそ訊きたい事の一つや二つはあるのでな。そうだろう、龍晶」

突然振られて、はっ、と頭を下げて応える。

「あれが新しい悪魔の飼主だ。犬猫の如く懐かせる事は出来るが、肝心の躾が出来ぬようでな。知恵を貸してやってくれるか」

「それはもう、喜んで。この国の為に知恵などいくらでも使って差し上げましょう」

改めて男に見られ、龍晶もまたその男を見た。

正装しているが、どうやら軍人らしい。それも、かなり上の階級だ。

丁寧に撫で付けた黒髪。その下の顔は、鋭く、冷たい。歳は不惑の前後と言ったところか。

何となく龍晶はその男に嫌悪感を抱いた。

「紹介しよう」

硫季が漸くまともに龍晶を見、その疑問に応えた。

「こちらは桓梠カンリョ殿。繍で月夜の悪魔を生み出したその人だ」


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