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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第九話 虚言
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光。

闇の中で遠く、光が射し込んでいる。

たった一筋。

何の光かは分からない。

この光を掴まねばならない、訳も無しにそう確信して。

手を伸ばす。


「殿下…龍晶殿下!」

伸ばした手を掴む人が居る。

この声。宗温(ソウオン)だ。

龍晶はそっと目を開いた。

窓から射し込む朝日に目を細める。

この場所。意識を失う前の、そのままの場所。

夢では無かった?

はっと、起き上がる。

何の痛みも無い。致命傷だと思われた背中の刀傷。

矢張り夢だった?

否。

隣に朔夜が倒れていた。

眠っているようだ。

「…治してくれたのか、お前…」

眠る顔に問う。

間違い無く何もかもが現実だった。

それを証明するように辺りは屍だらけだ。

不自然なほど喉笛ばかりを狙ったように掻き切った屍体。

「死ぬかと思ったが」

言って、宗温に片頬上げて笑う。

「ご無事で何よりです」

鼻で笑って、お前もな、と返した。

「何が起こったか聞きたい所だが…お前も同じ事を訊きたいんだろうな」

「ええ。正直、目の前で起きた事が理解できません」

「同じだよ」

座り直して、朔夜の上半身を抱き上げる。

かくりと落ちる首。本当によく寝ている。

「赤子かよ」

苦笑しながら持ち直して、己の肩に頭を乗せてやる。

「…確かなのは、漸く俺は悪魔に逢えた…それだけだな」

「そう…ですね…。我々は彼に救われた」

龍晶は頷いて、一回りは身体の小さい朔夜を抱き上げて立ち上がった。

この小さな身体に、あの力が宿る。

あまりに恐ろしく、あまりに大きい。

そして、あまりにも魅惑的な。

「外はどうなっている?」

入口の向こうに目をやりながら龍晶は訊いた。

とにかく屍が累々と続いている。それはここからでも判る。

「敵兵はもう一人も居ません。皆は水と食料を探して逃げる準備をしています」

「ああ。国に帰らねばな」

至極当然の様に言える。

夜が明ける前は、望む事すら出来なかったのに。

生きて、帰れる。

帰るのだ。あの懐かしい故郷へ。

龍晶は外へと踏み出した。

自由の身となった同胞達が、旅立ちに必要な物を集めて走っている。

一人がこちらに向かって走り寄ってきた。

「殿下、これを」

両手で差し出された、龍晶の刀と、朔夜の衣服、そして双剣と虎の彫刻のある短刀。

「よく見つけてくれた」

兵は一礼して去って行った。

両手の塞がる龍晶の代わりに荷を受け取った宗温は、のんびりと彼に言った。

「まだ出立には時間がかかりましょう。ゆっくり準備してお待ち下さい。死の淵から蘇えるなんて大仕事をされて、さぞや空腹でしょう?」

何故それを知っている、と宗温を見やる。

ふふ、と笑って彼は教えてくれた。

「殿下もお召し替えが必要ですね」

斬られた箇所の衣服が大きな口を開けているのだ。背中は全面、赤く染まっている。

「これが一晩にして治った。信じられるか?」

「もう何を見せられても驚きませんよ」

景色一帯が信じられる物ではないので、感覚が麻痺してしまう。

「…確かにな」

「何か運ばせましょう。お休みになるならあの辺りが良いですよ」

指差した先に、少しばかりの木陰と泉が見える。

「朔夜殿をお持ちしましょうか?」

「いや、大丈夫だ。荷を頼む」

何故だか、今だけでも己が運ばねばならぬ気がした。

軽かった。

「敵は戻って来ないだろうか?」

木陰に向かう僅かな道中で確認する。

「戻るも何も…どうやらここに居た者は殲滅したようですからね。援軍が来るなら話は別ですが…呼ぶ事も出来なかったでしょう」

「生存者は居ないという事か…」

あの人数を、一人で。

逃げる暇をも与えない程の短時間で。

人間に出来る事ではない。

「敵を殲滅した後、朔夜殿はあの柵を破壊してくれたのです。それも、ただ触れただけですよ?だからもう何が起こっても驚きません」

先刻と同じ事を繰り返している間に、二人は木陰に着いた。

ひりつく日光が柔らぐ。

「水と食べ物を持って来ますね。今回ばかりは甘えて下さい」

宗温が笑いながら言って、踵を返す。

龍晶は言い返す気も無く見送った。他人に何かをさせるのは大嫌いだが、今は動く気になれない。

確かに痛みは体の何処からも消えたが、怠くて仕方無かった。

朔夜を程よい場所に下ろして、自身も腰を下ろす。

木陰の下ならば爽やかな風が吹き抜ける。

随分久しぶりに風を感じた。

全てが解決した。

都に戻れば当然、様々な問題が待っている。

だが帰れるだけ断然良い。死線を掻い潜って生き残った今は、待ち受ける問題など何もかも些事に思える。

今はとにかく解放感が強かった。

ぼんやりと辺りを眺めていて。

ごろごろと転がる屍と砂しか景色に無い、何とも殺伐とした光景ではあるのだが。

ーー本当にこれは解決か?

ふっと、頭の片隅に起きた疑問。

敵が全て死んだーーそれは戦において確かに大勝利であり、これ以上無い結果である。

だけど。

龍晶は蒼醒めて立ち上がった。

「…馬卑羅(マヒラ)…!」

敵ながら世話になった少年兵の名を呼ぶ。

生存者は、居ない。

炎天下の中に飛び出す。

嘘であってくれと声にならぬ叫びを上げながら。

死人が多過ぎる。

一人一人を確認し、だが少年の姿は目に入らない。

否、無くて良い。徒労で終わって欲しい。

こんな事は考えたくもない。

友が、恩人を殺したなど。

「……!」

水場に、皮袋を持って。

だが、首は無かった。

別人だ。別人に違いない、そう念じながら。

井戸の中を、思わず見てしまった。

赤く染まる水。

浮かぶ、変わり果てた、顔。

動けなかった。

叫ぶ事も、震える事も。その場から逃げる事も。

赤い、赤い水に、意識が吸い込まれる。

これは。

誰の罪だ?

「ーー殿下っ!!」

急に井戸から体を剥ぎ取られて、龍晶は我に返った。

水を汲みに来た宗温が、息切らして己を抱えている。

自分が何をしようとしていたか、少しずつ理解した。

ここに落ちるべきは、誰だ。

「…大丈夫ですか」

肩を掴む力が、痛い。

「ああ…。悪い…」

自分がしようとしていた事を、もう片方の自分が冷めた目で見ている。

馬鹿な事をするな、と。

正気と狂気が己の中で渦巻いている。

一番信じられないのは、自分だ。

「もう、何も恐れる事は無いのですよ?」

宗温からすれば、終わった今になって何故、と思うのだろう。

それは龍晶とて同感だ。

だが、終わったのは何なのか。

黙って、少年の遺骸を指差す。

宗温は指された方を見遣って、立ち上がり井戸の中を確認した。

「…彼、ですね」

冷静に一言呟いた。

聞いた龍晶の中で、怒りが突き上げた。

「それだけかよ!?貴様それでも人間か!?」

怒鳴って。

落ち着き払った宗温の視線に、冷静にならざるを得なかった。

「…悪い」

「いえ、ご尤もです」

俯き、緩く首を振る。

「これが戦か」

こんな、残酷な。

この光景は、人を、おかしくさせる。

自身も麻痺しかけていた。これが平和へ繋がる光景だと、つい、今し方まで。

もう、何が正気で何が狂気なのか、分からない。

おかしいのは、矢張り俺だろうか?

「これを戦と呼んで良いのか…いえ」

何でもありません、と宗温は口早に言い足した。

自分と朔夜の関係に気を遣っただけだと、龍晶はすぐに察した。

だが、気を遣われるには度が過ぎている。

朔夜は、意図してこの光景を生み出したのか。

だとしたら。

「悪魔の所業だ、これは。お前達がする戦と同じだとは、俺も思ってない」

「殿下…」

「人の死に方もいろいろだな」

立ち上がって、元来た方へ歩き出す。

もう、怒りも無い。恐怖も。悲しさも、悔しさも。

何の感情も起こらない。

ただ、何故、と。

天に向かい、何故こうなったと、問い質したいーー

答えなど、誰も持っていない。それは知っている。


一旦、峯旦の陣へ合流する為出立して、最初の夜。適当な場所に夜営を組んだ。

これまで行き来に使った街道ではなく、人の目に付きにくい山道を進む。

いつまた敵襲があるか分からない。壬邑(ジンユウ)からは一掃されたとは言え、哥の情報網と移動力は侮れない。

怪我人、病人の多い一行だ。襲われたら、せっかく拾った命もひとたまりも無い。

夜営の準備も一段落し、龍晶は病人と共に運ばれる朔夜の様子を見に来た。

まだ目覚めない。

「いつまで寝こける気だ」

文句の一つも言いたくなる。

言いながらも、違和感を感じる。

今迄通り、文句も冗談も、弱音も、本音も言える、そんな関係で良いのだろうか。

確かに記憶は消えている。それでも、否だからこそ、傍に居てやろうと思っていた。

だが、あの姿を見、その埋められない損失を身を持って知ってからは。

これまでと同じで居られる方がおかしい。

そう思いながらもここに来てしまう自分が居る。

分かっている。

こいつがした事は、

百を超える命を奪って、

俺一人を救った。それだけだ。

「俺に見捨てられないように仕向けたろ」

半分は冗談。もう半分は。

自嘲した。

こんな奴に守られ、今度は守ってやらねばならない。

随分骨な世話だと、命令した兄に心の内だけで毒付いた。

枕元に座る。

一つ一つの情景が思い返される。

例えば、あの瞬間俺がこいつを止められていたら、どうなっていたか?

二人共死ぬだけ。それだけで済んだか?

それでも良かったか?

後悔なのだろうか。それすらも分からない。

「殿下、ここに居られましたか」

宗温が近寄ってきた。

井戸での事があるから、あれからずっと何とは無しに見張られている。

悪かったのは自分だ。煩わしいよりも申し訳無さが先立つから特段何も言わない。

「まだお目覚めにはなりませんか」

問いに頷いて、立ち上がる。

ここに居ても仕方ない。

宿営地は夕飯の香りと一時の安息で満ちていた。

「殿下、これは戯言として聞いて欲しいのですが…」

「何だ?」

「彼を、このまま都に帰しても良いものでしょうか?」

思わず龍晶は歩みを止めた。

「…返さねば、どうする?」

これは、兄のものだ。

「いえ、あくまで戯言です。聞き流して下さい。…今、都に帰しては、半永久的に故郷の地を踏む事は叶いますまい」

「…ああ」

「殿下のお命が懸かっている事も重々承知しております。どうかお忘れ下さい」

言って、一足先に去ろうとする足を、龍晶は止めた。

「もし…もしも、俺達二人が都に帰る道を選ばなかったら、お前はどうする?」

振り返り、微笑んで。

「お供致しましょう。お邪魔でなければ」

一礼を残して、宗温は人の居並ぶ夕餉の集いに紛れた。

龍晶は、朔夜を振り返る。

安らかに眠る顔。

この先の苦難など、何も知らない。

龍晶とて、この先何が待っているか分からない。ただ、決して明るくはない。それは確かだ。

朔夜は兵器として有効だと、証明してしまった。

王の思惑通りに。全ては、あの掌の上。

朔夜に待っているのは、次なる戦地だ。

自分は。

「帰りたいよな…」

前に訊いた問い。

あの時はっきりと、頷いた。

このまま皆と道を別けて梁巴へと向かうべきか。そうすべきかも知れない。

その方が、希望はある。

「悪い」

俺は約束を守らない。

自分が、そんな選択など出来ない事を、龍晶は知っている。

臆病故に。それだけで。

兄に背く事が、出来ない。


峯旦は来ぬ敵を待ち構えていた。

まだ壬邑がどんな事態になっているか、報せは無いのだろう。

一行が到着して、初めて何が起こったのか報された。

報告は宗温が行った。龍晶は同席せず、会話も聞こえない陣の外へ一人歩いていった。

悪魔の所業など改めて思い返したくもなかった。何も知らぬ第三者の会話ならば、尚更。

陣の外れ、馬の繋がれる木立へ足を踏み入れて。

意外過ぎる顔を見つけて、驚きで足を止めた。

祥朗(ショウロウ)…!?」

傍らには玄龍(ゲンリュウ)、そして桧釐(カイリ)

「どうして…!?」

嬉しそうに走り寄ってくる弟を迎え、ゆっくりと後に続いてきた桧釐に問う。

「お馬様は約束通りこの子の元に帰しましたよ?その後は判るでしょう」

分からない、と首を振る。

下から腕をぎゅっと引っ張られた。

「…心配されてるんですよ、あなたは」

腕を抱くようにしてくっつく祥朗を見て。

きちんと別れも言わず彼から、それも危うく永遠に別れようとしていた事に気付いた。

「ごめんな、祥朗。もう…大丈夫だから」

真上から見下ろす頭が上下に振られる。

本当は何も大丈夫だとは言えない。この先、またこんな事態になる事は想像に難くない。

その上、まだここは戦場に違いないのだ。

そんな場所に来させてしまった。桧釐を責めるのは見当違いだとは思いながらも、どうして止めなかったと腹の内で怒らずには居られない。

ぐっと腕を引っ張られる。前へ。祥朗にとっては先刻居た位置へ。

玄龍を見せたいのだとすぐに判った。

愛馬は、程よい木陰に繋がれて、のんびりと下草を食んでいた。

龍晶に気付いて首を上げる。

「玄龍、長い距離を往復させてすまないな」

首筋を撫でる。横で祥朗がにこにこと笑っている。

この瞬間の為に俺は生き残ったのだろうと、そう思った。

そう、この刹那。

そして再び地獄へと向かう。

日が暮れ、祥朗が眠るのを見計らって、龍晶は桧釐を誘い天幕を出た。

「約束を果たしてくれた事には礼を言う」

夜道を適当に歩きながら、龍晶は切り出した。

「それはそれで、言いたい事がありそうですな」

結論など御見通しとばかりの桧釐に、一つ息を吐き、提案した。

「お前、俺に付き合わされてから酒浸りになってないだろう?そろそろ我慢も切れる頃じゃないか?」

桧釐が目を丸くする。

「どうしたんです、急に」

「俺とて素面じゃ居られない時があるんだよ、蟒蛇(うわばみ)殿」

北州での己の呼び名を呼ばれ、思わず笑って桧釐は快諾した。

「無論、付き合いますとも」


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