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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第九話 虚言
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2

この峯旦の陣には物資が程良く届いている。

北州から二日でも馬を駆けさせれば、この陣へ着く。近隣にも村が点在するから、導線が絶える心配が無い。

貯蔵庫から酒の入った(ひさご)を何本か抱えて出、龍晶と桧釐は月見酒を始めた。

甘い匂いが夜気に溶ける。

「あの子をここまで連れて来た事にお怒りなんでしょう?」

桧釐が自分から、龍晶の本題を言い当てる。

そのくらいは桧釐でなくとも察しは着くだろう。龍晶は黙って酒と言葉を呑み込んだ。

「危険だとは思いましたよ。でもあの子の熱意に負けました」

祥朗が、慕う自分を心配して、桧釐に無理を言ってここまで来たーーそれは判る。

だから別に誰が悪い訳でもない。強いて言うなら、心配を掛けている龍晶自身が悪い。

だが、問題はそこではないのだ。

「お前の思う危険と、俺が案ずる危険が全く違うんだよ」

「はい?」

龍晶は喋る前に杯の中身を思い切り煽った。

保てる擦れ擦れの理性で考えたい事では無かった。

「どうして俺達が帰って来れたか…聞いたか」

桧釐は話が見えないという顔で答えた。

「いえ?何も」

どうやら情報は上層部で留められているようだ。

混乱を防ぐ為だろう。

陣中に化物が居ると知って、皆が皆平静では居られまい。

「お前の考えが外れた」

言いながら、横目に従兄を見る。

「と、言うと?」

「悪魔は存在したんだよ」

「…え?」

顔を顰める桧釐。

龍晶は嘲笑とも付かぬ口元を歪ませた。

「俺が敵に殺される直前に、あいつは…いや、もっと人知を超えた何かに、助けられた」

「まさか」

「そうでなければ、どうして力の無い捕虜があの軍を瓦解出来る?俺達が生きて帰った、それが何よりもの証だ」

桧釐は直ぐには口も利けないという様だった。

思い出したように酒を煽って、首をぶんぶんと振る。

「悪い冗談ですよ、殿下」

「全くだな。尚悪いのは、これが事実だという事だ」

桧釐の顔を伺う。

まだ信じていない。

「俺が狂っていると思うなら、共に帰ってきた者に訊いてみろ。皆が口を揃えて目にした事を語るだろう。それが何かは誰にも語れぬがな」

「…疑おうとはもう思いません。だけど」

「朔夜に会ったか?」

「いえ。祥朗が会いたいと言っていましたが、止められました。重傷ゆえに会わぬ方が良いと」

「嘘だな。奴は寝てるだけだ」

「はぁ?」

甚振られた傷跡はかなり酷いし、祥朗の記憶も無くしているから会わない方が良かったとは思うが。

「敵を壊滅させた、あの時から目覚めていない。流石にただ寝こけているだけではないだろうが…」

「異常ですな」

「俺はこのまま目覚めねば良いと思っている」

桧釐が目を見開く。

当然だろう。自分が何を言っているかは解っている。

「本物と判った以上は、王に捨て置かれる筈が無いだろう」

「あいつにまた、戦さ場へ行かせたくないから…ですか」

「いや…そんな偽善的なものじゃないな。俺は怖いんだ」

「怖い?」

「悪魔を目前にして、恐怖を覚えぬ訳が無いだろう?」

殺されると思った。

理屈は無い。命を奪う者への恐怖。

「あれを…祥朗に会わせたくない」

それが龍晶の危惧する「危険」だ。

桧釐は戦場ゆえの危険を考えていたのだろうが、龍晶は「朔夜の居る戦場」の危険を考えていた。

両者は全く違う。

「ですが、朔夜は殿下を守ったのでしょう?ならば怖がる必要は…。寧ろ、大きな味方ではありませんか」

「これから先、何があっても守られると思うか?誰がそんなもの保証できる?」

「…彼を…信じられぬという事ですか」

「ああ。…否、信じられぬのは俺自身だ」

「ご自身が?何故」

「ずっと考えていた…。俺は、朔夜を何だと思っているのか。…友なのか、使える駒なのか…道具なのか」

桧釐は黙って杯を干した。

そして、ついぞ空になって注がれる事の無い龍晶の杯を満たした。

撤退する道すがら、疑問を抱き、ついに聞けなかった答え。

それを、同じ問いを、この人は悩み続けていた。故にあの時答えは無かった。

「…何だったのですか」

桧釐は硬い声音で訊いた。

龍晶は、自嘲を見せた。

「そのどれもだよ」

友であり、駒であり、道具であり。

「利用出来るならしたい。捕虜になった時はあいつの力があればと、そればかり考えていた。…だが、今はそのどれもが違う」

「違う?」

「あいつから離れたい」

視線が合わさる。

端正な紅い唇は、薄く非情な笑みを浮かべていた。

「俺はあいつに殺される。いつか必ずそうなる。兄がそう仕向けた通り…いや、それ以上の結末で」

月が、煌々と大地を照らす。

こんなにも静かに。しかしそれは、狂気を孕んで。

いつか来るその日を予感させながら。

「俺は朔夜に兵器として働かせ続けねばならぬだろう。兄は必ずそう命令する。俺があいつを使う事になる…それが、答えだ。俺がどう思おうと、例え友だと思おうとしても、使う側と使われる側には変わり無い。その果てに…あいつは何を思うだろう?俺があいつを裏切らないとでも?」

「朔夜は馬鹿じゃない。貴方の裏に王が居ると既に知っているでしょう」

「駄目だ。あいつは記憶を失った」

「何ですと?」

「綺麗さっぱりこれまでの事を忘れているのさ。いつのかは判らぬが、頭に大きな傷がある。敵に強かに打たれて、脳まで傷を負ったのだろう」

「そんな…」

「それを王が利用せぬ筈は無いだろう?これからあいつは都合の良い事だけを吹き込まれて殺戮兵器にされる」

「殿下…」

酒を煽って、乾いた舌を何とか回せるようにして、桧釐は言った。

「それを止めるのが、貴方の役目でしょう…!?」

静かに、龍晶も杯を干した。

そして、空になっても杯を口元から離さず、暫し虚空に視線を漂わせて。

ふっと、桧釐を振り返った瞳は。

酷く、哀しいものだった。

「俺にそれは出来ぬ」

桧釐が息を飲む。

それが怒りだと解っていて、龍晶は続けた。

「何とでも詰れ。俺は自分が何をしようとしているか解っている。罵れば良い。それで良い」

「何故ですか!?解っていて、何故!?」

「お前には解らぬ!!」

怒鳴り返して、己を嫌悪する溜息を吐いて。

「俺にもだ…。ただ、怖い。悪魔よりも、あの人が怖い」

震える声が、それが本音だと裏付ける。

桧釐はそれ以上責める言葉を無くした。

「お母上の命を奪われたからですか…?」

問いに、激しくかぶりを振って、絞り出す声で龍晶は言った。

「言うな…!まだ…」

死んだと決まった訳ではない。

「もしや…」

桧釐も、漸く龍晶の怖れている事に気付いた。

確かに恐ろしい事だった。

「お母上の命は…あの方が握っておられると…?」

眼を閉じ、脱力した様に、龍晶は頷いた。

「確証は無い。だが…」

十分に有り得る。否、あの兄の事だ。ただ殺す訳が無い。

「城に、開く事の無い座敷牢がある」

朔夜がかつて居た牢の奥に。

あの時初めて疑惑を持った訳ではない。ただ場所の見当は付いて無かった。だからただの思い過ごしと眼を瞑る事も出来た。

あの時は牢を見て、もしやと感じただけだ。

それが、時間の経過と共に、龍晶の心を蝕んでいる。

鉄格子の冷たさが手に蘇る。

その掌に目を落としながら、龍晶は言った。

「母だけではない。祥朗も…お前達北州の民も…。俺が足掻いても手の届かぬ所に皆の命がある。あの人が全て握っているんだ」

「考え過ぎでは…?」

「そんな訳があるか!だからお前には解らぬと言ったろう!?」

怒りを、酒と共に飲み下して。

「あの人の恐ろしさ、残酷さは俺が一番よく知っている。故に俺は決して逆らわない。俺の命だけでは済まぬとずっと言われ続けてきたから…!」

流石に桧釐も言葉を失った。

龍晶が震える手で瓢から直接酒を口に流し込むのを、見ている他は無かった。

瓢が地に落ち、酒が散る。

同じように、龍晶もばったりと地に転がった。

「殿下…!?」

流石に飲ませ過ぎたかと慌てて桧釐が覗き込む。

薄く目は開いて、月を見ている。

「これしか、逃げ道が無いんだ」

酩酊しながら龍晶は呟いた。

目が閉じられる。眠ってしまった。

桧釐は苦笑し、落ちた瓢の酒を煽った。

「酒は呑まれる為のものじゃないぞ…」

蟒蛇は一人、静々と飲み続けた。


朝、目覚めてすぐに体験した事も無いような頭痛と吐き気に襲われて龍晶は唸った。

後先考えず煽り過ぎた。後悔は先に立たない。

天幕の中の寝台。恐らく桧釐が運んでくれたのだろう。

あの僅かな間の記憶ぐらい飛んでいてくれれば良いものの、己の発した一言一言をいちいち覚えている。どこで意識を失ったのかも。

朔夜は失わずとも良い記憶を失っているのに上手くいかないものだな、と不謹慎な事を考えてしまう。

ふと、朔夜はひょっとしたら、記憶を手放したかったのではないかと、そう思った。

抱え続けるには重過ぎる記憶だ。偶然とは言え、それは本人の望みでもあったのではないかと。

その方が、幸せなのかも知れない。何もかもを水に流して、一から記憶を構築した方が。

否、そんな考えは甘過ぎる。

彼の過去の記憶、経験が無ければ、この先が不安である事に間違いない。

それでも、あの辛い記憶を持ち続けるよりは。

果たしてどちらが幸福だろう。

自分なら?

忘れたい事ばかりだ。

嘘を吹き込まれてでも過去を変えられるなら、それが良い気がする。

そこまで考えて。

抑えられぬ吐き気に襲われて、慌てて寝台を這い出し天幕の外に転がり出た。

土の上に吐けるだけ吐いて、クソッタレと自分を罵って、ふと目を上げると祥朗が居た。

柄杓に水を汲んで待ってくれている。

「…ありがとう…」

受け取って、冷たく新鮮な液体を喉に流し入れると、何だか笑いが込み上げてきた。

自分が情けなさ過ぎて。祥朗も一緒に笑っている。

目が回る。そのまま草の上に倒れ込む。

顔面を手で抑えて、自嘲は声を上げて続く。

どんなにご立派な事を考えようとしても、所詮自分なんてこんなものだ。

酔い潰れるしかやる事が無い。あとは全部運任せ。

とにかく逃げ道ばかり探って。そんなものは存在しないとよく知っているのに。

全部、全部忘れたい。

何もかも。大切に抱えてきた記憶を。

哄えなくなって、顔面を覆っていた手で目元を拭いながら退かした。

祥朗が上から覗き込んでいる。

優しく笑いながら。

それに、やっと混じり気の無い笑みで応える。

今、本当に守りたいのは、この一人だけ。

「…祥朗」

まだ、酔っている。そう自分に言い訳しながら。

「逃げようか。どこか、遠くに」

きょとんとした顔。

そりゃそうだよなと龍晶は首を振った。

「嘘。水、ありがとな」

何とか這い上がるように身体を起こす。

そうして起きた目と鼻の先に、桧釐が居た。

聞かれたか、とうんざりする。

「人生初の二日酔いですか、殿下?」

揶揄ってくる。

「うるせぇよ」

「図星ですな。ま、大丈夫ですって。俺も何度も反吐(へど)吐いて覚えたんですから」

「だから、うるせぇっての」

あー、と言葉にならぬ声を上げて頭を沈ませる。

とにかく面倒だ。

「逃げる勇気も無い癖に」

何気無い風を装いながら、チクリと言われてしまった。

本当に、こういう時のこの男は面倒だ。

龍晶が逃げれば北州の反乱は実現しない。それ故にだろう。

元より実現させるつもりは無いが。

「宗温殿に伝言を頼まれたんです」

急に話を変えてきた従兄を見上げる。

朝日が眩しい。頭痛が悪化しそうだ。

桧釐にとっては、これが本題。別に皮肉を言いに来た訳ではない。

「朔夜が目覚めました、ってね」

どくり。と。

痛い程に心臓が胸を打った。

恐れていた。本心から。この瞬間を。

何を。

何をせねばならない?

「…祥朗」

細い手首を掴んで、目を合わせて。

「逃げろ。佐亥の所へ、玄龍に乗って…今すぐ!」

何故、と目が問う。

龍晶は首を横に振って、上目遣いに殆ど哀願する様に最愛の弟へ言い付けた。

「何も訊くな。頼む…言う通りにしてくれ」

「一人じゃ無理でしょう」

冷静に桧釐が口を挟む。

「じゃあお前が送ってくれ」

「殿下は?」

祥朗も同じ事を目で問うている。

龍晶はーー言い淀んだ。

視線を彷徨わせる。二つの意思が頭の中で殺し合いをしている。

逃げたいと言ったのは、この口だ。それが本音だ。

「…酔いが治ったら、あいつに会う」

結局。

逃げられない。

これが責任だ。悪魔をこの世に蘇えらせた己の責任。

「そう、ですか」

桧釐が近付き、祥朗の肩に手を置いた。

「北州までは俺が送りましょう。北州からは、俺の弟子達を付けます。まあまあ頼りになる奴をね」

祥朗が疑問を孕んだ目を向ける。

龍晶も同様だ。何故都まで送らないのか。

「北州から俺は蜻蛉帰りして殿下をお守りしますよ。それが俺の責務でしょう?」

そういう約束で連れて来た。確かにそうだ。

龍晶は鼻で笑って言ってやった。

「今更仕事をする気になったのか」

「何を。俺はずっと殿下のお守りをしているつもりでしたよ。守られる方は自覚が無いでしょうけど」

売り言葉に買い言葉で返して、桧釐は本当の所を口にした。

「まぁ…自分の責任を痛々しいまでに果たそうとする誰かさんには敵いませんが」

傷だらけでも独りで立とうとする姿を傍観していられない。

龍晶は吐く息と共に視線を下ろした。

どうしたって、誰かを巻き込む。止める事が出来ない。己が弱いせいで。

「そういう訳で、行こうか坊ちゃん」

桧釐は祥朗の背中を軽く叩いて促したが、彼は龍晶の視線の目の前に下りてきた。

じっと、真っ直ぐに目を見詰める。

「済まないな、祥朗。来てくれて嬉しかった」

栗毛の髪を撫でて。

「俺は大丈夫だ。必ず帰る。佐亥(サイ)によろしく」

何度、大丈夫という言葉の虚しさを噛み締めさせれば気が済むのだろう。

それでも他に何も言えない自分が歯痒い。

祥朗はふっと寂しげに笑って立ち上がった。

「玄龍を頼むぞ」

頷いて、愛馬の居る方へ駆けてゆく。

本当に、何度繰り返したら。

「殿下、ちょいと」

今度は残った桧釐が身を屈ませて龍晶と視線を合わせた。

何だ?と目で問う。

「実は、先走りして朔夜の様子を見てきたんです。一人でね」

祥朗と一緒ではないと先に釘を刺して。

右腕の袖を捲った。

五本の引っ掻き傷。

「…お気をつけください。と言っても、殿下は大丈夫でしょうけど」

「まだ手負いの獣か」

吐く息で言って、傷から桧釐の顔へ視線を上げた。

「他の者も手を焼いているだろうな」

「二日酔いの辛さはよく知っていますが、さっさと行ってあげて下さいよ。あれじゃ誰の為にもならない」

「分かったよ…善処する」

「ええ。坊ちゃんの事はお任せ下さい」

「ああ。頼む」

桧釐も立ち上がり祥朗の後を追う。

見送って、一度重い頭をずしりと沈ませて。

荒く溜息を吐いて、立ち上がった。

桶の水を口と、思い切り顔にぶちまけて。

しっかりしろと己を叱る。何からも逃げられないなら、闘うしかない。


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