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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第九話 虚言
35/60

5

潘庸を後ろに従えて、王は弟の元へ近寄ってきた。

「暫く振りだな。敵のお陰で少しは根性が入ったと聞いたが?それに免じて今日は兄と呼ぶ事を許してやる」

珍しく上機嫌で話し掛けてくる。逆に龍晶は構えた。

「失礼致しました、陛下」

頭を下げ、下から顔色を窺う。

人を見下げる笑いは相変わらずだ。だが今日は本当に咎め痛め付ける気は無いらしい。

頭を上げて龍晶は本題に戻した。

「ところで、訊けば良いとは一体誰に、何を…?」

「頭の鈍さは相変わらずか。月夜の悪魔の扱い方の事だ。よく知っている人物がこの(たび)都に来る」

「…どなたでしょうか?」

そんな人間が居るのか。この世界に。

王は意味深に笑って答えた。

「前の飼い主だ」

答えの見えない龍晶など放っておいて、王は桧釐に向いた。

「悪魔殿の所へ案内しろ」

桧釐は敵意など微塵も見せず、寧ろ少し戸惑いながら朔夜の居る天幕へと王を案内した。

天幕の入口を開けば、眩しそうな顔で朔夜がこちらを見ている。

「お待ち下さい。…朔夜!」

王達の前に龍晶は朔夜の元へ駆け寄った。

出入口から見え隠れする知らぬ顔に、朔夜が不安と警戒の顔色を示している。

「良いか、あの方はこの国の王だ。俺の約束、分かっているな?」

流石に驚いた顔をして、朔夜は頷いた。

決して事故などあってはならぬ。何かあれば龍晶自身の命が無い。

龍晶も頷き返して、出口で待つ桧釐に合図した。

王が入ってくる。

朔夜が不安そうに龍晶を見上げる。

念押しする様な強い視線を返して、龍晶は天幕内の端へ退けた。

「悪魔殿、ご気分は如何かな?」

自分は相当な上機嫌で王、硫季(リュウキ)は問うた。

朔夜は答えられずまごついている。緊張と驚き、困惑で声が出ない。

「そう怖がるな。そなたの功績を褒めてやりに来た。昨夜は想像以上の働きだった」

言われて、酷く哀しそうな、泣きそうな顔をしたのを、龍晶は見逃さなかった。

やっぱり嫌なのだと、分かってはいたが。

「何か褒美をやろう。そなたの飼い主は使うだけ使って何もやらぬようだからな、俺が代わりにそなたの働きに報いてやる。何か望みの物はあるか?」

朔夜は少し考えて。

視線を龍晶に向けた。

「龍晶の欲しいもの」

「え…?」

全く不意を突かれて咄嗟に何も言えない。

「俺は何にも要らないから、龍晶の欲しい物をあげたい」

「いや、お前…そういうものじゃないだろ…」

弾かれたように硫季が大笑する。

龍晶は困り切るばかりだ。

「良いぞ、貴様にうってつけの仕事だったな、本当によく飼い慣らしている」

王は龍晶に言って、再び朔夜に向き直った。

「奴は何も要らないようだ。遠慮する事は無い、そなたの欲しい物を言ってみよ。金でも宝石でも何でもやるぞ?」

また、考えて。

「お酒」

「酒?」

「うん、お酒」

龍晶に向いて、にこっと笑う。

善意の塊に思い切り苦笑いで返した。

別に好きで飲んでる訳ではないが、そこまで通じる筈が無い。

そこまで王が見切ったが分からないが、彼は笑いながら頷いた。

「容易い事だ。この国の中でも飛び切り良い酒を用意させよう」

「あ、待って。もう一つ」

「何だ?」

お前もういい加減に…と龍晶が声にならぬ声を出しているが、桧釐に抑え込まれた。

「龍晶を家族の所へ帰らせてあげてください」

思わぬ己の望みを口にされて、流石に真顔になって朔夜を見た。

そんな素振りを見せたつもりは無かったが。

「だって、俺が家族の話すると、いつも凄く寂しそうだから」

「そんな事は…」

否定し切れず尻すぼみになる。

本心からの己の叫びを、朔夜が代弁している。

王は応えた。

「良かろう。お前の家族は何処に居る?」

その問いに眉を潜めたのは、桧釐だけだった。

龍晶には解っていた。この人は、朔夜の前で必要以上に自分との関係を出したくないのだと。

自分を善人とし、俺を悪人とする為に。

自分は生き残り、俺を殺す為に。

悪魔に対する詭弁だ。

「都です、陛下」

顔色を変えず龍晶は答えた。

悪人になると、もう決めた事だ。今更抵抗する気は無い。

それに自分にとっての家族とは、祥朗と佐亥。彼らで十分だ。

母に会いたいと今懇願しても、聞き流される事は分かっていた。

「調度良かった。悪魔殿に是非とも会って頂きたい者も都に来る。二人で一度帰還すれば良かろう」

王の言葉に朔夜は笑顔で頷いた。

「しかし陛下、彼はご覧の通り、すぐには身動き出来ぬ状態ですが…」

おずおずと龍晶が口を挟むと、一瞥された。

代わりに朔夜に向かって王は告げる。

「悪魔殿、急がぬで良いぞ。客ならいくらでも待たせる。薬が入用なら都より届けさせよう。動けるようになれば都へ向かえば良い」

うん、と朔夜が頷く。

龍晶が頭を下げるのが目に入らぬように、王は踵を返した。

「俺は一足先に都に帰る。待っているぞ」

緊張の去った天幕。

力の抜けたように龍晶は椅子を引いて座った。

たった少しの時間だったが、酷く疲れた。

「何故あんな問いを」

桧釐には、王が龍晶の家族の居場所を訊いた事が不可解だったのだろう。

兄弟であると知る者なら当然だ。

「あの人はいつも俺を試している。いちいち目くじら立てるな。考えるだけ無駄だ」

桧釐は納得しない顔だが、龍晶にはそんな事はもうどうでも良かった。

それより、朔夜の発言の方が不可解だった。

「…俺を哀れんでいるのか?お前は」

きょとんと、意味が分からないとばかりに。

「好き勝手言いやがって。余計な世話だ。況してや、家族なんて…」

「だって、龍晶に元気になって欲しくて」

純粋な気持ちが受け取れぬ程、龍晶も横道に堕ちてはいない。

だが、それを棄てると決めた矢先だ。余計だった。

「俺の事は放っておけ。お前なんかに心配されたくない」

「…ごめん」

その一言が煩わしくて挙動も荒く外へ出た。

桧釐が追ってくる。

「何が気に入らないんです、殿下」

「何もかもだ」

「また捻くれちゃって」

答える事は無いとばかりに黙々と歩く。

「良いじゃないですか。これでまたあの子と会えますよ?生きてね」

祥朗との約束は果たせるという事だ。

「桧釐」

「はい?」

「お前の家族は誰だ?」

「へ?」

全く思ってもみない問い。

そう言えばと桧釐は考えた。

「俺ってば家なき子ですね」

父親からは勘当されている。そうでなくともあの家はこちらから御免被る。

ならば家は道場で、家族は弟子達か。

それも違う気がする。

「お前には抱える物も失う物も無いだろ」

「それは…そう…ですけど」

否定したくとも出来ない。

「それが幸いとでも仰りたいのですか?俺にはこんなに守るべきものがあって大変なんだって」

「何も守れない」

焚き付ける皮肉の筈が、ぼそりと呟かれただけ。

これは重症だと、桧釐は考え直した。

「殿下、もう少し気楽に生きないと先が思いやられますよ?」

「先なんざ無い」

「朔夜を恐れているのですか?」

足を止める。漸く的を得たらしい。

「あいつは殿下を信じ切っています。あなたに刃を向けるなど考えられない」

「刃の方がまだ良い…そうは思わないか」

「と言うと?」

向けられた目は、もっと切迫した恐怖感に苛まれていた。

「俺はあいつを壊す。兄が俺にしたのと同じように。…血は争えない、そういう事だ…」

「あなたが…あいつを…?」

龍晶は頷いて、続けた。

「そして俺はあいつに殺される。俺が兄に歯向かえない代わりに」

優しさが、怖い。

躊躇無く伸べられる手が。

純粋に向けられる目が。

己の全てを信じられる心が。

怖い。それは昔の自分だ。

そしてそれらへの返し方を、一つしか知らない。

それらが無くなるまで、壊し尽くす事しか。

「今やっと…兄がどうして俺に手を上げたのか解る…」

他に術が無かったのだ。

恨まれるべき相手の筈なのに、子供ゆえの好意にどうして良いか分からなかった。否、後の事を考えれば早く復讐の芽を摘んでしまいたかったのかも知れない。

殴って恐怖を植え付ける。それが最良の手だった。

「殿下は兄君とは違います」

否定しようとした龍晶の両肩を掴んで、真正面から桧釐は言った。

「あなたはあなたです!頼りないくらいにどうしようも無く優しい、それが龍晶という人です!確かにあなたの心は一度壊されているかも知れない。だけど絶対に他人にそれを向けはしない。あなたは強いから」

空虚な目付きで龍晶は桧釐を見上げた。

何も信じる事が出来なかった。それでもこの人は俺を止めてくれる筈だと思った。

「桧釐」

「はい」

「悪魔に魅入られた俺を、この世に繋ぎ止められるか?」

ふと、悪戯ぽく笑って。

「やって見せましょう。殿下がそう望むなら」

龍晶もまた、意地の悪い笑みを見せた。

「そこまで言うなら…見せてみろ」

生きていたいのか、終わりにしたいのか。

その境界線を彷徨い続けている。

こちら側に無理矢理にでも手を引いてくれる誰かが必要だった。


朔夜が騎乗できる程度に回復するのを待って、一行は都への帰還を始めた。

尤も、朔夜は馬の乗り方さえ覚束なく、まずそこに手間取った。

要領を得れば何とかなったが、桧釐が手取り足取りで教え込むのを、龍晶は頭を抱えたい気分で見ていた。

「お前、そんな事も忘れ…馬乗った事無いのかよ」

忘れてしまったのは致し方無いとは言え、まさか記憶の残っている以前に乗馬した事が無いとは思わなかった。

「だって、乗る用事が無いんだもん」

唇を尖らせて、ちょっとだけ反抗期。

「遠出とかしなかったのか?」

「村から外になんて出なくても良いし、出して貰えない」

あの小さな世界の中で全て満ち足りていた。

子供にとっては小さくとも広い世界だし、必要な物は全て村の中にあった。

そして燈陰は、朔夜が村から出る事を許さなかった。

「何故?」

幼いから勝手に遠出させれば危険だからだと普通は思うが、しかし聞く限りそういう親ではない気がする。

「俺が勝手に居なくなったら、村の人達が困るもん。誰か怪我した時に治せないから」

納得した。彼の父親は、この力を利用していたのだと。

その為に自由を与えない。それで良いのか。

「嫌じゃなかったのか」

「嫌だよ。本当はやめたい」

「…だよな」

もっと酷な形で利用しているのは自分だが、今は黙っておく事にした。

それにしても、朔夜の口振りは記憶のある頃が決して過去形にならない。明日も続く日常の様に。

しかし今は跡形も無くなっているのだ。

いつかこの事実を教えるべきだろうか。自ら知る瞬間が訪れるのだろうか。

夜、一行は北州へ到着し、例の道場へ宿を取った。

道場に居た連中は桧釐と、無事に戻ってきた龍晶に沸き立ち、ささやかながら宴を開いてくれた。

朔夜は酷く疲れており、物を口に入れながら寝そうな勢いで、桧釐がさっさと床に着かせた。

酒を酌み交わしながら、龍晶は隣の従兄に言った。

「一つ頼みがあるんだが」

「何でしょう?」

何でも聞きますよとばかりに桧釐が酒を注ぐ。

「朔夜の事だが…ちょっと口裏を合わせて欲しい。あいつの記憶を嘘で埋める」

桧釐は眉を顰めた。

「王の命令ですか?」

「違う、そんなのじゃない。あいつが知ったら立ち直れない真実を出来るだけ隠したい…一種の親切だよ」

「へえ?殿下の親切ですか」

「悪いか」

揶揄する目付きの桧釐を一睨みして、龍晶は酒を煽った。

道場の連中はそれぞれに盛り上がって、北州に伝わる踊りを酔った足取りで披露している。

「良いと思いますよ?で、何なんです?その真実とは」

手酌で酒を注ぎながら、龍晶は言った。

「あいつが梁巴の出だという事は知っているな?」

「ええ、言ってましたね。詳しい事は知りませんが」

「梁巴は繍苴が領地を狙って戦場にした土地だ。今は繍領だが統治はされておるまい。恐らく無人の廃墟となっている」

「せっかく奪ったのに?」

「敵が足元に刃を向けるならやり返す、それだけの下らない戦だ。国境線だが山が深すぎて拠点にもならない。梁巴はそんな土地だ」

「お詳しいですな」

「人伝てに聞いた話だ。昔の事だから誰からかは忘れたが」

ふぅん、と桧釐は杯に口を付ける。

それを横目に見ながら龍晶は続けた。

「だが、あいつの中では梁巴はまだ残っている」

「だからそれを隠せと仰せなんですね?あいつに合わせて、お前の故郷はまだあるって言ってやれば」

「まあ…そういう事だが」

言い切れぬ逡巡を滲ませる。

そう簡単な話では無い。

「あいつは戦の中で自分の母親を手に掛けている」

桧釐が噎せた。

咳をしながら、驚きの目を向ける。

龍晶は早口に言い足した。

「はっきりそう言っていた訳じゃない。半分は俺の推測だし、あいつの記憶も曖昧な所があったから真実とは言い切れない。だが、以前のあいつはそう自覚していた」

「どうして、また」

「状況なんざ知るかよ。ただ、やりたくてやったのではない事は確かだろう」

朔夜の梁巴での話は、酷な所もありつつ幸せな家庭も垣間見れる。

母親が憎かったとは到底思えない。

「有り得るとすれば事故だ。悪魔となったあいつに歯止めが効かなかった…俺にはそう思える」

「歯止めって…母親でしょう?」

「何かの弾みで、って事はあるだろ。あんな乱戦状態だったら」

まだ記憶に新しい悪魔の闘いぶりを思い出す。

たった一人で、周囲は斬っても斬っても敵に囲まれて。

「俺も殺されるかと思った」

龍晶の呟きに、桧釐はまた驚いた顔をする。

片頬で笑って、龍晶は言った。

「悪魔となったあいつの目には、命は等しく映るんだろうな。そういう目を向けられた。何の理屈も無く殺されると思った」

「でも殿下は生きてるじゃないですか。寧ろあいつに助けられたと言って」

「ああ。殆ど死に体だったから殺す意味が無いと思われたんじゃないか?」

「そんな、獣じゃあるまいし」

「喩えるなら獣より冷血なものだろうよ」

桧釐は渋々と言った感じで口を閉ざす。

これは体験した者にしか分からない。否定したくとも材料が無かった。

「…本題に戻そう。恐らく今のあいつには、梁巴での諸々の記憶に耐えられない。それに、いつかは故郷に帰れると思っている。まぁ、その点は俺が約束しちまったのが悪いんだが」

「どうしてまたそんな出来ないと分かっている約束を」

「責めるなよ。あの時は明日には死ぬだろうって思ってたんだ」

「いや、責めるつもりは無いですが。どうするんです、帰りたいと言い出したら」

「それまでだろうな」

投げ遣りに、宙に視線を投げて。

「いやいや殿下、嘘を吐くなら責任持って貫き通しましょうよ」

「無いものは無いんだぞ?村を作って誤魔化せとでも言うのか。…冗談はともかく、帰す事も無いだろう。兄が許すとは思えぬし…あいつ自身も積極的には言い出さないかも知れない」

「え?何故?帰りたいから約束されたんでしょう?」

「あれはあいつが悪魔に変じる前の事だったから」

「話が見えませんが」

「人殺しである自分を母親に見せたく無いんだってよ」

投げ気味に説明して、あとは酒を呑み込んだ。

「成程ねぇ…」

小さく呟いて、桧釐も酒を飲んだ。

「だから、話がそう深刻にならぬうちは、梁巴も母親もまだ健在だと言ってやろうと思う。お前は戦の混乱の中で家族と逸れて、一人この国に迷い込んだのだと」

「繍での事も隠すおつもりで?」

「言っても良い事は無いだろ。お前は悪魔と呼ばれて、一人で大勢の人を殺してきたんだって、お前は言えるか?」

「そりゃ、言いたかありませんとも。ただ、王の言っていた客人とやらが気になります」

「ああ、そう言えば何か言ってたな。前の飼い主とか」

「繍の人間ではないのですか?」

あからさまに龍晶は顔を顰めた。

「まさか。今から戦を仕掛ける国の人間が、わざわざ敵国の只中に来るか?」

「しかし他に考えられないでしょう?」

「その方が考えられんだろう。俺は灌の人間が来るのだと思っていた」

「ああ…そうなのですか?俺はあいつがここに来た経緯を知らないもので」

「灌の人間に連れられて来たんだぞ?それも、繍に兵を出すという条件付きで。あいつ自身も繍への復讐がしたくて来たのもあるし…」

言いながら、根拠の無い不安に駆られる。

本当に、都で待ち受けているのは灌の人間なのか?

兄は本当に、繍へ出兵させる気があるのか?

今、戔が攻めて利点があるのは…?

「殿下がそう言われるなら、灌のお人なのでしょうよ。ただ、その方にも口裏を合わせて頂かないとね」

「…ああ」

返事は上の空となった。

新たな不安の口が真っ黒に開いて、明日の光を飲み込もうとしている。


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