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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第九話 虚言
33/60

3

軍人達が疲れ顔でこちらに歩いてくる。

酷い者は流血している。何があったか、聞かなくとも見当はつく。

「殿下…まさかあの者の所へ行かれるので?」

他に何があると言わんばかりに冷めた視線を送る。

「危険ですぞ。お止めなされ」

「無駄口叩かずにさっさと行け。奴を御せるのは俺だけだ」

男達は顔を顰めただけで去って行った。

言葉だけの心配など煩わしいだけだ。

柔らかく返してやれる程、気分は良くない。

とかく歩くだけでガンガンと痛む頭を何とかしたい。目眩も続行中で、我ながらよく真っ直ぐ歩けているものだと感心してしまう。

何より、己の言葉が最悪だ。

御せるだと?何を偉そうに。

本当は何の自信も無い。

既に底を付いたと思っていた気分が、目当てのそれを見て更に底を突き破った。

舌打ちしたが、それだけで気の済む代物ではない。

朔夜は、狭い檻の中で手足を縛られていた。

先刻の連中のした事だろう。故にあの怪我だ。

鉄格子の上に転がって、微動だにしない。

「獣は檻に入れりゃ良いってもんじゃねぇぞ」

一人毒付いて、近寄り、鉄格子に手をかける。

荒い息使いが聞こえる。

相当暴れ、抵抗しただろう。当然だ。

「朔夜」

名を呼んでやる。ぴくりと体が動いた。

「俺だ。判るか?」

乱れた銀髪の間から、翡翠の瞳が覗く。

血走った眼。睨むようにこちらに向く。

さほど怖くなかった。あの、美しく非情な眼の方が何倍も怖い。

「奴らはお前を恐れているだけだ。許してやれ。俺が出してやる」

「…龍晶」

荒い息の中から出てきた名前。

覚えていたか、と龍晶は少し眉を上げた。

「俺を出しちゃいけない」

龍晶は黙ったまま、慎重にそれから目を離さず、頭側に回り込んで屈んだ。

掠れる声が近くなった。

「思い出したのか?」

これまでの記憶が蘇ったからこそ、そんな言葉が出るのかと。

だが朔夜は首を僅かに横に振った。

「分からない。でも、俺が何をしたのかは分かった」

「何を?」

「たくさん人を殺した」

頭が昏々(くらくら)する。

酒のせいだけではない。

それを、この事実を、この確かな正気で背負わせるのか。

「出しちゃいけないよ、龍晶…」

「違う」

咄嗟に口を突いた。

「お前のした事じゃない」

じっと、視線が注がれる。

そして、悲しそうに笑った。

「ごめん、龍晶。俺…見ちゃった」

何を、と問う。

「人を殺してる俺を」

意識が戻った瞬間、己の腕が何をしているか、直ぐに分かった。

周りには屍。そして血に濡れた自分。

「お前が嘘吐()く事ない。俺は俺が化物だって、よく知ってる」

酷く情けない顔で彼を見ていただろう。

対して彼は、子供のような無垢で優しい笑顔を見せた。

「でも、これは初めてだからちょっと吃驚(びっくり)した。あの人達は悪くないのに怪我させちゃった。謝っておいてくれる?」

言葉が無い。

溜息を落として、やり場の無い怒りを見当違いの方にぶつけた。

「餓鬼みたいに話すなよ。あんなに嫌がってたのに」

餓鬼扱いすればお約束と喧嘩を買っていた。

あの威勢の良いあいつは何処だ。

あの、頼り甲斐のある強い眼で、お前を守ると言っていたあいつは、何処だ。

同じ顔で、襤褸切れのようにされて、それでも痛い程の優しさで己のみを責める、こんなものは見ていられない。

否ーーこれまでのあいつだって、中核にあったのはこの痛いまでの優しさなのだろう。

それを時間を掛けて強さに変えていたから、あいつは。

その過程など知らない。

でも今、振り出しに戻されて、そして傍に俺が居る。

どうすれば良い?

「朔夜、約束してくれ」

こくりと頷く。

「お前の意思では誰も襲うな。決して誰かを傷付けるな。ここに居るのは同じ国の味方だけだ。暴れればお前はまた信用を無くす」

また、素直に頷く。

「夜は誰にも会わぬ事。錠の付いた場所を用意させる。この檻よりはまともな所をな」

頷く。何の疑いも無く。

龍晶は続けた。

「そして、一番重要な事だ。俺の言う事には絶対に逆らうな。背けば俺はお前を見放す。良いな?」

これまでで一番大きく頷いた。

何の疑念も無い。信じきっている。

「…よし。出て来い」

後ろめたさに胸が潰れそうだ。

兄の命令など関係無いではないかと良心が責める。

しかしどうせ今から同じ事を命じられるのだから、よりやり易くしただけだと言い訳する。

とりあえず朔夜を安全にここから出さねばならなかった。その為の、布石。

出す必要は、本人の言う通り無かったのかも知れない。では誰の為に。

全て、自分の為だ。

悪人は、俺だ。

縛られた手首の縄を小刀で切る。足も同様に。

這い出てきて、朔夜は眩しそうに空を眺めた。

青い空だった。

「怪我は無いか?」

傷痕だらけでどれが怪我なのかも分からない。

朔夜自身も何が痛いのか麻痺してしまっているのだろう。ちょっと首を傾けて、こちらを向いた。

「龍晶だって顔色悪いよ」

思わず苦笑する。

「ただの二日酔いだよ。気分最悪な所でこの騒ぎだ」

「え…ごめん」

「謝るな。お前のせいじゃない」

苦笑いしながら龍晶も首を傾げる。

どうも調子が狂う。

「お前、もっと口が悪くても良いんだからな?って言うか頼む、そのド素直な喋り方は止めてくれ…」

当たり前だが困った顔をしている。

あー、とどうしょうもない声を出して、黒髪をがしがしと掻いた。

「とにかく、まず身体を洗え。本当に乞食みたいだぞお前」

「うん。何処で?」

「…来い」

何を言っても反論が来ない。

言い返されても煩わしいだけの筈だが、何も無ければそれはそれで悲しい。


それから、四日経った。

北州まで片道に二日かかる。よって桧釐が帰るならそろそろだと思いつつ龍晶は待っている。

尤も、本当に帰って来るかどうかは五分(ごぶ)とは言わないまでも、信じ切れない。

彼にはここへ戻る利点など何も無いのだ。

龍晶を守る為とは言っていたが。

何故守るかと言えば、己の企てる反乱の為。

だが、その最大の相手である王には逆らわぬと龍晶はきっぱりと言った。即ち、反乱を起こすなら敵に回ると。

そんな相手を守る理由は無いだろう。

寧ろ、消えた方が都合が良い筈だ。

もう日暮れが近い。

「朔夜、帰るぞ」

草原の中からぴょこっと顔が覗く。

怪我に効く薬草を摘んでいた。自分で摘んで自分で付ける為の薬草。

それを教えたのは龍晶で、哥の言葉よろしく書物で学んだ知識だ。

葉の図を描き留めていた手帳を閉じ、腰掛けていた倒木から立ち上がる。

専ら探すのは朔夜の役目で、放っといても好奇心が擽られるらしく愉しそうだから勝手にやらせている。龍晶は見て教えるだけ。陣を抜ける口実だ。

朔夜にはああ言ったが、陣中は敵だらけだ。

軍を率いる多禅(タゼン)という男は、龍晶には仇に等しい一人だ。何度この男に半死半生の目に遭わされたか。祖父の処刑にも関わっていたらしい。憎んでも憎み切れぬ仇。

その男の部下が丸々陣中を占めているのだから、龍晶にとって居心地の良い筈は無い。

空が朱く染まる。

朔夜を閉じ込めねばならない。それが無ければあんな陣には帰りたくないのだが、他に仕様が無いので大人しく帰る。

ふと、籠いっぱいに薬草を持つ朔夜の足が止まった。

吸い込まれるように夕焼けを見ている。

龍晶は釣られて目を向けて、すぐに背けた。

この一面の赤は、あの井戸を、否応なく思い出させる。

それを作り出した当の本人は、何やら愉しそうに笑いながらまた歩みを進め出した。

「どうした?」

不快が表に出ないように気をつけながら問う。

龍晶の本心など勿論知らず、朔夜は照れの入った良い笑顔で答えた。

「華耶の事、思い出してた」

遊び場から、夕焼けの中を二人で帰る家路。いつもの光景。

龍晶にそれが伝わろう筈もなく。

「誰だ?」

急に、ん?と眉を寄せる。でも口許は笑っている。

「うーん……友だち、かな?」

言い表す良い言葉を知らなかった。

「ふーん。女?」

「うん。女の子」

この質疑は噛み合っているようで全然違う。

「ああ、あれか。お前が前言ってたやつ」

多分、他に女友達なんて居ないだろうから間違いない。

いつだったか、この国に来た理由を話していた。(シュウ)の復讐は二の次で、本当はその彼女を己から守る為に来た、と。

「俺、何か話した?」

当然、覚えてはいない。その理由もろとも。

龍晶は悪戯に笑い、教えてやった。

「すげぇ良い女だってな」

きょとん、と固まって。

だんだん耳の先まで赤くなっていく。それこそ、空に負けない程に。

そして、えっ!と今更ながらに絶句して、決まり悪そうに視線を泳がせ、最後は近くなった陣に向けて走り出した。

「いや待て、ウブ過ぎるだろお前」

龍晶は知らない事だが、別に記憶を失ってなくとも大差無い。

苦笑と本当の可笑しさを口に含みながら追い付くと、朔夜はまた立ち止まっていた。

但し今度は甘い理由ではない。

目前に多禅が立ち塞がっていた。

「何用だ?」

気怠く龍晶は問う。

まさかこの陣中でおかしな真似はされないだろうが、それでも関わりたい相手ではない。

「陛下より殿下へと伝言を賜わりました。ですが、お伝えしたい事はもうお判りのようですね。流石、半分でもご兄弟でいらっしゃる」

嫌味な言い方に睨みながら、龍晶は問う。

「伝言とは?」

「悪魔を手懐けよ、と」

多禅を睨み付けるが、それは己への嫌悪でもあった。

確かにその通りの事をしている。

「ご安心下さい。兄君には、敵に捕らえられて少し賢くなられましたとお伝えしますよ」

「言いたい事はそれだけか?」

顔を背けて舌打ちし、朔夜を促して歩き出す。

急がねばもう暗くなり始めている。

「そうだ、殿下。まだ要件はあるのですよ」

後ろから多禅が薄ら笑いながら呼び止めた。

苛立ちも露わに振り返る。

「もう下らない戯言は聞きたくない。こいつに殺されたいなら別だが」

朔夜は不安気にこちらを見たが、無視した。

無視せざるを得ない事を、多禅が言い出したから。

「敵がここに攻めてきます。早ければ、この夜中にでも」

「…何だと…!?」

そんな事を何故もっと早く言わなかったと問いたい所だが、勝手に陣を抜け出していたのは自分だ。

今改めて見れば、陣中が忙しなく戦の準備をしているのが判る。

「それで、重要なのはここからです」

人差し指を立てて、不気味な笑みで多禅は宣う。

「陛下は是非とも悪魔の力を目の当たりにしたいと仰せです。今こちらに向かっておられます。殿下のお役目…お判りですね?」

解りたくもなかった。

だが、唇を噛んで言いたい言葉を飲み込んだ。

「…確かに敵は向かって来ているんだな?」

「ええ。抜かりなく」

敵すら王の娯楽であるような言い様に、龍晶は嫌悪しか覚えなかった。

「もういい。分かったから失せろ」

多禅は動いた。が、真っ直ぐこちらに向かってきて。

急に胸倉を掴み上げ、低く囁いた。

「余り舐めた口は利かぬ方が御身の為ですよ」

龍晶は成す術無く男を睨み上げる。

が、脇に差す刀がすっと抜かれた。

朔夜が、多禅に刀を突き付けていた。

「離せ。龍晶に何かしたら、許さない」

一瞬の膠着。

多禅がゆっくりと己に向けられた刃先、そしてそれを向ける少年に目を向ける。

視線を受けて、朔夜は身体を震わせた。

溜息で龍晶は場の緊張を解いた。

「よせ、朔夜。言った筈だ。この陣中の者を傷付けてはならぬと」

龍晶に目を向け、怯えた目つきで朔夜は刀を下ろした。

多禅の手も離れる。

冷笑を浮かべて子供二人を眺め回した後、この嫌な男は捨台詞を吐いた。

「愉しい夜にしましょうぞ」

鋭い四つの目線を受けながら、人の流れの中へ消えて行った。

残されて、龍晶はまた溜息と共に朔夜を見遣る。

か細い肩が震えている。

「無茶しやがって」

本当は怖かった癖に。

「返せ。俺の刀だ」

「あ、うん。…ごめん」

渡された束は汗で冷たい。

鞘に納めながら、思わず口が笑ってしまった。

「曲がりなりにも、やっぱお前はお前だな」

「え?」

「いや。何でもない」

本来の朔夜ならば、峰打くらいかまして悪餓鬼みたいに笑っていたと思うが。

口を引き結んで、今の朔夜と相見える。

「お前の刀を渡す。来い」

危険なので今まで渡していなかった。

だが、今から戦へと向かうのだ。必要となる時が来た。

「なぁ、龍晶!」

追いかけながら朔夜が呼びかける。

「あいつは本当に味方?どうして仲間同志であんな事をするの?」

「あー…」

顔に思い切り面倒を出してみるが、察してくれる相手ではなかった。

「味方だけど仲間じゃない。はい終わり。もう質問は受け付けない」

「えっ…分からないよぉ!?」

「俺の知った事じゃない」

本当にこんな餓鬼に戦わせる気なのかと、ある意味どんどん不安になってくる。

尤も、そうさせているのは間違いなく自分だ。

兄がどう言おうと、敵が来るなら俺はこいつに片付けさせていただろうと、そう思う。

それとも、何が何でも戦場から遠避けていた?

峯旦へ向かう道すがらには、それを願っていた筈なのに。

否、もう決めた事だ。

自ら悪となる事を。

荷物の納められた天幕を潜り、朔夜に灯りを持たせて、目当ての物を探す。

敵の陣中で見つかった、朔夜の得物。

双剣と、短刀。

「龍晶、俺は誰と戦うの?」

まだ何も分かっていない。

「この間の奴らの仲間」

流石に黙り込んだ。

まだ流血の記憶は新しい。

割り切った振りはしているが、罪の意識は重いだろう。

「いいか、朔夜。敵は敵だ。人と思うな。躊躇(ためら)ったら、死ぬのは自分だ」

よくぞこの口が言えたものだと我ながら呆れてしまう。

馬卑羅をも人ではないと、俺はこうして彼を何度も殺すのかと。だがそれに怒る事も出来ない。

この非情さは、確かに半分でもあの人と血が繋がっているからだと、そう理解せざるを得ない。

だけど、躊躇うなとは言わねばならぬ事だった。でなければ、危ういのはこちらだ。

やっと刀を見つけて、朔夜に渡す。

受け取り、朔夜は上目遣いに龍晶の目を見た。

「怖くないかな?」

龍晶は真顔で朔夜を見下ろす。

これだ。経験の記憶の有無は、恐怖の制御に関わってくる。

死の恐怖すら抑え込んでいたかつての朔夜。

感覚が麻痺していたが、あれこそ異常だった。

人間なら、生きていたいと思うだろうに。それを常に捨てていて。

彼が人間離れしているというなら、そこだったと思う。

その化物を、俺の手で再び作り出せるか?

「敵の方が怖いだろうな」

「俺が化物だから」

「そう」

俺は、こいつの父親以下だと、はっきり自覚しながら。

慣れない手つきで朔夜は得物を装着していった。

ふと、短刀ーー虎の彫刻の入った短刀を見詰めた。

実用重視の朔夜の得物の中で、これだけどう見ても異質だ。

「これ、どうしてお前が持ってるんだろうな?」

試しに訊いてみる。

記憶がある以前に手に入れているなら明確に答えが返るだろう。そうでなければ繍の物である可能性が高い。

朔夜は眉間に皺を寄せて考えていた。

刀を手にして、虎を見つめて、じっと。

「…駄目だ」

視線を外して、疲れたように言った。

「思い出せない。何か凄く大事な事だった気がするけど」

「大事な事か。まぁ、そのうち思い出すだろ」

記憶を戻したら、自分の様々な言い訳は果たして通じるだろうか?

そんな、引き戻せない所まで既に来てしまっている。

記憶は、戻らないで良い。

「思い出すかな…?」

天幕を出ようとして、後ろから聞こえた呟きに足を止めた。

「思い出したいか?」

その意味を、朔夜自身も、龍晶も、知らない。

闇に埋もれた孤独な過去の日々。

誰にも知られる事無く。

「うん…。母さん達が何処に居るのか知りたいから」

お前の記憶の中に答えは無い、と。

教えてやったらどんな顔をするだろう。

否、答えはあるのだ。ただ、その場所に行けないだけで。

どちらが残酷だろう。

「でも、もう母さん達には会えないかな」

龍晶の横をすり抜けながら朔夜は言った。

外は既に暗い。

「何故?」

昼間は澄んで透明な翡翠の瞳が、夜は闇を吸い込んでいて(くら)い。ただ、昏い。

「だって…嫌でしょ?こんなに人を殺す俺の事なんて」

また今宵も、赤い月が昇る。

闇の中に独り浮かぶ。手を伸ばせる人がもう無いのは、二人共一緒だった。


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